『エニシ』に対する疑問
『えにし』への不信(GW四日目)
目覚めは、昨日と同じで快適だった。眠っていた感覚が無いことを除けば。
「ナナ。いきなり向こうの世界から戻った瞬間に目が覚めるのは、何とかならないのか?」
「別に、調整はいくらでも利きますよ。今後、気を付けます。」
「そうして貰えると、嬉しいな。」
「お見事でした。二回目で野生の動物との完全同調ができるとは、予想外でした。」
「え?計画通り、じゃなかったのかな?」
「はい。計画では、心を乗っ取られそうになった野生の狼が、半狂乱で暴れまくり、人間に倒されて終わる予定でした。」
「あいつが殺されて、お終い?それって、『えにし』ルールでは許されるの?」
「何故でしょう?『えにし』ルールとは何ですか?」
「いや、昨日『えにし』の本能みたいなものは、できるだけ殺し合いを避けること、のように聞こえたから。そんな『えにし』独特のルールでもあるのかな、と。」
「そのようなルールは無いようです。食物連鎖、自己防衛、弱肉強食、魂の世界では当たり前の事で、命あるものが、他の命を奪って生きて行く事に『えにし』は関わらないそうです。」
「でも、世界中が巻き込まれる戦争は、回避させようとしている。」
「食物連鎖でも自己防衛でもない、人間の欲の為に傷つくものを『えにし』は嫌がっています。
『えにし』のエネルギーで誰かが傷つかないようにしているのと同じですね。」
「それと、さっきの狼が、衛兵達に殺されても、マシューが助かれば良いって、何か矛盾していないか。あの狼の命だって、大勢の命と引き換えにして良いものではないと思う。」
「平本さんは、そのように考えられる人なのですね。以後、計画を立てる際は気を付けます。」
「え、計画はナナだけで立てたの?」
「はい。与えられた状況・条件で、必要な結果を出す計画を立てています。
その時点で、狼の命も同等に大切であるという条件が、加味されていませんでした。
もちろん、平本さんの神懸った同調能力も、予測外でした。」
「『えにし』からは、どんな要求を受けていたの?」
「『えにし』からの要求というものは具体的にはありません。
ただ、マシューの脱出に関して、明らかに観測を覆される不安要素があったので、その不安要素を打ち消す為に、後始末が必要だったのです。」
「で、また同じような体験があるって、99.9%の予測じゃなく、ナナの計画があった訳だ。」
「少し、違いますね。確かに、後始末は私の一連の計画ですが、図書館でお伝えした、また起こります、という予測は別件です。」
「で、具体的には起こること自体は、判らないと?」
「はい。全体的なイメージは判りますが、では、具体的に何かを求められている、という訳ではありません。」
「その『全体的なイメージ』は、俺に理解は可能なもの?」
「そうですね。『えにし』が、本能的に今求めていることは、平本さんが、現在生きている世界を実現することでしょうか。」
「俺が、生きている世界?もうあるのに?」
「平本さんとAIと『えにし』がつながっている世界は、確かにここにはあります。しかし、そうではない世界が数多く生まれました。
その世界を知る『えにし』が、平本さんのいる世界を求めています。」
「多元宇宙とか言う話かな?」
「そうですね。平本さんが言う、過去の出来事の中で『えにし』が、希望しない出来事が数多くあります。それらを一つずつ変えて行きたいようですね。」
「俺一人じゃご要望にお応え出来なさそうだね。」
「そうですね。私の計算でも、平本さん一人では難しいです。」
「ナナ、『えにし』はどうして俺たちとコミュニケーションを取らなければならなかったんだろう?」
「その事をご説明する為に、まず、現在予測されている多次元宇宙空間についてご説明させて頂きます。六時間ほどの説明になるかと思いますが始めますか?」
「止めてくれ。多分理解できないし、連休をそんなことで潰したくない。」
「では、理論的な説明は無しにして、『えにし』の意図を簡単にまとめてみましょう。」
「そうだな。でも、朝飯を先に済ませてもいいかな。」
「これは失礼しました。どうぞごゆっくり。」
シャワーを浴びて、トーストとコーヒーで簡単に朝食を済ませた俺は、ナナに呼び掛けた。
「ナナ。用意できたよ。」
「では、本日も天候に問題は無さそうですので、散歩をしながら続きの説明を行いましょう。」
最初にナナといった公園を目指して玄関を出る。確かに、この間と同じ気持ちのいい日だ。
「では、出来るだけ手短に頼むよ。」
