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スローライフにさよならを

ある日いきなりその人の中身が変わった時、受け入れられる人はどれだけいるのだろう。

 --------

 私は異世界からの転生者達が嫌いだった。

 彼らは前世の記憶とやらを武器に、今までの世界には無かった発明や発想をもたらしてくる。

 彼らは身分を問わず現れ、時に身分を気にせず振る舞い、時に貴族の見本とも言える完璧さを持って、私達の世界の様々な隙間に現れてきた。


 突如見たことも無いような変わったアイテムと共に現れることもあれば、これまで私達と同じように暮らしていた人が急に前世の記憶を蘇らせることもあった。記憶だけを引き継ぎ自分を保てる者もいれば、急に性格が変わる者もいた。

 二人分の記憶を持ちながら自分を保てる例は、非常に珍しい。大抵は混ざるか、前の人格が消える。


 今まで大変な苦労と試行錯誤を繰り返していたことが、転生者たちのアドバイスによって劇的に改善されていった。その度に人々は天恵、あるいは天才として彼らを持てはやした。


 だが私は、頼んでもいない異文化知識で強引に文明を発展させてくる彼らのことが嫌いだった。営々と積み上げてきた歴史を顧みず、これから紡ぐはずだった文明の階段を何段も飛び越えては皆を強引に引っ張り上げていく、彼らのことが嫌いだった。


 特に、この世界に生まれ落ちてから地道に人生を紡いできた人達の人格を上書きするタイプの転生者は、私にとっては最悪と言えた。かつて勇者の力を秘めた童女に取り付き、王都で暴れまわった魔王に並ぶ嫌悪の対象だった。




 何故なら、私は初恋の人を、その魔王に等しい存在によって消されたからだ。

 --------

 肌寒い季節になってきた。

 小高い丘をどこまでも続く田園風景は、新緑だった色合いを黄金色へと変化させていた。今は収穫の時期を迎えている。


「アベルー!脱穀機の調子がおかしいんだけどー!」

「はぁー…またか。君でも直せるだろう、ブリジット?」

「アベルが一番手が早いじゃない!早く来てよー!」


 美しい黒髪を持つ青年が、やれやれといった様子で農具を持った金髪の美少女の元まで歩いていく。お互いに少なからず好意を持っているのだろう、その顔は微笑を隠しきれていなかった。美少女の方も目が笑っている。


 手が早いというなら、少女の気持ちを奪うことに対してだろう。彼は転生者仲間を探して王都に出たと思えば、2年ほどで冒険者業から足を洗って戻ってきた。美少女を連れて。

 その後は毎日見せつけるように二人していちゃいちゃしているわけだ。全くどうかしている。


 私は深いため息をつくと、我ながら野暮ったい紅色の髪をかき上げて、みつ編みを背中に流しながら野菜畑の真ん中で腰を伸ばした。白く濁った吐息によって眼鏡と呼ばれる視力調整の道具が曇ってしまった。

 昔から私を助けてくれている大事な相棒ではあったが、反射する吐息を浴びてきたせいか、鼻の周りには"にきび"ができている。昔からあまり肌が強くなかったというのもあるけども。


 はじめは私も純粋に転生者たちを尊敬していた。

 二毛作と呼ばれる農作法の提案。

 米と呼ばれる穀物の効率的な収穫、及びその調理法の普及。

 それらに伴うインフラの整備と農耕地の整備。

 この眼鏡だってそうだ。

 彼らは確実に私達の物や環境を変化させ、大きな恵みをもたらしてくれていた。


 だが、物や環境の変化が幸せを運ぶというなら、人の心もまた変化させても良いというのか。

 変化を望む人ばかりではないというのに。


「トリスー!そっちはもういい!少し休憩しよう!」

 ただのお手伝いさんに過ぎない私に、アベルのそっくりさんが気さくに声を掛けてきた。

 本日何度目かわからないため息が出てきた。


 私の名はベアトリスだ。

 トリスと呼んで良いのは、アベルだけだ。

 あなたじゃない。




 --------

 私は美味しい食事とちゃんと向き合って食べたいタイプだ。誰かと一緒に食べるのは嫌いではないが、食べる相手は選びたい。

 このアベルもどきとの食事はいつも苦痛だった。


 こいつに消される前のアベルは静かな子だった。

 ご飯もこんな円陣を組まず、いつも私の隣で静かに食べてくれた。会話らしい会話は無かったが、それが心地よかった。


『トリス、これあげる。』


 彼は自分も大好きであるはずの、山に生えてる甘酸っぱい木の実をよく採ってきては分けてくれた。彼とその両親は、山で山菜やキノコを採っては村に卸していた。この紅い木の実はその山の麓にあり、よく山菜取りに行く際に齧っているのだという。


 正直美味しくはなかったけどその気持ちが嬉しくて、ついつい私もとっておきのおやつだった、砂糖をまぶしたパンの耳を分けてあげたものだ。

『この木の実、トリスの髪と同じ色だね』と言われたあの日のことは、私にとっては一番の宝物だ。


「おいトリス、それはもう食うなって言っただろ」

 案の定、今日もアベルもどきが私のお弁当にケチをつけている。サンドウィッチの横には、思い出の赤い木の実が3つほど入っていたが、全て畑の向こうに投げ捨てられてしまった。




