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煌(かぐ)の龍の眠る國  作者: 真夜中緒
龍眼(たつのめ)のひらくとき
6/20

龍眼(たつのめ)がひらいたら

 目が覚めたら春だった。

 本当にそんな感じ。

 火桶とは違う、柔らかな暖かさは心地よく、雪の消えた庭は若草の淡い緑に満ちていた。

 祀りの終わりと同時に主共々昏倒してから、目覚めるまでに三日もたっていたらしい。その三日の内に龍眼たつのめの郷の雪はすっかり溶けて、春の景色に変わっていた。

 主は一日で目覚めたそうで、私が目覚めたと聞くと早速やってきて、私は体力と根性がないのだとくさした。

 主と私は十歳とお違う。

 主は二十一歳の公達。

 私は十一歳の女童。

 根性はともかく体力は、比べる方が間違っている。むしろ言ってて恥ずかしくないんだろうか。

 目は覚めたけれど熱が出て、私はそのあとさらに三日寝込んだ。つまり主は熱の出ている女童をくさしていたわけだ。本当に恥ずかしくないんだろうか。

 私が起き出した次の日は、星の節句の日だった。

 星の節句には綺や羅の衣を星明りに当てるのが習いだ。私は衣桁を外に出して、主と自分の白衣びゃくえをかけて星明りに当てた。

 みやこでは曜蚕に夜摘んだ葉を与えたり、甘芋の葉に結ぶ露を集めたりもするけれど、龍眼たつのめではそんな事はしない。ただ、余分な蓮茎を刈り取って夜乾しするのは同じだった。

 夜乾しした蓮茎から糸をとり、羅を織るところも同じで、ただ蓮が金蓮華であるのが違う。金蓮華の羅は淡く金色を帯びてとても美しかった。

 さらに次の日は龍眼たつのめの長に呼び出され、まず龍眼たつのめの上に薫餌くのえをばらまいた事を必死に謝った。声は出ないから外見的には頭を下げていただけかもしれないけど。

 「本来なら他族がわが龍眼たつのめを汚すなどあってはならん事だが、お前が我が子の妻になり、龍眼たつのめに残るなら不問としよう。」

 長の言葉はもっともだ。

 でも、本当に困った。

 私はみやこに、輝宮かぐのみやに戻りたい。私の大切なものは全部あそこにあるのだもの。

 「従者の不始末は主の私の不始末だ。私も共に償うから、その儀は簡便しては貰えまいか。」

 泣きそうになりながら頭を上げられずにいると、主がそう言って、上げられずにいる私の頭を撫でた。

 「ほう、その娘にご執心でございますか。まだ幾分幼いようですが。」

 いや、それはない。

 出そうだった涙が引っ込む勢いでそう思う。

 「執心というか、おらぬと不便なのだ。宮の召人めしうどたちも可愛がっておるからな。置いて帰れば叱られよう。」

 苦笑いの声で主が答えた。

 「ふむ。ならば宮様には我が妹、初音を訪っていただきましょう。その従者の娘も連れて。」

 初音どの? 確かにお綺麗なかただけれど、主が通うには年が上すぎているような。

 「妹が宮様とお話したがっているのですよ。あれがみやこから戻された経緯を私もはっきりとは知りません。なぜか宮様にその話をしたがっております。私も同席の上で、と。」

 どうやら色っぽい話ではなさそうだ。

 「それは構わぬが、それでは償いになるまい。」

 「さあ、償いになるかならぬか、妹の話を聞いてからですな。」

 そろそろと頭を上げると、長の口元にはほんのりと笑みが浮かんでいた。





 「私のわがままを聞いていただき、まことにありがとうございます。」

 初音どのは若楓の唐衣に萌黄を重ねた衣装をまとって、私達を迎えてくださった。長袴の上に重ねた裳は摺り模様のある浅葱色で、まさに萌えいづる今の龍眼たつのめに相応しい装いだ。

 すでに祀りのために何度も顔は合わせていたので、形だけ几帳を置いての対面となった。

 「輝宮かぐのみや様は今上の第五皇子でいらっしゃいますね。」

 とるものもとりあえずという感じで初音どのが切り出す。

 「そうだ。」

 「母君は穂積小川嬪ほづみおがわのみめ。」

 「そうだ。」

 「そして母君はすでにおいでにならない。」

 「そうだ。」

 主の声も硬い。

 初音どのの声が揺れる。

 「それでは、宮様を産み参らせたのは、私かもしれません。」

 え…

 なんの話?

