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8.直談判

ソフィアは怒っていた。

2日目の夜も、王太子の部屋で眠りこけるという失態を犯しながら、怒っていた。


ソフィアは再び、自分の手から床に滑り落ちた本の音で起きた。ハッとしてみれば、王太子はやはり寝台にはいないようで、隣の部屋の書斎のドアの下から明かりが漏れている。ソフィアはすくっと立ち上がり、大股で部屋を出ていった。昨夜と同じようにオリバーが廊下で待っている。ソフィアの顔を見て、どこか驚いた表情をした。オリバーが何かを言う前に、ソフィアは吹っ切れたように言った。


「失敗したわ。でも、明日も来ます」


オリバーはゆっくりと頷き、静かに承知いたしました、と答え、ソフィアを部屋に連れて行った。

次の日も、ソフィアの怒りは収まらなかった。図書の間で本を読めるのは楽しいはずなのに。ちっとも頭に入ってこない。それが余計に悔しい。


「何かございましたか」


意気消沈していた昨日の様子とは打って変わって、ソフィアが何か難しい顔で考えているものだから、アリアは心配して声をかけてくれる。


「いいえ、何でもないの。むしろ自分がやるべきことが分かってすっきりしているわ。心配してくれてありがとう」


「ソフィア様のお心が軽くなったようならばよいのですが・・・」


そう言ってアリアは微笑み、それ以上は聞いてこなかった。アリアは聞けば確かに過剰なほどに言葉が返ってくるが、こちらが一人もの思いに耽りたい時は、ある意味放っておいてくれる。そのような緩急を分けた対応がソフィアには心地よかった。


そうして再び夜になった。


オリバーと別れ、一人ドアをノックする。返事があるのを確認してから中に入る。


「ああ、フィンか」


「はい、本を読みに参りました」


今度は昨日眠り込んだことなど詫びず、単刀直入に言う。


「・・・では聞こう」


三度目の言葉。ソフィアはさっさと部屋の奥の定位置に行くと本を取り上げ、今度は適当に場所を確認して読み始めた。王太子は何も言わない。ソフィアは読み進め、そして体が再びぽかぽか、ふわふわとする前に、うとうとと眠り始めるふりをした。そして体が揺れ、ついに読むのをやめる。


「・・・」


しばしの静寂。すると、王太子が身を起こし、ベッドから立ち上がったのが分かった。こちらに近づいてくるのがわかり、さすがに心臓がドキドキし始める。緊張感を押し殺し、ソフィアは椅子のひじ掛けにもたれて寝たふりを続ける。


「フィン・・・?」


王太子の存在感をすぐ近くに感じる。目を瞑っていても只ならぬ気配を感じるから不思議だ。

ソフィアはもちろん返事をしない。すると、王太子がふっと笑いを漏らしながら、ふわりと頭を撫でたような感触がした。


「もう寝てしまったのか」


――――  えええっ―――――!!!


まるでフィンが寝ているのを慈しむような態度ではないか。

ソフィアの頭は再び大混乱に陥った。が、そんなことをしている間に、王太子が身を翻したのが分かった。足音が遠ざかっていく。もちろん、隣の書斎の方向に。


「・・・お待ちくださいっ!!!」


ソフィアはバッと身を起こすと、王太子の夜着の上に羽織られた長いローブの裾を掴んだ。

さすがに驚いた表情で王太子が振り返る。そしてそのあまりの美しいご尊顔にソフィアも驚く。しかし、今、それに動揺している場合ではないと心を奮い立たせる。


ソフィアはローブから手を慌てて離し、王太子の足元に跪いた。


「殿下、恐れながら申し上げます!」


王太子の見開かれた目を真っすぐ見るのが恐ろしくて、頭を下げたまま言う。


「殿下はなかなか寝られないことが続き、王妃様がお心を傷められていると伺い、わたくしは参りました。しかし、お見受けするところ、殿下は寝る努力をなさるどころか、ご自分の意志で起きていらっしゃる。なぜ眠れないと仰いながらそのようなことをなさっているのか、お聞かせください。王妃様は・・・王妃様はウィンドル侯爵夫人にお悩みを吐露するほどご心配になっていらっしゃるのです!わたくしが・・・わたくしごときが申し上げることではありませんが、お母上のご心配をそのように徒に増すようなことをなされているのはなぜでございますか」


ソフィアは一気に言った。

そう。ソフィアは昨日、あの不思議な感覚を感じて、これは普通の眠気ではないと悟った。王太子が平然としているのは不思議だが、何か眠気を誘う香か何かの類に違いない。それはもちろん、王太子がやったことだ。寝付かない子供を無理やり寝かそうとするかのような真似をする不届き者を、自然と黙らせるためだろう。


そんなことまでして書斎に行こうとするならば、なぜ眠れないなどと人を心配させるのか。実の妹とはいえ、かなり私的なことを相談するなんて、王妃様は母親として相当心配をされているはずだ。そんな風に家族を心配させるなんて、王太子という立場といえどもおかしい、とソフィアは思った。


