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天狗の手掛かり

「まさか真縁さんも――?」


 空須は後ろを振り返った。怪訝な表情で真縁が彼らを見ている。会話の内容までは届いていないようだ。


「なあ、こそこそ何話してるか知らねえが、捜査の方はしっかりやっといてくれよ。応援が来れねえ分、俺たちがなんとかしないといけねえんだからな。俺はお前が見つけた小刀の方を当たるから、お前は後で社務所の方に行って関係者の事情聴取しといてくれ。明松の婆さんとか、青年団のやつらとか、そっちに待機させてるから、あんまり待たせんなよ」


 それだけ言うと彼は神社の階段の方へ行ってしまった。

 彼の姿が見えなくなるのを待って飛が続ける。


「そりゃそうだろう。奴はあんたと違って何年も村にいるんだろ」


 真縁は村では若者の分類に属しているが、それでももう五十を超えている。この村に赴任してから十年は経っていると、空須は聞いていた。


「それなら村の負の歴史や因習を知っていても不思議じゃない。というか、これまでそんな行為が露呈してこなかったのは、奴が揉み消してきたからだとも考えられるだろ」


 村に来て空須が一番世話になったのは間違いなく真縁だ。歳も離れているし昔気質で怒りやすい頑固者ではあるが、不思議と話しやすい人柄で、空須にとっては良き先輩だった。それだけに犯罪行為の揉み消しにまで加担しているなど、到底信じ難い。だが昨日から何かと驚天動地の出来事が相次いでいる。空須にはもはや信じるという行為ができなかった。


「う~ん、でも、それは難しいんじゃないかな」


 はっとして顔を上げると、彼の眼前にいつの間にか天宮がいた。二人の会話は完全に盗み聞きされていたらしい。


「だってさ、死体発見当時は祠の周りにイシクラゲが大量に生えていたんだよ。つるつるのぬるぬるだよ。普通に死体を運ぶだけでもそれなりに時間がかかるのに、足元のせいでどうしたって慎重にならざるを得ないから、茂みから祠までの距離でもある程度の時間が必要になるよね。でも、空須さんの方は、祠の外を何かが通り過ぎた影を見たわけだから、祠の周囲を急いで調べるはず。それに彼は足元が不安定でも壁に手をついて移動することができる。彼が祠を一周する方が、死体を茂みから運び入れるより早いんじゃないかな。どう、空須さん」


 空須は頭の中でその時の光景を再生してみる。影が通り過ぎる――外へ出る――祠の周囲に目を配らせる――ぐるりと回って戻ると、祠の中から死体が運び出されてくるところだった。


「正確に測ってはいないですが、一回りするのに五秒くらいだったと思います」


 それなら――と、災害対策で神社の中に保管されていた土嚢を持ってこさせ、天宮は実験を始めた。茂みは焼けてしまっているが、おおよそどのあたりに生えていたかは、真縁から送られてきた現場写真で判った。茂みと祠とは思ったよりも距離があり、結局、名神と同程度の重さの土嚢を抱えて茂みから祠へ移動するだけで、十五秒はかかってしまった。往復すればさらに時間がかかる。茂みに隠れていた人物が死体を運び出しつつ、祠の中にいた人物がそれを受け取りに向かい、丁度祠と茂みの中間で死体の受け渡しを行ったとすれば、往復するよりも時間の短縮につながる。しかしそれでも、死体の受け渡しをするのに多少時間がかかるため、やはり二十秒はかかるだろう。空須に目撃されずに死体を祠に入れるのは不可能であった。

 その事実が実証されても、飛は村の人間が空須を謀った説を捨てきれなかった。暫し考えた後で次の案を切り出す。


「それならこういうのはどうだ。被害者は青年団の一人になりすまし、他の人間と一緒に祠の中に入ったところを殺された。茂みに隠れていた男が、同じく外にこいつを誘い出した隙に、祠の中に入ってさも最初から現場に来ていたように見せかけた。これなら時間的には何の問題も――」

