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煌(かぐ)の龍の眠る國  作者: 真夜中緒
龍の眷属の仔は眠る 上
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輝宮(かぐのみや)のお仕事

 このお話から第二章に入ります。

 第二章は輝宮かぐのみや視点です

 俺は睦臣むつのおみが好きではない。

 相手が俺に好意的ではないという単純な理由で。

 「これは輝宮かぐのみや様。この度はご活躍でございましたな。」

 朝堂を出ようとしたところで後ろから声をかけられた俺は、ため息を噛み殺して振り返った。

 「これは睦臣むつのおみどの。なんとか上手くいきましたが、どうなる事かと思いました。」

 できるだけにこやかに答えるが、睦臣むつのおみの目は笑っていない。

 「いやいや、さすがは輝宮かぐのみや様。まさかみやこ以外での大祓まで成されるとは。さすがは当代一のかぐを放たれる方は違うと、臣も感服いたしました。」

 睦臣むつのおみかんなぎではない。神霊に感応しないという事では、むしろ俺と感覚が近いのではと思う。しかしかぐを感じないということは無条件に俺に好意的ということはないと言うことで、睦臣むつのおみに非好意的な視線を向けられるたびに、俺は身の程を思い知らされる気持ちになる。

' かぐのない俺などは、結局それほど好意を向けられる人間ではないのだと。

 むつ庄は兄上、東宮の本拠だ。先帝の第二皇女であった睦妃むつのきさき睦臣むつのおみの従姉にあたる。兄上が即位すれば朝堂は睦宮に移り、睦臣むつのおみは慣例から言えば大臣おおおみになる。

 当初、睦臣むつのおみは俺が龍眼たつのめで大祓を行った事を非難していたらしい。  

 輝宮かぐのみやは今上、上皇、東宮と並んで大祓を行う権能を持っているが、実際に執り行った例は少ない。年に二度の大祓は帝の重要な祀りなので、よほどの事でなければ皇位を踏むことのない輝宮かぐのみやに代行させる事はないからだ。

 その大祓を、独断でみやこ以外で行った事を、睦臣むつのおみは問題視したらしい。

 大祓といってもあれはかなり省略した形であったし、北の神気の凝りを解すのにぎりぎり必要な祀りでしかなかったが、それを睦臣むつのおみに言っても無駄だろう。神霊に感応しないという事は、そういう事がわからないということなのだ。自分がそうなのだからよくわかる。

