第一話 勇者との遭遇
森に入ったところで、すぐに皇帝熊の気配を感じ取ることが出来た。もっとも感じ取ったのは俺ではなくアルテナだったが。
「ですがリアムさま、様子が変です」
「変?」
「熊の向こうに百人ほどの人の気配を感じます」
「人? 森の中にか?」
「はい。それも、一人からは膨大な魔力も……間違いありません。勇者です」
「帝国か……」
「おそらくは」
勇者は一人で一万の軍勢に相当すると言われている。だがそれは帝国が送り込んだ勇者に全滅させられたのが、対峙した側の軍勢一万だったからに過ぎない。
ロイセル帝国がアルメイラス王国に戦争を仕掛けようとしているという噂は、実はかなり以前からあった。
しかしいつまで経っても現実にはならず、交易も人流も盛んだったため、いつしか民衆は夢物語のように感じていたのである。
だが、俺たちの目と鼻の先には、紛れもない帝国の勇者が百人の兵を引き連れてやってきていたのだ。
おそらくヤツらはまず寒村ストンを占拠し、バルダ辺境伯を挟み撃ちにするつもりなのだろう。国境の護りの要であるバルダ領が落ちれば、アルメイラス王国の王都ルークへ大軍を送り込むことも可能となるからだ。
その上バルダの街には、交易品を求めて常に各領地の有力な商人たちが集まっている。彼らを失えば領地を治める貴族も大打撃を受けるのは必至だ。
だから商人たちを人質にでも取られようものなら、本来王国を護るはずの貴族たちが王都に向かう敵兵に、手も足も出せなくなってしまうのである。
結果、ほぼ無傷で帝国軍はルークに進軍することが出来るというわけだ。
「普通の兵士だけならともかく、勇者がいては皇帝熊も足止めにはならないか」
「いえ、あの……」
「ん? どうした?」
「どうやら熊は操られているようなんです」
「皇帝熊が? 高位の獣使いがいるってことか」
「行きましょう」
「ああ」
俺たちはアルテナの先導で森の中を進んだ。しばらくすると皇帝熊と勇者らしき青年、それに兵士たちが現れた。
「おや、もしかして冒険者の方ですか?」
熊の横に出て声をかけてきたのは帝国の正装に身を包んだ青年、勇者だった。
「まさかあの寂れた村に冒険者を雇うお金があったとは驚きです」
「そんなことより何の真似だ? ここはアルメイラス王国のバルダ領だぞ。帝国が勝手に軍を進めていい場所ではない!」
「言われてみればまだここはアルメイラス領でしたね。ですがご心配なく。すぐに帝国領となりますので」
「ふん! 確信犯ってことか」
「村が冒険者ギルドに皇帝熊の討伐依頼を出してくれましたから、後は熊に襲わせればお終いだったのですが……あなた方も不憫ですね」
「何のことだ?」
「お二人だけのようですので、ランクはAといったところでしょうか」
「応える必要はないな」
「ええ、もちろん。ですがせっかくAランクまで上り詰めたのに、今日でその人生が終わってしまうのですから不憫と申し上げたのですよ」
「熊もアンタら兵士も、俺たちの敵じゃないぞ」
「Aランクの冒険者なら普通はそうでしょうね。でも、今回はちょっと相手が悪かったようですよ」
「ほう?」
「私の名はウィリアム・バイヤージ。平民ですのでミドルネームはありません」
「リアム・アラス。同じく平民だ」
「私はアルテナ。家名はありませんが、いずれ間もなくすぐにアラスを名乗ります」
「お嬢さん、残念ですがそれはあの世でのことになるでしょう。皇帝熊をこちらのお嬢さんに!」
ウィリアムが叫ぶと、兵士の一人が聞き取れない言葉で熊に命じた。すると耳を劈くような咆吼を上げて、熊がアルテナに向かって突進を始める。
そこで彼女が、勇者たちには聞かれないように小声で囁いた。
「リアムさま」
「ん?」
「あのお肉、食べてもいいですか?」
「お肉って……構わん。だが少し遊んでからにしろ」
「うふ。分かりましたぁ」
言うとアルテナは、悲鳴を上げながら逃げ出した。
「おやおや、やっぱりお嬢さん一人では熊は怖いようですね」
「どうだかな」
「ウィリアム様、コイツ一人だけなら我々が……」
「Aランク冒険者を侮ってはいけません。お嬢さんが熊から逃げ出したということは、リアムさんが本命ですよ」
「しかしたった一人の冒険者に勇者様がお手を汚すのは……」
「勇者……? 勇者だって!?」
「ああ、言ってませんでしたね。私は勇者、月属性の勇者ウィリアムです」
「なっ!?」
我ながら酷い演技だと思う。それでも俺の臭い芝居でニヤリとさせたのだから、気分は満更でもない。
「ですから相手が悪かったと申し上げたのです!」
勇者が指をパチンと鳴らすと、頭の大きさくらいの火の玉が現れた。
「まずは小手調べといきましょうか。すぐに死なれても面白くありませんので」
「くっ! アイスシールド!」
「氷の盾ですか。では行きますよ! ファイヤーナックル!」
拳の形になった火の玉が、俺の出した氷の盾にぶつかって水蒸気を噴き上げる。しかし全く勢いが衰える様子はなく、盾はジリジリと溶かされていった。
仕方がない。ここは互角と見せることにするか。
立ち込める水蒸気で向こうからこちらの動きは見えないはずだ。俺は右手を開いて火の拳に向け、次にその手を握りしめた。
刹那、氷の盾ごと火の拳が消え、やがて水蒸気の霧も晴れる。
「おや、互角でしたか。さすがはAランク冒険者ですね」
「勇者って言ってもこの程度か」
「あはは。申し上げたはずですよ。私は月属性の勇者ですとね」
そう言うと勇者ウィリアムは、勝ち誇ったように口角を上げるのだった。