が・・・


「・・・眠れないなどと言った覚えはない」


「は?」


静かに告げる王太子の言葉に驚き、ソフィアは顔を上げる。と、こちらをじっと見つめる王太子の澄んだ青いブルーの目にかち合う。


「あの・・・その・・・殿下がなかなか夜お休みになれないと・・・」


王太子はどこまでも落ち着いた声で答えた。


「それは私が夜寝ていないことを誰かがそのように伝えたのだろう」


「えっ・・・」


ソフィアは絶句した。王太子は不眠でもなんでもない。ただ、寝たくなかっただけなのだ。


――― ええっと・・・つまり・・・すべてはただの早とちり?


一体、どうして王妃様が眠れないと誤解するようなことに至ったのか、すぐにはよく理解できないけれど、はっきりしたことは一つだ。そんな人に自分が本を読む必要も理屈もない。


「そ、それは、なんとも申し訳ないことを・・・さようでございましたか・・・」


あまりのことに脱力した。自分はいったいここまで何をしに来たというのだろう。

ソフィアはよろよろと立ち上がり、目を伏せたまま、一礼をした。


「大変、大変・・・失礼いたしました。もう殿下を煩わせることは致しません・・・」


そして踵を返して部屋から、王太子の前から永遠に去ろうとした時。


今度はソフィアの手をバッと王太子が取り、引き止めた。

ソフィアが驚いて王太子の方を見上げると、世にも美しい王太子の顔もまた、なぜか驚いた顔をしている。


「いや、すまない・・・。そちらに」


手を離され、ソフィアは近くのソファに座るように命じられた・・・いや、促されたというべきか。


何か、王太子の雰囲気がどこか優し気なものに変わっているのは気のせいか。


――― な、なに・・・?


ソフィアはただ言われるがまま、ソファに座り込んだ。


「フィン、それで君の使命は達成できたといえるのかな?」


王太子がソフィアの隣に座りながら言う。ふわりといい香りが漂う。


「それは・・・お役目は達成できていませんが、殿下がもともとお休みになるつもりがないとなると、わたくしがここにいる意味はございませんので・・・」


きらりと王太子の目の奥が光った気がした。


「フィン。なぜ私が寝ないのかを君に教えよう」


「えっ、なぜ・・・」


「なぜ?君は質問が多いね」


そう言って王太子は笑った。黙っていると冴え渡る整った顔立ちも、笑うと鋭さが消えて、ぽやんと見惚れてしまう。思考力を奪う魅惑のようだ。


「理由は一つだ。君に友達になってほしい」


茫然として、ソフィアは王太子の顔を見た。この王太子は一体何を言っているのか。


「と、と、ともだち・・・?」


「そう。友達だ。フィン、君は本を読むのは好きかな」


真意を量りかねて黙るソフィアに、王太子は首を傾げて答えを促す。


「・・・はい、本読みを頼まれる程度には・・・」


「では最高だ。私には今調べないといけないことがある。だが、それを人に頼みたくはないんだ。だが、もし君が私の友達になって、誰にも内緒で手を貸してくれるというのなら・・・私はもはや、夜書斎にこもることもなく、君と夜、話をするだけですぐに寝られるだろう」


「そ、それは・・・」


―――― 取引なのだろうか。


王太子は何かはわからないが密かに調べなくてはならないことをソフィアに頼み、そしてソフィアは王太子を眠らせてほしいという王妃様やウィンデル侯爵夫人の依頼を達成することになる。ウィンウィンといえばウィンウィンなのか。


「お願いだ。私のことは友達として・・・レオ、と呼んでくれないか」


目の前で微笑みながら、王太子はとんでもないことまで言い出す。


――― ちょっと待って。王太子は氷の殿下ではなかったの?それに、王太子は女性嫌いなのに、私が友達って・・・違うわ、私はフィンという少年だと王太子は思っていらっしゃるんだった・・・!!!


これはもっとまずいことになったのではないかとソフィアは顔を青くする。


「フィン」


ソフィアの狼狽の原因など知るはずもなく、王太子は真っすぐソフィアの目を見る。その視線に射抜かれ、反論などできない。

考えてみれば、ウィンデル侯爵夫人とこの王太子は、血の繋がりのある叔母と甥であった。あのウィンデル侯爵夫人の甥である王太子の頼みを断れる猛者などいるわけがないのだった。


「で、でも、殿下・・・」


「レオだ、フィン。いいね」


確かめるように、王太子は破壊力抜群の笑顔を向ける。


――― !!!!!


相手が女性であれば決して見せないであろう、人の情の入った優し気な色が、月夜に現れた妖精の王のごとき人間離れした美しい顔に浮かんでいる。この微笑から、この世の誰が逃げられるというのだろう。


「はい・・レオ様・・・」


ソフィアは消え入りそうな声で、そう答えたのだった。



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