1.彼女の事情
ソフィア・クレインは変わり者であった。
ノーウォーク侯爵家の令嬢でありながら、令嬢が好みそうなことに興味がない。
流行りのドレスで着飾ることも、華やかなお茶会も。そんな時間があるならば、屋敷のライブラリーに籠るほうが有意義という考えの持ち主だった。
もっとも、美しいものに心惹かれないわけではない。
ただ、それに傾倒するだけの甲斐が自分にはないと考えたのである。
クレイン家は子供が多い。
ソフィアには、3人の兄と2人の姉、弟と妹がいる。
ノーウォーク侯爵を継ぐのは嫡男であり、他の兄弟は自活の道を探らなければならない。
一方、娘たちに望まれるのは、よい結婚相手を探すこと・・・特に貴族の嫡男との結婚、である。
この点について、ソフィアは長じるにつれ、自分には不利な戦いであることを知った。
それを悟ったのは、一番上の姉が、社交会デビューのためのドレスを身に纏った時だった。
衣装合わせのためであり、本番ほどの化粧や髪結いはなされていないにもかかわらず、光を受けて艶やかに輝くドレスを着た姉は、ソフィアがぼーっと見惚れるほど美しかった。
皆が、若かりし子頃の母とそっくりだと、あるいは、花の女神のようだと褒める。
恥ずかしそうに顔を赤らめた姉に好意を抱かない男性はいないだろう。
そしてその予想通り、姉が参加する舞踏会では、ダンスに誘い、あるいは、一言でも言葉を交わそうと、出席した紳士の間で大変な騒動が繰り広げられたという。
七歳のソフィアは、兄弟姉妹の中で一番凡庸な容姿であることを薄々気づいていた。
が、この姉の姿を見て、自分にはその魅力はないことをはっきりと自覚した。
煌めくドレスに時めく心はあっても、それを着こなす自分の将来の姿はどうにも想像できなかった。
ソフィアは乳母ナンシーに宣言した。
「令嬢の幸せはよき殿方と巡り合うことと聞くけれど、私にはお姉さまのような美しさはないわ。お兄様方のように、自活の道を探そうと思うの!」
ナンシーは生まれも育ちも、人々の率直さで名高い―――概して美徳は短所と裏腹でもあるわけだが―――ウェリントン地方であった。
「春は結構なことです。でも花や蝶ばかりが人の心を捉えるものではありませんよ。それなりに、神様はいろんな道を用意してくれているものです。私はでんと立ち、人が休まる木陰を作り、あるいは身を変えて家具になるような木の方が好ましいと思いますけどね。まあ、お嬢様は私が何を言っても止められる人でないことは、とうの昔にわかっておりますから、せめてとんでもないことをするのだけはお避けくださいね。お嬢様はいつも突っ走っては、困りごとを増やしてくださるんですから」
ナンシーの言っている意味は半分もわからなかったが、それはいつものことなので、ソフィアはすぐに駆け出してアラン兄様のところへ行った。
アランは歳が近く、もの静かで穏やかな兄である。
「お兄様、私、お兄様と同じ勉強をしたい!」
おやおやと、アランは目を瞬かせた。
「ソフィ、今度は何を思いついたんだい?」
ソフィアはナンシーに伝えたことと同じことを繰り返した。
優しい兄は、頭ごなしに否定はしなかった。
「そう。それでソフィはどうなりたいんだい?」
「お兄様はお医者になるために一生懸命勉強なさっているんでしょう?私も同じ勉強をして、お兄様と一緒にお医者様になりたいわ!」
王都での政治家や官吏、法律家を目指す貴族の子息は多いけれど、アランはそのような道は自分の性分に合わないと医者になることを目指している。
アランは躊躇いがちに尋ねた。
「一緒に頑張る仲間ができるのは嬉しいことだけれど・・・ソフィ、お医者様は血を見ることもあると思うよ?」
「えっ」
ソフィアは自分であっても他の誰かであっても、怪我から流れる血を見るのが大の苦手である。
「そんな・・・お医者様ってお熱を測ったりお薬を出すだけではないのね・・・」
アランは優しい眼差しでソフィアの手を取った。
「ソフィ、でも、僕はソフィが学ぶことに賛成だよ。将来、お医者様になるかどうかはわからないけれど、学ぶことはきっとソフィを裏切らないはずだ」
二歳しか違わない兄は、いつも思慮深い物言いをする。
「本当?私は何をしたらいいのかしら・・・」
「ソフィは本を読むのが好きだろう?もっと、もっと読んだらいい。このライブラリーの本を読みつくすぐらい、どんどん読めば、きっとそれはソフィを助けてくれるはずだよ」
一般的な令嬢教育を任された家庭教師が聞いたならば、そんな頭でっかちな淑女を育て上げてどうするのだと目を剥くところだろう。
しかし、その場にいたのは大事なソフィのことならなんでも助けたいと思う兄と、思いついたら即行動のソフィアだけだった。
「アランお兄様!私、そうするわ!」
この日から、ソフィアの定位置は屋敷のライブラリーになったのであった。
ダンスや裁縫、ピアノにマナー。最低限の淑女の嗜みを学びつつ、ソフィアはライブラリーの本を片っ端から読み始めた。
ノーウォーク伯爵家のライブラリーは多種多様な本で埋め尽くされており、子供向けの昔語りもあれば、歴史書や百科事典、哲学、建築学などの専門書もある。
小さなソフィアが読む本は物語がほとんどであったが、内容もわからないような本の挿絵を眺めるのも楽しみであった。
ライブラリーに入り浸るソフィアに、小さな弟・妹は物語を読んでほしいとせがみ、ソフィアが読み聞かせをすることも多かった。
大人たちは、そのうちソフィアを「眠りの魔術師」と呼ぶようになった。
どんなにぐずっていても、ソフィアが本を読む間に、子供たちがあっという間に静かな寝息を立てて寝入ってしまうからである。
クレイン家でお茶会や親族の集まりで子供たちが大勢屋敷に来ると、ソフィアが相手をすることが定番となった。
ソフィアが見事な手腕でうまく子供たちを静かにさせ、たっぷりと昼寝をさせてくれるのは大人にも乳母たちにも好評であった。
もちろん、ソフィアにとってはこれは魔法でも何でもない。
子供相手の読み聞かせといえども、ずっと声を出していると疲れるものである。なによりも、早く自分の本の続きが読みたい。そのため、ソフィアはいかに早く、子供たちを寝入らせるかという方法を試行錯誤したのである。
最初は惹きつけるような話し方をしつつ、段々と声を低くして、ゆっくりとした口調にする。そんなことを工夫し、どうしたら子供たちがうとうとし始めるかが感覚でわかるようになった。
だが、妹は弟、いとこ達もいつまでも子供ではない。
「眠りの魔術師」の手腕を発揮する機会もめっきり減った。
ソフィもまた歳を重ね、読む本は物語から歴史書や様々なジャンルの本に移っていた。
そんな時であった。
叔母であるウィンデル侯爵夫人から、王太子殿下への本読みの役目を引き受けてくれないかという強い依頼があったのである。