 すごく、びっくりした。

 仕える主の母君の名は私だって存じている。主はその母君の名の邸も所有しておられる。

 穂積小川院。

 主の住む輝宮かぐのみやと同じ小川を邸内に取り込んだ、こじんまりとした邸だ。

 今上の皇子を産んだみめの邸としては小さいし、今上のおわす朝宮からも離れている。輝宮かぐのみや召人めしうども特に母君の話はしないので、私はてっきり身分の低い女官か誰かが今上の寵愛を賜って主を生んで亡くなり、形だけみめの位を賜ったのかと思っていた。

 「私の母に不可解な事実があったとは聞いている。私を産み、みめの宣旨を受けた直後に失踪したとか。」

 え、知らない。初めてきいた。

 みめの宣旨って皇子を産んですぐに出るはずだよね。出産直後に失踪って、それ誘拐か何かじゃないの?

 「ではあなたが私の母なのでしょうか。」

 主の問に、初音どのが首を横にふる。

 「わかりません。私は何も覚えていないのです。今上のご寵愛を被ったことも、皇子を産み参らせた事も。気がついた時は産褥の床で、まるでわけがわからなかった。」

 私はきっとぽかんとした顔で初音どのを見ていたと思う。

 いや、あり得ないよ。そこって女の人生でもっとも重要なところじゃないかな。それを覚えてないなんて。

 何かの冗談かとも思ったけれど、そういう感じじゃまったくない。そもそも冗談で言うようなことでもない。でも冗談じゃないとしたらひどすぎる。

 気がついたら産褥の床でしたって、単に辛くてわけがわかんないだけじゃないだろうか。

 「みめの宣旨の折、今上がお忍びでいらした折にもまともにお迎えもできず、混乱といたたまれなさでみやこを抜け出し、郷に戻っておりました。」

 初音どのはほろほろと泣いておられるけれど、私はどう考えればいいのかわからなかった。混乱して、出産直後の体で、どうやってここまで戻って来たのだろう。みやこからものすごく遠いのに。

 「初音はひどくやつれて戻ってきました。着の身着のままで突然、郷に現れたのです。腕に包みを一つだけ抱いて。当時はまだ先代の親父どのの頃でしたから、たちの親父どの前までやってきて、『かえしたぞ。』とだけ言って倒れました。」

 かえしたぞ…返した?帰した?

 それはまるで…

 「奇妙な話でしょう。実際に奇妙でしたよ。私はその場にいましたが、あの一言は初音の言葉には思えなかった。その後、長く初音は寝付きました。看取りにつけた老女が言い難そうに、初音は産褥をおして動いたせいで体を損なったのではないかと言っていたのを覚えております。」

 そんな状態で帰って来た娘が出産直後だとわかれば、きっと悪い想像しか浮かばないだろうと思う。

 「もともとはまめに文など送ってくるたちでしたが、一年近く文も途絶えておりました。誰か様子を見に行かせるかという話も出ておった矢先の事です。そこへやっとみやこから問い合わせがまいりました。」 

 先代の長は賊に拐われでもした娘を朝廷が放置し、今更問い合わせて来たのだと思ったらしい。まともに返事をしようともせず、「わからない」と突っぱねてしまったそうだ。

 「今回のことの後で、私も初めて初音に話を聞いた次第です。父は何も知らずに没しました。朝廷に逆らおうという気持ちは露ありませぬが、この事の不始末に付きましては申し開きのしようもございませぬ。」

 確かに事実だけ並べると、みやこを出奔して逃げ帰った寵姫を、親がかくまったようにも見える。それは朝廷への叛心ありと言われてもおかしくない。

 「…いや、私自身なんと言ってよいのかわからないのだが、なにぶん二十年以上も昔の話だ。帝も厳しい事は仰るまいと思う。私からも必ず口添えしよう。ただ、事の次第はできるだけ詳らかにしたいとは思う。」

