196.新たな時代
新たな時代
ジョセフの病状は、日を追って悪化していた。
トマスが老衰でこの世を去ってから、七年が去ろうとしている。
「トム。親父より少しばかり早いが、わしの命はそろそろ終わりの様だよ。」
「何を言っているんです、父さん。昨日も大学病院のワトソン先生が、治療薬の完成は近そうだから、それまではきちんとした食事と清潔な空気の中で大人しく療養してくれれば良いと、おっしゃっていたではないですか。」
「ああ、ワトソン博士は、素晴らしいお医者様になったね。
若い頃は、本当に医者になれるのかと心配していたんだが…。」
「ワトソン博士がですか?
大変優秀で患者さん思いの立派な方に見えますが?」
「そうだね。でも、大学に入学するまでは、大変な遊び人だったんだよ。
まだ、トムが幼い頃の話だが。」
「そうでしたか。今度、博士にお話を伺って見ます。」
「どうだろう。あいつの事だから何も白状しないんじゃないかな。」
そういって笑いかけたジョセフが激しく咳込んだ。
トムは、ベッドの上で起き上がっていたジョセフの背中を優しく擦り、咳が収まったところで身体を横たえさせ、毛布を掛け直した。
「ああ、有り難う、トム。」
「無理せずにゆっくり休んでいてくださいね。」
「ところで、オーストリアとドイツ諸邦の方はどうなっているのかね?」
「ハプスブルグ家の亡霊の正体も判り、何の憂いも無くなりましたから、現在猛ピッチで計画が進んでいます。
デニスの能力で、領民から搾取することしかできない無能な領主の排斥も間もなく終わります。
各領地内の、学校整備も同様に、間もなく終わりますよ。」
「そうか。しかし、気長な作戦になりそうだね。学校を通じて各領地内の人々の考え方から変えていこうというのだから…。」
「確かに時間は掛かりますが、人々の命を無益に失わない様にする為には、こうするより無いでしょう。」
「ああ、そうだな。
で、鉄道と道路や河川を利用した流通網の整備はどうだい?」
「そちらの方が、目に見えて変化があるので面白いですよ。比較的大きな都市を優先して鉄道を敷設すると共に、大きな河川の港湾に適した場所を浚渫して大きな船が接岸できる港を整備しています。」
「各領地の領主様方の反応はどうだい?」
「計画を持ち掛けた際には皆、嫌がるのですが、一年、二年後に増加する領内の収入の魅力には逆らえないですね。」
「うん、そうだろうね。」
「あ、そうそう。商品開発部が、また面白い現象を色々発見したそうです。」
「ほう、どんな物だい?」
「一つは“電気モーター”と呼んでいますが、銅線のコイルと磁石を組み合わせるとエニシの力で回転が起こるのだそうです。
で、同じ原理だと言っていましたが、遠隔通話装置の小型化と通話チャンネルというものが選べるようになったのだとか。」
「ふむ、どちらも面白そうだな。」
「それから、ゴムの木の汁から面白いものが出来ました。」
「ゴムの木?ああ、あのネバネバか。」
「はい。そこに硫黄を混ぜて加熱すると、色々な硬さに固められて、熱にも強くなるんです。」
「ほう?それを何に使う?」
「鉄道の敷設には時間と広大な土地が必要ですが、すでに開かれている街道を走る馬車の車輪に巻いて乗り心地を良くします。
更に、電気モーターを馬車に組み込んで、馬が引かなくても走る馬車を作りたいと言っています。」
「馬が引かないのなら“馬車”では無いだろう?」
「そうですね。何か商品名を考えなきゃ…。」
「馬無しで、自分で走るなら“自動車”とでもしておけば良いのではないか?」
「自動車、ですか、うん、良いですね。
開発部の連中に伝えておきますよ。
さ、父さん、今日はもうお休み下さい。」
「ああ、そうさせて貰おうか。お休み、トム。」
「フランク。フランクフルトから工場と支店の開設許可証が届きましたよ。
それと、例の件についても参事会の内諾が得られました!」
事務室に飛び込んできたマーガレットが、室内に入ると同時に元気の良い声で報告した。
同じ事務所内で業務に勤しんでいた職員が一斉にマーガレットに向き直り、歓声を上げる。
事務室の一番奥に座っていたフランクが立ち上がりマーガレットに駆け寄った。
「マーガレット!よくやった!大手柄だぞ!」
フランクはマーガレットを抱き上げ、嬉しそうに顔を綻ばせた。
室内に居た他の職員から拍手が上がる。
「あ、あのー、フランク、恥ずかしいので下に降ろして頂けませんか?」
マーガレットが涙目になりながらフランクに懇願した。
「あ、ああ。済まない、あまりにも嬉しくてな。」
そう言うと、フランクは高々と持ち上げていたマーガレットの体を静かに床に降ろした。
「しかし、あの頭の固い連中が、良く了承してくれたな。
これも、君が根気強く彼らを説得してくれたお陰だ。有り難う、マーガレット。」
「いいえ、ここに居られる皆さんの努力の成果ですわ。
工場の稼働によってフランクフルトの街に、いかに大きな利益が得られるか、判り易く説得力の有る資料を作って頂けましたもの。」
フランクの言葉に赤くなって答えたマーガレット。
「では、早速、トムに報告して来よう。マーガレット、一緒に通話室に来てくれ。」
「そうですか。フランクフルトの参事会と市長の承認が下りましたか。
これで、ケルンやミュンヘンも慌てて私たちの提案に乗って来てそうですね。」
通話機の向こうのトムは、安堵の声を漏らした。
「おお、大丈夫さ。都市の発展競争が始まるからな。」
フランクが、自信満々に答える。
「所で、それぞれの商工業のギルドの反応はどうですか?」
「そうだな、ハンザ同盟内の連中の反応は早かったが、田舎に行くほど頭の固い連中が多くてな。難航しているギルドもまだ残ってる。
だが、商人連中が、こちらの味方に付いたなら、すぐに応じてくるだろう。」
「フランクにお願いしたのは正解でしたね。
これで、大ドイツ連邦の実現が叶いそうです。」
「じゃあ、そろそろ、次の段階に進めるか。」
「そうですね。とりあえず、大都市には、自分たちの意見を持った人々が増えましたからね。」
「ああ、色々な思想が流れ込んで来ているからな。
しかし、本当にこちらから運動の方向性を操る必要はないのか?
中には、相当に過激な事を言いだしている奴もいるが…。」
フランクが心配そうにトムに尋ねた。
「うーん…。できるだけ新しい政治体制の方向性は、市民の皆さんの意志で選んで欲しいのですよ。
たとえ、少しぐらいおかしな方向に行っても、戦争さえ起らず、誰かが一方的な差別を受けたりしない限りは。
ただ、本当に過激な行動を起こすような集団が出来た際は、静かに、速やかにご退場頂けるように秘かに監視しておいて下さい。」
「そうか、了解した。おかしな動きが有れば、また相談して対応を考えよう。」
「お願いします。」
トムとの通話を完了したフランクが、静かに後ろで話を聞いていたマーガレットに振り返り言った。
「マーガレット、お疲れさん。さあ、みんなの所に戻ってお祝いの宴会を始めるぞ!
主役はお前さんだ。張り切って飲もう!」
「フランク、あまり飲みすぎないで下さいね。
明日もやる事はたくさん残っていますから。」
マーガレットに釘を刺されたフランクは、首をすくめ、無言で通話室を出て行った。