 そして、神霊にもかぐにも感応しない睦臣むつのおみから見れば、俺は控えの世子であり、自らが擁する東宮や三ノ兄上の対抗馬なのだ。

 実際にそれは間違いではない。

 即位した輝宮かぐのみやは存在するし、そういう輝宮かぐのみやは皆大祓を行っている。睦臣むつのおみが警戒の目を向けるのは、致し方ない事だとは言えるのだろう。

 「そういえば、撫菜なずなが長いお留守を寂しがっておりました。お戻りになってそろそろ落ち着いてきておられるだろうから、もうお運びがあるだろうと慰めておりますが。」

 そして、それはそれとして、睦臣むつのおみは娘の一人を私の通い処にさせている。かぐの強い子が生まれればすぐにみめに直るだろう。今のところその兆候はないが。

 「そうですね。私もがしらの土産を持っていこうと思っていたところです。撫菜にそのようにお伝え願えますか。」

 睦臣むつのおみの娘である撫菜は少々嫉妬深く面倒くさいところがある。かぐに感応するのでわかりやすく好意的ではあるのだが。

 「おお、それは撫菜も喜びましょう。今宵は特に心をいれてお待ちしておりますことでございましょう。」

 睦臣むつのおみが立ち去ると、目立たないように息をついた。

 父も娘もわかりやすい。わかりやすいということは、扱いやすいと同義ではない。

 朝堂を出て階を見下ろすと、尾羽がやけに立派な小鳥と戯れている女童が見えた。俺の従者の蜜月みつきだ。

 次の正月で十二になる蜜月みつきは、どこからか見ても文句のつけようのない美少女で、今も若い官人たちの注目を集めている。

 さらさらと美しい黒髪。

 透き通るように白い肌。

 長いまつげに縁取られた、黒目がちの大きな目は濃い琥珀。

 しかも帯に下げた釣り香炉から甘く薫餌くのえが香る。

 見るだけならこれほど美しい少女はなかなかいまい。

 蜜月みつきが俺を見上げ、笑う。

 蜜月みつきと戯れていた小鳥の依緒音が、おれの肩に飛んできた。

 渡魚師とぎょしの柑次が馬を引いてくる。


 なにかありました?


 怪訝そうな蜜月みつきの目がそう言っている。いかんいかん、顔に出てたか。

 「先ほど睦臣むつのおみと話した。今宵は睦庄むつのしょうの撫菜のところに行く。」


 えー、今夜あたり乙姫様のところかと楽しみにしてましたのに。


 蜜月みつきの顔にくっきりと不満が浮かぶ。言うな、俺だって乙姫のところでくつろぐ方がいい。かぐにとろんとなりながら恨み言ばかり言う女を抱きに、誰が睦庄むつのしょうなんぞへ行きたいものか。

 「適当に団扇を選んでくれ。持参する。」

 

 はーい。でももう団扇って季節じゃないですよ。


 確かにすでに風は涼しく、団扇という気分じゃない。しかしまだ蚊は出るし、役にたたないわけでもないだろう。なにより他に土産がない。

 柑次が手綱をとる馬にまたがる。馬のそばを女童の蜜月みつきに歩かせるが、特に悪いとは思わない。自分の宮まですぐだからだ。

 朝宮は俺が暮らす輝宮かぐのみやの目の前だ。正直に言えば馬に乗るより歩いた方が早い。形式とか威儀とかいうのは面倒なものだ。

 「お帰りなさいませ宮様。御文がいくつか参っておりますよ。」

 母屋に入るとそう言って婆どのが迎えてくれた。

 俺のあとから蜜月みつきが母屋に入ってくる。

 「蜜月みつきも疲れたでしょう。一度局にお下がりなさい。」

 婆どのの言葉にうなずいて、蜜月みつきは自室の方に戻っていった。

 蜜月みつきは声を出す事ができない。

 生まれた時からなのだそうだ。

 喋れない美少女というのはちょっと薄幸な感じもしてやたらと健気に見えるらしく、蜜月みつきの評判はすこぶるいい。

 しかし俺は声を大にして異を唱えたい。

 蜜月みつきはかなりの毒舌家で、しかもまったく大人しくない。

 主である俺に容赦なく突っ込むし、俺の通い処や同僚への評価も辛辣だし、無駄に思い切りもいい。夏越の月に北のがしら龍眼たつのめに行った時はすごかった。蜜月みつきは他族の霊地に、自分の薫餌くのえを盛大に撒いたのだ。

 確かにあのおかげでかろうじて大祓は成功しはしたのだが、普通はあんな事はしない。

 薫餌くのえというのは蜜月みつきの持つ力の結晶だ。薫餌師くのえしは口噛酒に木の実や香草などを加えて練り、熟成させて薫餌くのえを作る。その薫餌くのえを用いて他の動物を寄せ、声で従えるのが薫餌師くのえしの本分だ。

 その薫餌くのえを霊地に撒くということは、その霊地を乗っ取ろうとしているのだといわれても仕方がない。

 実際、龍眼たつのめの長は薫餌くのえを撒いた蜜月みつきを欲しがった。すぐに引き下がったから蜜月みつきは冗談とでも思っているかもしれないが、長は半ば以上本気だったのではないかと思う。そのぐらい、龍眼たつのめで見せた蜜月みつきの力はずば抜けていた。

