不正ポイント問題から考えるWEB小説の宣伝行為
私はスコッパーである。スコッパーとは、ランキング外の埋もれている良作を探す人のことである。そしてその中の一定数はその作品をランキングに押し上げる役割まで担っている。
私はスコッパーとしては後者の部類に入る。なろう内で連載している作品紹介エッセイ、イチオシレビュー、さらにTwitterを駆使しており、時には外部のコアな読者が集まるコミュニティで紹介することもある。
本業はWEBエンジニアだが、所属している会社は広告業界の保健組合に所属していることもあって、広告については世間一般よりは詳しいと自負している。それ故に世間一般の感覚とは良くも悪くも乖離を起こしている可能性がある。そのことを理解した上で、読み進めてほしい。
まず、宣伝そのものの良し悪しについてだ。おそらくここからして一部の人とは意見対立が起きる可能性がある。私自身の考えとしては、宣伝は今の世の中になくてはならない行為だと思っている。
何故かというと、今は選択肢が過剰過ぎて消費者側が真面目に取捨選択しようとすると、膨大な前提知識と時間を必要とするからだ。宣伝とは、その選択にかかわる消費者側の負担を減らすためにある、と考えている。
ただ、それなら営業でも同じことが可能と言えるが、営業は先に相手との関係性構築が必要であるのに対して、宣伝はターゲット理解に基づき、彼らに刺さる手段や表現を用いて訴求することで関係性という前提を飛び越えて相手の選択の負担を減らす行為だと言えるだろう。
だが、行き過ぎれば何事も毒である。
悪い面を隠し良い面だけを訴求することで、とにかく売ってしまえという精神の人はいるし、表現のグレーゾーン(ギリギリ誇大広告にならない、薬機法などの表現規制に引っかからない)を攻めるのが最も効果的だとうそぶく人もいる。また、目標は買わせることであり、その後の消費者のことなど知らん!と宣い、とにかくのべつまくなしに宣伝し、それを見た人の0.1%でも反応すれば良いと考える人もいる。これは情報商材あるいはスパムと呼ばれ、忌み嫌われている代物である。
あるいは、サクラ。消費者の多くは自身の目利き力や判断にそれほどの自信を持っていないことに着目し、思ってもいないようなその商品への賛辞を消費者の立場と偽って吹聴し、その意見に流される消費者をカモにするやり方である。最近ではステマなんて言い方で忌み嫌われている。そもそも商品自体の良さを訴求しようという宣伝の本質さえ無視している気がしてならない。
今回、なろう運営が注意喚起した宣伝サービスも、不特定多数の作品の感想欄に出没し、定型の勧誘文を投稿していたわけだから、業者の宣伝サービスの売り込み手法はスパムである。
だからこそ、ほとんどの人は怪しいと気づけたわけであるが、一方で読まれないことで鬱屈し藁にもすがりたい、ごく一部の書き手にも届いてしまい、彼らが被害に遭ったわけだ。
これがもし、スパム行為を行わずに某マーケットにサービスを陳列しつつ、Twitterでサービスを宣伝していたなら、警戒する人は減り注意喚起が遅れた可能性が高い。もちろん、ポイント水増し自体はシステム的に簡単に検知できるから、ランキングシステムへの影響は限定的ではあるものの、ただただ作品をBANされる被害者と、その被害者の作品によって表紙入りやランキング入りの機会を逃した二次被害者が増えたことであろう。業者が短絡的な素人だったことは、ある意味幸いである。
ところでこの事件、被害者を責める声も聞く。事実が歪曲されて伝わった結果だろうか、「ポイントを金で買ったのだから悪い」、「不正に加担したから悪い」と言う人、そして「そもそも宣伝なんて自分でやれ」、「金を払って宣伝するのはどうなんだ」と言う人である。
前者は事実と異なるにしても結果的にそう思われても仕方がない側面もあるし、書き手にしたら「これを理由になろうは不正する奴の巣窟とレッテルを貼られてしまったらどうするんだ」、「自分まで不正のレッテルを貼られて風評被害にあうかもしれない」との至極真っ当な不安も感じるだろうから、被害者を責めることに同意はできないが理解はできる。
一方で後者については、行き過ぎた批判だと思う。
まず、宣伝は自分でやれについて。世の中の商業作品は書き手本人ではなくプロのマーケターが宣伝の主体であるし、私のスコッパー活動も書き手の人に代わって宣伝をしているわけであるから、そこを否定されてしまうのは、さすがに理不尽というものである。
「アマチュアに限っては、自分でやれ」ってことかもしれないが、アマチュアこそ広告や宣伝に時間を費やすより、作品の磨き込みや自身の創作スキルの研鑽、次作の構想を練ることに時間を費やすほうが合理的ではないだろうか?スコッパーの立場からしても、「宣伝の負担は肩代わりするから、その代わりあなたの作品もっと読ませて」って下心があってやってたりするので、自分で宣伝するのは下策だとさえ思っている(表立っては言わないけどね)。
また、この主張の裏には、「他の人たちはそんな手段を使わずに頑張っているのだから、楽をするな」という意図もあるかもしれない。「全員右にならえ」は日本あるあるだが、その「頑張る」は創作活動に果たして必須なのか?
読まれたいと考える人にとっては、読まれないのは切実な問題である。モチベーションに直結するかもしれない。独りで黙々と執筆活動をできるのはある種の才能である。それで頑張れるなら頑張れば良いが、皆がその適性を持っているわけではないので、それを当たり前のように他者に求めるのは酷ではないだろうか。
そして「金を払って宣伝するのはどうなんだ?」という批判。これも無茶苦茶だと思っていて、他人に宣伝を依頼する以上、その人の知識やスキル、時間を使うわけなのだから対価を支払うのはむしろ当然だと思っている。スコッパーだって、作品がエタることなく読める、好きな作品のキャラが2次絵になる、みたいなプライスレスな対価を期待しているのだ。たぶん。
今回は2000円の粗悪品に金を払ったのが過ちであり、その10倍以上のお金を払い、作品の訴求ポイントを分析して適切な宣伝文言を捻り出し、読者との接点の多そうな媒体で広報してくれるプロ/セミプロに頼んだなら、それは賢い選択だと私は思う。
それぐらいの覚悟を持って自身の作品を売り込める人は、作品に絶対の自信を持ち、創作とは無関係のところにエネルギーを使わないある種のプロフェッショナルと言えよう。
以上のように、宣伝とは、本来創作者にとっては必ずしも必要なものではなく、それに時間を費やすのも他人に委託して本来の創作活動に費やすのも、本人の選択に過ぎず、他人がとやかく言うものではないと思う。
今回の事件がきっかけで、真っ当な宣伝活動自体が萎縮してしまわぬよう願うばかりだ。
そうそう。最後に粗悪な宣伝サービスの見分け方をお伝えしておこう。それは、あなたの売り込みたい作品を分析する機会をサービスの中に設けているかどうか。そこを疎かにしている人間は、物量作戦を前提にしているので、99%スパム業者か、システムの穴をつくことを前提にしたリスクの高い業者と判断して良いだろう。