後編 火の鳥の翼に乗って
「今日は無理かしらって思ってたんですけど、来ていただいて嬉しいですわ」
わたしを出迎えた杏奈は、血色が良く健康的な笑顔だった。
杏奈ママのお招きで、わたしは須藤家を訪問した。
新くんも一緒に来る予定だったが、菫さんの気まぐれな予定変更により残業となってしまったので、一人で来るハメになった。
同じマンションでもファミリータイプの部屋は広く、リビングも20畳以上はありゆったりとしていた。
杏奈ママの料理はどれも美味しくて大満足、ご両親共とても感じの良い人だった。
仲の良い家族って、こんなのを言うんだろうな、普通の家庭を知らないわたしは、少々羨ましく思った。
「あんなことがあって、理煌さんもショック受けてらっしゃるんじゃないかと思ってたけど、元気そうで良かったですわ」
あんなこととは福田敦子の件だろう。
若いのに気の毒とは思うけど、
「ショック? なんでわたしが?」
「親しくされていたでしょ?」
「そうでもありませんわ」
むこうが勝手に思ってただけで迷惑だった、とは言えなかった。
「学校でなにかあったのか?」
杏奈パパが尋ねた。
「同学年の方が突然倒れて、亡くなられたの」
「まあ、可哀そうに」
杏奈ママが痛ましげに眉尻を下げた。
「その子、持病でもあったの?」
「親しくなかったし、知らないわ」
「そんな話聞いたら、他人事とは思えないわね、杏奈も子供の頃から体が弱かったし、いつも心配してたのよ、今はすっかり丈夫になったけど」
いつも今にも倒れそうな青い顔してるのに、これで丈夫になったの?
「この子ね、小学生の頃は入退院を繰り返してたのよ、そのせいで友達もできなくて、いつも独りぼっち」
「やだママ、そんな話ししないでよ」
「昔のことじゃないかママ、今はこうやって家に来てくれる友達もできたんだし」
杏奈パパはわたしを友達と思っているようだ。この間、初めて話をしただけの関係なのに……。
「やっと小春から卒業できるな」
パパはソファーに座らせてあるアンティーク人形に目をやった。
ブロンドの巻き毛に青い瞳、真っ白なドレスを着た綺麗な人形は、今まで気付かなかったが、不気味な雰囲気を漂わせていた。
「小春?」
わたしの呟きに、人形がこちらを見た……ような気がした。
その瞬間、不気味な雰囲気が強烈な邪気に変わり、たちまち悪寒が走った。
「今までは小春だけが友達だったもんな」
「やめてよパパ、この年になっても人形遊びしてるみたいな言い方は、わたしが小春を大事にしてるのは、お祖母ちゃんの形見だからよ」
「杏奈はお祖母ちゃん子だったからな」
お祖母ちゃんか……。
わたしの唯一の身内だった人。
祖母の灯子は優しかった。と言うより、わたしに甘かった。欲しいものはなんでも――金で買えるモノだけど――与えられたし、なにをしても叱られたことはなかった。いつも微笑みながら許してくれた。
その微笑はどこか悲しげで、心からの笑顔じゃなかったのは幼心にわかった。
だからわたしは良い子でいなければいけないと思うようになり、本心はともかく、良い子でいるよう努めるようになった。
「小春といると、お祖母ちゃんがいつも見守ってくれてるような気がするのよ」
杏奈の祖母の霊が宿っているのか?
いや、それにしては邪悪な念だ。どちらにしても、その人形が普通じゃないのはハッキリしている。
まだ、こっちを睨んでいる。
わたしにもわかる殺気のようなモノ。琥珀たちが感じたのは、この人形の邪気なのかしら?