 白衣びゃくえを脱ぎ、衣類を楽なものに緩める。婆どのはてきぱきと脱いだ衣類を衣桁にかけた。

 「お茶をおいれいたしましょうか。はしりの栗を焼いてございますよ。」

 栗か。もう秋だな。確かに団扇はそろそろ厳しいか。

 栗に合わせて香ばしく炒った茶を飲む。栗は思ったよりもしっかり甘くて、いかにも蜜月みつきが好きそうだ。

 「婆どの、これを…」

 「蜜月みつきにでございましょう。もう用意してございますよ。」

 言い終えるよりも早く婆どのに言われてしまった。結局は俺も蜜月みつきに甘いのだ。あの無声毒舌家の女童を俺は確かに気に入っている。



 

 茶と栗で一息入れると、俺は届いている文に取り掛かった。蜜月みつきが団扇の残りをもってくる。

 三通は女からだ。

 そのうち一通は撫菜。

 とりあえず撫菜には今宵伺うと返事をして、残り二通には団扇を添えて返事を出す事にした。なかなか全員は回れないから、せめて土産だけでも届けてしまおう。

 

 いっそまだ団扇を渡せていない方には、こちらから御文を送った方がいいですよ。団扇と一緒に。

 季節的にぎりぎりですもん。

 

 団扇を選んでいる蜜月みつきの意見に従って、さらに二通文を書く。

 団扇を配る仕事は柑次に頼む事にした。バラバラの場所をまわるには、渡魚師とぎょしの方が効率がいい。

 蜜月みつきは相手の趣味や文に使った料紙と団扇をうまく合わせて割り振ってゆく。おかげで女の文はすぐにさばき終わった。

 残りの一通は領地からだ。輝宮かぐのみやの御封として賜っている領地は大淡海の畔にある。米もよくできるが良い茶葉の採れる地域だ。そこから今年は米の作柄はいいが、暑すぎたので茶葉の質が落ちたと言ってきている。

 さて、どう考えたものか。

 何か理由があれば不作を言い立てる領地は珍しくない。去年まで領地を任せていた男は信用できたが、今年入ったばかりの男はまだ任せきりにはできない。これは爺どのとはかって誰かに様子を見に行かせようと思う。

 爺どのを呼び、人選を相談する。

 一通り処理を済ませると、蜜月みつきがまたお茶を運んできた。今度は栗でなく揚げ菓子が添えられていた。

 お茶を飲んでいると蜜月みつきがこちらを見ていた。

 「どうした。お茶がほしいのか?」

 蜜月みつきが首を横にふる。

 「じゃあ菓子か?」


 違いますよ。なんです人を食い意地がはってるみたいに。


 そんな風にいう気はないが、蜜月みつきは甘いものは好きなほうだ。

 

 いえ、揚げ菓子といい、主の服装といい、ずいぶん涼しくなったなあ、って。

 

 今の俺は自分の宮なので、指貫の上に単をまとって帯でゆるく留め、上から袙を羽織っている。

 

 暑い時はひどかったですもの。指貫に単を雑に羽織っただけで。あれはすごくだらしなかったですよ。


 どうやら蜜月みつきは俺の着物の枚数で、季節の移り変わりを実感しているらしい。

 ちょっとムッとしたが、下手に反論すれば婆どのまで一緒になって言い立てそうだ。俺は仕方がなく、揚げ菓子をもそもそ食べた。




 