「時間の問題は解決できるけど、そうすると色々ちぐはぐになっちゃわない?」


 即座に天宮の疑問に狙い撃ちにされていた。


「うっかり殺したのを天狗の仕業に見せかけるっていう動機が成り立たなくなるし、性的暴行を受けている被害者が青年団のふりをして、のこのこ村の男性についていくとも思えないし、被害者の体格的に男性になりすますのも難しそうだよ。マジックのアシスタントみたいに、たくさんいたらわからないけど、現場に来た青年団は三人だけ。それだといくら日が出る前とは言え、明るくなり始めていた頃だから、空須さんが入れ替わりに気付くと思うし」


 それに――と思い出した空須が続く。


「死亡推定時刻とも合致しません。被害者が殺されたのは午前三時頃から三時半頃で、僕らが祠の中に入ってから少なくとも三十分は経っています」

「それを先に言えっての」


 万年筆で飛に横っ腹を小突かれた。

 自分が言わなくても、天宮の反論で既に瓦解していたではないか。と、空須は小突かれた箇所を押さえながら、恨みがましく飛を見返した。


「しっかし……、そうなると一体どうやって村の連中は死体を中に運び込んだんだ?」


 飛もこれ以上の隠し玉はないようで、すっかり五里霧中になっているようだ。それでも、村の人間を疑うスタンスに変わりはない。

 空須もある意味でそうだった。確かに天宮のおかげで真縁たちが祠に死体を運び込んだ説は間違いだと証明されたが、飛が調べ上げた小鳥村の歴史や因習までもが否定されたわけではない。それが今も続いている可能性も、真縁がそれを知っている可能性も依然残されたままだ。

 空須は言いようのないもどかしさに駆られた。

 空須も隣で考えるポーズをしてみるが、正直まだそこまで冷静になることができない。

 目を瞑ると村の人々の顔が剥がれ落ち、彼らが名神の死体を囲っている姿が、瞼の裏に映画のように投影される。翻って逃げ出した彼は森の中を彷徨う。その森に現れた天狗のような影――そこで消えてしまった住職の姿。

 ん、住職――?


「あっ、そう言えば、白峯さんは?」

「わしがどうかしたか」


 すっかり頭の片隅どころか埒外に追いやられていた彼を思い出してハッとした空須が目を開けると、眼前に問題の住職がいた。そのにたにたとした顔に驚いた拍子に仰け反って、尻もちをつきそうな情けない恰好になりながらも、彼は詰問する。


「どうかしたもなにも、今までどこに行ってたんですか!」

「いンやーぁ、すまんすまん」


 坊主頭をぴしゃりと叩く気持ちの良い音が反響する。


「腹が減っちまったからなあ。朝飯を食べにうちに返ってたのよ。ほれ、よく言うだろう。腹が減っては戦は出来ぬと」


 天狗の神隠しではないかと本気で思いそうになり、怯えながら森の中を抜けていた空須のことなど露知らず、呑気に朝飯をかっ食らっていた住職は、呑気に呵々と笑い飛ばした。

 自分から係わらせろと言い出したというのに、勝手にもほどがある。


「ええ……。そんなことで急にいなくなったんですか。お願いですから、そういう時は声をかけてくださいよ」


 第二の神隠しでなかったという安堵と、くだらない理由で情緒を搔きまわされた怒りと呆れが綯い交ぜになった結果、空須の口からは溜息しか出てこない。


「ははは、まあ気を付けておくかのう。それよりも、ほれ、仏さんは?」

「あちらです」


 名神の死体は真縁たちが運び出してくれたおかげで、惨事に巻き込まれることはなかった。死体はブルーシートをかけられた状態で、石畳の上に横臥している。住職はその傍へと向かうと、膝をついて合掌した。