その後は、小春と言う人形にずっと睨まれているのが気になって、須藤一家がどんな話をしていたかロクに覚えていない。
* * *
本当の家族とは須藤家のような家族を言うのだろうか、優しいパパとママの愛情を一身に受ける一人娘、ほのぼのとした団らん。わたしは体験したことのない空間だった。
馴染めないひと時から解放されて、新くんの部屋に戻ったのは10時頃だった。
新くんも菫さんから解放されて帰宅していた。
七瀬家も楽しい家族ではあった。菫さんは明るいし、夫の掬真さんは親切で物知りだから話をしても楽しかった。真琴も口ほど悪い奴じゃない。ただ、環境は特殊だった。妖怪が出入りする家なんて、そうそうないし。
「で、どうやったん?」
いや、ここにもあった、妖怪が出入りする家……。
なぜ真琴がいる? そして那由他も。
「わかったような気がする」
わたしは精神的にドッと疲れが出て、座り心地の悪いソファーに腰を沈めた。
「なにが?」
「真琴の嫌な予感の訳」
「ん?」
真琴はわたしの肩から、ブロンドの髪をつまみ上げた。
「昨日とおんなじ」
その時、
「ここは妖怪屋敷なの!」
甲高い女の子の声が響き渡った。
嫌な予感通り、さっきの人形が目の前にいた。
テーブルの上に立っている。
「なんや、コレ」
普通は驚くだろう、突然現れた人形が喋ってるんだから。
でも、真琴はビクともしない。
人形は偉そうに腰に手を当て仁王立ちしていた。
そして、真琴を指差し、
「その女は化け猫、そっちの男は呪われてるし」
もちろん新くんのことだ。
「そこのインコは魔鳥、そしてその女は」
「銀杏の妖精や」
那由他は自ら言った。
「人ならざるモノの勢揃い、アンタは人間のようだけど、妙な霊気を発している、そんな奴らが杏奈の近くにいるなんて、忌々しき問題よ!」
人形は語気を強めながら睨みつけた。
いやいや、あなただってじゅうぶん化け物だし。
「コイツか、寝込みを襲ったんは」
真琴はいきなり人形の髪を掴んで持ち上げた。
あんな不気味なモノによく触れるもんだ。
「須藤杏奈の家にあった人形の小春だわ、お祖母さんの形見とか言ってた」
やはりただの人形ではなかった。
わたしを追って来たのか?
「なにすんのよ、放せぇ!」
真琴に釣り上げられ状態の小春は小さな手足をバタつかせて暴れた。
勢いのわりには弱っちい。
「アンタみたいな妖怪に気安く触れられる筋合いはないわ! わたしは神よ!」
「付喪神か」
那由他が言った。
「なに? それ」
「長い間、大切にされた道具は、百年を過ぎると霊魂を宿して付喪神になるんや」
「道具とは失礼な!」
小春は真琴の腕をキックした。
「痛っ!」
真琴がひるんだ隙に逃れた小春は、再びテーブル上に立った。
「わたしは1880年代にフランスで作られた本物のビスク・ドールよ。長きに渡り、持ち主の心を癒して愛され、日本に来てからも杏奈の祖母にたいそう可愛がられたのよ」
小春はツンと顎を上げて、誇らしげに言った。
そして真琴に捕まれて乱れたブロンドの巻き毛を整えながら、
「杏奈の祖母が、病弱で友達が出来ない彼女を可哀そうに思ってわたしを譲り渡したの、杏奈を守ってあげて、と言うのが祖母の遺言よ、だから体の弱い杏奈を助けてきたのよ」
「助けるって、どうやって?」
「他の人間の精気を吸い取って、杏奈に与えてるのよ」
小春は自慢げに言ったが、
「アカンやん、それ」
真琴は再び小春の髪を掴んで釣り上げた。
「放せぇ!」
またキックしようと足をバタつかせたが、二度と同じ手は食らわない。
「それで昨日の晩、あたしの精気を狙って寝込みを襲ったんやな」
真琴はこめかみをヒクヒクさせながら目を細めた。まさか小さな人形相手に変化するとは思わないが、ここで暴れたらどうしよう。
「妖怪だとは知らずね、気付いて良かったわ、杏奈に汚れた精気を与えてしまうところだった」
「悪かったな、汚れてて」
「もしかして、福田敦子も」
わたしが聞くと、小春は意地悪な笑みを浮かべながら答えた。
「ああ、杏奈に嫌な思いをさせたあの女ね、ちょっとやり過ぎちゃったけど」
「やり過ぎたって、彼女、死んだのよ」
「自業自得よ」
「他人の命を盗んで、杏奈を生かしてるの!」
「仕方ないでしょ、それしか方法がないんだから」
琥珀が言っていたのはこのことだったのか。
「杏奈の寿命はとっくに尽きている、もう死んでるのね」
「死んでないわよ、そしてこれからも生かし続ける、それがわたしの務めなのよ」
この口振りじゃ、福田敦子が初めてじゃない、杏奈を生かすために、今まで他人の命を奪ってきたのか……。
「なんで、そんなことをわざわざ言いに来たんや?」
真琴は髪を掴んだまま睨みをきかせた。
「邪魔してほしくないから忠告に来たのよ、これ以上、わたしたちに関わると、痛い目に遭うわよ」
「痛い目ねぇ」
左右に激しく揺すった。
「やめろ~! 畜生、なんで逃げられないのよ」
確かに、小春は突然現れたんだから、突然消えることだって出来るはず。
真琴の強烈な妖気に阻まれているのかしら?