 主には他にどう言いようもなかったと思う。

 そもそも自分の出生にまつわるこんな話を聞かされても、どうしようもないに違いない。ただ知ってしまった以上、追求せずにもいられないというだけで。

 「病みついている間はただ苦しく、病が落ち着いてしまえばもはや本当の事とも思えず、何も話さぬままにしてしまったのは私の咎でございます。何卒郷や兄へのお咎めなきよう今上に奏上してくださいませ。」

 初音どのは深く主に頭を下げた。

 「奏上は必ずいたそう。それでみやこからここまでを産後の身で、いかにして旅したのだ。」

 船に乗り、馬に乗り、勅命の旅であってすら半月もかかる道のりだ。女一人で簡単にたどりつけるとは思えない。

 「それも、ほとんど覚えておりません。」

 初音どのは目を伏せた。

 「気がついた時は産褥の床で、乳母が赤子を抱いておりました。私はまるでわけがわからなくて。それでも赤子がただならぬかぐを放っている事はわかりました。次の夜にはみめの宣旨の勅使がおいでになって、その勅使と共に今上がお忍びでなられたのです。」

 初音どのの指がぎゅっと衿元を握る。

 「今上は祝儀だと仰って、御自ら帯を渡して下さって。蜜月みつきどのにお貸ししたあの帯です 

。私が唯一抱えて戻った手荷物が、あの帯でございました。

 その帯は今手元に持っている。

 初音どのにお返しするつもりで持って来たのだけれど、そんな暇もなかったのだ。

 「今上は良き子を産んだと私の顔を覗き込まれて、それで驚かれた事がわかりました。たぶん私は今上の知っている寵姫とは違うとおわかりになったのでしょう。体をいとえと優しいお言葉はございましたけれど、私はいたたまれなかった。私には今上のご寵愛を被った記憶もないのに、その結果の皇子だけが確かに存在するのです。しかも今上もどうやらその事をわかっておられる。」

 それは、確かにいたたまれないかも。ただ、この場合その皇子というのは主で、私は私でいたたまれない気持ちだった。

 「私は混乱して、混乱した中で『帰りたい』と思いました。龍眼たつのめの郷へ帰りたいと。」

 主は何も言わない。何も言わないで初音どのの話を聞いている。何も言えないだけなのかもしれないけれど。

 「そこからまた、あまり記憶がございません。もっとも全くないというのではなくて、所々船に乗っている記憶や、どこかを歩いているような記憶はございます。結局はっきりと物事がわかるようになったのはここで病みついてからしばらくたった頃でございました。その頃になるともう何もかもが夢のようで。おかしな事でございますけれど、あれがやっぱり現実うつつであったかもしれぬと思いましたのは、先日宮様をお見かけいたしました折からです。」

 初音どのが主をまっすぐに見た。

 「その見事なかぐ。あなた様はまさにあの時の皇子。あなた様がここにこうしておられると言うことは、あれは現実うつつであったことかもしれぬと初めて思いました。ならば私はあなた様を産み参らせたのかもしれませぬ。しれませぬが…」

 主がふっと息をつく。

 「しかしその記憶は持たぬ。そういうことだな。」

 再び初音どのが目を伏せた。

 こういうの、どう言えばいいのだろう。

 初音どのの立場になれば、主を子とも、自分を母とも言えないだろう。主を身籠ったことも生んだことも、覚えていないというのだから。

 そして主の立場はもっとずっとどうしようもない。例えば記憶にはなくとも初音どのから主が生まれたとして、主にとって初音どのは母と言えるものなのかどうか。

 「いや、話して下さって良かった。少なくとも父上に聞かされていない、事情がある事はわかりました。龍眼たつのめにも初音どのにも責を問うことのなきよう、私から父上にはお話いたしましょう。」

 初音どのがほっとした表情を浮かべた。





 私達は結局、はとりの月の半ばまで龍眼たつのめの郷で過ごした。 

 雪の消えた龍眼たつのめの郷は雪のある時とはまるで違った。

 玉作では黄玉を磨く光景が見られるようになった。黄玉は龍眼たつのめから流れ出す川で探すものなのだそうだ。木立の中の川は雪が溶ければ黄玉を探す場となる。

 ごくごく小さな黄玉でも丁寧に磨けば、それなりの値で売れるらしい。

 川は木立を抜けると蓮華に流れる。木立を抜けた川には金蓮華が茂り、金色の花弁を誇らしげに広げている。こちらは開ききった花をバラして乾かしたものが、白内障しろそこひに効く薬種となるのだ。

