鏡の中の私
夜久は私の言葉にむっとした顔を見せるどころか、真っ直ぐに私を見据え、学校の教師のような物言いをしてきた。
「人に死ねって言葉を使うのはいけないよ?死ねって言葉は言葉だけで人をかなり傷つけるものなんだよ。」
「レイプされそうな女が自分に覆いかぶさっている男に気遣い見せてどうするんだよ?お前こそ私に気遣いを見せろよ。」
夜久は、はあああ、と大きなため息を吐くと、私の上から降りて、そのままごろっと横に転がった。
親に叱られた子供がふて寝するようだと見つめていると、奴はそのまま動かなくなり、数分見つめているうちに微かな鼾を立て始めた。
「まじでふて寝しやがったよ。」
緊張感をもって夜久の動向を見守っていたせいか、一気に安心感が自分に、いや、自分の周りの状況を見回して、ぜんぜん好転など何一つしていないと自分こそ溜息を吐いて現実逃避をしたくなった。
やらないとでられない魔法が掛かった部屋。
妖精のお遊びに嵌った二人。
夜久の後頭部を叩きたくなった。
だって、夜久は妖精管理官のはずであって、妖精の取り締まりができるぐらいの魔法が使える警察官のはずなのだ。
「って、素人童貞なんて嘯いていた奴だしな!魔法なんてたいして使えないんじゃ無いのか?」
口に出して言った自分の言葉が真実のように感じ、結局自分達が妖精に対抗できないただの人間だと気が付き、絶望感がわらわらと湧いて出た。
やるの?
出るために、この男とやるの?
まだ初恋だってしていない、真っ新な自分なのに?
なんだかんだと言っても、自分の思考が「やる」ことに肯定的になりかけていると気が付いて、私は小さく「ぎゃあ」と叫んで両手に頬を当てた。
べたっと両手に頬が貼り付き、その手の平の感触によって自分の顔が気持ちが悪いと今更に感じた。
厚化粧のファンデーションで顔がベタベタしている!
「こいつが私を簡単にやれるゴミ屑みたいに扱うのは、この厚化粧のせいだったのかな。」
私はベッドから飛び降りると、夜久がいる時には絶対に使用できない、ガラス張りのバスルームへと飛び込んだ。
ここにも無駄に大きな鏡が嵌っていて、その鏡は私の全身を無情に映し出して私に見せつけた。
どうして最初にバスルームに飛び込まなかったのだと、私は自分自身を呪ったぐらいだ。
真っ黒のアイラインをがっつりと書き、水色のアイシャドーを塗りたくった目元には老婆のようなしわが刻まれ、真っ赤な唇だってほうれい線が深く深く溝を作ってロボットの口元みたいだ。
私は十七歳の女の子のはずなのに、母親と同じぐらい、いや、定年退職したばかりの祖母ぐらいの女性にしか見えない顔をしているのだ!
「嘘!嫌だあ!」
カツラを頭から外して放り投げるとシャワーの蛇口をひねり、お湯が出てきたシャワーヘッドの下に頭を突っ込んだ。
これだ、この化粧が自分を年寄りに見せているだけだ。
絶対に妖精の仕業で何十年も宝来通りを歩き回っていたはずは無い!
「うわああああ。」
半分泣きながら化粧を落とし、脅えながらそろそろを鏡を見返した。
顔は私の知っている私に戻っていた。
顔周りに掛かるぐらいの長めのショートヘアの髪の毛は真っ黒で、形はアーモンドどころか丸いだけでも大きさはある目元には皺が無く、唇には色が無い殆どベージュだがロボットの口元みたいにはなっていない!
「や、やっぱ。化粧が悪かった……ぎゃあ!太っている!」
首から下、ギャル扮装衣装の下は、空間どころか肉が詰まっているようにしか見えなかった。
私は自分を取り戻したい一心でトレーナを脱ぎ、スカートを脱ぎ捨て、トレーナの下のシャツをはだけた。
ボタンが飛んでしまうぐらいの勢いで、ぶち、だ。
「ぎゃああ!嘘!変なのがついている!」
肉が無かった上半身を中年女性めいて見せる肉の代りに、モヤモヤで雲みたいな綿みたいな何かが貼り付いているのである。
私が混乱に陥りながらシャワーの湯を全身に浴び、風呂場に設置してあるボディソープが妙にねっとりとしていると思いながらも体に擦り付けて、この異常なものを落とすために必死になって体をゴシゴシと洗った。
一心不乱に!
だけど、靄は一向に私の体から剥がれない!
「もういやだああ!」
「パンツとブラジャーがまだだからだよ!」
「ぎゃあ!」
ガラス扉に貼り付いて覗いていた、どころか、夜久は既にバスルームに足を踏み入れていたではないか。
私は慌てて体を隠すように両腕に自分に回し、もう一度悲鳴を上げてやろうかと息を大きく吸った。
咽た。
夜久は警察の制服の上を脱いでいる!!
やばい。
私は一歩下がった。
とん。
背中はバスルームの壁に当たった。
逃げられない!
どうしようと見守る中、夜久は自分が脱いだ制服を使って私の脱いだ衣服を纏めはじめ、なんと、何かを呟いたと思ったら、彼の手の下には私の服が詰まった紺色の縦長の枕が出来上がってしまったのだ。
夜久は屈んでいた体を伸ばして私をまじまじと見つめると、それはもう気さくそうな本人比では無害に見える?笑顔を私に向けた。
「ま、いっか。濡れそぼってる下着は脱がなきゃならん。」
「え?」
彼はぱちんと指を鳴らした。
私に貼り付いていた黒い靄が、一瞬で姿を消した。
後に残るは、濡れそぼったブラジャーとパンツを着用した、豊満からは程遠い中学生ぐらいにも見える未熟で細い私の身体だった。
「やっぱり、旅人から服を脱がすには、太陽様式なのかな。」
「これは思いっきりの狂風だよ!トルネード並みだよ!ひどおおおおい。」
私は自分を抱き締めてしゃがみこんだ。
自分が情けないと鼻をすすり、自分は泣いてしまっていると思ったら、さらに涙が両目から溢れてきた。
私の上にシャワーの湯が注がれ、私はシャワーのお湯と一緒に涙が流れるからと、そのまま泣き続けた。
きゅ。
湯は止まって、私は泣き顔のまま顔を上げた。
ふぁさっと柔らかなタオルが私の頭からかけられて、私の視界を覆い隠した。
大きな手が優しく私の体から雫を拭き取ろうと、タオルごしに動いている。
私はタオルの隙間をみつけると、そこから私に初めて優しい行動を見せた男を見つめた。
夜久がいつのまにやら制服の下のそのまた青いシャツ迄脱いでいて、上半身が下着シャツ姿となっていた事に瞬間的に脅えたが、私の目の前にしゃがんで私をタオルで拭いている眼つきは今までと違う柔らかいものだった。
「豆名都希君。君の生年月日と君がこの格好をさせられた年月日を教えてくれ。妖精の神隠しは、神隠しの最中は君という存在がこの世から消えてしまっているからね。」
私はそこで、お母さん、と呟いて、再び涙を流すしかなかった。
私が何年も消えていた可能性に気が付いたからだ。