「どうする? コイツ、もはや悪霊やで」
真琴はわたしに視線を送ったが、そう言われても……。
「失礼な! わたしは神よ、杏奈に生命を与える神なんだから」
「悪霊化してる自覚はないみたやけど」
良いことをしていると思っているらしいから性質が悪い。
「でも、もしコレを始末したら、須藤杏奈はどうなるのかしら」
「わたし無しで杏奈は生きられない! 毎日新しい精気を与え続けなければな」
杏奈は即答した。
「毎日盗んでたんか」
「そらアカン」
真琴と那由他は呆れた。
「やっぱり彼女は死ぬのね」
「いやいや、もう既に死んでるし」
琥珀が念押しした。
脳裏に杏奈パパとママの顔が浮かんだ。幸せそうな一家団らんの場面を見ていたのは数時間前、悪霊と化したこの人形を始末すれば、あの家族から幸せを奪うことになる。両親の笑顔が悲しみの涙に濡れるのだ。あんな優しい人たちに辛い思いをさせたくない。
でも、どうしたらいいの?
「さっさと燃やしてしまおうや」
琥珀が指先に火を点しながら言った。
今まで静観していた新くんだったが、それを見て慌てた。
「やめてくれ! 火事になったらどうするんや」
「えーいっ!」
小春は靴を脱いで真琴の顔に投げつけた。
「痛っ!」
不覚を取った真琴は、また小春を放してしまった。
琥珀が火を点したままの手で掴もうとしたが、次の瞬間、小春は忽然と消えた。
「逃げられたな」
「真琴が放すし」
床には小さな靴が転がっていた。
「居所はわかってるんやし、これ以上被害者が出ぇへんうちになんとかしな」
「やっぱり、始末するのね」
「なんや、気のりせぇへんみたいやけど、もしかして杏奈って子に同情してる?」
「そんなんじゃないけど……」
関わり合いたくないと思っていたのに、しっかり関わってしまった。
* * *
福田敦子がいなくなっても代りはすぐに現れる。今まで福田の後ろにくっついていたその他の中から新しいボスが生まれる。
杏奈もわかっていたから、学校では迂闊に近付いて来なかった。
しかし、
「昨日は来てくれてありがとう」
下校途中、マンション近くの道で後ろから杏奈に声をかけられた。
待ち伏せしていたの?……汗。
「パパとママも楽しかったから、また来てもらいなさいって」
杏奈は親しげに並びかけ、頬を赤らめながら微笑みかける。
「沢本さんまだ出張? 夕食はどうなさるの?」
彼女って、こんなに明るい雰囲気の子だったっけ?
それに、こんなに積極的だったっけ?
「うちのママ、お料理上手でしょ、いつでも大歓迎ですわよ」
「新くん、今日は帰ってくるから」
振り向くと、呪い発動中の新くんが立っていた。
もう丸一日たっているはずなのに、また?
