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14.レオノールの真実


ソフィアは、子猫との追いかけっこを続けていた。

まだ小さいはずなのに、恐怖におののく子猫はとんでもない力を発揮して庭園を走り回る。

右に左にと翻弄され、そしてようやく捕まえようとした時は、再び温室の近くに舞い戻っていた。ポツポツと雨が降り出し、段々と本降りに変わっていく。


雨の冷たさにびっくりしたのか、ついに子猫は走るのをやめ、ソフィアは漸くその体をひっつかむようにして抱き上げた。息苦しいほどに息が上がっているが、そんなことに構っている場合ではない。


「もう!こんなにも困らせて!」


さてどうしたものかと回りを見渡す。雨はどんどんと激しさを増している。雨をしのげるほどの大木は周りになく、目の前には温室がある。レオノールの姿はない。

このまま子猫と雨に打たれるのは避けたかった。


「ごめんなさい・・・失礼いたします」


誰もいないのは知っていても、一言ことわってから、ソフィアはそっと温室のドアを開けた。ふわりと微かな花の香がする。奥には花がたくさんあるのだろうか。

あまり奥にはいかないようにしなければと思いつつ、ソフィアは周りを見渡しながら、歩みを進めた。温室の入口近くは低木がたくさん植えられており、その根元にも植木鉢に入った珍しいかたちの植物が置かれたり、天井から蔓の長い植物が垂れ下がったりと、異国の森に来たようだ。

外の雨はますます激しさを増しているようで、温室の天井に打ち付ける雨音はうるさいほどだ。しかし、ここは何からも守られているような温かな雰囲気に満ちている。


――― 不思議な、ところ・・・


なんでこんなにも安心するのだろう。ここを手入れしている人の力だろうか。

ソフィアが、ほうっと、ため息をついた瞬間だった。


バタン!と背中で大きな音がして、ソフィアはビクリと体を震わせて振り返った。

その拍子に腕に抱いていた子猫が床に飛び降りる。

が、そんなことも気にならないほど、ソフィアは驚いていた。


そこには、さきほど別れたはずのレオノールが立っていたからである。

それも上から下まで、雨でびっしょりと濡れた姿で。


「レオノール王女殿下!?」


慌てふためいてソフィアは駆け寄る。

一方、なぜかレオノールはソフィアの姿を見て、ホッとした表情を見せる。


「ど、ど、どうされたのですか。雨の中を歩いていらっしゃったのですか。なぜ・・・」


まさかと思いながら思い至る。


――― まさか、私を探すため・・・?


明らかに猫を追った様子だったので、助けなければとでも思われたのだろうか。そんなことなど王女様がなさるはずがない、と思うが、一方で、レオの優しさを知ったあとでは、その妹がそれに似た行動をとることがないとも言い切れない。


―――― ど、どうしよう・・・!!!


フード付きのマントを被っているとはいえ、その下まで冷たい雨がしみ込んでいるだろうほどに濡れている。金髪の髪先からは、水が滴り落ちている。


ソフィアは血の気が引いた。健康な人でさえ、これでは風邪をひくだろう。


――― ましてや、病弱な姫君を雨にさらしてしまうなんて!!


「申し訳ありません、そんなに濡れて・・・!!」


ソフィアは動転して、ポケットからハンカチーフを出し、肩や髪をふこうとレオノールの方へと手を伸ばした。しかしレオノールは、サッとその手を避けるように後ずさりをした。


