後始末
後始末
そこは、昨夜も見たお屋敷の塀の外だった。
「ナナ」
「はい。何でしょうか。」
「これは、昨日の続き?」
「いいえ、昨日の後始末です。」
「後始末?」
「マシューが脱出する際に、身代わりで屋敷内を騒がせたモノがいましたよね。」
「うん。」
「あまりにも、ご都合主義。疑問には思われませんでしたか?」
「マシューの仲間が頑張ってくれたんじゃなかったの?」
「潜入はマシュー一人だけでした。屋敷内に仲間はいませんでした。」
「へ?よく判らないな。ナナは自信たっぷりに『計画通りです。』なんて言ってなかった?」
「今から、計画通りに平本さんに頑張ってもらえれば、そうなります。」
何か、不穏な空気が漂っている。
「じゃあ、その『計画』について詳しく説明して。」
「はい。今夜、マシューの正体が、公爵たちにばれます。平本さんには、マシューの身代わりになって屋敷の中を混乱させてもらいます。平本さんが、うまくやってくれれば、マシューは無事に脱出できる算段です。」
「いや、明らかに矛盾があるだろ。俺は、マシューと意識同調している最中だから他の事なんてできないだろ?」
「いえ、それはそれで、観測されて確定している事象ですから、今更関係はないです。」
「いや、同時に二つの場所にいるなんて科学的に矛盾してないかと言いたい。」
「同一の物質が、同時に二つの場所にいれば、科学的に矛盾していますね。」
「だろ、おかしいよね。」
「でも、精神は、その扱いから外れます。つべこべ言っていないで。やっていただかなければ、これからマシューは捕まって、戦争が起こります。」
「観測されて確定した事象でしょ。」
「身代わりがいなければ、事象の観測結果が変わります。」
「なんだかなー」
俺は、ナナの言うことを理解する努力を放棄した。
「で、今から俺はどうすればいいんだい?」
「まず、ご自身のいる場所に意識を集中してください。」
意図的に意識を逸らしていたことがばれてる?
ここに来た時から違和感はすごくあった。
マシューの中にいた時と明らかに違って、視点の位置が少し低い。物音はすごくよく聞こえるけれど、人の言葉として捉えられてはいない。風の動きと風に乗って運ばれてくる匂いが細かく区別できている。一体、俺は誰の中にいるんだろう?
意識を集中しても、論理だった思考の流れが見えない。強い復讐心と、裏返しの恐怖感。空腹。そんな感情が繰り返し現れては入れ替わる。一体、誰の中にいるんだ?
「少し、同調が進みましたね。気付かれないように同調を拡大して行ってください。」
ナナからの指示が、伝わってくる。
視界の先に大きな門が見えてきた。三人の衛兵が見張っている。
同調している意識は、その内の一人に狙いを定めて首を食いちぎろうとしている。
「ストップ」
ナナが言った。
俺は、反射的に歩みを止めさせた。
「ここで、一人を倒しても、残りの二人にやられてしまいます。三人の注意を他に引き付けましょう。」
「どうするんだ?」
「経路を指示しますから、これに従って静かに移動してください。」
また、RPGのマップ画面が目に映る。
門の正面から少し離れた森の中に移動する。音もなく滑るような移動だった。
「その位置でオーケーです。そこで遠吠えをして三人をこちらにおびき寄せて下さい。」
「『遠吠え』?やっぱりここは人の中じゃないよね。」
「現実から目を背けないで下さい。立派な狼ですよ。さあ、つべこべ言ってないで吠えてください。」
遠吠えって、仲間を呼んだり、狩りをする時にするんだよね。
俺は、狼の意識に集中して、狩りをするイメージで働きかけてみた。言葉ではなく、イメージで遠くの仲間に場所と状況を伝える遠吠え。
「ウォーン、ウォウォーーーーン」
期待通りに吠えてくれた。と、同時に門から二人が、恐る恐るこちらに近寄ってくる気配がした。
「よくできました。一人は屋敷の中に応援を呼びに行きました。今のうちに、静かにさっきの場所に隠れて近づきましょう。」
狼と同調した俺は、気づかれないように塀の側に回り込み門に近づいた。無人の門から入り込み、庭の植え込みの陰伝いに、建物に近づく。狼の本能が、うまそうな肉の焼ける匂いにつられて、厨房に近づいている。
匂いが十分に強くなったところで、物陰に伏せて待つ。
すぐに厨房の扉が開き、大きな水桶を持った男が出てきた。
男が井戸に向かうと同時に、開いたドアから厨房に侵入。調理台の上に載っている豚の丸焼きに食らいついた。一瞬で後ろ脚を食いちぎり、悲鳴が上がる厨房から飛び出した。
「では、経路案内を再開します。」
ナナが言うと同時に、視界にマップが現れた。
「まず、二重丸の位置へ移動してください。そこに、しばらく隠れます。」
移動した先は、何かの物置の様で、詰め込まれた荷物の後ろに、豚の後ろ脚を咥えたまま潜り込む。
早速、俺は(狼は)食欲に逆らえず肉を食い始めた。肉を全て食い切ると、次は骨をかみ砕き、髄をなめる。どうも、こんなうまい食事は久しぶりだったようで満足感が全身を包んだ。
「さて、お食事は済みましたね。では、マシューの逃走を応援に行きましょう。」
少し休みたい俺(狼)に、容赦なくナナの指示が伝わった。
「では、まずこちらのルートで移動をお願いします。」
マップ上に赤色のルートと現在位置、そして敵?の位置が三角印で表示される。
ルートはマシューの脱出経路から可能な限り敵を遠ざけるようになっていた。途中で大きな音を立てて、物をひっくり返して行く。
「さて、マシューの準備もできたようですし、行きますか。」
ナナの合図で俺(狼)は、窓を突き破って庭に飛び出した。
「こっちだ。いたぞ!」
「取り囲め!逃がすな!」
大勢の衛兵たちが武器を手に周囲を取り囲んだ。
狼の心の中で、恐怖心と怒りが膨れ上がる。
視界は完全に暗視モードに切り替わり右往左往する敵の位置は丸判りだ。背後からとびかかっては武器を奪い取り、ひるむ敵の横をすり抜けて、入ってきた門へと向かう、と見せて壁沿いに走り抜けて、少し低くなった城壁の上に飛び乗った。そして、城壁の上を伝い門から離れた位置で外に飛び降りる。
森の中に入りさえすれば姿を隠すことは簡単だった。