「この間の、沢本さんの御親戚……、こんにちは」
杏奈は先日とは打って変わり、臆することなく微笑みかけた。
新くんも別人のように明るい彼女を見て、少し面食らったようだった。
「また相談事ですの?」
「少々込み入った話でな」
「そうなんですの、早く解決するとイイですね」
友達が出来なかったはずの杏奈が、とてもフレンドリーに話をしてる。それも堂々と……。福田敦子の精気を吸い取ったせいだろうか、この図々しい感じ、同じ臭いがする。
「じゃあ、また」
エレベーターを先に降りる時も、執拗な視線が突き刺さり、鳥肌を立たせた。
* * *
「あの子、どうなってるんや、まるで別人やん」
部屋に入るなり、新くんが厳しい表情で言った。
「そうでしょ、不気味」
他人の精気をいっぱい取り込んで生きていると思ったらゾッとする。もはや人間とは思えない。
「それより新くん、なんでまた呪いが?」
新くんは思い出したように瞳を潤ませた。
「真琴ちゃんが~~、呪い発動中の方が安全やろうって」
確かにそうだ。
「そやかて、いつまでもこの姿ではいられへんやろ、早よ、あの人形をなんとかせな」
「放っといたら、さらに悪霊化するで」
突然、わたしの真横に現れた那由他が耳元で言った。
「近いっ!」
琥珀だってココまで接近しないわよ。
「でもどうするのよ、あの人形、那由他みたいに神出鬼没なのよ、やっつけるどころか捕まえることも出来ないわよ」
「それなら大丈夫」
那由他は胸元から紙切れを出した。とたん、
「きゃっ!」
琥珀がたちまち萎んで、小さなインコになった。
そして新くんも仰向けに倒れた。
「やっぱり重賢のお札は妖怪に効果テキメンやな」
掲げたのは悠輪寺の住職、重賢さんが書いた護符だった。
重賢さんは温厚な老僧だが人並み外れた法力の持ち主だ。
「那由他は大丈夫なんや」
「あたしは妖精やし」
立派な妖怪に見えるけど。
「これを貼ったら、消えられへんようになるやろ」
「それで浄霊できるんじゃない?」
新くんは完全に目を回してダウンしていた。
「幽霊違うし浄霊はないやん、それに護符は封印するモノ、除滅する力はないねん」
「残念」
悪霊化している人形退治なら、重賢和尚がやってくれてもいいのに……。
その時、救急車のサイレンが近付いて来るのが開いたベランダから聞こえた。
後で聞いたのだが、マンションの住人が倒れて搬送されたが、病院に着いたと時には既に亡くなっていたそうだ。
昨日まで健康だったのに、原因不明の突然死だったらしい。
* * *
杏奈はますます健康的になり、見違えるほど明るい少女になった。そしてたちまち注目を集めるようになった。
「理煌さん!」
人目をはばからず、弾むような声でわたしに話しかける。
「沢本さんの親戚の方、もうお悩みは解決しましたの?」
「え、ええ」
「ママがね、今度いついらっしゃるのかって、楽しみにしてますのよ」
人懐こい笑顔、もはや別人だ。わたしは唖然として返事を忘れた。しかし、杏奈はおかまいなし。
「今日も沢本さんの家にお寄りになるなら、一緒に帰りましょ」
もっとも杏奈は返事など求めていない、断られるとは思ってもいない様子だ。
わたしは彼女の肩に、ブロンドの髪が着いているのに気付いた。
もう迷ってる時間はないのだ。
* * *
「最近、身近で不幸が続きますわね」
わたしは仕方なく杏奈と一緒に下校した。
特に話題もないので、思い切って話を振ってみた。彼女は知っているのだろうか? 自分のせいだと言うことを。
「確かに嫌な感じですけど、福田さんもマンションの高橋さんも病死だったらしいですし、殺人鬼がうろついてるって訳でもありませんから」
うろついてるのよ、殺人鬼が、それは……。
「妖怪だったりして」
わたしは思わず言ってしまった。妖怪じゃなくて、悪霊化した付喪神だけど。
「妖怪?」
杏奈はキョトンとし、それから笑い出した。
「理煌さんって、想像力豊かですのね」
「その妖怪は人間の魂を食べなければ生きていけない、そんなストーリーで小説なんか書いてみようかしら」
「それって、有りがちなストーリーですよ」
「その妖怪は生きていくために仕方なくしてるんですの、もし、あなただったらどうなさる?」
「そうですねぇ、どうしましょう」
杏奈はまた笑った。自分には全然関係ない空想物語と思っているのだ。
でも、もし新くんや真琴なら、「他人を犠牲にしてまで生きたいとは思わへん」って、きっぱり言っただろう。
杏奈の生に対する執着を垣間見たような気がした。
子供の頃、病弱で辛い思いをしたようだが、今は違う、元気になって他の人と同じように生活できる。この健康な体を手放す気はないだろう、たとえ真実を知ったとしても……。
生への執着が、そのまま小春に伝わって、蛮行に走らせているのか?