『それを口にするな!!』

 こいつは村に帰ってきた当日さえ、私がこれを家でチビチビ食べていた時にも木の実を食べさせようとしなかった。

 それどころか木の実を奪うと、そのまま焼却してみせた。

 アベルも、アベルの思い出も奪おうとするこいつが許せなかった。




「あなたが私に言ったのよ?毎日大人たちが見てないところで3つ食べれば願いが叶うって。」

「…確かに言った記憶は"ある"けどな。言っただろ、それは体に悪いんだよ。……一体何を願ってるんだ。」

 それはもちろん。

「あなたの頭がハゲますように。」

「ひ、ひでぇ…」

 風のいたずらで、彼の美しい黒髪がサラサラと流れた。

 美しいが、とても儚く見えた。

 だが、花は散るから美しいのだ。

 気にする事はない。


「ねえ、ベアトリスさんはどうしてアベルの事が好きじゃないの?いつも不機嫌そうに食べてる気がするし」


 突然、横にいた美少女――ブリジットと言うらしい――が話しかけてきた。ただ目の前の男も、急にそんなことを質問したことに驚いたのか、珍しく困惑した表情を浮かべていた。


 彼女はこの男と一緒に王都から帰ってきて、それからこの農村で過ごすようになった、いわゆる移民者だ。目の前の男が他の転生者を探して王都に向かう途中、偶然出会ったらしい。

 彼女自身にも色々と事情があり、当時のこの男を頼った…というか隠れ蓑にしていたという。盗賊でもしていたのだろうか?あるいは逃げた奴隷か。

 どちらにしても、今は農業を営むただの娘だ。


 食い扶持として冒険者になった二人は、その後もバディとして共に仕事をこなしていく内にかけがえの無い仲間になっていったという。十分な金が手に入り、転生者仲間を探すことにも一度区切りを付けたいとのことで、久しぶりのスローライフを故郷で仲間と過ごしに来た…とのことらしい。美しい話だ。二人のエピローグとして相応しいだろう。私にとってはいい迷惑だが。


 何故私が、私の初恋相手と同じ顔をした男のイチャラブを見なくてはならないのだ。


 大きなルビーを思わせる瞳を持った美しい金髪の美少女が、先程の答えを待つように首を傾げている。

 ……これは答えざるを得ないのか。


「この人を好きにならなきゃいけない理由なんて、無いでしょう?あと不機嫌というより、誰かと食べるのが苦手なだけよ」

「そ、そういう意味じゃなくて!大事な人だってアベルがいつも……」

「おい、ブリジット……」

 この子の意図がわからなかった。

 世の中の幼馴染同士は皆愛し合うと思っているのか。

 それにそもそも、彼女は大きな誤解をしている。


「違うわ。私は"この人"とは幼馴染じゃない」


 私にこんなことを言わせるな。


「ただ家が近いだけの、農作業仲間よ。昼間限定のね」

 私はこいつと知り合って、まだ2年だ。

 あの静かで優しいアベルを喪って、まだ2年なんだ。


「今の彼を支えてるのはあなたよ、ブリジット。アベルもあなたを慕っている。それでいいじゃない。あなたにとっても、私にとっても」

 ブリジットは何故か傷付いたような…いや、傷跡を覗き込んだような顔をしていた。あなたに私の何がわかるというのか。


 嫌な女だと自分でも思う。

 だが私が今のアベルを支える理由なんて、一つもない。

 それに…アベルになった彼が新しい生き方に納得しているのなら、それはそれで構わないのだ。だが何故わざわざ帰ってきたんだ。

 私は思い出に浸れていれば、それでよかったのに。


「作業に戻るわ。脱穀機の方はお願いね。部品が壊れてたら私が打ってあげるから、すぐに言いなさい」

「あ…ああ。任せてくれ。…もう木の実は食うなよ」

 男はそういうと、横の美少女に「俺たちも行こう」と声を掛け、片手に美しい花を咲かせながら小屋の中に入っていった。

 全く、世の男どもが泣いて羨ましがる光景だろう。 




 ……やはりあれはアベルじゃない。


 もう、あなたはどこにもいないのね………アベル。



 --------

 午前中に農作業の手伝いを終えたあとは、狩猟銃のメンテナンスに取り掛かる。

 服を脱いでから部屋のドアを閉め、鍵をかける。布質は良いが柄のない簡素な服に着替え直した。

 少々肌寒いが、これから行う作業に静電気は厳禁だ。やむを得ない。

 そして照明魔法を封入したカンテラに魔力を通し、部屋の中を薄明るくした。油を使った安価なカンテラは、この部屋には存在できない。

 全ては黒色火薬への引火を防ぐための処置だ。


 狩猟に使う猟銃に定期的なメンテナンスは欠かせない。所詮は殺すための道具にすぎないくせに、少し触らないだけですぐへそを曲げる。


 愛用の後装銃をバラし、ライフリングの溝や接合部の埃を払い、丁寧に磨いていく。カチャカチャという小さな金属音だけが部屋の中に響いた。これだけは昔と何も変わらないので、私の心は幾分か安らいだ。


 この銃は昔、亡き母がまだ現役のガンスミスだった頃に作った試作品の内の一本だ。雷管という発火装置を持った専用の銃弾が必要なものの、撃鉄を起こして引き金を引けば撃てる優れ物だ。

 部品点数がその分多いのでメンテナンスが面倒なものの、母の面影を感じられる時間でもあった。


 私がこれを保持出来ているのは、王都へ猟銃使用の許可証を出した上で、ガンスミスの資格を持っているからだ。前者だけでは使用は出来ても個人保有が認められず、後者がなければライフリングを彫れない。

