夢鏡
焦ってもがいたけれど、液体じみた感触や抵抗はなく。
体は下降する。
景色が泡のように流れて切り替わり、銀の足場と暗い宙の見える場所にきた。
浮いたままの私の足元には、先程挨拶した人の姿がある。
シデリテス・シルヴァスタが、茫然とこちらを見上げていた。
どうやら、私をこの空間へ引っ張りこんだのはこの人らしい。
彼は私の足から手を離すと、額を手で押さえ後ろへ倒れこんだ。床(?)で頭を打ったけど大丈夫だろうか。
低く幽かな声で言う。
「申し訳ない……私はまた間違えたようだ」
シデリテスは倒れたまま深く溜め息をついている。どうやら落ち込んでいるらしい。
間違えたとは何のことだろう。
ぼんやり宙に浮いたままの私に、占術師は弁明を始めた。
「そちらのことを何かの兆しと間違え、私の夢鏡の場へ引き込んでしまった」
「夢鏡?」
「ここは、私の精神の奥にある場所」
つまり、心の中?
どうやら私の仮眠のタイミングが悪く、この人の術に巻き込まれてしまったらしい。
反応が鈍い私に、シデリテスは起き上がりつつ神妙に説明する。
「私は先読みが苦手でね。過去に何度もシャニアを巻き込んで、アーノルドから怒られた。ようやく他人を巻き込まずに情報が得られるようになったと思えば、この有り様。後でもう一度、現実上で貴方に謝罪をしなくては」
「いえ、お気になさらずに……」
さっき対面したときは冷静な人だと思ったけど、こうして会うシデリテスは雰囲気が違う。実は今回の作戦の責任者として緊張していたんだろうか。自国と隣国の行く末が掛かっている案件を預けられては、平静でいるのは難しいか。
シデリテスは私に正面から向かい合い、真面目な顔で告げた。
「これも何かの縁ということで、貴方にも今回の占術に協力してもらえないだろうか」
「分かりました。結果は他の人に話しても良いのでしょうか?」
「それは内容次第になる」
それもそうか。
協力と言っても、この場にただ居るだけで良いと言われた。私はふわふわ浮いていた状態から、シデリテスの手を借りて地に足をつける。
シデリテスは目を閉じ、意識を集中しながら話す。
「シャニアから、今回の作戦のきっかけとなった未来視についても聞いている。貴方の協力があったのだと」
「魔獣による襲撃ですね」
「そう。それに先んじて行動できているのであれば、未来に変化が起きているはず」
彼の言葉が終わらないうちに、宙から流星のようなものがいくつか流れ落ちてきた。
今回も、消えた可能性から先にやってくるのだろうか。
そう思いながら光を目で追うと、そのうちの一つが弾けるように映像を映し出す。
泣きじゃくる銀の少女と、その話を聞く幼いシデリテスの姿が見えた。
「落ち着いて、シャニア」
「こわい、こわいのです。赤い髪の女の子が、私の居場所を奪ってしまう」
「そんな日は来ないさ。アーノルドは君を大事に想っている」
「でも、お兄様。あの女の子は悪い子ではないからこそ、私が不要となってしまう」
……シャニア姫は、あの乙女ゲームの内容を未来予知で知ってしまっていたのか。
その過去の光景に、低い声で説明が入る。
「永らく先の見通せなかった我が国は、盾の街に起きた悲劇を予知できず迷走していた。占術の能力が抜きん出ていた当時のシャニアでさえ、悪夢に近い予知しか出来ず苦しむ始末。だがソーレント公爵の娘の姿を夢に視て以後、シャニアは赤い髪の少女の幻影に怯える日はなくなった」
「……私、ですか?」
そういえば、この場にいる私は髪の色が緑に戻っている。この髪の色は珍しいから、シデリテスも私の素性にはすぐ気付いたのだろう。
「過去にシルヴァスタ主催の茶会に公爵四家を招いた際は、貴方とシャニアを引き合わせても何も変化がなかったけれど」
「そ、そんなことがあったんですね……」
まるで記憶に無い。
「貴方とシャニアはまだ三つだったからね。覚えていなくとも不思議はない」
「はあ……」
おそらく当時の私は、タリスを構うことにしか興味がない子供だっただろう。そんな状態で王族と交流させて良かったのだろうか。周りに失礼なことを言っていないといいけど。
「貴方が公爵家を出たのが、最初の転機。そして、次にグレアム家の令嬢が兄の仇を討つと決めたことが二度目の転機。それにより、シルヴァスタの予知した未来は大きく変わった。これからも変わり続ける。渦中に貴方達を置いて」
……それは、私がゲームシナリオを壊しているから。シデリテスの話を聞いた感じでは、イライザさんの行動も本来のものとは大幅に逸脱しているのか。彼女も私と同じで、ここがゲームの世界だと把握した身の上なんだろうか?
