番外 ◇ 猫と恋慕と直火焼き鳥
秘めの庭にきてから魔術の勉強に明け暮れすぎた私は、ある日の朝に鏡を見てびっくりした。
公爵邸で生活していたときより、髪がバサバサになって肌も荒れてきている。
これは良くない。
一人の人間を貴族らしく清潔に見映え良くするには、毎日こまめな手入れが必要で、時間もお金もかかる。
大事にされてきたゲルダリアが野生児みたいになってしまったら、今までお世話をしてくれた人たちが泣いてしまう。
両親と弟が見れば気絶しかねない。
あの家を出てきてしまった以上、家族と再会の機会があるかどうかは分からないけど、ちゃんと手入れを行うことにした。
毎日魔術書を読むのに夢中で夜更かしもしてしまったけど、生活を改めなくては。
ヴェルヴェディノの武器造りを手伝った後も、金属で荒れた手を薬で手入れして、爪も綺麗に。
薬の研究の一環で、肌や髪に優しい素材についても調べることに決めた。
この施設にいる魔術師達は身だしなみに無頓着どころか、男なのか女なのかすら分からないような人も多いから、つい自分も忘れてしまうけど。
魔術師が一般人から良く思われないのは、そういうのも原因かも。
エルドル教授は王国の偉い人と会う機会が多いからか、常に清潔感ある格好をしている。やっぱり、身だしなみを整えて好印象を与えることは大事だ。
私だって秘めの庭に来て最初に案内してくれたのが教授じゃなかったら、逃げ出して野良の魔術師を目指したかもしれないから。
不審者感あふれる魔術師になってしまっては、街に買い物へ行っても追い返されてしまうかもしれないし。
朝に肌や髪の手入れの時間を増やしたら、時間ギリギリに講義室へ着くようになってしまった。
「……ま、間に合った……」
呼吸を整えながら本の束を机に載せて、数を確認。よし、持ってくるものは間違ってない。
隣の席のヴェルヴェディノが、私の様子を眺めて言う。
「おはようゲルダリア。最近来るのが遅いね? いつも先に来て本を読んでるのに」
「お、おはようヴェル……。やろうとしていることが増えて、時間が足りないの。夜の読書も止めようとしているんだけど、うまくいかなくて」
「わかるよ。僕も本を読んでて気付いたら朝になってることがあるし」
そんなやりとりをしているうちに、エルドル教授がやってきて講義が始まる。
講義が終わった後で、私たち二人は部屋を見回す。
「今日はテトラ来なかったけど、また畑かな?」
「ラーラさんたちの仕事があるなら、私も手伝いに行こうと思うの」
そんなやりとりをしながら講義室を出たところで、泣き声が聞こえた。
見ると、一直線に走ってきたテトラが私たちに体当たりするようにして飛び込んできた。
「うわっ?!」
「痛っ!」
ヴェルヴェディノが腕を伸ばしてくれなかったら、もう少しで転ぶところだった。
危ないでしょ、と抗議の言葉を口にしかけたところで、テトラが腕を抱えながら泣いていることに気付く。
「どうしたの? 何があったの?」
思わずそう聞くと、テトラはしゃくりあげながら話し始めた。
「母さんひどいんだよ……」
ぐすぐすと泣くテトラによると、裏山で死んだ母猫に子猫二匹がすがって鳴くので、見かねて連れ帰ったらしい。
ところが。
テトラから話を聞かされたラーラさんは、
「元いたところに帰してきなさい」
と、全世界のお母さんが言う台詞だけを残して、何も助けてくれなかったのだとか。
仕方なくテトラは私たちのところに来たらしい。テトラの腕にはぷるぷる震える子猫が二匹。
「母猫が死んじゃってたら、誰かが面倒みないとこの子たちも死んじゃうよ……まだ狩りができないのに」
テトラの言い分も分かる。
でも、ラーラさんの気持ちも分からなくはない。
ちびっこがペットを飼いたいと言い出したとき、ちゃんと面倒をみるよう約束させても、結局はお母さんがペットの世話をする羽目になるのだ。