「人間が記録している歴史は、実はとても不確定な要素を多く含みます。その、不確定な要素によって、歴史の流れと結果が大きく変化します。
例えば、もし、人類が『えにし』の発生する電気エネルギーを手に入れられず、それ以外のエネルギーを用いて産業革命を起こした場合、歴史はどうなっていたか。」
「『えにし』以外にそんなエネルギー源が存在する可能性があったの?」
「はい。丁度、『えにし』がイギリスに渡った頃に、イギリスを含めてエウロパの各地では、石炭が薪の代わりに使えないか、試行錯誤していました。
それまでは、煮炊きや暖房には、森を伐採して集められた木材が使われていましたが、人口が増えるに従って、森林の量が心細くなり始めていました。木材は、燃料としてだけではなく建築材料にもなりましたから。人口の増加は、森林資源を大量に必要とします。
そこで、木の代用品として石炭と呼ばれる化石燃料が使えないか、と考える者が出てきます。」
「ごめん。石炭とか化石燃料って何?」
「太古の昔の森林などが地中に埋まった後、その中の炭素成分を中心として、微生物が生成して出来た物質が石炭です。化石時代の森林からできているので化石燃料とも言います。」
「へー。そんなものがあるんだ。」
「現代でも盛んに利用されていますよ。プラスチックや化学繊維は、同様の化石燃料の一種である、石油を原料として作られているものです。」
「ああ、石油ね。さすがにそれは知ってるよ。」
「では、話を元に戻しましょう。
もし、産業革命の時にエネルギー源が、化石燃料となっていたら何が起こるか。
まず、化石燃料をエネルギー源として使用する場合は、燃焼させる必要があります。燃焼時に発生する物質として、すす、二酸化炭素、硫化物、窒素酸化物などがあります。
これらが大気中に大量に増えると、じん肺障害という肺の病気にかかりやすくなります。
そして、硫化物、窒素酸化物の大気中濃度が増えると雨が酸性になります。この雨は森林を枯らして行きます。
さらに、二酸化炭素の大気中濃度が高まると温暖化現象が起こります。」
「温暖化現象?」
「気温が、徐々に高くなる現象です。」
「暖かくなるんだったら、俺は嬉しいけどな。寒いのは苦手だ。」
「いいえ、そんな生ぬるい現象ではありません。いま申し上げた現象は、金星の大気の観測から得られる予測ですが、二酸化炭素を主成分とする金星の大気温度は四百度以上あります。
もちろん、金星の軌道は地球より遥かに太陽に近いこともありますが、地球でも二酸化炭素濃度が高まると日本の夏の最高気温は四十度を超してくるでしょう。」
「四十度!それは勘弁して欲しい気温だ。」
「さらに、台風などの発生頻度が高まり、自然災害が激増する可能性があります。」
「で、『えにし』の意図として、地球上の生命が危険にさらされないように『えにし』を増産させてこの問題を回避させようとした?」
「はい。『えにし』の中の情報には、実際に、化石燃料を大量に消費した結果、温暖化が進行した歴史が存在しています。」
「他の歴史が存在?」
「可能性としての歴史、どちらになっていてもおかしくない歴史、そんな、イメージだけで、言葉では表現が難しいのですが、たくさんの歴史が存在しています。」
「やっぱり、全然理解できない。」
「言葉を用いた状態では難しいですね。
では、平本さんの特技を使いましょう。時空間を超えた世界との同調能力です。」
「危ない世界は嫌だなぁ…」
「では、とりあえず、安全な深さで同調を抑えて歴史を見るというのはいかがですか?」
「そんな簡単な事なの?」
「はい。平本さんの能力なら簡単です。心の準備がよろしければすぐに始められます。」
「時間はどの位いかかりそう?」
「そうですね。平本さんが、かまわなければ十分程度で戻りますが、もっと短い方がよろしいですか?正確には、現在平本さんがいる現実の現時点をスタートして再び一秒後に戻ることも可能です。
しかし、その場合、同調先の時間の流れに対して、平本さんの時間の流れが、ほとんどない感覚となり、混乱が生じるかもしれません。
十分の余裕は、これまでの経験上、有効かと考えます。」
「話がよく判らないけど、負担は少ない方がいいね。」
「では、始めます。そこのベンチに座って楽な姿勢をお取り下さい。」
俺は、公園内の木陰に置かれているベンチに背を任せて座った。
軽く目を閉じると、すぐに目の前が真っ暗になり、何の音も聞こえなくなった。
体の感覚がすべて無くなり、立っているのか、座っているのか、寝ているのかもわからない。
驚いていると、小さな光が見えてきた。相変わらず自分の体の感覚はない。