そう考える間にも、流星雨は止まずに流れていく。
そのうちの一つが目に留まる。
翡翠色の巨大な建造物の内側に、一人の少年が立っていた。
あの場所は知っている。キラナヴェーダのラスボスが封印されている地。
その遺跡の中を、少年は歩いていく。象牙色の肌と髪に薄紅の瞳で、遺跡に溶け込むような色のローブを身に付け、その背には異様な形状の鍵の紋様が描かれている。
……シジルだ。本来なら、ラスボスのために生贄になったはずのNPC。
儚げな雰囲気の容姿とは裏腹に悠然と歩き、最奥の区画までたどり着いたシジルは、屈んで封印の魔法陣に触れた。
遺跡全体が光を帯びる。
黒い稲妻が奔り、シジルを捕縛しようとした。ツユースカとシジルが犠牲になり復活するはずだった刺礫の王は、捧げものなく呼び出されたことに反発しているようだ。
けれど、シジルは口元に薄い笑みを浮かべ、黒い稲妻は逆流するように跳ね返る。
異形の悲鳴代わりに、遺跡は激しく振動した。
……最近こっちの大陸まで揺れたのは、まさかシジルのせい?
そんなことを考える間にも、遺跡の中心からシジルへ向けて光が流れていく。そして、刺礫の王の抵抗が弱まるかのように、黒い稲妻も威力が落ち、遺跡の揺れも鎮まっていく。
ああ、シジルは、モルスの計画を代わりにうまくやってのけてしまっているのだ。
物語の元凶にありがちな、ラスボスの力を奪おうと計画し失敗するというテンプレ。モルスはそういう役回りのキャラだったのに。シジルはそんな醜態を晒すことなく、目的を達成してしまう。
薄い唇を弓のように引いてにんまりと笑うシジルは、異界の王から奪った魔力を纏いその場から姿を消した。遺跡内を照らす灯りだけを残して。
空間転移の魔術は人の身では不可能だと、散々ゲーム中で言われていたのに。
あれだけの力を手に入れて、シジルは何をする気なのか。
再び私の意識は銀の空間へと戻っていた。
シデリテスが困惑したように独りごちる。
「今の光景は一体……?」
どう説明しよう。下手なことを言って私が不審がられても困る。
「……あんな格好をする魔術師はアストロジア王国にはいませんから、北や南の国から情報をもらう必要があるかもしれません」
私のその言葉に、シデリテスは数度瞬く。宙へ視線を向けて言う。
「あの建造物は、民に非公開の始祖王の伝承にあったものと似ている。北の大陸で妖精姫と出会った始祖王は、あの土地を悩ますものを翡翠の遺跡に封じたと言う。現在のあの国は翡翠の遺跡の存在については伏せているようだが。今の未来視が実際に起こり得ることであれば、あの遺跡はまだ現存している物なのだろう」
一般に対して非公開の情報が多過ぎる……。異界の王八人の情報についてはヴェルの故郷にも残っていたようだけど。
コメントを控えて黙る私に、シデリテスは悩むように告げた。
「ともかく、今の予知では、これからジャータカ王国でどう行動するかの指針にはなりそうもない。一度切り上げよう」
暖かなものに包まれる感覚が戻ってきて、自分が寝台で目を覚ましたことに気付く。
良い部屋と良い寝台を利用できる機会がこれで終わりなのは惜しいけど、荷物をまとめて部屋を出る。
これから数日は、近隣の町や村から北の国の侵略者を追い払う作戦が始まる。それからジャータカ王国の庶民と貴族を説得して、ナクシャ王子の味方につけるのだ。この国の人達がナクシャ王子側につかないのでは、王宮だけ制圧しても意味がない。味方にならずともせめて中立でいてもらわないと。
この国が北の大陸出身の犯罪集団に食い物にされているのは事実だから、魔術による洗脳さえなければ反発も少ないだろう。
問題は、町や村に入り込んだ北の人間が、こちらの作戦に気付いた後。
地域住民の説得前に魔獣の召喚師が現れては、大惨事になる。
さっきの予知を思い返す。
シジルがラスボスの魔力を手にして何をするのかは分からないけど、止めないとまずい。アストロジア王国にトレマイドや他の暗殺者を差し向けたのがシジルなら、ジャータカ王国の現状もシジルによる指揮の可能性がある。空間転移が可能になってしまえば、あいつが直接ジャータカ王国にやって来てしまうかもしれない。
