悪趣味な作戦行動
陽射しあふれる平原は、爽やかな風が吹いてとても心地がいい。
……黒い有害指定生物が、足下の雑草を蹴散らしながら跳ねて日光浴しているのを視界から外せばの話である。
テトラが長年そうと知らずに育てていたハエ取り草は、舞燈の王の指示を怯えながら受け入れ、自力で地面から根っこを引き抜いて動き出した。もう知能がない振りをするのは諦めたらしい。天気が良い日は、吹っ切れたように踊り狂って光合成している。
そして、今回の作戦指揮を執る王族二人の話し合いにより、あの生物は敵地に単騎突撃して混乱させる役割に決まってしまった。おそらく北の魔術師達もあの生物の脅威は知っているので、目撃すれば指揮系統が乱れるぐらいの効果は出るとか。そんなにも忌み嫌われているのか。あのサイズだと簡単に燃やされそうなのに。
あれが過去にどういった事件を起こした生物なのか、結局は教えてもらえなかった。
商人のための街を出発し、数日。その間に、あの生物は私達の行動拠点へと近づく妖魔をエサにし、学院で育てていた頃よりも更に大きくなった。物理法則を無視して育つのを見て、確かにこれは危険かもしれないと考えた。
あの食虫植物を簡単に従わせる舞燈の王の能力が気になるところ。でも、詳しい話は聞きかせてもらえない。始祖王との契約なのだとか。
朝の所用を済ませてから斥候用の天幕の中をのぞくと、舞燈の王は爪を研いでいた。他の人は出払っていて居ない。私の姿を見て、彼女はつまらなさそうに言う。
「あら、アンタまた来たの?」
「聞きたいことが山のようにありますから」
「魔術師ってホント好奇心旺盛ねー。生き急いでいるのか、死に急いでいるのか」
暗に、お前ら人間では不老不死に届かないと言われたかのよう。
「どうしても、始祖王の時代の話は聞かせてもらえませんか?」
「魔術制裁が起きるから嫌。今もアストロジアとの契約は継続中だから。あと、私がアンタと話をしても楽しくないのもあるわ」
「はあ」
テトラが相手なら、当たり障りのない話とかしてくれるんだろうか。でも、彼女はシデリテスからテトラへの接近を禁止されている。
「今回のこの作戦に協力はしてくれるんですね」
私の質問に、彼女は気怠げに答える。
「人と人同士の争いには介入しないけれど。そうでない場合において、私はアストロジアの子孫に力を貸すわ」
何気無い風にして、とんでもないことを言われた。
「……今回の、ジャータカ王国から北の侵略者を追い払う作戦は、人同士の問題ではないんですか?」
その質問に、彼女は答えない。爪研ぎをやめてそっぽを向く。
「飽きた。今日はもう何も話してあげない」
「……分かりました」
舞燈の王がわざと気まぐれな振りをしているのか、本当に気まぐれなのかは掴めない。
でも。今日は、と言うなら。彼女が話をしてくれる気になる、あるいは話をしても良い状況になるまで、退いておこう。
ここに来る途中で隠しボスの精神体とすれ違ったことを考えると、彼女も猫に封じられた姿で何かを察していたのだろう。
先へ進むにつれ、人のいる集落に入る前の罠や呪いの探知に反応が出始めた。
斥候役の人達が潜入した時点で怪しい存在は居なかったので、罠も呪いも全て内側から無効化して中へ入り、現地の人たちへの交渉や説得を繰り返す。その結果、今の段階では味方と安全地帯を増やすことに成功している。
その作戦は順調過ぎて、全員が逆に警戒を始めた。
本当に敵はまだこちらに気付いていないのか、それとも、把握しているからこそ誘い込んでいるのか。シデリテス達は、何パターンもの想定を重ねている。
現在は、この国に派遣された全員で、平原上に陣地を作って待機していた。
平原上にいくつも並ぶ天幕は、そこそこ目立つ。遠目に見つからないよう隠蔽の術を使っているけど、魔術耐性の高い相手には効かない。何か起きたときに民間人を巻き込まないようにするのが目的だ。
