出立の前に
窓から差し込む朝日に気付いて目が覚めた。
……倉庫に窓はないはずなのに。そう思いながら瞬きして、おかしなことに気付いた。
何故だか私は寝台の上にいて、丁寧にシーツをかけられている。
ぼうっとしながら起きて周りを見回すと、壁にいくつもの剣や弓が吊るしてあるのが目に入る。
ヴェルの部屋だ。
そういえば昨日、またヴェルに始祖王の伝承が載った本を借りて読んでいたのだ。どうやら途中で寝落ちたらしい。
ヴェル本人はどこへ、と思ったら床でうつ伏せに眠っている。昨日私が贈ったコートを着たままだ。その背中の上でアエスが丸まっていて、こっちも眠っているように見える。使い魔でも眠るのかとかヴェルは苦しくないんだろうかとか考えつつ、側に行ってかがんでアエスを腕に抱えた。それからヴェルを軽く揺さぶって起こす。
ヴェルはしばらく瞬きを繰り返し、私に気付いてゆっくりと上体を起こす。
「……おはよう、ゲルダリア」
「おはよう、じゃなくて、どうして部屋の主が床で寝てるの……」
私の問いかけに、ヴェルはじっとこちらを見つめる。
「添い寝しても良かった?」
「……良くはないです……」
そこを真面目に問われては困る。私が床で寝ても良かったのに、ヴェルにその選択はないらしい。
洗面台で顔を洗って拭いてさっぱりしたところで、ヴェルは部屋にある水差しからコップに水を注ぎ、渡してくれた。
「ありがとう」
水を飲みつつ、膝の上で目覚めたアエスがピヨピヨと朝の挨拶をするように鳴くのを聞いていた。
金糸雀の鳴き声ってこんなだったっけ……?
この子には私だけのイメージじゃなく、ヴェルが考えている鳥のイメージも混ざっているのだろう。
落ち着いたところでヴェルが言う。
「この前から地響きが起きる度に何か考えていたようだけど、それは始祖王の伝承とどこか、繋がりでもありそう?」
あの流れで私がその本を読みたいと言ったら、何か関係を見つけたと言っているのと同じになるか……。
「確証はないけど、何となく……」
曖昧に濁す。どう説明しよう。
ヴェルの故郷に残されていた伝承によると。
始祖王が旅の途中で異界からの王 八人と出会い、意気投合した三人の王は客人として招き、この世界に対して危害を加える王は元の世界に返すか封印するかしたのだけど。元の世界に返せたのは一人だけで、残り四人は北の大陸と南の国で封印されている。それが、キラナヴェーダというゲームとその続編のラスボスと隠しボスになっている。
最近になって北の大陸が揺れているのは、その異界の王のせい。
始祖王が現地の人とどう協力しあって封印したのかが知りたかったけど、そこまで詳しくは記録されていない。これは北の国と南の国に行かないと分からないのかも。あるいは、この国の王族から情報をもらうか。
考えているとヴェルが言う。
「詳しくはまた後にしよう。そろそろテトラも魔術研究棟へ向かう時間だから」
「そうね、朝ご飯にしましょう」
何だかヴェルは朝から表情が緩い。
「この前、ゲルダリアとテトラが竃の火を調整できるようにしてくれたから、今日は僕が朝食を作るよ」
調整したはずの火力を超えて熱された鍋が、勢いよく破裂して中身と鍋そのものを蒸発させ吹き飛ばす。
あれだけ勢いよく事故が起きていながら、ヴェル自身に被害が出ないのは不思議だ。建物も頑丈で助かった。
「ごめん……」
鍋と食材が台無しになり、ヴェルが悲しそうな顔をする。
「怪我がないならいいの。きっと私達の調整も甘かったから……」
二人で片付けをしていると、テトラがやって来る。私達の作業を見て、何があったか察したようだ。
「え、ヴェル、もしかして火力制限しても失敗したの?」
「というより、制限を突破されちゃったみたい」
「はぁー?」
テトラは大袈裟に嘆いた後、溜め息をついた。
「何か教授もそんなことなかったっけ。自分で調整できないって」
その言葉にヴェルが答える。
「教授は、水晶が思うように育たないって。勝手に増殖する」
「それと同じじゃない? ヴェルが火を扱うと全部 鍛冶向きの火力になっちゃうんだ」
金属の蒸発は流石に何か色々おかしいと思うけど、鍛冶のときには調整できているから不思議だ。
「それじゃ、どうにもできないことなの?」
私の言葉に、テトラは呆れたように言う。