より健康な体を手に入れるため、より多くの精気が必要なのだ。
「なんか夢のようですわ、理煌さんとこんな風にお話してるなんて」
夢もなにも、あなたの方から一方的に話しかけてるだけじゃない、とも言えず。
「わたし、ずっと憧れてたんですのよ、でも理煌さんは手の届かない遠い存在、お近づきになんかなれないと思ってましたの、それが今はこんなに近くに」
それも、あなたの方から近付いて来たんだし。
上目遣いに見上げる瞳に、わたしはどう答えていいかわからない。作り笑顔は浮かべているものの、背筋は冷たく、指先も凍り付いていた。
この子は死人。そんな風に見つめられても、不快感しかない。
「理煌さんの叔父様が同じマンションの住人だったのは、きっとお友達になる運命でしたのよ」
運命?
そうか……そう言うことか。
わたしにも責任があるのかも知れない。
なんのとりえもない地味で目立たない杏奈が、成績優秀でスポーツ万能の優等生、容姿端麗で気品を備えた、他の生徒から憧れの存在であるわたしと親しくなれたことがよほど嬉しいのだろう。
この先もずっと友達でいるためにも、彼女は健康でいたいのだろう。青ざめて倒れる情けない姿なんて見せたくないんだろう。
でもあなたが思うような運命じゃない。
あなたは理煌に殺されるために出会ったのかも。
* * *
「理煌のせい違うよ」
少々落ち込んでいるわたしの顔を、琥珀は心配そうに覗き込んだ。
わたしは精神的に疲れて、座り心地の悪いソファーに体を埋めていた。
「美しく生まれたんは理煌のせい違うし、みんなが憧れるのも理煌のせい違う」
「そうなのよね、わたしの美しさが罪なんや」
「マジで言うてるのが気持ち悪いわ」
例によって突然現れた那由他が真横にいた。
呆れたような、軽蔑したような目を向けている。
「さっさと決断しな、どんどん犠牲者が増えるで」
「なんであたしに言うのよ、真琴に頼めばいいじゃない」
「あんたが蒔いた種や、自分で刈らなアカンやろ」
「わたしはなにも蒔いてないわよ、あっちが勝手に勘違いしてるだけじゃない」
「それはあんまりよ!」
今度は人形小春が突然、姿を現した。
この家はいったい……。
「アンタのせいで杏奈は強く望んだのよ」
また、偉そうに仁王立ちしている。
「だからわたしも大忙しなのよ、毎日、精気を集めに行かなきゃならなくなったし、いい迷惑だわ」
「これ以上は許さないわよ」
「アンタの許可なんていらないわ、昨日忘れてった靴を取りに来ただけなんだから」
ツンと顎を上げて、小春はソッポを向いた。
チャンス!
わたしはすかさず重賢和尚の護符を胸元に貼り付けた。
「なによ、コレ!」
小春は気持ち悪そうに護符を剥がそうとしたが、
「痛っ!」
触れると小春の小さな指が弾かれた。
可愛い人形の顔が激怒に歪むと、世にも恐ろしい形相になる。
そんな映画あったわよね……。
わたしはそれを見ただけで縮み上がった。
「ちっ!」
小春はきっと消えて逃げようとしたのだろう。しかし護符の法力で姿を消すことが出来ない。
「え……なんで……」
小春は信じられないと言った表情で憮然とした。
「それは強力な法力を持つ僧が念を込めた護符や、もう自由に出たり消えたり出来ひんで」
那由他が自信満々に言った。
「なんですってぇぇ」
小春は怒り狂いながらジャンプ!