もし敵側の召喚師から魔獣の群れをけしかけられるなら、今のように平原上に陣を構えている方が対処しやすいのだけど。むしろ今のうちに来てほしくて、平原上で固まって待機しているのに。まだその気配がないということは、これから行った先の街や村ごと人質に取られる可能性が高い。
ここでなら、地面を陥没させて魔獣を埋めてしまえるのに。
テトラは天幕の前で台座を組み上げ、前日に寄った村で買った野菜を加工していた。テトラと同じ天幕を利用する騎士達も、その作業に参加している。ご飯の用意は当番制で、今日はテトラがいるグループの担当だ。
葉物の野菜をすり潰し、練ったパン生地に混ぜ、組み立て式の竃で一定時間焼く。焼き上がりをみんなで待ちながら、テトラは私に話しかけた。
「ゲルダ、まだあの人のとこに話聞きに行ってんの?」
「だって、始祖王と直接会った人と会話できる機会なんて珍しいでしょう?」
エルドル教授もその辺り怪しいけど、今すぐ会えるわけじゃないし。
「何か答えてもらえた?」
「……それは、特には」
「聞きたいこと教えてくれないなら放っとけばいいのに。あの人が猫のときにゲルダの手を引っ掻いたの、ディーはまだ怒ってるし」
「そうなの?」
「ゲルダを怪我させたことも、その後も。機嫌悪かった」
その後? 何かあっただろうか。怪我はルジェロさんが治してくれた。
「ところで、ディーとアエスは今どこにいるの?」
「あっちの天幕で武器の手入れしてる、騎士の人も一緒に」
「そうなると、邪魔しない方がよさそうね」
「そーだね、あっちもあっちで僕らと違う仕事を振られてるし」
この作戦には私達三人以外にも魔術師が参加しているのに、何故か私達はそれぞれ違う分担で警戒に当たらされている。
しばらくは三人だけで話をするのは無理そうだ 。重要な用事があるわけではないけど、ヴェルと日常の挨拶すらしない日は、盾の街の調査をしていた間ぐらいだったのに。
ヴェルのことは心配だけど、一緒に仕事を割り振られている騎士の邪魔をして顰蹙を買うのも面倒だ。使い魔を飛ばすぐらいで我慢しよう。
テトラ達が焼いた野菜パンをカゴに入れ、陣地中央の天幕へ向かう。
イライザさんとガーティさんが、女性騎士に囲まれて何かの資料を読んでいる。
「昼食のパンが焼けましたよ」
「ありがとうございます、ゲルダ先生」
安全地帯の街で合流した時から、イライザさんも戦士のように動きやすい格好をして、レイピアのような細い剣を腰から下げている。彼女が武器を扱えるよう鍛えているのは意外だった。代わりに、ガーティさんは学院で会った時と同じく侍女服のまま。
カゴを卓上に置いて戻ろうとしたら呼び止められた。
「報告もありますし、ゲルダ先生もこのままこちらで昼食にしていってください」
言葉に甘え、中央に用意された椅子に腰掛ける。
「新しく情報が入ったんですか?」
「はい」
ガーティさんが淹れてくれたお茶を受け取って飲む。現地調達した茶葉なのか、慣れない味だけど良い香りだ。
イライザさんによる説明を聞きながら考える。しばらくは彼女とも二人きりで会話する機会はない。どうして彼女がゲーム内とは違う行動をしてきたのか問うのは、状況が落ち着いてからになりそう。
「王宮を拠点にしている集団が、アストロジア王国へ向かった仲間の戻りが遅いことにやっと気付いたようで、これから先の地域は警戒態勢に入っているようです」
「今まで問題なく通過できていたのは、罠じゃないんですね?」
この国で活動している侵略者達は、新月祭の日にナクシャ王子の暗殺に失敗したのに、今まで気付かなかったということ?
シジルは、トレマイドが私にボコられたことを把握しているはずなのに。トレマイドのことを嘲笑っていたし、暗殺が上手くいこうが失敗しようがどっちでも良かったとか?
