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40 キスと白い花

「なんで……」


 ようやく言葉を取り戻したわたしに、クロード様は困ったような顔を向けられた。


「俺にも、わからない」


 唇同士はもう離されている。

 キスをされた。その事実はわかるのだが、どうしてどうしてとその思いだけがぐるぐると頭の中に渦巻いていた。


「無理強いはしないと、言ったのにな……すまない」


 寂しそうなお顔で、クロード様がおっしゃる。

 わたしたちはまだお互い至近距離で見つめ合っていた。


「逃げないのか?」


 わたしは微動だにしないまま、答える。


「逃げる? どうしてですか?」

「嫌なら嫌と、そう言ってくれ」

「……」


 懇願するようなその表情に、わたしは……少しだけ背伸びをした。

 クロード様の唇にわたしの唇が重なる。


「クロード様が望まれるのでしたら、わたしはこうします」

「……」


 直後、クロード様の眉根がきつく寄せられた。


「それは、さきほどの絶望の話とつながるか? 俺が恋人役を命じれば、君は今より状況が良くなると信じて、受け入れるのか」

「はい」

「それではダメだ」

「え?」


 なぜか、くるりと背を向けられてしまった。


「すまなかった。もう下がっていい」

「あの、クロード様?」

「忘れてくれ。アンジェラ。君の本当の希望を与えられるようになるまで、俺は俺のできることをしよう」

「クロード様……」

「すまない。忘れてくれ」


 わたしは深く一礼すると、部屋をあとにした。

 触れた唇が熱い。

 胸の奥が今になって激しく鼓動している。


 どうして、クロード様はあんなことをされたのだろう?

 わたしを恋愛相手と認識されたのだろうか。


 ふいに師匠の言葉がよみがえった。


『ま、せいぜい気を付けるんじゃな。何かあったらすぐにワシに報告せい』


 気をつけろって、このこと?

 これは……これでは報告できないわ。


 わたしはめまいがしそうになりながら、自室へと戻った。



 ◇ ◇ ◇



 翌日。わたしはいつものように工房に出勤した。

 いつもの師匠。いつものわたし。

 でも、あのことだけは……なぜか話すことができなかった。


 定時になり、そのあとお城に戻った。

 オリバーさんのいる開発室に行き、大浴場に行き、またレイナさんやウルティコさんに会ったりした。でもあのことが頭の中をぐるぐるしていて、ずっと気が気じゃなかった。 


 みんなに心配された。

 でも何も話すことがなく、わたしはただ黙ってるだけだった。


 このままじゃ明日もろくに働けないままだ。

 わたしは少し頭を冷やすために、外を散歩することにした。


 自室には戻らず、城の外に出る。


 エントランスの噴水の左右には広大な庭園が広がっていた。

 わたしはなるべく人目がつかないような場所へと進んでいく。真っ暗だが、足元には点々と明かりがついていた。その明かりに導かれるようにして進んでいくと、やがて白い花が咲き乱れている花園にやってきた。


「ここは……」


 花園の中央に誰かいる。

 近づいてみると、それはこの蒸気の国(スチームキングダム)の王様、ロベルト様だった。

 王様は花園の中央で静かに座り込んでいる。


「……」


 なにをされているのかわからなかったけれど、わたしはお邪魔をしてはいけないとすぐに引き返した。

 しかし、その背に王様のお声がかかる。


「そこにいるのはアンジェラ・ノッカーか」

「……は、はい!」


 振り返ると、王様がこちらを見つめていた。

 優しい微笑みを浮かべられている。その笑顔はクロード様によく似ていた。こちらへ来いと目くばせされる。


 側に行くと、王様が座られているすぐ前に大きな石碑が埋められていた。


「これは、我が妃アデルの墓だ」

「アデル王妃殿下の?」

「ああ」


 たしか王妃様は……ステファン様が生まれたと同時に亡くなったと、クロード様に聞いた。


「アデルが亡くなったのは、二十二年前……戦争が終わって七年が経とうという頃だった」


 王様は半分独り言のように語られる。

 いわく、王妃様は戦後、王族が国民から恨まれつづけていることに心労を重ね、二人目の出産に体が耐えられなかったらしい。


「……呆気なかった。アデルは優しすぎる性格だったから、国民の苦しみを我が事のように感じ続けてしまったのだろう。私は戦争に勝つことができず、国民たちを呪わせてしまい、さらに妻をも失った。この国はバラバラになってしまった。そして、そこから今も立ち上がれずにいる」

「陛下……」

「だが、我が息子たちは強い。私が諦めていたことを諦めずにやろうとしている。これが大失敗して、より悲惨な状況になるかもしれない。しかしこのままでも、緩やかな衰退の果てに国が終焉を迎えるだけだ。ならと……私は息子たちに賭けることにした」


 王様は近くにあった白い花を一輪詰んで、わたしに差し出した。


「お主も、そうなのだろう?」

「……」


 わたしはその可憐な花を受け取って、微笑んだ。


「はい、そうですね。最初は自分の技量を上げたくて、それで専属技師になることをお請けしました。でも今は……クロード様に希望を見出しています」

「希望?」

「はい。この方なら、この国に真の平和をもたらしてくださるのではないかと。その夢を叶えていただくために、わたしは誠心誠意支えていく……そう誓っております」

「ふむ。それは有難いことだ」


 白い花越しに王様と見つめ合う。

 その瞳の色はクロード様とは少し違っていたけれど、それでも闇夜の中で宝石のように青く輝いていた。


 わたしはクロード様のことを想う。

 あの深い青の瞳。そして、この花の花弁のような白銅色の髪。

 あの前髪がわたしの顔にかかることはもうないだろう。

 あれはきっと一時の気の迷いだったのだ。


 わたしはただの一介の義肢装具士。

 あの方を支えるべくしてこの王城にやってきただけの人間だ。


 自分があのことで戸惑うのはいい。いや、良くはないけれどいずれ落ち着くだろう。でもクロード様があのように混乱されつづけるのはあまり良くないことだ。

 例の計画に支障が出る。

 わたしはもう、絶望しつづける日々には戻りたくなかった。


 せっかくいろいろできるようになったのに。自分を好きになれてきそうだったのに。

 この「今の状態」を失いたくない。


 わたしは、いただいた白い花をきちんと両手で持ち直した。


「陛下。わたしのために貴重なお時間をどうもありがとうございました。そろそろ、お暇いたします」

「ああ」

「では、おやすみなさいませ」


 一礼をして城へと戻る。

 風が吹いて、足元の白い花たちがざあっとさざ波を立てた。

 わたしは――この花たちも一瞬で蹴散らすような、強い「兵器」を造らなくてはならない。

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