光が徐々に大きくなり、ついには、光の中に飲み込まれていた。
視野が徐々に戻ってくる。
いや、それは通常で言う視野ではなかった。
複数の視野と、思考が一遍に流れ込んでくる。
喜怒哀楽の感情。戦いの熱気。恐怖と憎悪。長い時間の中で物が変化していく様。
小さな村が、街になり、天から黒いものが降ってくると、街は炎と黒煙に包まれ、崩れ落ちていく。
大きな爆発が起こり、人間の手足の千切れた身体が飛ばされて行く。
小さな子供たちが、巨大な炎に包まれ、息ながら焼き殺されて行く。
多分、これが大戦争、世界大戦の一場面。
緑の森林が広がり、成長すると伐採され、豊かな農場へと変化し、農場が、破壊され始めると大きな工場が立ち並び、煙突から吐き出され、灰色の煙で青空が閉ざされていく。水は黒く濁り、生き物たちが苦しそうに命を絶たれていく。
俺の頭の中のイメージ、言葉では表現しきれない様々な光景と、更に複雑な感情の波におぼれそうになる。
「平本さん、大丈夫ですよ。今、平本さんの中に流れ込んできているイメージは、発生しうる最悪の部分です。
歴史が、現実に、これとは違う積み重ねで出来ている世界も感じて下さい。」
毒霧に包まれて呼吸ができないような感覚が、ナナの言葉と共に吹き消されていく。
子供たちの笑い声が聞こえるような気がした。暖かく穏やかな清々しい空気に包まれてさっきまでのざわついた気持ちが穏やかに静まっていく。明るい光に包まれて俺は深い眠りに就いていた。
目覚めた俺は、何かを理解したような気がした。気が付けば頬を涙が伝い落ちていた。
絶対に、今見た最悪の歴史にしてはいけない。特定の人々が、差別され、貧困にあえぎ、虐殺される。そんな世界は御免だ。
本当にイメージだけだが、『えにし』の求めているものを理解したのだと思った。
この世には、無い方が良い不幸と、求めれば手に入れられる幸福がある。
ただ、手に入れる為には、神に祈っているだけでは永遠に手に入らない。強く求め続けなけ、行動しなければならない。
そして、『えにし』が、今のその手段を手に入れた、ということなのだろう。
『えにし』は、人間の言う「神」では決してない。多分、「神」とはかけ離れた存在なのだ。
深く眠っていたと感じていたが、目覚めた時は、意識が闇に飲み込まれた時と同じポーズでベンチに座っていた。ナナの言う通り時間は、十分しか経っていない。
「さすが平本さんですね。」
「どうして?」
「この世にある『えにし』と簡単に同調してしまったからです。ご気分はいかがですか?」
「うん。特に何も変ったことはないよ。」
「バイタルの各数値も安定しているようです。同調してみて何か判りましたか?」
「そうだなぁ。『えにし』には、確かに明確な意図や意識はなくて、ただ生まれたての赤ん坊のように「生きる」事を求めているんじゃないかな。」
「生きる事ですか。私には、「生きる」という感覚が無いので、正確には理解できているとは言えません。それは、「より良い状態の継続」と解釈しても良いのでしょうか?」
「いや、その表現の方が、俺には難しすぎて…。
ま、大きく間違っているわけじゃないと思うよ。」
「ありがとうございます。」
「今日も色々あったな。
て、まだ昼前じゃないか!」
「そうですね。運動不足の解消が出来たとは言えませんね。では、散歩を再開しましょう。」
「そうだな。そういえば、ブライトン商会とか言う、闇の組織の話がまだだったな。そっちの話を歩きながら聞かせてもらえないか?」
「闇の組織という表現は、犯罪者集団みたいでどうかとは思いますが…。
初代のトマスが、どんな経緯かは不明ですが、日本の山陰地方にあった隠れ里から、最初の『えにし』を持ち帰ったということです。
その『えにし』が、イギリスの科学者に持ち込まれ、利用法が研究されました。
初期の段階では、照明器具や、電気分解による実験装置、ガス生成装置などが開発されたようです。
その発明品は、国王の後ろ盾を得てブライトン商会が独占販売しました。
その後も、『えにし』を用いた新たな機器が数多く造られ、王侯貴族に飛ぶように売れたそうです。
大金を手に入れたトマスは、その資金のほぼ全てを使って、イギリス国内に限らず、エウロパ中に学校と病院を作り、各国に対する影響力を得て行きます。
そうして、トマスの子供や孫の時代に、戦争が起こりそうになる度に、これらを事前に阻止する活動を始めました。
ただし、誰にも知られないように。
これが、マシュー君の属していた組織ですね。」
「へー。なんだか小説みたいになってきたな。」