「はずせ!」
こともあろうにわたしの鼻をキックした。
な……、なんてことしてくれるの!
「折れたかも~~」
「人形の小さい足で折れる訳ないやん」
那由他が呑気そうに言ってる間に、
「はずせと言ってるのよ!」
小春は2発目の狙いを定めた。
でも、同じ手は食らわない。
「護符を貼ったら、力は封じられるんじゃなかったの?」
わたしは那由他にぼやきながら、3発目、4発目の飛び蹴りをかわした。
「わたしは神よ、こんな護符なんか!」
小春の目が赤く血の色に染まった。
異様な邪気が、小さな体から漏れ出しているのが見えた。憤怒のあまり、悪霊化が加速したのか?
小春は宙に浮いたかと思うと、次の瞬間、
バリン!!
目にも止まらぬスピードでベランダのガラス戸に体当たり、突き破った。
え……。
と思ってる間に外に飛び出した。
砕け散ったガラスの破片を見下ろしながら、新くんの涙目が脳裏に浮かんだ。
「新くん、怒るでしょうね」
割れたガラスを見て困り果てているわたしの頭を、那由他が後ろから叩いた。
「ボーっとしてる場合違うやろ、追いかけな、護符を剥がされる前に始末するんや」
「どうやって? 飛んで行っちゃったわよ」
ベランダから夜空を見上げたが、小さいからもう暗闇に消えている。
「琥珀」
那由他に促された琥珀は、
「しゃーないなぁ」
ベランダに出ると、両腕を炎の翼に変化させた。
「ちょっと、こんな派手なことしたら」
わたしは慌てたが、琥珀は涼しい顔をして、
「大丈夫や、普通の人間には見えへんし、琥珀に乗ったら理煌の姿も見えんようになるし」
「なんで?」
「琥珀の魔力でや、ほら早よ」
炎に触れても大丈夫なのはわかってるが、やはり抵抗があり、躊躇しているわたしを那由他は足蹴にした。
蹴られた勢いで心ならずも琥珀の背に乗ってしまった。
「行くでぇ」
不思議なことには免疫が出来ている。でも炎の中で服が燃えないのは理解を越えている。熱も感じない、わたしの体はどうなっているんだろう。
そして、これからどうなってしまうのだろう。
わたしは大きな溜息をついた。
それに気づいた琥珀は振り返り、
「くつろいでる場合違うやろ」
「くつろいでないし」
「ほら」
前方に小春が見えた。
月の光を受けたブロンドが輝いていた。
護符の効果か、さっきガラスを突き破ったようなスピードはなく、息も絶え絶えフラフラと浮かんでいるって感じだった。
どこへ行くつもりなのか、マンションから遠ざかっている。
「さっさと済ましてしまいーな、あの時みたいに」
「そう言われても」
あの時は、柊家の財産を狙って化け物と化した遠縁の男に殺されそうになったから、無我夢中だった。
身体から炎が吹き出し、掌は火炎放射器と化し、指先からは火の玉が飛び出した。我ながら人間とは思えない。
でも今は違う、死に直面するような危険に晒されている訳ではない。標的は小さな人形、瘴気も発してなければ、武器も持っていないし護符で弱っている。
そんな小春を始末するのは容易いだろう。
しかし、小春を燃やすということは、杏奈の死を意味する。
「あの子はもう死んでるんやで」
わたしの迷いを感じ取った琥珀が言った。
死んでいる……、でも、杏奈の笑顔が浮かんだ。
「あの笑顔は他人の命を奪って保たれてる偽物やで」
そうなんだ、杏奈が生き続ける限り、関係のない誰かが命を縮める。
わたしがうじうじ考えてる間に、琥珀は小春の前に回り込んで行く手を阻んだ。
「邪魔しないで!」
小春の顔は、もやは可愛らしいアンティーク人形ではなかった。
般若の形相、付喪神ではなく完全に悪霊と化していた。
「お前こそ、どこ行くつもりや」
「決まってるじゃない、精気を集めに行くのよ」
「消えられへんのに、どうやって?」