「いいじゃん、もう僕かゲルダリアが調理すれば。これからだって一緒に三人で行くんだし」
「……」
ヴェルは寝起き時の機嫌の良さがどこかへ行ってしまった。テトラが野菜を煮ている間、無心でアエスの頭を撫でている。
そこに気付いたテトラが聞く。
「その鳥どうしたの? 普通の鳥じゃないけど」
「誓約の延長で」
ヴェルがそれだけ答え、テトラが納得する。
「あー」
そういえば誓約の術についても詳しく説明してもらえていないままだ。
今のうちに聞いておこうと思ったところで、テトラが何かに気付いて急に庭へ飛び出して行く。
「テトラ⁈」
どうしたのかと庭を見ると、アーノルド王子が何故だか久しぶりにここへやってきている。しかも、睨みつけるように食虫植物を観察していた。その黒くて巨大なハエ取り草は、テトラが初仕事でもらって以後から大事に育てているものだ。
アーノルド王子に威圧され、食虫植物達が縮こまっているように見えた。
王子の様子に、駆け寄ったテトラが慌てて言う。
「あの、これに何かありましたか?」
アーノルド王子はテトラを一瞥して言う。
「コイツの意志が目覚めるようなことはないと踏んでいたが、どうやら甘かったな。何をしたんだ魔術師?」
「え……生命力の強化を……です」
テトラの答えに、アーノルド王子の片眉が吊り上がる。
「あらかじめ説明しておくべきだったか。コイツに知能を与えるような育て方はするものじゃない」
「……この植物がどういうものなのか、ご存知なんですか?」
「本来は秘匿事項だが。こうして現存している以上、答えてやる。コイツは過去にこの国に害をもたらした知的生物だ。この先も育てるのは認められない」
「……そんな。だって、今まで……」
「そうだな。俺が気付くのも遅かった。正確には、コイツが弱体化し過ぎていて危険性を察知出来なかった」
「……」
黙ってしまったテトラに、アーノルド王子は通告する。
「近日中に自力で処分できないのであれば、俺が燃やす。どう処理するか考えておけ」
アーノルド王子はそれだけ言い、茫然とするテトラを放って去って行った。
私とヴェルで代わる代わる声をかけてテトラを朝食の席に着かせたはいいけど、先程のやりとりがショックだったのか、テトラはスープをこぼしながら食べている。あの食虫植物をもらったときの年頃を思い出すような状態だ。
ヴェルがパンを食べながら呟く。
「やっぱりあの食虫植物、良くないものなんだ……?」
この世界ではハエ取り草の認知度が低いため、ヴェルは最初にあの植物を見たときから警戒していたけど、テトラはそんなことを全く考えずに育ていた。『初仕事の報酬』というのがとても嬉しかったのだろう。あれ以降、テトラは変わった植物や食虫植物を集めたがった。
「他の食虫植物よりも妙に育つし、規格外ではあるけど……秘めの庭でも有害なものだと気付く人は居なかったのに」
地球産のハエ取り草より異様に大きいけど、この世界の生態系がおかしいのはいつものことだから、私は深く考えなかった。
それに、野放しにしてマズイ生物なら教授が気付いたはず。
「さっき王子はあれが弱体化しているとか言っていたから、教授も知ってて見逃してくれていたのかもしれないよ。あの人、テトラには甘いから」
確かに、エルドル教授はテトラの両親から苦言が入るくらいには甘い。テトラが生まれた時から面倒を見ていたらしいから、孫扱いなのかも。
私とヴェルがそんなやりとりをする間に、テトラは匙を落とす。その音で我に返り、ぼそりと言った。
「要は、気付かれなきゃいいんじゃん?」
「え?」
「テトラ?」
食べるのに失敗した口元を拭い、テトラは妙に据わった目で呟く。
「鉢に植えて封じの術かけて、ジャータカ王国まで連れてく」
「流石にそれは……」
なだめようとしたけど、テトラは憤慨するように言った。
「だって、あんな断片的な情報出されてもさあ、納得できないじゃん。何が危険なのか詳しく言ってくれないと!」
それはそうだけど。秘匿事項らしいので仕方ない。
おそらくアーノルド王子から危険だと判断されてしまった原因は、私が前に庭で魔剣の性能を試して植物達を成長させたことにある。そう考えると、私が悪い。
「アーノルド王子はあれを知的生物だと言っていたけど、今はどんな状態にあるの?」