 生臭坊主でも死体を前にして経を唱える律儀さはあるらしい。


「ちょちょちょっと、ま、まだ、し、し、死体があるの……?」


 やにわにどぎまぎし始めた天宮が、空須の制服の裾を引っ張った。


「それはもちろん。ご覧になりますか」


 探偵として、当然死体の調査もしたいだろうと気を利かせたのだが、彼女は弾かれたように首を振る。


「いい、いいよ、大丈夫。うん、全然大丈夫。なんていうか、ほら、私くらいの探偵になると、死体とか、その、ほら、見る必要ないというか、うん」


 彼女は空須の陰に隠れながら、膨らんだブルーシートの様子を窺っている。それが風ではためいたかと思うと、彼女は顔を背けていた。


「そんな遠慮なさらなくても。警察に何度も捜査協力していると言っていたじゃないですか。僕らなんかより気付くことがあるかもしれませんから」


 彼女の背後に回り込んで背中を押そうとする。


「捜査協力といっても私、電気椅子……じゃなくて、車椅子……でもなくて、その安楽椅子探偵ってやつだから、うん。だから、いや、あの、本当に――」


 シートが捲れて名神の素足が顔を覗かせると、天宮は小さく悲鳴を上げた。振り返った彼女が空須の胸に顔を埋める。

 完全に想定外の行動を取られて、今度は空須の方がどぎまぎする番だった。


「わ、わかりました。取り敢えず今のところ得られている検死結果について、判っている限りのことはお知らせしますから」


 空須は彼女の震える肩を掴んで、引き離す。本当ですか、と見上げた彼女の目には涙が浮かんでいた。

 平生の博学で自信満々といった様子の彼女からは想像できない意地らしさに、空須は気恥ずかしさを覚え、目をそらしながら首肯するばかりだった。


「そりゃいいや、俺にも聞かせてくれよ。さっきの契約、忘れてないよなあ」


 そこに茶々を入れてきたのは飛である。ある種、彼のおかげで浮ついた気持ちから地に足を付けた空須は、仕方なく彼にも検死の報告をすることになった。

 死体を祠から運び出した後に空須と真縁が行った検死の結果に加え、小鳥神社から空須が天宮を呼びに行っている間に、真縁が追加で死体の情報を集めていたのである。

 被害者は天宮が捜していた名神更紗という女子大生であることに間違いはない。空須も顔を確認して彼女であると認識したが、死体のポケットから見つかった財布の学生証からも、それは明白で厳然たる事実となった。彼女の所持品はその財布くらいなもので、携帯電話も持っていなかった。死亡推定時刻や性的暴行の痕跡については前述の通りである。被害者は心臓を刃渡り十数センチのナイフのようなもので刺されており、それが致命傷となっていた。凶器は祠の中からは見つかっていないが、空須が見つけた不審な影が落としていった小刀が、現在のところ最も近しいものだと考えられている。


「――以上が、検死の結果です」

「なるほどね」


 すっかり落ち着きを取り戻した天宮は、澄ました表情で空須に尋ねる。


「一つ気になったんだけど……」


 ごくりと空須は唾を飲み込んだ。彼女が本当のところ何者なのか彼には判らないが、それでも空須は彼女の探偵としての実力はすっかり認めていた。彼女が言葉を発する時、何かしら事件が進展する――と。


「空須さん、事情聴取はしなくていいの?」

「ああっ」


 慌てて時計に目をやる空須。

 実験だなんだとやっているうち、真縁に頼まれてからもう一時間になろうとしていた。


 *


「それじゃあ、明松さん。祠の中で名神さんを見かけたときのこと、もう少し詳しく教えてもらえませんか」


 椅子とテーブルを用意し、社務所で事情聴取を始めた空須だったが、どこか上の空だった。

 それというのも、ご自慢の万年筆で手慰みをしながら、ちゃっかりと我が物顔で同席している飛のことが気懸りだったからだ。天宮は元々名神の捜索で来ていたこともあって、関係者と見做せなくもないし、能力的にも心強い。だが飛の方は、彼の常に他人を馬鹿にするような態度のせいで、事情聴取に支障を来すのではないかと空須は不安視していた。それでも、先程の契約の件や、前日の脅迫の件を考えたら、追っ払うと余計に面倒なことになると、空須は折れるしかなかったのである。


