③ギメル。
相変わらず──。
満月が、私を森の暗闇の中で照らし出していて、樹々の隙間から顔を覗かせるようにして見ている。
私はこの10日間、現世さながらに夜の『魔の森』に浮かぶこの満月を見上げる事はあったものの、そんな風に感じたのは、初めての事だった。
けれども、冷たく肌寒いこの森の夜気が、私の腕を覆う指空きの肩まで届く長い黒手袋の先から伝い、この露出度高めの魔法使い用のコスチュームでは、少しばかり『防御力』が足りないんじゃないかと、私に想わせた。
(初期設定のままだし──。仕方ないか……)
それよりも、森の地面は水分を多く含んでいて、私の黒の魔法使い用のブーツじゃ心もとない。完全防水のゴムの長靴でもないし。けっこう、泥濘む。
けど今は、私の黒のブーツの足もとから伸びる数十メートル先にいる伝説黄金装甲を纏った、大樹の根っこにしゃがみ込んで泣いている少年に会わなきゃイケないようだ。
どうも、さっきから、仮想遊戯世界の『アレフ』に急かされている──、そんな気がした。
けれど、見た目そんな重そうな伝説黄金装甲を装備して、あそこまでよくもまぁ、歩けたもんだとも想う。
とは言え、仮想遊戯世界の『アレフ』が創った、イベント用に設置されたゲームキャラなのかも知れない。
(やっぱり、イベント用のキャラなのかな──? さっきから、泣いてばかりいて動かないし。めっちゃ強い魔物とかに豹変したら、どうしよ……)
そんなことを想いながらも、そーっと、そーっと、泣いている彼──少年へと近づいた。
この『魔の森』の地面は、足もとの私のブーツが泥濘んではいるけれども、幸い底無し沼では無かった様子だ。
それでも、タイミングの悪いことに霧雨のような小さな水滴の粒が、露出度高めの私の魔法使い用のコスチュームに浸透して、私の肌色の肩や胸もとの素肌へと付着していた。
かなり、夜の『魔の森』の湿度は高めで、学校で習った空気の飽和状態も100パーセントを超えてるんじゃないかって想うほど。
もう一度、私が空を見上げると、満月は分厚い雲に覆い隠されていて、より一層、森の空気が重たくなって森の奥に広がる暗闇を更に見えづらくしていた。
私は、この数日間、この仮想世界に来てはマメに練習していた『炎の指環』の使い方のコツを少しばかり掴みかけていて、薬指に小さく輝くこの金の指環に炎を灯し出す事が出来た。
だけど、時折、『魔の森』の暗闇に響く明らかに人ではない悲鳴に似た声に、私の足の動きが止まる。
(──腐乱死体の魔物!? や、ヤバいんですけど!?)
私の思い込みかも知れないけど──。
──視界の前方で暗闇にすすり泣く少年と思しき姿も、もしかしたら、腐乱死体の魔物なのかも知れない。
あの子が顔を上げると──。なんて、想うと怖すぎる。
冒険者のレベルに応じた魔物が出るとも、『アレフ』の音声案内では聴いてはいたけども。
『魔の森』の暗闇は、私の恐怖心を煽り──。
──私は、ゲームイベントだろうと、何だろうと、意を決してその場から逃げようと思った。
「だ、誰かいるの──?」
私の視界を遮る『魔の森』を覆う暗闇に降る霧雨が一瞬止み、私の左手の薬指に輝く金の『炎の指環』が、少年と思しき素顔をボンヤリと明るく照らし出していた。
それと同時に、泣いていた少年の頬に伝う涙と、赤みがかった血色の良い素肌とが、私の目にも確認出来た。
まるで、幼い──愛らしい少年の素顔に私は一瞬、心が大きく揺れ動き、その場に立ち尽くす事になった。
夜風が突然吹いて、かぶっていた私の黒の三角帽子が目に覆いかぶさり、目の前の視界を更に暗闇にした。
けれども、もう一度、私が三角帽子をかぶり直すと、少年は泣き止んで、さも不思議そうに首を傾げて私の顔を見つめ返している。
再び、私が夜の『魔の森』を樹木の枝の隙間から見上げると──、分厚い雲が風に押しやられていて、現世でも見たこともないほどに煌々と私と少年とのいるこの場所を照らし出していた。