とはいえ。私がジャータカ王国に居ては、シジルの計画を止めることは間に合わない。今すぐルジェロさんと連絡をつける手段があれば良いのに。魔術による通信も、もっと発展させないと不便だ。南の大国にはその通信手段もあったけど、他国に情報を出してはくれないだろうな……。
あの予知で唯一の救いは、遺跡が壊されずに残っていること。この星の北半球の気候管理装置が無事なら、冬に怯える必要はなくなる。
お屋敷の外の合流場所へ向かうと、テトラがアワアワと落ち着きなく足踏みしているのが見えた。どうしたのかと思ったら、シデリテスが顔を顰めてテトラの荷物を検分している。
……あのハエ取り草、結局は誤魔化せなかったのかな。
私は余計なことを言うのはやめて、引いた位置で見守ることにした。また処分を命じられたなら、私がテトラに代わってあの植物を焼却しよう……。
シデリテスがハエ取り草を覆う布を捲った瞬間、鉢植えから白いものが飛び出して、シデリテスから逃れようとした。
「え?」
それに驚いたのは私とヴェルだけでなく、テトラもだった。
「何でお前がここにいるんだ?」
そう言いながら、テトラは背中に張り付いた白猫をひっぺがす。
学院内に住み着いていたあの猫は、近寄るシデリテスから逃れようともがく。
シデリテスは、今まで以上に低い声で威圧するように言う。猫へ向けて。
「その様子では、まるで懲りていませんね。舞燈の王」
シデリテスは白猫の首根っこを掴み上げると、何のことか分からずにいるテトラへ説明する。
「君には大変言いにくいのだけれど。この猫に化けた存在は君にとって良くないモノだから、これ以上は近づかない方がいい」
「……それ、ただの猫じゃない、んですか?」
「そう。ジャータカ王国には始祖王の加護が及ばないので、封印が解きやすい。それで君の国外脱出に便乗して来たのだろう」
シデリテスの言葉を反芻し、ヴェルが呟く。
「……舞燈の王。始祖王アストロジアと出会った、異界からの来訪者」
「よく知っているね。しかし、多く伝承が残されていた盾の街にも、舞燈の王の悪業については記録されていないのではないかな?」
何故か冷ややかな態度のシデリテス。それに反発するように猫が跳ね、女性の声が響く。
「いい加減に離しなさい! この堅物!」
何かが弾けるような音と共に煙を撒き散らし、白猫は姿を変えた。
緩くウェーブのかかったブロンドの髪にエメラルドグリーンの瞳の、白いナイトドレス姿の女性。すらりとした長い足にくびれた腰、豊満な胸とお尻の、いわゆるグラマーな体型で、佇まいは貴族のように堂々としている。
これがあの白猫の本来の姿だとして、何故シデリテスはああも冷たい対応を?
成り行きに口を挟めずにいる私達に、シデリテスは説明を続ける。
「舞燈の王は、始祖王アストロジアの協力者としての功績も多々あるけれど。それを称えて王都に逗留させてからが問題でね。十四歳未満の少年を屋敷に囲って享楽に耽るという有り様で、呆れ果てた始祖王から姿を封じられ、十五歳以上の人間しかいない王立学院に閉じ込められた訳だ。今はアーノルドの監視下にあった筈なんだが。かいくぐって出てきてしまったようだ」
……ああ、そういう方面の犯罪者かぁ……。テトラにしか懐かなかったのはそういう……。
私とヴェルが白い目を向けたことと、テトラが露骨に侮蔑の眼差しを向けたことで、舞燈の王と呼ばれた美女は狼狽えた。
「そんな目で見ないでちょうだい! 破滅主義者や厄災の化身を追い返した報酬として、可愛いコに囲まれるぐらいはしてもいいじゃない……」
その言い分を無視し、シデリテスは彼女へ告げる。
「言っておきますが、その魔術師三名は“碇”の弟子なので、手を出せば滅せられますよ」
「嘘……」
「嘘ではありません」
シデリテスと舞燈の王のやり取りの意味は分からないけど、彼女はうなだれてしまった。
そんな相手へ、シデリテスは提案する。
「貴方が懲りずに猫の姿で己の趣味に邁進したこと、これからの働き次第で罰しはしません。ひとまずは……」
言いながら、シデリテスは鉢植えにかかった布を剥ぎ取った。
「この害獣が余計なことをしないよう、引き続き面倒を見てください。それ以上の仕事は、また後日 割り振ることにします」
やっぱり、あのハエ取り草についても完全にバレていた。




