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84. ソフィア5


気持ちの良い爽やかな香りがした。

そして、さやさやとした衣擦れの音を聞いて、ぼんやりと覚醒していく。


――― 朝、かしら・・・


アリアが、自分を起こしてくれる時と同じ感覚。


――― 起きないと・・・


そう、思ってから、地底の門で帰る途中に、倒れるようにして眠ってしまったことを思い出した。

パチッと目を開けると、あたりが明るいことに驚く。随分と長く寝ていた感覚があったから、夜かと思っていた。


しかし、窓からは心地よい日差しが注ぎ込んでいる。

疲労なのか、言いようのない重さを感じる体を捩り、身を起こす。


その音に、アリアがすぐに反応した。寝台に駆け寄ってくる姿は、すでに涙目だ。


「ソフィア様っ!よかった・・・!!」


「私・・・どれぐらい寝ていたの?」


「丸一日ですわ。お身体は大丈夫ですか?」


「ええ・・・」


「すぐ皆様を呼んで参ります」


そう言い終わるやいなや、アリアが部屋を飛び出していく。

どうやら、皆すぐ近くの部屋にいたようだ。アリアの足音が消えたかと思うと、すぐにいくつもの足音が乱暴に響き渡り、ドアが開け放たれた。


「ソフィ、大丈夫か」


真っ先にレオがベッドの横に駆け寄り、後ろに王妃とウィンデル侯爵夫人が続く。

レオの顔を見れば、殆ど寝ずに心配していていたことが窺がえる。


「ええ・・・大丈夫。それよりも・・・」


ソフィアの言いたいことを察し、レオが一瞬迷う表情を見せた。

良い話と、悪い話、二つあることが察せられた。


「レオ、教えて」


その声色は、ソフィスティアの頃の王女然とした凛としたものだったのだろう。

覚悟ができていることを感じ取ったのか、レオは口を開いた。


「地底の門は無事だ。あの網目以上の大きさの魔物は出てきていない」


簡潔な報告に安堵する。


――― とすると、もう一つの知らせは・・・


「大神官殿が御隠れになった」


―――― ナタリーが亡くなった・・・


夢で見たことは、夢ではなかったのだ。最期の挨拶に、きてくれた。


「我々のことを救うために最後の力を振り絞ってくれたのだろう・・・」


「ええ・・・あの森で会えたのが奇跡だったのよね・・・」


あれが最後となるならば、もっとたくさんの言葉を交わしたかった。

悔恨の思いを抱いたソフィアに、レオが思いがけない言葉を告げる。


「ソフィ。ここを我々が発ってからもずっと、大神官殿は神殿で眠ったままであったという」


「・・・え・・・」


一瞬、頭が真っ白になって、考えが追い付かない。

ナタリーがずっとここにいたということは、自分とレオが会ったのは、誰だと言うのか。


――― まさか・・・


はっきりと、自分の目の前に立っていたナタリーの姿が思い起こされる。

疑いようもなく、目の前にいた。いたはずだった。


「あれは・・・ナタリーの魂だったの・・・?」


そう言う傍から、涙が零れる。


言いながら、それは確信となった。


そうとしか思えない。夢見として色々なことを見知ったからこそ、私たちを案じてくれた。だから、この世を去る時まで、伝えるまで死ぬわけにはいかないと思ったのだろう。


聖なる存在である自分でさえ、それがどうやってなされたのか、思いもつかない。

ひとえに、ナタリーの強い思いがあったからこそ起きた奇跡だ。


夢見として生まれ、二度も自分を見出してくれた。辛苦を乗り越えて大神官となり、いかに自分を守ろうとしてくれたのかなど、聞かなくても分かる。


「ナタリー・・・ナタリー・・・・・・ごめんなさい・・・ありがとう・・・・・」


まだ近くに魂がとどまってくれているような気がして。

ただ、その言葉を繰り返す。

レオが、そっと寄り添い、肩を抱いてくれる。


その温かさに救われる。


後ほどレオが語ったことによれば、その時、窓が閉まり風もないのに、応えるように、カーテンが揺れたという。別れを惜しむように、優し気に。




ナタリーは、大神官である間に、多くのことを変えていた。

自らが世を去った時のこともそうだった。


かつては、大神官が亡くなった時は大規模な葬列で送ることが通例となっていたが、大神官の葬儀とは思えぬほど簡素なものとなった。

あくまでも神に仕える身。神官を統べる立場とはいえ、権威の誇示となることなどしたくない、という考え方だった。


―――― ナタリーらしいわ・・・


喪服に身を包み、ナタリーの棺を見つめながら、控えめに佇む在りし日の彼女を偲ぶ。