「詳しくも何もなあ……。いつものように朝起きて、天狗様へのお供え物を持って、小鳥神社に向かっただけじゃて」


 飛の姿を横目で見ながらも、空須は明松の言葉を手帳に書き記す。


「小鳥神社に向かったのは何時ごろのことですか?」

「覚えとらんなあ。時計を見て生活しとるわけじゃないからのう」

「大体でいいので」

「三時か、四時……。もしかしたら二時くらいか」


 まるで参考にならない。空須は取り敢えず三時くらいだが不明とだけ記しておいた。


「その時、変わったこととか、いつもと違うことはありませんでしたか?」

「はあ?」


 耳に手を当てた彼女に向かい、空須は声を張り上げて同じことを繰り返す。だが、張り上げるだけ無駄骨で、芳しい返事は得られなかった。


「その後はどうされましたか」

「小鳥神社に着いたら、手水舎で浄めてから社務所で鍵を取って、まっすぐ天狗様の祠へ参拝に向かったわ。そんで祠の戸を開けたら、あの女子がおった。まったくあのふしだらな女子め。天狗様の像を盗みに祠に忍び込んだりして……。信じられん冒涜じゃ。ま、死んだのも天狗様の祠を穢した罰。無理もないことじゃのう」


 彼女の中では、名神はすっかり窃盗犯らしかった。しかし二言目には天狗の祠を穢したやら、罰を受けたやらを繰り返すばかりで、一向に埒が明かない。そこからさらに天狗様のおかげで村は今まで平穏無事にやってこられたとか、最近の村の人間はその恩恵を忘れて天狗様を蔑ろにしているとか、今に罰を受けるだろうとか。話がどんどん変な方向へ派生していってしまう。

 空須はどうにかこうにか彼女の憤慨をやり込めて、質問を続けることが出来た。


「それにしても、一体どうやって彼女は祠の中に忍び込んだんでしょうか。それこそ、その天狗様の仕業のように思えるんですが……」

「阿呆抜かせ。天狗様が神聖な祠にあんな汚らしい女子を連れ込むはずないじゃろう!」


 せっかくやり込めたはずの怒りのボルテージが、怒髪天を衝く勢いで急上昇してしまった。


「あの祠はわしたち村の人間が天狗様に感謝を込めて建てた代物。義理堅く慈悲深い天狗様がそれを踏みにじるような真似するわけがない。大体、天狗様は山に棲んどるんじゃ。時々、村の様子を見に神社の御神木やら寺の大岩に腰掛に来るがな。仮に里から女子を連れ帰ったとしても、山に向かうはずじゃろ。違うか」


 空須は当惑するしかなかった。違うかと言われたところで、彼女の言う”天狗様”のことなどまるで知らない彼には答えようがない。

 その彼の内心を感じ取ったらしく、天宮が彼女に対応する。


「お婆ちゃんは、どうしてそんなに天狗様のことを大事にしているの?」

「そりゃあ勿論……」


 居丈高に続けようとした明松だったが、急にその勢いを失した。言葉の先を探そうと、口の中で何度も勿論を連呼している。しかしまるでそこから前に進まない。いよいよじれったくなったらしく、彼女はそっぽを向いて全てを放り出してしまった。


「そんな昔のこと、忘れてしまったわ。とにかく、天狗様はわしを救ってくれたお方。それだけで十分じゃろうて」

「それで……名神さんが祠の中に入った方法なんですが……」


 おずおずと切り出した空須に、明松はつっけんどんに答える。


「そんなもん、祠の戸から中に入ったに決まってるじゃろ」

「戸――って、あの小さい鎧戸ですか?」


 明松は首を振った。


「違う違う。普通の戸じゃ。あっただろ、確か」

「いいえ、あの祠にそのようなものはありませんよ」

「だったらもうわしは知らん。大体、年寄りを捕まえてあれこれ思い出せだなんだの、無理を言うもんじゃないよ。昨日の晩御飯も覚えてないんだからな」


 すっかり開き直ってへそを曲げてしまった彼女からは、これ以上まともなことを聞き出すことはできなかった。

 明松を家に帰した丁度その時、神社の入り口の方が俄かに騒々しくなった。

 怯えた様子で身体を竦ませている十代くらいの若い少年が、両脇をがっしりと掴まえられた状態で、真縁を筆頭に青年団の屈強な男たちに連れてこられたのである。彼らはそのまま一直線に社務所に上がりこんできた。