 さらにライフリングは手では彫れないので、王都の工房で蒸気機関を借りて切削をするしかない。王都の銃工房で施設を借りなくてはならないので、手に取れる人間は限られる。

 現状、施条銃を所持できるのは軍のマークスマンか、私のような工房の職人だけだ。




 点検が大体終わったので組み直そうとした、その時だった。

 控えめだが無遠慮な、不快なノック音が背後から響く。

 この時間にドアを叩くとしたら、あの男以外にありえない。


「……なんですか」

「昼間のこと、謝っておきたかった」

 はて、どれについて謝っているつもりだろう。


「木の実のことだ。棘のある言い方をして、すまなかった」

「ランチタイムを一人で食べさせてくれない方には謝らないわけね。流石だわ」

 皮肉を止めることができない。


「あれは昼間も言ったけど、あなたがハゲるところが見たくて食べてるのよ。謝る必要はないわ。髪の毛が薄くなったら教えてあげるわね」

「いやそっちはほんとやめてまじで」

 ………もしかして、気にしてるのかしら。

 確かにサラサラしてて儚げではあるけど……。


「……冗談よ。あなたのお父さんはハゲたけど、あなたがそうなるとは限らないわ。まだ望みはあるわ」

 一応フォローしたつもりだったが、扉越しに戦慄したような雰囲気があるのは何故だろう。


 だが、どうやら今日はこのまま帰るつもりはないらしい。


「……思い出に浸るために食べているなら、もうやめてくれ」

 この男は何を言ってるんだと思いながらも、作業の手は止めない。

 銃は本来の形を取り戻そうとしていた。




 --------

『あ、あの!ここはどこでしょうか!?俺、"ハヤト"って言います!俊英高校3年で、帰ってたらトラックが突っ込んできて、それで……!!』


 前日まで私に笑顔を向けてくれてたアベルは、急に熱を出して目の前で倒れたと思えば、その3日後には"ハヤト"になってしまっていた。高校がどうとか、トラックだとか、私が知らない言葉を山盛りでぶつけてきた。


 目の前にいるのは確かにアベルなのに、その顔つきがどうしてもアベルに見えなくて。

 私は止せばいいのに、聞いてしまった。

『私のことはわかる?』と。

 そして、彼は戸惑いつつも即答してみせたのだ。




『は、はい、村の方ですよね』と。




 --------

 ハヤト。それがこいつの本当の名前だ。

 私の、アベルの仇の名前だ。


「そんなことを言って、私から思い出すら奪うつもり?私にはもうこの思い出しか残っていないのよ。ハヤト、あなたがアベルの中身を消したから。いないアベルを感じられるのは、あれしかないのよ。」

「……前のアベルが消えたわけじゃない。トリスのことも、ちゃんと覚えてる。ただ、トリスが傷付くのを見たくないんだよ。あんな不味い木の実なんて、もう食べなくていいんだ。」


 あまりにも無神経な言葉にイライラさせられる。

 アベルが全部消えたわけじゃない?

 一部は消えたと自分で認めているじゃないか。

 あんたが私を思ってる?

 毎日目の前で美少女と乳繰り合っておきながら何を言う。


「トリスが追いかけているのは過去の俺だ。転生者でなくても人は成長するものだし、間違ってたことは正さないといけないだろ。頼むから、過去に縋ったまま間違った約束を守ろうとしないでくれ。」


 目の前が真っ赤になった。

 お前に私の大事な思い出を、初恋を否定する資格があるというのか。

 お前がアベルであるものか。

 お前がアベルだなんて認められるものか!


 銃は本来の形を取り戻していた。

 ドアの鍵を外し、乱暴に開け放つ。風が冷たいはずだったが、そんなことが気にならないほど血は煮えたぎっていた。


「いいえ…いいえ違うわ!あなたはアベルじゃない!"ハヤト"よ!私の大事な人を、その顔で否定しないで!!」


 銃口を向け、照準越しに怒気をぶつける。

 純粋な殺意を間近に受けて、目の前の男は青褪めていた。

 だが、私とアベルに対する侮辱をやめることはしなかった。

 まるでそれが自分の正義であるかのように。


「君こそ何度言えばわかるんだ。もう俺はアベルの記憶を全部思い出したんだ!君から好きだと言われたことも、キスをしたことだって覚えてる!"俺"はただトリスのことを――」

「黙れ!それはお前がアベルのことを後で知っただけだ!アベルになったわけじゃない!私がキスした相手は、お前じゃない!お前なんかに私の唇は捧げていない!」

 お互いに興奮して、何を言い合っているのかもよく分からなくなった。


 素早く撃鉄を起こし、引き金に指をかける。

 それを見た男は白い顔をしながらも、逃げようとはしなかった。

「馬鹿な真似はやめろ!やめてくれトリス!!"アベル"はそんなことを望んでいない!!」

「うるさい!お前がアベルを語るな!お前はアベルじゃない!ハヤトだ!アベルを消したお前を私は一生許さない!私の………私のアベルを………!!」


 男の額に狙いを定め。







「返せッ!!!」








 迷わず引き金を引いた。






 --------

 ガチンッという硬質な金属音が家に響いた。




 撃鉄が、雷管を叩きそこねた音だ。激昂するあまり銃弾を込め忘れていなければ、家の壁は彼の脳漿で彩られていただろう。


 数瞬して自分がやったことに愕然とした。

 猟銃は人を撃つ道具じゃない。人が生きるために必要な道具だ。

 包丁やナタと変わらない道具だったはずだ。

 母にそう教わったはずではなかったか。

 私はその道具で何をしようとした?

