44. 記憶2
大神官が目を覚ましたならば案内してくれたであろう、神殿へと足を踏み入れる。
『案内』といっても、エマの記憶が戻ったソフィアにはこの中の構造も作法もすべてわかっている。
大理石の大きな柱が立ち並ぶ光景は、初めて見たものを圧倒する景色だけれども、かつてここに幾たびも足を運んでいる『エマ』にとっては懐かしさしかない。
当時は、大神官とともに多くの神官が控えていたが、今はソフィアの存在を明らかにしないためにという理由で、極めて高位の神官以外は同席していない。
王妃、レオ、叔母のウィンデル侯爵夫人が見守る中、ゆっくりと中へと進む。
入り口の近くはほの暗く、石の冷たさしか感じないが、奥は天井の方から光が降り注ぎ、温かさや輝かしさに溢れている。
その祭壇の前に進み出て、静かに跪いた。
そして祈りを捧げる。
――― どうか、この力を使う知恵をお授けください
思い浮かぶことはそれだけだった。
今生で自分を守ってくれた人。
前世で自分を守ろうとしてくれた人。
この世界の日々の営みを絶えさせてはいけないということがすべてだ。
しかし自分はそのための力を授けられたにも関わらず、全うできなかった。
――― 今度は失敗してはならない
そう思うのに、手段がわからない。
人とは違う力がある。でも、それだけだ。
それをどう使えば、今の苦難が解決されるかは、ソフィア自身にもわからない。
多くの人の血や涙が、自分の力に期待されて流されたというのに。
『エマ』は昨今の歴史で聖なる力が最も強い人だったという。
確かに、記憶の中でも、そのように言われ、崇められていたように思う。
そして、目覚めた『ソフィア』の力もエマと同じのようだ。
何よりも、不可解なことは、ソフィアが『エマ』の記憶を持って転生したということ。
聖なる存在だから前世の記憶を持っている、など聞いたことがない。
しかし、同じく『イザベラ』の記憶を持っているヘレンは、自分と同じように、『エマ』の記憶を持ってソフィアが目覚める可能性を考えていたようだった。
だから、ソフィアが『エマ』として『イザベラ』に呼びかけても、驚くことがなかった。
――― なぜ、転生したのか・・・
当の本人もそれがわからない。
何か理由があるのかもしれない。
思い至ることは、おそらく「世界を守る」という使命を達せられたなかったことだ。
『エマ』は「世界を守る」という使命を果たせなかったこと、
『イザベラ』は「聖なる存在を守る」という使命を果たせなかったこと。
それらを果たすために、神は転生させたのではないか。
使命を果たせなかった悔いを持ちながら命を落とした二人を憐れんで。
あるいは、使命を果たせとの怒りか。
生まれ変わったからには、今度こそ成し遂げなくてはならない。
この世界を守る手立てを見つけなければならない。
――― 転生するならばその解も持って生まれたかった・・・・・・
エマの記憶を持っていても、何一つ答えは思い浮かばない。
誰かに指し示してほしい。
問いかければ、大神官は目覚めるのではないか。
長く熱心に祈ればもしやご神託がくだるのではないか。
そんな淡い期待も、時間の経過とともに打ち砕かれる。
大神官は目覚めない。ご神託もない。
自分の力でどうにかするしかないのだ。
――― でも、私にそんなことができるの・・・?
そう思わずにはいられない。
前世で、一度殺されているのだ。
失敗した身。再度それがないと、誰が断言できるだろう。
唯一、完全には蘇っていない死に際の記憶。
本能的に、恐怖でその記憶を封じ込めようとしているのが分かる。
それを思い出したら、答えが出てくるのか。
――― そんな感触、全くない・・・
あの時の夢に感じた自分の感情は、絶望だ。
望みもなにもない。
深い絶望。
そんな瞬間を鮮明に思い出したら、もうどこにも進めなくなる気がする。
――― どうしたらいいの・・・
こんなにも不安で仕方がないのに。
何一つ希望とできるものがないのだ。
「・・・・・・ソフィア様」
小さな声が耳元で囁かれる。
ハッと我に返り、王妃が、体をそっと支えていることに、気づいた。
「顔色がお悪いようです。大丈夫ですか」
「・・・大丈夫です」
そのように答え、祈りを終える。
顔が真っ青になって、今にも倒れそうになっていたらしい。
祈りがいつしか物思いとなり、周りが見えなくなっていた。
――― しっかりしないといけないのに・・・
立ち上がり、眩暈がないことを確認してから、ゆっくりと神殿の外へと歩みを進めた。
明るい祭壇を背に、入り口の扉の暗がりへと一歩、一歩進む。
――― ああ、こうしなければならないのかもしれない・・・
再び、物思いに戻りながら、ソフィアは漠然とそう考えていた。
一歩、一歩。
暗い方へと、恐れを感じる方へと、進むしかないのかもしれない。
入り口付近は蝋燭の明かりが必要なほどに深い。
が、そこまで来た瞬間、先導していた神官が扉を押し開いた。
一瞬、目が眩む。
外は日の光が輝き、明るさに満ちている。
木々はさやさやと葉を揺らし、鳥のさえずりが心地よく耳に入る。
――― こうなることを、信じるしかない・・・
足を止め、神官に扉を閉じさせる。再び、神殿の静寂の中。
何かあった時に支えられるようにとすぐ後ろを歩いていた王妃へ問いかける。
「明日は、満月の日ですよね」
「ええ、左様でございますが・・・」
王妃が、不安げに眉を顰める。
「明日、地底の門に行ってみようと思います」
はっとして王妃は息を呑む。
「しかし・・・まだ大神官様がお目覚めにはなっておりませんのに・・・」
「いつお目覚めになるかもわからないのですから。月に一度の機会を逃すわけには参りません」
エマが命を落としてから、時折、魔物が地底の門を通り地上に出てくるという。
腕の良い『光の民』の剣士隊がその度に退治しているが、徐々にその数は増えている。
剣士の手に負えなくなるのは時間の問題だ。
ただ、月が満ちるほどにその出現率は低く、満月の夜には姿を現したことがない。
只の確率の問題だが、地底の門を見に行くならば、そのタイミングだろう。
「恐れながら、まだこの地にいらっしゃったばかりですので、もう少し時間をかけられた方がよいかと存じます。ことを急いて成し遂げられるわけではございません。ここには様々な知識を持った神官もおりますし・・・」
王妃様は言葉を連ねる。
『イザベラ』としては不安で仕方がないのだろう。
自分を目覚めさせることすら躊躇していたのだから。
矛盾するようだが、聖なる存在が責務を果たすことを護るのが役目であるが、そう思えばこそ、責務に繋がる危険から少しでも遠ざけたいと思っているに違いない。
でも。
それでも、その護ろうとする思いに甘えるわけにはいかないのだ。
「『イザベラ』」
びくりと『イザベラ』が体を震わす。
「すぐに何かをするというわけではありません。私は一歩ずつでも、先に進みたいのです。まずは、この目で地底の門の状況を確認したい」
『エマ』として言葉を告げる。
ゆっくりと目を閉じ、そして『イザベラ』は深く低頭した。
「・・・御心のままに・・・・・・」
「・・・ありがとう」
そう静かに言うと、思いがけない言葉が返ってきた。
「地底の門に行かれるのでしたら・・・お伝えしたいことがございます」
「伝えたいこと・・・?」
何かまだ私が知らされていないことがあるというのだろうか。
「どうか、わたくしの後についてきてくださいませ」