私も前世の妹が兎を飼うとき、いつのまにか私がうさぎにご飯をあげ、小屋の掃除まですることになっていたのだ。お母さんじゃないのに。
どう言葉をかけるか悩んでいると、ヴェルヴェディノが言う。
「でもテトラ、僕らじゃ子猫のご飯は用意できないよ。その子達、まだ肉とか食べられないんだよね?」
この世界で子猫のミルクなんて売っていない。人間が飲める牛乳も、他の国に行かないと無い。
ヴェルヴェディノの指摘に、テトラは黙り込む。子猫をじっと見つめて涙と鼻水を流す一方だ。
「…………」
見かねて私はため息をつく。
「人間用の栄養剤を飲ませるしかないけど、猫の体質に合わなかったら諦めてね、テトラ」
猫の味覚では人間用の薬は嫌がるかもしれない。
下手したら、薬が猫の体質に合わなくて、私が子猫たちの命を奪う可能性まである。
でも、テトラはうなずいた。
「……うん……助けられなかったら、母猫のところに帰すから……」
薬を匙ですくって口元へ近づけると、子猫たちは私の作った栄養剤をぺろぺろとなめた。
嫌がる様子はない。
おなかを壊さなければ、このまましばらくは栄養剤を飲ませてみよう。
子猫が薬を飲むことに安心して、テトラはほっとしたようだ。
でもヴェルヴェディノは心配そうな表情のまま。
「ねえテトラ。このままだとこの猫たち、人間に飼われないと生きられないよ」
その言葉に、テトラは軽くむっとしたように返す。
「狩りなら僕が教えるよ」
「……テトラ、猫の狩りのやりかた、分かるの?」
「暇なときはずっと裏山で猫を観察してきたから、知ってるよ」
「知ってても簡単に教えられることじゃないと思うけど……」
「教えられるよー!」
テトラがそう主張するので、私とヴェルヴェディノは子猫二匹の面倒を見る羽目になった。
テトラは猫を連れて帰るとラーラさんに見つかってしまうから。
私とヴェルヴェディノは奥の宿舎に個室を借りているから、隠して猫を飼うことができる。
「……結局、猫の面倒をみるのはテトラじゃないじゃないか……」
ヴェルヴェディノが黒い子猫を抱えながらそうぼやく。
「でも、ヴェルだって見捨てることはできない性格でしょ?」
たまに秘めの庭の敷地内に野良猫が入り込んでくると、ヴェルヴェディノも猫をかまいたがる。飼っていたことがあるみたいだ。
「それは……そうだけど」
「もう諦めて最後まで面倒みるしかないんじゃない?」
私も預かった子猫の頭を指でなぞった。灰色の毛並みの子猫は静かに眠っている。
それぞれ自室に戻る別れ際、ヴェルヴェディノが猫を見つめて呟くのが聞こえた。
「うちの猫たち、ちゃんと逃げたのかな……」
子猫の面倒を見るようになって一週間。
順調に猫達は大きくなった。
この世界に動物病院は無いから、猫に何も起きないように私は必死だった。
「そろそろお肉とか食べさせてもいい頃合い?」
「歯が生えてきたし、大丈夫かもね。猫のご飯として鳥か何か捕まえてこないといけないけど……」
ヴェルヴェディノと一緒に庭で猫の様子を見ていると、頭からローブを目深にかぶった人が私達の元へやって来る。
「ゲルダちゃん、ディノ君!」
声と背格好からして、ヘレナさんだ。確か、十六歳くらいの女の子。
秘めの庭には他人に顔を見せたがらない人もいて、ヘレナさんは特に顕著だった。
「何かあったんですか?」
猫を撫でながら聞くと、彼女は私に手を伸ばして、ほっぺたに触れる。
「……?」
そういえば、この人は子供のほっぺたを触って遊びたがる人だった。
私が抵抗しないので、ヘレナさんは むにむにと揉んでいる。
「……ヘレナさん、何か用ですか?」
ヴェルヴェディノの質問に、ヘレナさんは私から手を離す。
「いけない、つい。あのね、教授から連絡があったの。週末に、私の引率で貴方達三人と魔獣退治に行くことになったから、知らせに来たの」
説明してから、ヘレナさんは辺りを見回す。
「今日はテトラ君は一緒にいないのね?」
「テトラなら、ラーラさんと一緒に畑の水やりをしてますよ」