 もし手元に包丁があったら、どうしていたというのだ。


「…………ごめんなさいっ。」

 自己嫌悪と、人を殺しかけたことへの罪悪感が綯交ぜになって胸の中を苛んだ。

 そのまま立っていることも出来ず、一心不乱に家の外へ走り出す。

「え、ベアトリスさん!?」

 外にいたブリジットが私を呼んだが、立ち止まることは出来なかった。




 がむしゃらに山へ走り、数個ほど赤い木の実を摘み取った。何故か今は無性にこの赤い木の実が恋しかった。


 村の外れまで戻り、小屋の影で赤い木の実をかじった。

 ここは昔、アベルとかくれんぼした時によく隠れた場所だった。

 いつもどおり甘酸っぱいが、酸味の方が強い。

 美味しくない。まずい。吐き出したい。いつもそうだった。

 だけど、その味が初恋の人を思い出させてくれる。

 毎日大人に隠れて3個食べれば願いが叶う。

 そうすればいつかきっとあのアベルに会える。

 そんな子供じみた昔の彼の言葉を信じていたかった。


 だが、いつもと違う場所で食べれば、いつもと違うことが起こるものだ。


「あれ?ベアトリスじゃないか。どうした、こんな小屋の陰で。……随分ラフな格好だなぁ。」

 いつも川で魚を釣って生計を立てている、エドガーさんに木の実を食べてるところを見られてしまった。どうやらちょうどエドガーさんが川から帰ってくるタイミングと重なってしまったようだ。

 今まで誰にも見られなかったのに。

 後でまた違うところで3つ食べれば大丈夫だろうかと、そんなことを考えていた。


「それ、確かトリコログサの実だよな?そんな美味いものでもないだろうに齧ってるのか?お前さんも物好きだな。」

「…習慣みたいなものです。」

 不味いものを毎日食べる理由を聞かれれば、そうとしか言えない。

 だが、その反応は私のあらゆる予想を超えていた。


「習慣…?ちょっとまて、お前さんそれをどこで手に入れた?マリーおばさんが栽培してるものから分けてもらってるのか?」

「え…?いえ、山の麓で摘んできてます。毎日食べるものだから、マリーさんから貰ってたら無くなっちゃいますよ。」


 エドガーさんは、それが心底信じられないとでも言いたいかのように驚愕した表情をしてみせた。

 何をそんなに驚いているんだろう。

「毎日だって…?いつからだ。」

「10歳くらいの頃からです。」

「…お前が眼鏡をかけるようになったのはいつからだ。」

「…同じくらいの頃だったと思いますけど…。」


 なんの話をしているんだろうと戸惑っていると、急に私が摘んできた木の実を全てを打ち払って地面に落としてしまった。

 突然の凶行にあ然とし、抗議の声をあげた。


「な…何するんですか!!」

「馬鹿!すぐにやめろ!なんでまたこんなものを…!?」

「アベルとの思い出の食べ物なんです!!エドガーさんまで私から木の実を奪うんですか!?」


 ハヤトからだけではなくエドガーさんにまで私の思い出の紅い木の実を否定されるとは思わなかった。混乱しつつも、ハヤトととのやりとりを思い出して激しい怒りを覚える。


 だが、エドガーさんの次の言葉はこれまでの全てを破壊した。







「ベアトリス!お前が食っている木の実は毒薬の原料だ!!山に自生するトリコログサの実には毒があるんだよ!!このまま食い続けてたらいずれ失明するぞ!!」








 --------

 家を出ていったベアトリスを探したが、村はそれなりに広く、なかなか見つからなかった。


『うるさい!お前がアベルを語るな!アベルを消したお前を私は一生許さない!私の………私のアベルを………!!』


『返せッ!!!』


 あれは仇を見る目だった。殺意があった。

 今更だが自分の、ハヤトとアベルの罪の重さを思い知らされた。


 この世界に転生したあの日、俺はアベルになっていた。

 だが、初めはハヤトとしての記憶の方が強く、元々あったはずのアベルの記憶は薄くなっていた。


『私のことはわかる?』

 目を覚ましてはじめに言われたその言葉に、俺は思わず「村の方ですよね」と即答した。

 記憶が戻りきっていなかったため、曖昧に答えるしかなかった。

 傷付いた顔をした彼女を見るのは辛かった。

 自分がここにいては彼女を傷つけるだけだと思い、適当な理由をつけて村を出た。


 だが、王都で突然アベルの記憶を全て取り戻したあの日。

 俺は愕然とした。

 自分でやったことが許せなかった。

 彼女を傷付けているアベルが許せなかった。


「お前は、何故彼女に木の実を与え続けることが出来たんだ。アベル。」

 アベルだった部分が、暗く嗤っていた気がした。




 --------

 木の実をエドガーさんから奪われて、そのまま村の診療所まで強引に連れて行かれた。

 今日は休診日だったので、ドアを強打する音で呼び出されたボノワン先生は白衣も着ておらず、初めエドガーさんを非難するような目で見た。


 だが、私が子供の頃からトリコログサの実を毎日食べていたと説明されると、すぐに顔色を変えて私を奥の診療室へと押しやった。エドガーさんも心配して一緒についてきてくれた。


「慢性的な視力の低下と、吹き出物。なるほど、確かにトリコロ毒を多量摂取した時と症状が似ているね。"にきび"は君ぐらいの年齢ならさほど珍しくないから気付かなかったよ。毎日とはいえ、食べたのが3つで良かった。もっとたくさん常食していたら、失明する前に命を落としていたかもしれないね。」