「あの人に睨まれて、人間みたいな知恵なんてありませんってフリして黙ってる」
自分の危機を察して切り抜けようとするだけの知能があるのか。
ヴェルが不安そうに言う。
「今まではどうだったの」
「ゲルダリアが何かするまでは、虫さえ食べたら満足みたいな感じだった。あの後からは、妙に浮かれて、踊ろうとするみたいに自分でぐねぐね動いてた」
敵モンスターじみてきた……。
「それ、そのうち自力で根っこ引っこ抜いて好きな場所に行くんじゃ……?」
アーノルド王子から危険視されても仕方がない。
それでもテトラは諦めきれないように言う。
「あと二日、どうにか隠して、ジャータカ王国まで連れてくんだ」
テトラがあの植物を植え替え、鉢に支柱を刺し上から布を被せて紐でぐるぐる巻きにしているのを止めることはできなかった。
「危険物を国外に出してもいいのかな……」
ヴェルはそう悩むけど、結局はテトラが怒ったり泣いたりするであろうことはできない。私も同じだ。エルドル教授のことを言えなかった。
「いざとなったら、テトラに見つからないようにあの国で処分するしか……」
二人でコソコソとそんな話をする。
テトラが置かれている今の生活は、お金持ち高校生の護衛のために農家の中学生を不規則労働させているようなもの。地球とは世界環境が違うとはいえ、あんまりな話だ。仕事のストレスで多少のわがままが出ても仕方ない。
あの植物に意思が芽生えたのは最近のことだし、これ以上知能を高くしなければ悪さもできないはず。
また色々と大事なことを確認し損なってしまったけど、それは個人的なことなので諦めた。他にもしなければならないことがある。
魔術研究棟の鍵を複製して、ノイアちゃんに渡すことに決めた。テトラも学院から離れる間は鍵をソラリスに預けると言う。
私達が居ない間、あの二人に魔術道具や機材を自由に使ってもらえるようにすれば、多少の危機には対応できるはず。もちろん生徒である二人が無茶をする必要はないけれど。念には念を入れての警戒だ。
そして。
用意した小箱を抱え、私はタリスの元へ向かう。
宿舎のタリスは、執事である老紳士と一緒に私を出迎えてくれた。
お茶とお菓子でもてなされた後、本題に入る。
「しばらく会えなくなるから、これを渡しておこうと思うの」
辞典に見えるそれは、本に偽装した小箱だ。これ自体が魔術を扱うための補助具になる。
「……噂に聞く、諜報員の道具のようですね」
タリスはそう言いながら小箱を開く。
中には魔術制御用の鋼玉と水晶がブロックのように四方にはめ込んである。これはタリスが自分でカスタマイズすることも可能だ。魔術知識はそれなりに必要だけど。
箱の外装も頑丈にしてあるから、これを盾に使ってもいいし、鈍器にしてもいい。
「これは姉さんが自作したんですか?」
「そうなの。前からタリスに合う道具を試作していたけど、あまり目立つ物を抱えていては体裁がよくないでしょう? でも本の形をしていれば目立たないと思うの」
「そうですね。この形に大きさであれば、日常的に持ち歩くことができます」
「何かあれば、これを利用して遠慮なく魔術を使ってちょうだい」
「ええ。大事に使わせてもらいます、ありがとうございます。それはともかく」
タリスは小箱を脇に置いて、ためらいがちに言う。
「その、お父様は、これからこの国がジャータカ王国の立て直しとしてナクシャ王子を擁立することをご存知でした。けれど、そのための行動作戦として姉さんが現地に行くことは知らずにいたようで……」
「タリス……貴方、わざわざ問い合わせてしまったの?」
長年会っていないあの公爵様については、人なりも仕事ぶりも半端にしか把握できていない。だから、私が隣国に向かう案件は手紙に書かなかったのに。
「僕も、姉さんがあの国へ直接向かう一員だとは伝えていません。ただ……」
そこまで言ってタリスは斜め後ろに控える老紳士を一瞥した。それを受けて彼は答える。
「ええ。私は自分なりに得た情報を旦那様へお伝えしておりますゆえ」
……執事ぃ……余計なことを……。
従者は学院内では行動制限されているはずなのに、どうやってその情報を。この人、実は公爵家専属の諜報員とかなんじゃ? 穏やかな顔をして暗殺者みたいなスキルとか持ってない? ダーツ投げとか似合うのでは?