 開いた龍眼たつのめも見せてもらえた。

 一面真っ白の雪だった龍眼たつのめは、ふちから七分目ほどまでが金色の水面に変わっていた。中央には雪というよりは氷が残り、淡く空の色を映している。

 確かにこれは龍眼たつのめだ。

 金色に輝くという龍の眼にぴったりだ。

 龍眼たつのめの金色の水は川に注ぐ時には金色に泡立つのに、川の水は普通の透明で、その代わりのように黄玉の原石が稀に川底に転がっている。まるで泡立つ事で金の色が凝って黄玉になるみたいだ。

 幸いにも私が薫餌くのえをばらまいた影響はないようで、その事にはとてもほっとした。これだけの霊地に僅かの歪みでも残したら、取り返しのつかないところだった。

 そういえば依緒音はすっかり定着してしまった。主が神霊を纏う媒になったあとは消えてしまうだろうと覚悟していたのだけど、まるで当たり前の鳥のようにその辺をとんでいるのを見た時は驚いた。

 実際、主から龍が離れて天に上った時には、主の肩にはいなかったはずだ。離れの世話をしてくれるようになったあとりによると、龍眼たつのめの開いた次の朝にどこからか戻ってきたのだそうだ。呼べば来るが呼ばなくても、私か主の近くにはいる。

 龍眼たつのめを離れたのは望月の次の日、来た道を反対にたどってみやこにつく頃には、月神はもう穂積社ほづみのやしろに移っていた。




 「綺麗…」

 私宛の小さな箱には、親指の爪ほどの黄玉を彫った蕾が箱の中には収まっていた。おそらくこれは金蓮華の蕾だ。膨らみかけた花びらの重なりが丁寧に彫られている。釣り香炉の下に下げれば、とてもかわいらしいと思う。

 主にはもっと大きな黄玉が贈られて来たけれど、それには裏側から、金蓮華の群れ咲く様子が彫り込まれていた。

 あとは干した金蓮華一俵に、金蓮華の羅が四反。うち一反は恐れ多くも私宛になっている。

 私達を追いかけるように龍眼たつのめから届いた荷を宮まで運んできたのは日吉だった。日吉にも荷は届いたそうだけれど、日吉としては龍眼たつのめの郷と縁を結べたのが嬉しいらしい。

 「黄玉もでございますがやはり金蓮華は大きゅうございますね。龍眼たつのめ以外ではとれない貴重な薬種でございますから。今回は途中でも色々手配できましたので、悪い旅ではございませんでしたよ。」

 そう言って、主が買いそびれたみやこ風に仕立てさせた皮衣かわごろもを二着出してくれた。

 さすがは乙姫様の配下だ。卒がない。

 主は日吉に礼を言うと、受け取ったばかりの金蓮華の羅の一反を、急いでできるだけたくさんの団扇に張ってくれと依頼した。通い処の女君たちに配ろうというらしい。

 「それから一反は乙姫に。」

 そう言って差し出した一反を、日吉は笑って戻した。

 「それは直接お渡し下さい。その方が喜ばれます。」

 日吉のいうことはもっともだし、やっぱり主はちょっと残念だ。

 穂積の月が終わる頃には、みやこも朝晩は涼しくなりだした。南北の神気は順調にまわっているらしい。

 主は出来上がってきた団扇に金蓮華の絵を描くのに忙しくしている。絵でも書でも水準以上にできるのが主という人なのだ。主が手ずから描いた団扇というので、差し上げた女君たちには喜ばれているそうだ。

 顔が良くて、頭も良くて、かぐも強くて、芸も達者。

 それでも必ず残念なところが見つかるのが主というひとの味わい深いところだと思う。

 神霊に感応しないとか、節操なく通い処を作るとか、自分の宮ではだらしないとか。

 主が団扇を配り終える頃には、そろそろ団扇のいらない季節がくるのだろう。


第一章「龍の眼がひらくとき」はここまでです。

全体のタイトルと第一章のタイトルが同じなのもどうかとおもいますので、全体のタイトルを「かぐの龍の眠る國」に変更いたします。

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