 「輝宮かぐのみや様、ずっと、ずっとお待ち申し上げておりましたわ。」

 居間に入った途端にかき口説く調子で言われてちょっとした怯んだ気持ちを、とりあえず笑顔を浮かべる事で誤魔化して、持ち直す。

 「長い留守の後始末に手間取ってしまいました。しかしあなたの姿を見て、その時間もなかった事のように思います。」

 撫菜は美しいというよりは美しく粧っている女だ。素材は良く活かしているし、良く似合ってもいる。よく考え抜かれた白粉の塗り方、紅のさし方にはいつも素直に感心する。

 「まあ、宮様にお会いできなくてきっと見る影もなくやつれておりますわ。」

 ただ、仕草や声音に関しては研究の余地があるように思う。席に着いた途端しなだれかかってくるところや、少々芝居がかって感じる声音は、正直に言えば過剰だ。

 「いいえ。いつも私が思い浮かべる美しいあなたですよ。今日も蘇芳の色がとても良く似合っておられる。」

 撫菜は蘇芳の単が好きだ。実際、撫菜の白いもち肌を赤い色はさらに引き立てている。おそらく本当は鮮やかな紅が一番いいのだろうけど、撫菜は女官の資格を持たないので、紅を身につける事はできない。

 「まあ。それではやっとお会いできた喜びが、私を輝かせてくれているのですわ。」

 横目で見ると従者の蜜月みつきは居間の入り口に大人しく控えている。大人しく控えているけれどなんと言いたいのかはわかる。

 

 まあ頑張って下さい。


 今うつむいたのはあくびを噛み殺すためだろう。確かに他人事なら派手なわりに退屈な見世物と言うところだ。

 「龍眼たつのめで手に入れた珍しい羅を張らせて私が絵を描きました。受け取っていただけますか。」

 そうささやくと察した蜜月みつきが団扇を差し出してきた。案の定、蜜月みつきの目尻には涙の跡がある。蜜月みつきから受け取った団扇を改めて差し出すと撫菜が嬉しそうに顔を赤らめた。

 「まあ、私のために…」

 ちがいます、とか蜜月みつきが突っ込んでいる気がするけど気にするまい。美しい誤解はそのままにしておいた方が幸せということもある。

 私はそのまま撫菜の酌で酒を飲み、撫菜と共に閨に入った。




 蜜月みつきの操る龍舟に座り、船端にもたれた。

 「…疲れた…」

 本当に疲れた。肉体的にも精神的にも。

 夜の明けぬうちに撫菜の屋敷を出るためにろくに眠りもせず、後朝の愁嘆場を演じて舟に乗る。まったくなんのために俺はこんな事をやっているのだろう。

 いやなんのためかというのはわかっている。子を作るためだ。

 皇子や王と呼べるほどにかぐの強い子が生まれればもちろんいいが、そうでなくてもかぐの力を他族の血の中に残すのでもいい。神霊を魅了するかぐを絶やさないためには、多くの子供を作ることが望まれる。今のところ、一人も作れていないわけだが。

 かぐが強すぎると子を作りにくくなる事があるというから、俺ももしかしたらそうなのかもしれない。

 とにかく、俺がそれを望む女のもとに通うのは、輝宮かぐのみやとしての仕事のうちだ。


 まあお疲れ様です。


 蜜月みつきが棒読みの気配を強く漂わせながら竹筒を差し出してくる。中には水出しの香草茶が入っていた。乙姫のところで出されて以来、蜜月みつきが凝っているのだ。何をいれてあるのかほんのり甘酸っぱい味が、疲れた身体にありがたい。

 「蜜月みつきはどうしていた。」


 いつも通りですよ。主の情報を引き出そうにも私は声が出ませんし、ずっとお菓子をいただきながら宿直の侍女のみなさんのお話を傾聴していました。


 不思議なんだがどうしてみんな、蜜月みつきが無口だと思うのだろう。声が出ないというだけで本当によく喋るんだが。神霊にろくに感応しない俺ですら蜜月みつきの言ってることはわかるのだから、ちょっと注意すれば誰でも読み取れそうなものだ。

 釈然としない思いで竹筒に口をつける。それはそれとして香草茶は美味い。

 ちまちま飲んでいる内に、舟は淡海から穂積の川に入り、すぐに輝宮かぐのみやに入った。


 

 


 

 


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