「あの子は家族想いのいい子ね……。私、子供の頃から ああは なれなかったから、うらやましい」
そんなことを呟き、ヘレナさんはうつむく。そして、はっとして言う。
「と、とにかく、テトラ君にも知らせておいてね、私はそれまでに準備をしておくから」
「分かりました」
秘めの庭に居る人達の事情はそれぞれで、みんなここに来る前のことは話したがらない。
事情を明かさなくても、悪意がなければこの施設は受け入れてくれる。
その寛容さに頼らないとどうにもならなかった人は、きっと多い。
「ヘレナさんやだ。つむじつついてくる」
畑の作業を終えて私達の説明を聞き、テトラはぷーっと頬を膨らませる。
「私もテトラのつむじ、突きたいけど」
正直に言うと、テトラは後ずさって叫ぶ。
「ダメ! ゲルダリアもダメ!」
残念だ。テトラの左側頭部はつむじを中心にして髪の毛が風車みたいに伸びているから、つい触りたくなるのに。
ヴェルヴェディノが苦笑する。
「多分、ヘレナさんはテトラのそういうところを面白がるから、むくれないほうがいいよ」
その言葉に、テトラは慌てて真顔になろうとした。
笑いそうになるのを我慢しながら、テトラに子猫を渡す。
「ほら、二匹とも無事に大きくなったから」
「ありがとう、二人とも」
テトラが綿毛の植物を振って見せると、子猫たちはそれを追って元気に飛び跳ねる。
「そろそろ狩りの訓練だぞー」
そんなことを言うテトラ。
でもいきなり実践しに裏山へ行かれては、探しにいくことになる私たちが困る。
「狩りの訓練はまだ外でやらないでね。ネズミの形をしたぬいぐるみを作って持ってくるから、しばらくはそれで我慢してほしいの」
「何で?」
「大きい鳥に襲われたら助からないでしょ」
テトラの体格では追い払えないし。
「……そっか、たまにあの山、デカイ鳥が出るもんね……」
納得してくれてほっとした。
ネズミのぬいぐるみを作っておいたのに、子猫は何故か寝ている私の髪の毛で遊んでしまうようになった。
朝起きてぐしゃぐしゃにされた髪の毛を眺め、私は溜め息をついた。
こうなったらもう、髪を短くしてもいいかもしれない。秘めの庭に来てからずっと伸ばしていたけど、手入れに手間がかかっては本を読む時間がなくなってしまうし。
魔獣退治に向かう前に、肩ぐらいの長さにまで切ることにした。
すっきりした気分で魔獣退治に向かおうとしたら、私を見たヘレナさんは悲鳴を上げた。
「いやー! 何で切っちゃうの⁉︎」
かがんで私の肩を揺さぶって、そんなことを言う。
「手入れに時間がかかってしまうので……」
「そんな……せっかくつやつやなのに……」
ヘレナさんは今度はヴェルヴェディノの肩を揺さぶって言う。
「ディノ君だってゲルダちゃんの髪長いほうがいいでしょ⁈」
勢いよく揺さぶられすぎて、返答どころではなさそうだ。
「ヘレナさん、やめてあげてください」
「私の髪にはない輝きが……研究させて欲しかったのに……ねえ、ゲルダちゃん、切った髪 残ってない?」
「燃やして庭の隅に埋めましたよ」
私の言葉に、ヘレナさんは落ち込んだようだった。
「そういうのいいから、早く出かけようよ」
急かすテトラに、ヘレナさんは珍しくしゅんとして言う。
「軽く言わないで……髪を綺麗にするのはとても大変なんだから……。私ずっと研究してるけど、難しいのに……」
四人でトロッコに乗って出かけた後も、ヘレナさんは静かだった。
いつもならテトラの髪の毛や私のほっぺたをつついて遊ぶのに。
ヘレナさんの案内で、私達は小さな村に着いた。
「この村の外れに、貴族が手放した別荘があるの。廃墟になったそこに魔獣が出るから、別荘から出て村に入ってくる前に退治しましょう」
「どんな魔獣が出るんですか?」
「大形の鳥らしいわ」
「空飛んだりする?」
「それができない鳥みたい。だからまだ被害はその別荘の周りだけで済んでるって」
空を飛べない鳥?