タリスは決まり悪そうに言う。
「そんなわけでして、お父様は軽く錯乱してお医者様が付きっ切りのご様子。姉さんには行くのを中止してもらいたいのですが、無理でしょうね。何事もなく帰ってきてもらうことを願うのみです」
「そうね……帰ったらまたお父様に手紙を出すわ」
いや、ここまで来るともう、倒れる前に会いに行かないと公爵様のメンタルが危ういかもしれない。
どうしたものか考えていると、タリスは先程以上に言いにくそうに口ごもる。
「……姉さん」
「まだ何か、問題ごとがあるの?」
「僕はあれから、実家にある誓約の魔術に関する記録を取り寄せていました」
そうだ、あの二人からは結局その話を聞きそびれたんだった。
「何か分かったの?」
「その前に確認させてください」
「何を?」
タリスは真剣な顔をする。
「ディー・シェルメントは、もしかして盾の街の生き残りですか?」
……私がヴェルの個人情報を勝手にバラしてもいいんだろうか。そう迷ったのが顔に出たのか、タリスは溜め息をついた。そして、低い声で唸るように呟く。
「やはり……あいつは確信犯か……」
「どういうこと?」
「答えません」
「え?」
タリスは怒ったように言う。
「姉さんがその術を破棄するのであれば、説明しましょう」
誓約を?
「……それは、できないわ」
意味がどうであれ、ヴェルとの繋がりが切れるのは嫌だった。
私の拒否に、タリスは俯く。
「そうであれば。姉さんはそのまま意味を知らずにいてください。向こうが説明するかどうかは知りませんけど」
タリスはそれっきり、黙ってお茶を飲む。
長期間離れる前に会う最後の機会なのに。どうしてこうなってしまったのか……。
困ってしまった私に、老紳士が静かに笑いかける。
「お嬢様。タリス様は、拗ねておられるだけですから、どうか気になさいませんように」
「ドゥウェル!」
タリスの抗議のような呼びかけも意に介さず、執事は相好を崩したまま言う。
「どうか、お嬢様はお嬢様にとっての最善をお選びください。貴方は今までそうすることによって周りとご自身を守ってきたのでしょう?」
信頼のこもった、暖かい言葉。
いいのかな。私はこの人のことをちゃんと覚えていなかったのに、そんなことを言ってもらっても。あの家の人達にもずっと不義理な対応をしてきたのに。
「……ありがとうございます」
今までの私の行動を肯定してもらえるのは、純粋に嬉しい。タリスには呆れられたり拗ねられたりしてしまうけれど。
「帰ったら、真っ先にタリスに会いに来るから。お土産も持って帰る余裕があると良いのだけど」
そう言うと、タリスは声の調子を戻して答える。
「無事でさえあれば、他のことなんていいんです」
「分かってるわ。くれぐれも気を付けるから」
「隣国が焦土になろうと僕は気にしませんので」
「いくら私でも、そこまで悪辣なことはしません!」
……爆弾と魔剣は用意したけど、やらかさないように気を付けよう。