 命を落としていた。

 そう言われて私は地面が急に震えたように感じた。

 実際に震えているのは私の全身だったが。


「何故、トリコログサの実を食べていたのだね?自生するものに毒性があることを知らなかったとは言え、そんなに美味いものでは無かったはずだ。」


「………なんとなく、です。先生…。」

 アベルがくれたから。アベルとの思い出だから。

 たとえ不味くても食べ続けなくちゃいけなかった。

 そう言うのが強く躊躇われた。

 それを言えば、私が昔から予感してた事が、現実のものになってしまう気がしたから。


「私の髪色と同じこの木の実が、好きだったんです。」

「そうかね。しかしアベル君も君が食べてるのを見たら、きっと止めただろう。」


 だが、その希望すらも現実の前には無力だった。


「………え?」

「彼は山で生計を立てていたのだから、どれに毒があるかは知っていたはずだ。」


 震えが止まった。

 何故震えなくなったのかはわからない。

 でも、もしかしたら。


「君に毒を食べさせるはずがないからね。」


 私の中の予感が、確信に変わったからかもしれない。






 --------

「………ここにいたのか。ずいぶん探したよ。」

 私の横に、ハヤトが座り込んだ。


「………狭いから早く出ていって。」

「ここは君と俺が、よくかくれんぼで使ってたもんな。全くもう少し近いところに隠れてろよな。村中のお前が隠れそうなところを全部探したんだぞ。」


 彼の方を横見もしない私の発言を無視して、彼は懐かしむように言った。

 …それはさぞかし大変だったろう。

 事も無げに言っているが、おそらく一緒に遊んでたアベル以外では探しきれなかったはずだ。

 それほどに私達の村は広い。


 ここは小川の側にある小さな洞窟だ。大人がちょうど二人座るだけのスペースしかなく、村からは死角だ。

 かつては二人の秘密基地にしていたスペースだったが、今は私とハヤトが並んで座っただけでギュウギュウだった。


「………トリコログサの実のこと、先生に教えてもらったの」

「………そうか。」

 小川の流れる音にも消されそうな声だったが、彼には聞こえているようだ。


「………毒だって言われた。」

「………そうだな。」

「………私…あんたがアベルを否定したくて言ってるんだと思ってた。」

「………そうだろうな。」

「なんで、毒って教えてくれなかったの。」

 一瞬、迷うような時間が空いた。


「……お前が、アベルの事をまだ好きだって、わかってたからだよ。」

 初めて、ハヤトの横顔を見る。


「俺がアベルの記憶を全部取り戻したのは、村に帰ってくる数日前だ。いや、正確にはアベルと君のことを全部思い出したから、君を止めるために帰ることにしたんだ。きっと、君がまだ毒とも知らず、大人たちに隠れて木の実を食べてると思ったから。」


 冒険者業に区切りを付けたくて、スローライフを送りたくて帰ってきたと、あなたはそう言っていたじゃないか。

 ………私のために帰ってきたというの?


「………初恋だったんだろ。だから、アベルがお前に毒を食わせてたなんて、そんな残酷なことは言えなかった。体に悪いってうんざりするほど言って、無理矢理にでも毎日捨ててやれば、"ハヤト"である俺が嫌われるだけで済むと思った。それで君を助けられると思ってた。」


 なんてことだ。彼は、ハヤトは、そんな覚悟をしていたのか。

 訳もわからず転生して、右も左もわからない中、転生仲間を求めて命懸けで暮らすのは大変だったはずだ。

 しかも転生前の男を慕っていた女には辛く当たられ、帰る方法もわからず、転生仲間も見つからない。


 そんな、生きるだけでも大変な中、アベルと過ごした女のことを思ってくれたというのか。


「………それに、俺のことをアベルじゃなくて、ハヤトとして扱ってくれるのは、君だけだった。俺の、アベルだった部分を否定してくれるのは、君だけだったんだ。」

 ………今なんか聞き捨てならないことを言ったな?


「あなたにはブリジットがいるでしょう。転生のこと言わなかったの?」

「言ったよ、もちろん。でも、あいつは――」


『転生者だろうと、そうじゃなかろうと、関係ない!アベルはアベルだよ!私は今のアベルだから好きなんだよ!』

 そう言われたらしい。


「……それは。」

「わかってる。あいつなりの気遣いだ。きっと今の俺も、昔の俺も、全部認めてくれたんだろうな。いいやつだよ、あいつも。」

 苦笑いする彼の顔には、嬉しさと同じ量だけの痛みがあった。


「でも………君には悪いんだけど、俺は過去のアベルと今の俺を、分けて考えて欲しかったんだ。俺は確かに今はアベルだけど、ハヤトとして帰りたい気持ちも残ってるんだ。もう帰れないかもしれないけど、もし元の世界に帰れたとき、こっちのアベルがどうなるかは俺にもわからない。"元のアベル"になった時に、皆に傷ついて欲しくないから、区別して見て欲しいんだ。」


 それは、転生者にしかわからない苦悩だった。

「君だけが、俺をちゃんとハヤトとして見てくれていたんだ。」


 彼らは皆、突然やってくる。そして持ち前の知識で文化を発展させてきた。中には英雄になった人もいる。

 だが、その誰もがこの世界へ望んでやってきたわけではないのではないか。

 かつての古の勇者のように、記憶だけ降りてくるならまだいい。

 でも、ハヤトのように人格ごと降りてきてしまった人たちは、今のハヤトのように皆苦悩していたのではないか。

 降りてきた自分と、元から持ってた記憶がぐちゃぐちゃに混ざっていくことに、恐怖したのではないか。


 帰りたくても帰れない。便利な道具も周りにない。頼れる仲間もいないのに、自分のことを知ってる人だけが周りにいる。

 それは、どれほど孤独で、寂しく、怖いことだろう。


 想像するだけで涙が出てきそうだ。

 辛いのは転生者である彼らも同じじゃないか。

 私はなんて身勝手な理由で、彼を傷つけてきたんだろう。


「………ハヤト、ごめんなさい。私、本当に自分のことしか考えてなかった。ありがとう、私を助けてくれて。先生にね、木の実を食べるのを止めれば吹き出物は消えるかもって、言ってもらえたんだ。視力はもう、戻らないけどね。」