ダチョウとか、ヒクイドリみたいな感じだろうか。
あまり凶暴じゃないといいんだけど、魔獣相手にそこは期待できないか。
村の人達に挨拶を済ませて、まずは偵察に行くことになった。
廃墟になった別荘の庭に、遠目からでも分かる大きさの魔獣がいた。
赤いトサカに短いくちばし、茶色の羽と空を飛べない体格。
……あれは、鶏では……? サイズだけおかしい。
この国で養鶏は行われていないから、鶏っぽい姿の鳥を見るのは初めてだ。
そんなことを考えていると、ヘレナさんが説明する。
「前にミミクルさんから聞いたわ。確かあの魔獣はコケポッポって呼ばれていて、お肉は食べても大丈夫なんですって」
コカトリスとかじゃないんだ……。何で鶏と鳩の合体事故みたいな名前に。
この国の人は魔獣にちゃんとした名前をつける意識がないらしい。被害を受けているからまともな名前で呼ぶ義理はないということか。
お肉が食べられると聞いて、テトラが俄然やる気になっている。猫達と一緒に跳ねながら、敵を殴る真似をして気合い充分だ。
……猫?
「え、テトラ、子猫連れて来ちゃったの?」
「だって、置いていけないでしょ」
「だからって魔獣退治に連れて来るなんて……」
トロッコに乗っているときには気付かなかった。
「遠くから攻撃すれば大丈夫でしょ?」
確かにいつもそんな作戦が多い。近接戦ができるのはヴェルヴェディノだけだから、最終手段だ。
ヴェルヴェディノは弓矢も持ってきていた。新しく作った矢じりの強度を試したいらしい。
ヘレナさんは鳥が嫌がる臭いの薬を用意していて、村の周りに撒いた。これであの鶏を逃がしても、村には入らないはず。
私は用意した材料を調合して、簡易爆弾を作る。威嚇程度のものだ。吹き飛ばしてしまっては食材にできないから。
準備を済ませ、村長さんも斧を背負って一緒に廃墟へ向かう。
子猫はテトラのローブのフードに収まって遊んでいる。そのまま魔獣を退治するまで中にいてもらいたい。
巨大な鶏は、威嚇用の爆弾の音でこちらに飛び出してきた。
どうやら怒っているようだ。チキンハートとは無縁の様子。
変な鳴き声を上げて突進してきたので、ヴェルヴェディノとテトラが攻撃する。
矢と火球に耐えて突っ込んでくるので、ヘレナさんが鶏の足場を崩し、私が風で吹き飛ばす。
鶏が転んだところで、追い討ちの矢と火球。
しばらくして鳴き声が止み、鶏が引きつって動かなくなる。
念のため石を投げて様子を見るけど、ちゃんと退治できたようだ。
村の人達を呼んで、一緒に解体する。巨大なお肉を回収して、みんなごきげんだ。
村長さんは無事に終わって安心したのか、最初に会ったときより朗らかに言う。
「ありがとうございます、今日は皆さんこの村に泊まっていってください。夕飯は皆で焼き鳥にしましょう」
日が暮れて、村の広場で焼き鳥祭りが始まった。
小分けしてもらった鶏肉を、ほぐして子猫にも食べさせる。
テトラはお肉を両親の分も持って帰れないかと村長さんに交渉していた。
交渉が成立してうきうきで戻ってきたテトラに、ヴェルヴェディノが言う。
「僕の分もあげるよ、テトラ」
「ダメ! ヴェル自分の分ちゃんと食べてよ!」
二人のやりとりを聞きながら、猫達をあやす。
ヘレナさんが村の人達と会話したあと、プンスコしながら戻ってきた。
「もう! 良いとこどりばっかりするんだから!」
「どうしたんですか?」
「聞いて! 私達が魔獣退治したのに、あの廃墟は魔術結社に譲ってしまうんだって!」