「こいつだこいつ」

「何だおめえ、彦山んとこの坊主じゃねえか」

「そいつが何かしでかしたんか」

「殺しだってよ、殺し」


 口々に好き勝手言い合っている野次馬を背後に、少年の両脇を固めていた青年団の男たちが彼を突き放した。

 空須にも当然見覚えのある顔。今朝死体発見時に一緒にいた彦山の息子――ゆたかである。膝をついた彼は真縁や自分を取り囲んだ青年団に向かって哀願するように頭を垂れる。


「違います、違います。僕じゃないんです。お願いです、信じてください」

「嘘言うな! お前の小刀が現場で見つかってるんだぞ!」


 彼を連れてきた男ががなり立てる。

 空須が本殿の陰で見つけた小刀は、鞘から抜くとその刀身に彦山家の家紋が刻まれていたのだと、真縁が言った。父である彦山英樹(ひでき)からも、豊に与えられた守り刀であるとの言質が取れているとのことだ。


「確かに……、確かに、僕はあの時祠まで行きました。空須さんに見つかって、慌てて逃げました。それも間違いありません」


 周囲がざわついたので、慌てて豊は訂正する。


「でも……でもそれは、祠で彼女の死体を見つけたからなんです。このままだと自分が犯人と疑われかねないと思って、それで慌てて逃げたんです。小刀はその時に落としたんです。その時、僕は他にものこぎりやら玄翁やら色々持ち出していて、刀を一つ落としても気付かなかったんです」

「のこぎりだ、玄翁だ? そんなもの持って何しようとしてたんだ」

「彼女を助けようと思ってたんです」

「ちょっと、じゃあ君は、彼女が祠の中にいることを知っていたの?」


 余所者の天宮が急に割り込んできたせいで、村人は顔を顰めていたが、特に文句を言うものはなかった。皆、豊の二の句に注目していたのである。


「そう……そうです。昨日の夕方くらいに、その、なんというか――」


 そこで彼は口籠ったが、すぐに思いついたように続けた。


「そう、一人で静かに読書をするために、この神社の裏に来たんです。ここは村の人があまり寄り付かないから……」


 彼の言い回しや素振りから、空須にはその読書の本がどういった類のものか判るような気がした。


「それで祠の方から変な物音がしたものだから、鍵を拝借して鎧戸を開けてみたんです。そしたらそこに彼女がいて……」

「見たんですか! 名神さんを!」


 詰問する空須に、青褪めた顔のまま彼は応えた。


「ええ……ええ、声が出ないみたいだったんですけど、尋常じゃない感じがしたので、これは助けてあげないとと思って。明日の早朝に助けに来るから、それまで待っててくれと伝えました」

「どうしてすぐ助けなかったんだ」

「その……その時には暗くなりかけてて、作業するのは難しいと思ったんです。それに暗い中で作業したら、彼女を祠の中に入れた人間がやってきても気付けないだろうし」

「それならそれで、警察に言うなり誰かに知らせるなりできただろうに」

「それは……その……」


 最初のうち彼は答えを渋っていた。どんなに空須が声を荒らげて詰ったところで、俯いて目を泳がせながら、声にならない声を漏らすばかり。頭を抱えた空須が席を外したところ、真縁が一言恫喝を浴びせたおかげでついに彼は音を上げた。それでも酷く迂遠で曖昧な言い回しで、蚊の鳴くような小声だったのは、彼なりの最後の抵抗だったのだろう。

 端的に言えば、彼は英雄になりたかったのだそうだ。自分一人で彼女を救い出し、名声を得たかったのだ。そしてあわよくば、吊り橋効果がその効力を発揮するのではないかという下心も添えて。