神殿のあるべき姿を光の民の理想に近づけるべく、彼女は戦い続けたのだ。世俗的な色彩に染まった神殿を変えるのは、どんなに大変なことだったろう。


しかし、ソフィスティアの苦難を垣間見、そしてエマの数奇な運命を知った彼女だからこそ、二度と神殿が誤った道に進むことのないように思い、奮闘したに違いない。


簡素な葬儀であっても、神官のみならず、多くの民がその死を悼み、多くの花が手向けられた。その中には、おそらく幼い子供が手折ったであろう小さな野花も混ざっている。

神殿を訪れる人の列は途切れることがなく、本殿は花で覆いつくされるほどであった。


――― ねえ、ナタリー、見ている・・・?あなたの突き進んだ道を、こんなにも多くの人が称えているのよ・・・


悲しみの中でも、その事実に救われた。


ナタリーの成し遂げたことが、このように人の心の響き、そしてナタリーの存在が人の心に残り続けることであろうことが、嬉しかった。


「ありがとう・・・ナタリー・・・・・・・」


幾度となく繰り返した言葉を、再び呟いた。

そっと花を、その棺の上に添える。


もう、涙は零れなかった。

ナタリーは、ソフィアの涙を望んでなどいないことを知っているから。




ナタリーの葬儀と前後し、ソフィアは数日おきに、レオに伴われて地底の門を訪れていた。

網は、しっかりとその場に形を留め、破られていなかった。

そこにさらに、細かい網を張り巡らせる。


当初の目論見通り、地底の門が破られることはなかった。段々と、網の目が細かくなるに従い、小さな魔物も通れなくなる。

倒れない程度に、力を使い切り、しっかりと紡ぐ。

三週間もすれば、もはや網の目はなくなり、それは壁の体を成していた。


「ああ・・・ここまでできたのね・・・」


薄暗がりに浮かび上がる光。地底の門を眺め、思わず呟く。


「ソフィの知と努力の賜物だ」


ため息のような一言をも聞き逃さず、レオが言う。


万感の思いで、目の前の門を見る。


これを成し遂げられず、ソフィスティアもエマも生涯を終えたのだ。

転生した自分の前世ではあるが、その二人の分も、その生と、多くの人たちに報いることができたような心地になる。


それも、これも、今の世でソフィアとして生き、レオが偽りの「聖なる存在」となり、生きる盾としてすべてを背負ってくれていたおかげだ。


「ソフィ、あと何回ほどで、この地底の門は完成する?」


レオに問われ、もう、破られることではなくて、終えることを考える時がきていることに初めて気づく。


「そうね・・・」


そのことを全く考えていなかったことに、自分自身、驚く。

ただただ、この地底の門をいかにして魔物に破られずに、壁を、網を、どうにか積み重ねていくことしか考えていなかった。


ナタリーが亡くなり、悲しみにくれつつも、気持ちがそれだけに持っていかれなかったのは、この地底の門が大きな気がかりだったからだ。


――― レオの言う通り、もう、魔物に破られることを心配する段階ではない


改めて眺めれば、網はまるで植物の根のように絡まり、何重にも折り重なっている部分がある。

ひたすらに積み重ねればよいというものでもなく、それでは多くの魔物を呼び寄せてしまい、劣化するスピードが速まってしまうので、丁度良い塩梅というものがある。


それは、おそらく、これを紡いでいる自分しかわからないというものなのだろう。


「あと1回で、もう十分だと思うわ。あとは、年一回か二回、確認すれば・・・」


そこで思い至る。

そうだ。本来、祈りを捧げる光の民の儀式はそのような頻度だった。

逆に言えば、そのような頻度でこの地底の門を確認し、聖なる力で体に負担のない範囲で復活の力を使えば、十分に聖なる門は維持されるのだ。


――― それをしなかったから・・・


代償を払うことになったのだと、改めて思い知る。

やはり、すべては人間の愚かさが招いたこと。


―――― 咎を背負っているのだわ・・・


深く、気持ちが落ちていく。


「ソフィ!」


大きな声で呼びかけられて、ハッと我に返る。


「・・・何を考えていた?」


問われても、何も言えない。

しかし、レオは何もかも見通しているようだ。


「ソフィが背負うべき咎など、何もない。人の愚かな欲深さは、ソフィのせいではない。そんなものは忘れて、放っておけ」


まるで今の自分も『人』ではないような言い様に、ソフィは思わず笑った。





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