「別に姿を見られてもいいわよ、精気を全部抜き取ってしまえば、もう他言できないんだから」
「みんな殺す気なの」
「杏奈を生かし続けるためには仕方ないでしょ」
「消費が激しなってるんや、生かし続けるんも限界にきてるんやろ」
琥珀が言った。
「わかってるなら、早く護符を外せ! わたしがなにをしようとお前たちには関係ないでしょ」
誰が死のうとわたしには関係ない。
そうなのだが……。
少し前なら、こんな厄介事は避けていただろう。
でもなぜだろう、今は、放っておいてはダメな気がする。
わたしは小春に手を伸ばした。
「取ってくれるのね、やっぱり、杏奈のために」
小春の顔が喜びに輝き、可愛い人形に戻った。
だが、彼女の期待に反して、
わたしは足首を掴んだ。
「えっ?」
小春が驚いて青い目を見開いた時、わたしの手から炎が噴き出した。
「なぜ!」
炎はたちまち小春の小さな体に燃え広がった。
「わたしがいなくなったら、杏奈は、杏奈の命が……」
炎はブロンドに燃え移り、顔を包んでいった。
フッと、握っている感覚が無くなった。
小春の体が燃え尽きた瞬間だった。
跡形もなく、灰さえ、夜空に散って無くなった。
「もう終わったんか?」
琥珀がなぜか不服そうに言った。
「ええ」
「なんや、この呆気ない結末は」
「なにって、ちゃんと退治したわよ」
小春はわたしの手の中で燃えて無くなった。
「バトルもアクションもなし、肩透かしもエエとこやんか」
「いやいや、そんなのいらないし」
「見せ場は必要やろ」
「相手は小さい人形だったのよ、この間みたいな化け物じゃないし」
わたしは掌を見下ろした。
一瞬だった。
わたしの手は、人形なんか一瞬で灰にしてしまう火力を備えている。
我ながら背筋に冷たいモノを感じた。
* * *
翌朝、学校で須藤安奈の急死を耳にした。
話によると、朝、起きてこない杏奈の様子を母親が見に行った時には、既に冷たくなっていたそうだ。
小春が新しい精気を届けられなかったからだろうが、たった数時間で尽きてしまうほど消耗が激しかったのか。
よほど無理に生かされていたのだろう。
お葬式に行くと、
「とても安らかな顔だったのよ、素敵な夢でも見ているような」
杏奈ママから聞かされた。
「あなたと友達になれて、杏奈も幸せだったと思うわ、ありがとう」
幸せ……か、それは他人の命を縮めて得たものだったとは知らないんでしょうね。
たぶん杏奈自身も知らなかったことだし、杏奈ママも知らなくていいことだ。
ふと思った。もしわたしなら、他人の命を奪わなければ生きていけないとしたら、どうするだろう?
……情けないわね、迷ってる。
* * *
「これで、よかったんや」
肩を落としながら帰ったわたしを、琥珀が慰めてくれた。
「そうよね」
他の結末はなかった。彼女を助ける方法などなかった。
「理煌、変わったな」
「えっ?」
「以前やったら、こんなことで気に病んだりしなかったし」
こんなこと……か、以前のわたしには人の死を悼む心がなかったと?
「気に病んでなんか」
杏奈とわたしはただ同じ学校に通っていた知人、友達でもなかった。彼女の方はそう思っていたようだが。
もう、面倒なことに関わり合うのはゴメンよ。
わたしは静かに生活したい、柊家で祖母と暮らしていた時のように誰にも邪魔されずにマイペースで。
でも……。
わたしはリビングのテーブルに目をやりながら、大きな溜息をついた。
いつ来たのか、真琴と那由他がお茶していた。元に戻った新くんも参加していた。そして琥珀も……。
狭いリビングに集うみんなを見て、また溜息が漏れた。
とうぶん静かな生活は望めそうにないわ。
おしまい
最後まで読んでいただきありがとうございます。
この物語は『金色の絨毯敷きつめられる頃』の外伝です。本編のほうも読んでいただければ嬉しいです。