 彼の顔が滲んで見えるのは、眼鏡が曇ったせいだと自分に言い聞かせる。

 アベルの顔をしたハヤトは、私の事を気遣うようにみつめてくれている。アベルの瞳で、優しくみつめてくれている。

 自分だって、大変なのに。

 ごめん。

 ごめんなさい、ハヤト。

 私、あなたのことを何もわかってあげられてなかった。



「ねえ、ハヤト。私、あなたにいっぱい謝りたい。だけど、その前に一個だけ…私に教えて。」

 それでも私は聞かなきゃいけない。

 これを聞かないと、私も前に進めない。

 聞くのが怖い。答えを認めるのが怖い。

 だけど、これは私のけじめだから。




「アベルは…あなたに消される前のアベルは――」

 優しい顔をして木の実を分けてくれたアベルは。










「私の事が、嫌いだったんだね。」




 --------

 それは小さな違和感だった。

 アベルは私とお昼を食べてくれるけど、ずっと横にいた。

 絶対に前には座らなかった。


 いつも私と一緒に過ごしてくれた。

 でも、一緒に遊んだ記憶があまりなかった。

 私といる時、誰かと一緒だったこともなかった。


 私は彼のことが好きだった。

 彼は優しく微笑んでくれた。けど私のことを好きとは言わなかった。


 そして彼は、紅い木の実の色が私の髪色と同じだと言った。

 毒のある木の実の色と、同じだと。





「ねえ、答えて…お願い。大丈夫だから。私、ちゃんと受け止められる。だから、本当のことを教えて、ハヤト。」


 彼は、本当に苦い表情で、目を背けて話しだした。


「…君の想像どおりだ。アベルは君のことが嫌いだった。」

「…やっぱり、そっか。」

 認めたことで、少しだけ気持ちが軽くなった。

 気持ちが離れたせいとは、まだ思いたくなかった。


「どうしてかしら…私も結構嫌な女だし、嫌われるのは仕方ないとは思うけど。それにしても毒はやりすぎだわ。」

「君に対して、あいつは劣等感を覚えていたんだ。」

 彼がアベルのことを"あいつ"と呼ぶのは、初めて聞く。


「私に、彼が?」

「アベル一家は、山へ行く時に必ず君の母親の銃を使っていた。それも最新式と言ってもいい後装銃だ。大金を積まないと手に入らない銃を、君の母親は"トリスがアベルにお世話になっているから"と、かなり安い金額で譲っていたらしい。アベル一家もそのおかげで狩猟でもお金を稼げるようになったから、少なくとも、君の母親と向こうのご両親はかなり良好な関係だったな。君をアベルの許嫁にしようかと言う話が出るほどにはね。」


 知らなかった。

 家族ぐるみでそんな付き合いがあったなんて。

 でも、私の母ならありえない話ではなかった。


「でもアベルからしたら、銃の対価として君と結婚させられるんじゃないかって、そう考えていたらしい。無駄に大きなプライドが彼に筋違いの憎しみを抱かせた。そこで、君が10歳になったときに嫌がらせを思いついた。」

「………いや……がらせ……?」

 そんな、まさか。


「精製して人に投与すれば全身に発疹ができ、眼球が破裂して死に至る紅い木の実。それをほんの少しずつ君に与えることで、君の未来を奪おうとしたんだ。にきびと思える程度の発疹で君の可愛らしい顔を汚し、視力を奪うことでガンスミスとしての君の将来を奪おうとした。彼は、それを大人たちに隠れて君に実践させたんだ。君がアベルに恋をしていることを、あいつはわかっていた。それを利用したんだ、あいつは。」


 それはあまりに残酷で、認めたくない真実だった。

 彼は私を殺してもいいくらいに嫌っていた。いや、憎んでいた。

 もしも私がこのことを知らずにアベルを思って木の実を食べ続けていたら。ハヤトが転生せずに私から木の実を奪わなかったら。

 数年後、私は生きていたのだろうか。

 そう考えたら、恐怖のあまり震えてしまった。


「ア……ベル……なんでぇ……!!」

 涙が止まらなかった。悔しくて、悲しくて、情けなくて、喉も鼻も痛くなるくらいに泣いてしまった。


「……、ごめん。辛い話だったね。」


 優しく手を握ってくれた、ハヤトの優しさが辛かった。

 アベルの顔なのに、アベルに見えなかったことが、辛かった。

 私の初恋は、とっくの昔に終わっていたんだ。

 彼の手によって。




 --------

 落ち着いた頃には、空はもう夕暮れを迎えていた。


「……ハヤト、改めてあなたに謝らせて。本当にごめんなさい。私には、あなたを傷付けていい資格なんてなかった。どうかしてたのは、私の方。アベルと混ざって一番辛かったのはあなただったのに、私は自分が一番不幸だと思いこんでた。アベルから私を助けようとしてくれてたのに、私はわかろうともしなかった。毒だって言われても、きっとその時の私は信じなかったよ。」

「そんなことはない。トリスは――」

「ううん、そんなことある。ハヤトは、私がハヤトのことをちゃんと見てたって言うけど、それは違うんだよ。私にとって、ハヤトはお邪魔虫だった。アベルがいればいいと思ってた私は、あなたが消えればいいと思ってた。あなたのことを記憶から消したいと思ってた。」


 アベルさえいれば、幸せだと思ってたから。

 優しい思い出が、私の全てだったから。

 あなたなんていらないと思ってた。

 あなただけが、私を助けようとしてくれていたのに。


「でも、今は違うわ。混ざっていても、アベルの記憶を借りてても、やっぱりあなたをハヤトだって認めたいの。認めた上で、仲直りしたいの。」


 ハヤトが、優しく私の頬を撫でた。

 恥ずかしいな。やっぱり、私の頬はまた濡れていた。


「………ねえ、ハヤト。こんな私でも、これからもあなたと一緒に生きてもいいかしら。恋人とかじゃなくていい。友達としてでいい。改めてあなたの、ハヤトの横にいてもいいかしら。」


