プロローグ
「リアムさまぁ……ふぇーん」
真夜中にトイレに起きて戻ってくると、ベッドの上で女の子座りした、長い真紅の髪の少女が泣いていた。
「アルテナ、どうした? 怖い夢でも見たか?」
「はっ! リアムさまぁ!」
彼女は顔を上げると、全裸のまま勢いよく俺の胸に飛び込んできた。身長差のせいで彼女の頭の先は俺の顎にも届かない。
そんな彼女を優しく抱きしめ、太腿まで届くサラサラした髪を撫でると、心地よさそうに頬を擦りつけてくる。
「リアムさまいたぁ……えへへ……」
「お前を残してどこにも行かないって」
「だってぇ、いなくなったと思ったんだもん」
「トイレに行っていただけだよ」
「置いてっちゃやぁ!」
「と、トイレにもか?」
「トイレにも!」
「分かった分かった。さ、まだ暗いからもう少し寝よう」
「はぁい……あふ……」
眠そうに欠伸をする細い体を抱き上げベッドに運ぶと、腕枕に頭を乗せた彼女はものの数秒で小さな寝息を立て始めた。
そして柔らかい肌の温もりと甘い香りに、俺もいつしか眠りに落ちていた。
◆◇◆◇
グランシール大陸の南東に位置するアルメイラス王国。この国の北には、大陸のおよそ半分の領土を持つロイセル帝国がある。
帝国との国境の地を治めるのがバルダ辺境伯だ。俺とアルテナはそのバルダ領にある小さな村、ストンに来ていた。
「リアムさん、おはようございます」
「アイザクさん、おはようございます」
「それにしても助かりました。こんな辺鄙な村にはなかなか冒険者の方は来てくれませんからのぉ」
「温泉があるのにですか?」
「バルダの街からは歩いて半日もかかりますし、お金と時間に余裕のある貴族様をおもてなし出来るような宿もありませんから」
ストンの村は田園の中にある。ただし北側には深い森が広がっており、帝国側から訪問する場合でもバルダの街を経由しなければならない。何故なら森の奥には獰猛な獣が棲んでいるからだ。
そんな場所に俺とアルテナが訪れた目的は、人里に下りてくるようになった皇帝熊の討伐である。村からバルダの冒険者ギルドに依頼が出されていたのだが、報酬が安かったので請ける者が誰もいなかったのだ。
皇帝熊は体長が三メートルを優に越す個体もいる。これを討伐するとなると通常はBランク冒険者五人前後のパーティーか、Aランク冒険者でも最低二人は必要だ。ただこれは相手が一頭のみだった場合で、複数いた場合は当然その人数では足りない。
また、件の熊は基本的に人里に出てくるようなことはなく、森の奥に入らなければ襲われるようなこともなかった。それが出てきたのだから、今回は討伐と共にその原因の追究も依頼に含まれていたのである。
森のすぐそばで暮らしている村が、対策のために原因追及を求めるのは当然だろう。
「報酬が金貨三枚しか出せず申し訳ないことです」
「その代わり宿も食事もタダにしてもらってますから」
「ギルドの説明では、皇帝熊の討伐は最低でも一頭につき金貨十枚と聞きました」
「確かに相場はそうですね」
「依頼は命がけですから、その額でも納得は出来ます」
「まあ、半分はギルドに持ってかれるんですけどね」
「それでは今回の依頼でリアムさんが手にされるのは……?」
「金貨一枚と小金貨五枚、十五万イーエンです」
「そんな……! それではお二人で一カ月しか暮らせないではありませんか!」
二十万イーエンあれば、慎ましやかながら親子三人が一カ月は暮らしていけるというのが一般論だが、それはちゃんと住む家がある人のこと。
冒険者の多くは依頼の遠征などで毎日同じ場所に戻ってくることが少ない。そのため家を買ったり借りたりするメリットがないのだ。いわゆる根なし草というヤツである。
だから宿代や食事代が余計にかかる分、十五万イーエン程度では一カ月も持たないというのが実情だった。
「俺にとっては金よりも、この村の人の命の方が大切だというだけです」
「見ず知らずの私たちのために……しかし本当にCランクのお二人だけで大丈夫なんですか?」
「ギルドでも同じことを言われました」
「見たところ背は高いようですが……」
「リアムさまはガチムチの細マッチョなんです」
「そうなんですか?」
「あはは……」
「にしてもです、アルテナさんはさすがに……」
「いやいや、彼女なら皇帝熊の一頭や二頭くらいペロッと一口……いてて……」
いきなり脇腹に肘鉄を食らわされてしまった。手加減はしてるのだろうが地味に痛い。
「リアムさま、余計なことは言わない方がいいと思います」
「はっはっはっ、これは頼もしい」
「ま、そんなわけですので安心して待ってて下さい」
「期待してますよ」
村長のアイザクは一礼して去っていった。
口ではああ言っていたが、彼の中には不安しかないはずだ。俺たちは皇帝熊の適正討伐ランクに届いておらず、人数も二人しかいないからである。
しかしランクはギルドが決めたものだし、確かに依頼達成に対する指標にはなる。ただ、必ずしもそれが全ての冒険者に当てはまるかと言うと、そうでもない。
現に俺たちは、帝国が送り込んできた勇者を悉く倒している。ただしこれは依頼ではないので誰にも知られていない。
勇者、それは天使の加護を受け、魔王をも退ける力を持つと言われる者たちの総称。加護を持たない人の身では、勇者に太刀打ちするなど到底不可能なことだった。
本来なら勇者は民衆の味方であるべきだ。どこか一国に加担し、他国に攻め込む戦争などに手を貸すべきではない。だが近年は帝国が多くの勇者を擁し、その勢力を拡大するための道具に成り下がっていた。
だから、勇者は倒さなければならない存在なのだ。そして、俺にはそれが出来る。
何故なら俺は、神を喰らいし者だったからだ。