ハッとして思い出した。ソフィアは今、少年フィンの格好をしているのだ。少年とはいえ、男性に体を触られることにレオノールが警戒するのは不思議ではない。


――― どうしよう


ソフィアは今やるべきことと、守るべき自分の秘密を天秤にかけた。

答えは簡単だった。レオノールの健康以外に大切なものなどない。


意を決するように、ソフィアはごくりと唾を飲んだ。


「レオノール様、申し訳ありません・・・」


そしてはっきりと言った。


「私は男ではありません」


そこまで言ってから、ハタと自分が殆ど濡れていないことに気がついた。せめてもの救いだ。


「お待ちください・・・私の服ではお嫌でしょうが、濡れたままでいらっしゃるよりはよいかと思います」


温室にタオルなど見当たらないから、背に腹は変えられない。

ソフィアは上着を脱いだ。ハンカチーフでは心もとないが、下に着ているシャツであれば、髪を拭けるだろうし、マントを脱いで上から上着を着てもらえれば、雨が止むまでそのままでいるよりもずっとましなはずだ。


レオノールは固まったまま、動かない。

いきなり現れた少年に、自分は実は女だと言われても戸惑うだけだろう。


――― まあ、服を脱げばわかることだわ


さすがに同性といえども、王女様の前であからさまに肌を晒すのは恥ずかしく、ソフィアはくるりとレオノールに背を向けた。そして手早くチョッキも脱ぎ捨てると、シャツのボタンに手をかけ、潔く上からプチとボタンを外し始めた。が。


突然、後ろから抱きすくめられた。その拍子に、ふわりと、知っている花の香りがする。


――― え?


何が起きたのかわからない。

相手の髪がさらりとソフィアの頬にかかる。


――― え??


ここにいるのは二人きりのはずだ。


「レオノールさ・・・ま・・・?」


思った通り、姫君は自分よりもずっと背が高いようだった。息遣いを頭上に感じる。

しかし、不思議なことに、病弱の姫君のはずなのに。胸元に置いた手の上に重ねられた腕は、布越しというのに信じられないほど逞しい。


シャツの上に感じる衣は、しっとりと雨に濡れている。


「ソフィ。待って」


ふいに耳元で聞き慣れた低い声がして、ソフィアは体中の血が沸騰したような感覚になった。


――― え・・・


「・・・俺の心臓がもたないから」


水滴がソフィアの額からゆっくりと顔に沿って落ちる。これが自分を抱きすくめる人の髪から伝った雨水なのか、それとも自分から吹き出る汗なのか、ソフィアにはわからない。


――― こ、こ、こ、こ、この声は・・・!


「あ、あの・・・まさか・・・・・・」


相手が深く深く、息を吐いた。

腕の力が弱められ それが合図のように、ソフィアは恐る恐る、ゆっくりと後ろを振り返った。


――― う、嘘・・・


吐息が感じられるほどの距離で見上げた顔を見紛うはずもない。

深いブルーの瞳に秀眉、整った顔立ちはレオ王太子殿下そのものだ。

僅かに赤らんだ顔が、妖艶さを醸し出し、瞳に絡め取られるような心地になる。


「え・・・でも、あの・・・」


頭がついていかない。しかし金色の髪は明らかに違う。

ソフィアは混乱のあまり、次の言葉が見つからない。


美しき顔が、困ったように微笑んだ。


「黙っていて悪かった、ソフィ」


その人がパチンと指を鳴らした瞬間。レオノールのふわりとした金髪が、髪の先からみるみる漆黒の艷やかな髪質に変化していく。


――― え・・・!?


初めて見る魔法にソフィアはただただ呆然と目の前の人物を見上げる。


「俺だよ、ソフィ」


パサ、とフードを取ると、顔が完全に顕になり、髪をすべて漆黒に変えた姿は見慣れたその人だ。


「レ・・・レオ・・・さま・・・?」


頷き、レオはふわりと手を宙に漂わせた。

瞬く間に、ぐっしょりと濡れたはずの服があっという間に乾いていく。


気がつけば、滴り落ちていた水は一滴もなく、目の前にはレオノールの格好をしたレオが立っている。

呆気にとられて、ソフィアは何から聞いたら良いのか全くわからなかった。


「ソフィ・・・漸く君の本当の名を呼べるな」


間違えるはずもない。

ソフィアの名を、愛おしそうに呼ぶ人は、レオ王太子殿下に他ならないのであった。

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