 迷いなく、アベルではなくハヤトに、心からそう言えた。

 それはまるで、告白のようにも取れる、神聖な宣言だった。


「………っ!ありがとう……トリス……!」

 ハヤトが初めて涙を見せた。

 いつも澄ましたような顔をして、ハゲになると言われれば面白いくらい憮然とする彼が、顔中をシワだらけにして泣いていた。


「俺…ここに転生したとき寂しかったんだ…!すげぇ寂しくて、周りに知ってるやつ誰もいなくてさ…!言葉はわかるししゃべれるのに、なんでわかるのかもわからなくて…!俺はハヤトだって皆に言っても、誰も信じてくれなくて…!記憶はどんどん混ざっていって、両親の顔がどっちだったのかも曖昧になっていったんだ…!そんな中で、君がアベルになった俺を否定してくれるのが、ハヤトだと認めてくれるのが、どれほど俺を救ってくれたと思う…!」


 その言葉は、初めて見せた彼の弱さだった。

 転生者ではない、ハヤトとしての弱さだった。


「トリス…俺、また旅に出ようと思うんだ。俺が元の世界に戻る方法を探しに。ついてきて、くれないか。」


 そんなの、聞くまでもないでしょうが。

「ええ、もちろんよ、ハヤト!」

 力強く拳を握り、彼の胸を突いた。


「村一番のガンスミスが、村一番のガンスリンガーでもあることを教えてあげるわ!」





 彼と私のスローライフは、こうして終わりを迎えた。


 --------

 ハヤトとブリジット、そして私の三人での旅は大変だったけど楽しかった。

 ハヤトはこちらに転生する前はケンドーとやらを学んでいたとかで、転生してから学んだ知識とあわせて、独特な歩法と切れのある剣筋で魔獣達を蹴散らしていった。


 私も持ち前の銃の腕前と、母から受け継いだ後装銃でハヤト達を支えた。吹き出物も半年ほどで消え、戻らないとされた視力も多少戻り、ある程度の遠距離狙撃も可能になっていた。日本暮らしの長かったハヤトにはやはり人殺しは難しく、山賊を相手にするときはもっぱら私が足や手を狙撃して無力化した。どうしても殺害するしかない時は、ブリジットが介錯した。


 ブリジットはやはり元盗賊…というよりスラムのこそ泥だった。

 ハヤトの荷物を盗もうとしたところを憲兵に捕まったところで、彼が『俺の連れです!荷物を持ってくれようとしたんです!』とかばったことが縁で、仕事仲間になったらしい。

 スラリと伸びた手足は見た目以上に俊敏で、両手に持った短剣で戦う姿は狼を思わせた。


 ブリジットにも、私達のことを話した。

 彼女は元のアベルに対し激しく怒り、私とハヤトにはわんわんと泣きながら同情してくれた。そして、ハヤトのことをアベルと呼ぶことを止めてくれた。




 そうして辛くとも楽しい旅を続けて2年。

 私達の旅はついに終わりを迎えようとしていた。




 --------

 旧デュヴァリエ王国があった土地からほど近いダンジョンの最奥。魔獣だけでなく死霊も蔓延る中、それは鎮座していた。


「これだね!"魂剥がしの宝珠"!」

「ああ、これを使えば、多分、元の世界に戻れる!」


 それは、かつて魔王にとりつかれた童女が大聖女になってから作った、神具だった。

 人の心に寄生した魂を剥がし、元の肉体へと戻す解呪の秘宝。

 その後魔王が復活しなかったため使われることはなく、洞窟の奥地に秘匿されていたものだが、転生者が唯一帰れる方法がこれだと噂されていた。

 銀の弾丸で死霊を払いながら、触れようか迷うハヤトに声をかける。


「行って、ハヤト!私とブリジットなら大丈夫!弾はまだたっぷりあるし、銀のナイフもある!」

「そうだよ!早く行って向こうの皆を安心させてあげなよ!!こんな弱い奴らには負けないからさ!!」


 ブリジットが銀のナイフとミスリルのナイフを使い、コープスドッグや死霊を蹴散らしていく。敵の数は減らないが、この程度の敵なら二人でも無事に地上へ戻れるだろう。


「…わかった!二人とも、すまない!ありがとう!俺、絶対に二人のこと忘れないから!!」

 そう言うとハヤトは意を決して宝珠に触れた。


 凄まじい光が部屋を覆い、部屋の中の死霊達が塵となって消えていく。

 これは、勇者の力だ。

 大聖女の中に秘められていたという、闇を払う光の力だ。


 薄目を開くと、宝珠の上に半透明の人が立っていた。

 見たことのない少年は、黒い髪をしていた。

 だが、誰なのかはすぐにわかった。

 その笑い方はよく知っていた。

 彼はもうすぐ帰ってしまうらしい。

 達成感と、寂しさが胸を去来した。


「ハヤト!!」

 我慢できず、声をかける。


「もし私が転生したら、今度は私があなたを助けてあげるからね!!」

「愛しのブリジットも一緒に行ってあげるから、覚悟して待ってなよ!!」

 そう二人で笑うと、彼はすごく嬉しそうに笑って、手を振り返してくれた。

 声は聞こえなかったけど、口の動きでわかった。


 ――ありがとう!

 ――俺、待ってる!


 そして、ハヤトは一粒だけ涙を落とすと、光の中に消えていった。



 光が消え、辺りに静寂が戻ってきた。

 そこには、光を失った宝珠と私達だけが残っていた。



 --------

「……行っちゃったね、ハヤト。」

「そうだね。あーあ!良い男だったのになー!」

 投げやりに言うブリジットをみて、思わず苦笑する。

 ブリジットも舌を出して笑った。

 彼女がいてくれたおかげで、辛い旅も随分明るいものになった。

 彼女には感謝しないといけない。


 そう思ったときだった。


「う………。」

 倒れていたハヤトが、起き上がった。

 もしや帰れなかったのか?