静かに野菜パンを頬張る私に、イライザさんは話を続ける。
「組織の頭が北の大陸に戻っていて、ジャータカ王国に残っている手勢は統率力がないのではとの推測です。ちょうど北の国で特定の魔術組織が問題を起こしたのが判明して、荒れているのだとか」
地鳴りの件からして、やっぱり北の大陸で事件が起きていたのか。
下っ端を使い捨てだと思っていて、報連相が雑なのかもしれない。
「そうであれば、今が先に進む機会でしょうか」
シジルはきっと、シデリテスの予知通りに翡翠の遺跡にいて、深部を目指しているのだろう。
ラスボスの持つ魔力を奪われるのも困るけど、シジルがそっちを優先して行動しているなら、ジャータカ王国を救う余裕ができる。万が一、シジルがラスボスの力を手に入れてしまってここに来ても、舞燈の王が力を貸してくれている。人外の力を人外の力で削いでしまえば、あとは人と人の戦いだ。
問題は、その段階でラスボス2号や隠しボス2体が乱入してこないかどうか。
アストロジア王国には戦闘面の切り札である王子二人と現王様が控えているし、エルドル教授だって王族の判断次第で動くことができる。
勇者役の主人公二人とその仲間がここに居なくても、世界の危機は回避できるはず。
あのRPGの登場キャラ達は、好き好んで勇者役をこなしたわけじゃなく、巻き込まれて仕方なく生き残ろうとしただけだった。早いうちに苦労を減らしておけるなら、その方がいい。
とはいえ、世界を救う手柄の横取りをしたいわけじゃないから、面倒ごとが向こうからやって来ないことを願っている。
次に向かうのは、王宮に一番近い街。
この街はもう北の国からの侵略者達に牛耳られていて、最近は街の警備をゴロツキに任せているため、商人も旅人も近寄りたがらないそうだ。街に入ったら最後、生きて帰れるのか分からない。
ここから東は無法地帯だと説明され、ナクシャ王子は言葉を無くしていた。寺院すら陥落している衝撃は大きいようだ。
今まで通り抜けていた街や村に問題がなかったのは、グレアム家があの地域の貴族やアストロジア王国側に治安維持を呼びかけて自警団を支援していたからだという。
その支援の限界を、これから突破して制圧もしくは解放することになる。
作戦通り、自由意思で動き回る巨大ハエ取り草を、夜明けと同時に街へ突撃させることになった。知らないうちにまた妖魔を餌にしたのか、黒いハエ取り草は人の背丈以上の大きさに育っている。これ以上育つと謀反でも起こされるんじゃないか、と心配になるタイミングでの作戦実施だ。
今まで畑の害虫駆除をしてもらった恩はあるし、何かあったら弔うぐらいはしてあげよう……。
街から距離を取った場所に陣を構え、夜明け前に黒い生物を野に放った。監視のために鳥型の使い魔集団も同時に飛び立つ。
ハエ取り草は左右に揺れながら、舞燈の王の指示通り、街に向かって突き進んでいく。
使い魔の目が街の姿を映し出すと同時に、日が昇る。
そして、街の外壁にある櫓で警備に当たっている人達が、異常に気付く。
そこからは、できの悪いホラー映画のような混乱が始まった。
どうやら今日の警備役に魔術が使える人間は居なかったらしく、警鐘を全力で鳴らして一斉に退いていく。
魔術が扱えないということは、現地採用された無法者だったんだろうか。だとしても、この国では妖魔が日常的に湧いて出るはずなのに、対策を用意していないのだろうか。矢や投石での抵抗ぐらいしてもいいのに、それもない。
こちらの陣地で待機している人達も、その光景に疑問を抱いていた。
巨大ハエ取り草は外壁上のパニックに構わず、木製の門に体当たりし始めた。あの生物の力でそれを打ち破るには無理がある。
そう思ったところで、こちらの陣地の中央でゆったりと椅子に座る舞燈の王の手から、大型の鳥の姿の使い魔が飛び出した。その鳥はある程度の高さまで飛ぶと、一気に下降して街の門へと突っ込んだ。大砲でも打ち込んだかのように、門が吹き飛ぶ。
それに乗じ、ハエ取り草は街に侵入を開始した。進むたびに、ゴロツキにしか見えない人間達が逃げ惑う姿と遭遇する。
使い魔経由で見届ける限りでは、この街には小悪党しかいないようだ。どれだけ待っても戦闘要員が出てくる気配がないし、普通の民間人の姿もない。
舞燈の王が何故か愉快そうに話す。
「もしかしたら、ここは事前に街ごと捨てられたのかしらね」
シデリテスが忌々しげに言う
「こちらを侵略者扱いするための罠か……」
「そうね、それも含めて、何重にも罠が仕掛けられているから、まだここで待機してなさい。これから、あの生物に罠を“消費”させてくるから」




