海軍士官学校
海軍士官学校
正直、グレイは後悔し始めていた。
平民の船大工見習いが、お貴族様のご子息と一緒に寮生活を送れるなんて、甘い考えだった。 入学初日、お貴族様たち同士は、それなりに知り合いがいたようだ。グレイは、三十人のクラスの中ですっかり浮いた存在になっていた。
おかげで、ただでさえ無口な方だったのが、さらに拍車がかかり、どうしても必要、という場面でしか口を開かなくなった。
寮で同室となった生徒は、子爵家のご子息で、グレイが平民であると分かると、召使扱いをしてきた。
もちろん、そんな態度を素直に受け入れるグレイではなかった。初日の内に実力で立場を逆転させていたが…。
貴族社会のヒエラルキーは、彼ら貴族の身分を持つ者にとっては絶対らしく、各地の王家の血筋を引く者を頂点として、派閥を構成し、実力も中身も関係の無い上下関係を作っていた。
平民出身は、ジョンしか存在していない。当然、どの派閥に属することも無く、ただ、 ひたすら講義に集中し、わずかな隙も見せないように孤独を保った。
全ての科目でトップの成績を維持しなければ、教師陣からも、不当に差別をされていただろう。
最初の二カ月でジョン・グレイのストレスは頂点に達していた。
入学後、初めて外出許可が下りた日の事だった。
ジョンは、早朝から寮の外に脱出し、久しぶりの下町の空気を満喫していた。
「あー、何が、言葉遣いだ、行儀作法だ、身だしなみだ、煩いんだよ、全く。」
学校内では、絶対に口に出せない愚痴をこぼしながら、街中を歩く。
川岸の道を進むうち、前方の橋の下で何やら小競り合いをしている少年たちが目に付いた。
「お、喧嘩か?」
騒ぎを起こしている彼らの声に耳を澄ます。
「おい。お前ら、誰の許可をもらってここで寝てやがる。」
十五歳ぐらいの少年たちが、五人がかりで十歳にもならないような子供二人を取り囲んで凄んでいた。
子供たちの身なりから、孤児であろう事は察しがつく。
「ここは、俺たちのシマだ。ここで寝てたけりゃショバ代を払いな。」
「そんな金なんて、持ってねえよ。」
子供の一人が言い返すと、いきなり腹を蹴られていた。
「お、お兄ちゃん!」
どうやら、二人は兄弟らしい。
いま、子供の腹を蹴り飛ばしたのは、見た事のある顔だ。この辺のゴロツキの使い走りをしていた、そう、ジムとか言ったっけ。
そんな事を考えながらジョンは橋の下に飛び降りていた。
「おめーら、その辺で止めとけよ。」
ジムたちの背後に降り立ったジョンが、声を掛けた。
「だ、誰だてめーは?」
「なに?正義の味方か?」
子供たちを放り出した少年たちが、ジョンを取り囲む。
「おめーらに名乗る名前はねーよ。ただ、最近ちょっとイラついてるんだ。弱いもんいじめは止めとけよ。」
「なんだと!」
怒鳴った少年たちがジョンに殴りかかって来た。左右から迫って来た二つの拳は、ジョンの左右の手で、あっさり摑み取られた。ジョンが、掴んだ拳を強く握りしめる。
骨のきしむ音がし、拳を潰された二人が膝をつく。
ジョンは二つの拳を握ったまま二人を持ち上げると、残りの三人に向かって放り投げた。
いきなり飛んできた肉の塊に押しつぶされて三人が尻もちをつく。
「お兄さんたち、まだやるかい?」
「おい、ずらかるぞ。こいつ、バケモンだ。」
「覚えてやがれ!」
そう捨て台詞を残して、五人は逃げ去って行った。
二人の子供のうち一人は腹を押さえて苦しそうに倒れている。
「やれやれ、そうだ、ここから近かったな。」
ジョンは、そう呟くと、倒れている子供を抱え上げた。そして、もう一人の子供に声を掛けた。
「おい、一人で歩けるか?」
「う、うん。」
おびえた表情でジョンを見上げる子供に笑いかけると、ジョンは歩き出した。
「ついてきな。」
子供を一人抱え、一人を後ろに従えて、ジョンは迷うことなく歩いていく。
「お早うございます。誰かいませんか?」
「おや、ジョンじゃないか。」
「ミセス・マープル。お久しぶりです。この子を手当てしたいので、手をお借り出来ませんか?」
ジョンが、抱えている子供の口から、血が流れていることに気づき、ミセス・マープルが道を開けて言った。
「医務室のベッドに寝かせておいて。私はお医者を呼んでくる。」
「ジョン、ちょっと見ない間にまた大きくなったんじゃないかい?」
ミセス・マープルが、紅茶を一口飲んで言った。
「制服が、少し大きめに作られてたんで助かってます。」
「士官学校でも頑張ってるんだってね。」
「まあ、それなりに。」
「しかし、この子たちはどこで拾って来たんだい?」
「そこの橋の下で。多分、孤児だと思います。」
子供の怪我は大した事はなく、口の中を少し切っていた程度だった。
いま、二人とも食事を与えられて気が抜けたのか、ベッドで寄り添って眠っている。
「で、この二人はどうするんだい?」
「はあ、どうしましょう?」
「ジョンは、しっかりしてるようで、変なところが抜けてるね。取り合えず近くの孤児院に話は通しとくよ。」
「お願いします。」
この日の出来事は、ジョンにとって、いい憂さ晴らしになった。
味をしめたジョンは、それからは、隙を見て、寮を抜け出すようになって行った。
同室の子爵様の息子は、すでに味方に引き込んである。
抜け出していることが、バレないように色々と隠ぺい工作に協力してもらう。
そうして、休日には、夜遅くまで、街を歩き回り、憂さ晴らしを続けるようになった。
もちろん、クラスでは、最優秀の成績を守り、優等生の仮面をかぶったままで。