「ここ…は…?あれ、君は…トリスか?にきびが無い…とても綺麗になったね。」

 ゾクリと全身に鳥肌が立った。こいつは、ハヤトじゃない。

 あんなに優しく、私の心を癒やしてくれたかつての笑顔が、今は魔獣より怖かった。

 思わず銃を持つ手に力が入ったが、その手をブリジットが押さえた。


「やめなよトリス、こんなつまんない男に構うことないって!」

「な、なんだよ君は。…え、すっごいかわいい。君、名前は?俺はアベルって言うんだ。トリスの――」

「初恋相手で、嫉妬した挙げ句にトリスに毒を盛ったサイテー野郎でしょ?よーく知ってますとも。」

「なっ…!?」


 彼はもしかしたら、ハヤトが入っていた間は眠っていたのかもしれない。なんでそのことを知ってるんだと言わんばかりだった。


「アベル。あなたとの婚約は村を出る時に解消したわ。もう私と結婚なんてしなくていいから、自由にしていいわよ。あの日、紅い木の実を分けてくれてありがとう。不味かったわ。」

「な、何を言って…婚約解消だなんてそんなこと許されるわけが!」

「トーリースー!だから構っちゃだめだって。時間もないんだから。」


「時間…?」

 アベルはそう呟くと、周囲の禍々しい雰囲気に気付いたようだった。光によって塵になった死霊とは別の、新たな死霊が集まりつつあった。

 驚いた彼は腰が抜けたのか、地面に座り込んでしまう。


「じゃあ、さよなら。アベル。良い初恋をありがとう。」

「まったねーサイテー君!ご縁があればまた会おうね!」


「ひっ!?ま、待ってくれ!」

 四つん這いになって腕を伸ばす彼を無視して、私とブリジットは一気にダンジョンを駆け抜けた。銃弾の無駄遣いはすべきじゃない。


 アベルもハヤトと同じ祝福された銀の装備をしているのだから、冷静になって戦えば一人でも十分に帰ってこれるだろう。






「ぎぃああああああああ!!!!」




 だがおそらく、アベルには無理だ。




 --------

「これからブリジットはどうするの?」

「そうだなあ…ハヤトもいないし、トリスに付いていこうかな。」

 意外な言葉に思わず目を見開いた。

 今は王都へ向かう馬車を待っているところだ。てっきりここでお別れかと思っていたのに。


「私に?でも、今のあなたなら――」

「うん、普通に冒険者で食べていけるけどさ。やっぱりトリスと一緒のほうが楽しいんだよね!同じ男を好きになった同士、気も合いそうだし!」

「へっ!?い、いや、私は別にそんなんじゃ…!」

 いつからだろう。彼に恋心を抱いていたのは。

 そして見事にバレてしまっていたのは。


「顔真っ赤にしながら言っても説得力無いんだよねー!」

 そう言って笑う彼女は、元気だったけど、ちょっとだけ寂しそうだった。ハヤトがもういない。その現実を彼女なりに受け止めようとしているのがわかった。

 強い娘だ。ハヤト、私達、いい仲間を持ったね。


「……私は王都の工房に就職して、そのうち自分の店を出そうと思ってるわ。母の仕事を受け継いで、技術を伝えていきたいの。」

「よーし!その話乗ったぁ!じゃあ私もコネ入社するから、企業秘密とかも全部教えてね!」

「少しは自分で学ぼうよブリジット。」

 二人でいっぱい笑い合いながら、やってきた馬車に乗り込んだ。




 お母さん。私にガンスミスの仕事を教えてくれて、ありがとう。

 今度は私が、友達と一緒に、お母さんの仕事を受け継ぎます。




 --------

 病院で目を覚ましたとき、俺はまだ高校三年生だった。

 四年も向こうで過ごしてきたはずなのに、こっちではトラックに跳ねられてからそれほど経っていなかったらしい。

 ドクターからは、あの状態から意識を取り戻したのは奇跡だと褒めてもらえた。一時期かなり脳波が弱くなっていたらしい。


 あまりの時間の差に、あれはやはり夢だったのかとも思った。

 死にそうになっていたから、長い長い夢を見ていたのかもしれない。

 思い返せば死霊だの転生者だのと、あまりに荒唐無稽だ。

 もしかしたら本当に夢だったのかもな。




 教室に戻ると、皆が心配して話しかけてくれた。

 その中にいつもの悪友もいた。


「よー隼人!お前災難だったなあ!ていうかよく無事だったよな。サイボーグかなんかかよ?」

「馬鹿言ってんじゃねーよ、死ぬかと思ったんだぜ?」

 こうして友達と馬鹿を言い合えるのが、こんなに楽しいとは。




「皆静かにしろ!今日は二人ほど転校生が入るぞ!一年しか学校に居られないが、皆仲良くしてやってくれ!」

 先生の横には、二人の美少女がいた。双子の姉妹らしいが、髪色が違う。紅色と金色をした髪には見覚えがあった。


 いや、見覚えどころではない。


 俺はその髪色を知っている。


 何年もずっと見てきた、その美しい髪色を。


 そんな、もしかして。


「二人とも日本生まれだが、両親がフランス人だ。日本語は使える。自己紹介を頼む。」


 君たちは。





「はい!私の名前は――」

 --------

転生者達に幸あれ。

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憑依モノの問題点を面と向かって扱っているのは良かった アベルの結末が後味が悪かった ラスト、普通の話なら感動の再会ですけど この話に限って言えば自分が忌み嫌っていた存在に成り下がる展開だから ちょ…
[気になる点] ヒロインを赤毛設定にしていること。
[気になる点] ちと無理がある。 その地方に育つものは、その地方で有害なものを小さいころから慣習的に教え込まれるから、ベアトリス嬢の無知は不可能な状況です。 [一言] 人間は如何にして個人として成…
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