 おかげで彼は、こっぴどく真縁の説教を食らう羽目になった。

 しかし、彼の様子からして嘘を吐いているようには見えない。その主張が本当なら、彼には名神を殺害する動機もない。おまけに彼の話をよく聞くと、助けに行く前――丁度犯行時刻の頃に麓の高校の友人へ家の電話から、明日のニュースに載るかもしれないなどと浮ついた連絡をしていたとのことだ。その友人宅に確認したところ、事実であるとの証言が得られた。

 それから、潮を引いたように野次馬は去り、落ち着きを取り戻した社務所で一通り話を聞くと、彦山豊もまた自宅に戻ることになった。


「まったく、とんだ人騒がせでしたね」

「ああ、だが奴のおかげで、一つの方法が思いついたぜ」


 したり顔でそう言い放ったのは飛だ。


「俺はてっきり、密室が破られたときに死体が運び込まれたとばかり思っていた。だがあいつ、昨日の時点で祠の中に被害者がいたって言ってたよな。村を色々調査したときに、ある爺さんから聞いたんだ。あの祠は少し前に腐食が酷くて建て直しをしたってな。つまり、犯人は性的暴行を加えた被害者を、その時に祠の中に入れ、それからずっとそこに監禁していたんだよ。刺し殺すだけなら、鎧戸から腕を突っ込めば可能だろう」


 なるほどと独り言ちる空須をよそに、真縁がくだらない戯言とばかりに一蹴する。


「確かにあの祠は建て直しした後のものだが……建て直したのはもう二十年も前の話だぞ」

「はあ?」


 予想外の言葉に飛は素っ頓狂な声を上げた。彼の口からこんな情けない声が出るとは、こんな時ではあるが、空須は若干胸がすっとする心地だった。


「まあこれも以前村民から聞いたものだが、少なくとも俺がここに来てからは一度も建て直しなんかしたことはないな。だいたい、一日で建て直しなんかできないから、もしそんなことがあったら、あの婆さんが参拝するときに気付いて、色々言いふらしただろうしな」


 飛は脂っこいべたついた髪をぼりぼりと掻きまわした。


「ったくあの爺さん、適当なこと言いやがって。これだから田舎ってのは嫌いだよ。二十年前が少し前になっちまうなんてよ」

「それなら、こういうのはどうだ?」


 と、思いがけず、今度は真縁が自論を展開し始めた。


「祠は実は二つあってだな。俺たちがいつも見ている祠と、死体を発見したときの祠は別物だったって寸法だ。本物の祠の手前に、死体の入った仮の祠を建てるんだ。勿論こっちは適当に地面の上に乗っけただけの代物だ。その場で建てるのは無理だろうから、どこかから運び入れたんだろう」


 彼は携帯を取り出して、現場の写真を示した。祠を正面から写した写真で、開いた鎧戸から名神の姿が見える。彼はその後方を示した。


「本物の祠はその陰になって見えなくなるから、俺たちは祠が二つあるとは気付かなかった。んで、犯人が祠を燃やしたのは、そのもう一つの祠を燃やして隠すため――」

「ちょっと待ってくださいよ。流石にそれはないと思います」


 と空須が止めに入る。


「僕は死体を発見したときに祠の周りを一周しましたが、もう一つの祠なんてありませんでしたよ。それに、花田さんたちが側面に穴をあけたとき、真縁さんだって祠の横に回り込んだでしょう。もう一個祠があったりしたら、その時に気付くはずですよ」

「それに――」


 と天宮が彼に続く。彼女は真縁の写真を指さした。


「この写真の祠は昨日と同じものだよ。木目模様が同じだし、祠の中の天狗の像も、木目や傷の位置が一緒だし、お供え物も昨日見たのと変わってない」


 しれっと木目の模様や傷の位置まで覚えていることを示唆する彼女の発言に、空須は舌を巻くほかなかった。


「ううむ、さっき見たとき、いつもと祠の大きさが違うように感じたんだが……。気の所為だったか」

「ったく、思わせぶりに思い付きで適当なこと言うなよ。期待して損したぜ」


 それはあんたも同じだろう、と空須は心の中で毒づく。

 その後も関係者の事情聴取をしたものの、午前三時から三時半のアリバイなど、殆どの人間は皆無。怪しい人物や出来事を訊いても、村の外から来ていてよく知らないからという理由で、飛や天宮の名が挙がるばかり。事件解決の糸口になりそうな情報を得ることはできないまま。ただ時間だけが無為に過ぎていくばかりだった。

 全員を返すと、一旦駐在所に戻って、県警の応援に備えて報告書を記入することになった。

 空須たちは神社の石段を降り、森の中を進んだ。

 その最中、空須は道の脇の草むらのなかに、きらりと光る何かを垣間見た――気がした。

 事件の手がかりになるかもしれない、と喜び勇んで突っ込んだところ、足元にふわりと浮遊感を覚えた。あっと思う間もなく、身体が沈み込む。何が起こったのか把握しきる前に、彼の視界は暗くなり、臀部に強烈な衝撃が加わった。


「おい、大丈夫か?」


 声を辿って頭上を見上げると、丸く切り取られた空をバックに、真縁が手でメガホンを作っている。その隣でげらげらと笑い転げる飛に、安堵の表情を浮かべる天宮がいた。


「見事に嵌ったなあ、はは、こりゃ傑作だ」


 と写真を撮り始める飛。これだけ見ると彼の仕業のようにも思えるが、そうではない。


「ったく気を付けろっていつも言ってるだろ。村のガキンチョが落とし穴掘ってるって」

「怪我はない?」


 真縁と天宮が手を差し伸べてくれる。空須は彼らのその手を取りながら、土壁に足をかけて這い上がる。

 飛は我関せずだ。


「なんとか、問題ないようです」


 実際にはまだじんじんと疼痛が臀部を襲っているが、空須に残った一抹の自尊心が虚栄を張ってしまう。

 ――と、その時だった。天宮が目を見張った。ぼろぼろになった自分の姿を見たせいだろうか、と空須は考えたが、よく見るとその視線は彼を捉えていない。彼の存在を透かして見るかのように、その先を見ている。

 背後に何かあるのだろうかと振り返ろうとしたその時、


「そうか……そうだったんだ」


 彼女のそんな呟きが聞こえたかと思うと、差し伸べられた手がパッと離れた。もはや彼女の視界に空須はない。

 そのまま神社の方へ走って引き返してしまった。


「ちょっと、君!」


 慌てて追いかけようとした真縁がうっかり――空須はそうだと信じたかった――手を離したことで、彼は再び奈落の底に落下する羽目になった。


 *


 真縁の手を借りてどうにかこうにか這い上がってきた空須は、天宮の後を追った。

 一歩着地するたびに振動で身体が軋むように痛んだ。その痛みを押してでも、彼は一刻も早く彼女に追いつきたかった。

 あの時の彼女の目は、何か――それもとんでもなく重要な何か――に気付いた時のものに違いない。おまけに彼女はすぐさま神社に舞い戻っている。その何かが事件に関係したことなのは明白だ。

 滑って転ぶことも厭わず、一段飛ばしで石段を上った空須は、彼女が前庭にいないとみるや、電光石火のごとく事件現場へと向かった。

 本殿の背後に回り込むと、祠の燃えカスの傍に天宮が立っていた。彼女の視線は上空へと向いている。そしてその視線は姿の見えない天狗を探すように、奥の森の方へと移っていった。


「どうしたんですか、天宮さん」


 何を見ているのだろうと空須もその先を追う。すると森の中の一本の木、その枝の表皮が削れた跡があった。目を細めてよくよく見てみると、痕跡は一本だけではなく、その奥の幾本の木にも点々と残っている。さながら、天狗がその上で八艘飛びのごとく、身軽に森を飛び回って移動したかのようだ。

 近付いた空須に天宮は振り返り、そして口の端に笑みを浮かべてこう言った。


「わかっちゃったの。この事件の真相が」


 言い切った直後に轟く雷鳴。それはまさしく青天の霹靂だった。

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