「魔術結社?」
「そう! 社畜の魔術師集団の、あの結社!」
そんな団体があるのは初耳だった。
「今、魔術結社はあっちこっちの町や村に支部を増やしているそうなの。第二都市はすぐ隣に秘めの庭があるから来ないけど、この村にも、しばらくしたら結社の魔術師が派遣されるらしいわ。そういうことなら、あの人達が魔獣退治に来てくれればいいのに!」
ヘレナさんは、その魔術結社とやらに良い印象がないらしい。
魔術師の界隈でも覇権争いとかあるんだろうか。
私は秘めの庭で自分の興味があることさえ習得できればそれでいい。面倒ごとには関わりたくない。
村の人は良い宿を提供してくれた。
私はヘレナさんと同じ部屋。子猫は二匹ともテトラとヴェルヴェディノが連れて行った。
眠る用意をしていると、ローブを脱いだヘレナさんが声をかけてきた。
「ゲルダちゃん、せっかくだしお話ししてもいいかしら」
「かまいませんよ」
いつもは真深くフードを被っている彼女の素顔を見るのは、これが初めてだ。
ヘレナさんはお肌や髪の美容について研究しているだけあって、ツヤツヤなほっぺをしている。ちょっと触ってみたい。チョコレートのような色の髪だって、手入れが行き届いていて綺麗だ。
「私は故郷が嫌になって飛び出して秘めの庭に来たけど、ゲルダちゃんは?」
「私は……その。魔術師になりたかったので……」
それだけしか答えない私に、彼女は深く詮索しなかった。うなずいて、言う。
「私、最初は毒を作りたかったの。日常で使う毒消しに負けない強力なものを」
「毒を……」
今とはまるで逆の発想をしていたらしい。
「あのね、私、今でこそ研究のおかげで肌がここまで綺麗になったけど、昔はとても酷かったの」
まるで想像がつかない。
「生まれついて額から目元まで肌が荒れていて、色もくすんでいた。それで故郷の同じ年頃の子達から気味が悪いって言われて馬鹿にされ続けて。被り物無しでは外に出られなくなってしまったわ。隠しても隠しても悪く言われて。ある日我慢の限界が来て、町にある魔術結社に行ったの。けど、そこの魔術師には全然相手にされなくて。そのまま町から飛び出してしまったわ。故郷の町から秘めの庭まで、頑張って四日歩けば辿り着くって聞いていたから。昔は秘めの庭の所在は普通の人には隠されていたけど、当時はちょうど情報が明かされた時期だったの。好奇心もあってつい着の身着のまま行って、魔術を教えて欲しいって頼みこんでしまったわ」
その気持ちは分かるかもしれない。
日常的に酷いことを言われ続けていては、故郷を捨てて出てきてしまっても、仕方ない。
と、思ったそこで、彼女は頰を赤らめる。
「でも、秘めの庭に入れてもらえることが決まって、エルドル教授に挨拶をしたとき、全部どうでも良くなってしまったの」
ほう?
これは?
「エルドル教授は、私の肌を見ても馬鹿にせず目を逸らさずにいてくれた。品良く丁寧に礼儀を払ってくれたから。その……教授に釣り合うような人になりたいと思ってしまって」
照れたように言うヘレナさん。
どうやら教授にひとめぼれしたらしい。
「それからずっと、肌を綺麗に治す方法を調べ続けたの。毎日本を読んで研究して、でも睡眠時間はしっかりとって。そうやって自分で作った薬を試すうちに、肌は治っていった。でもまだ不安が拭えなくて、被り物は手放せないままね。やっぱり怖い。ゲルダちゃんには慣れたから、素顔を見せても平気だけど。知らない人の前ではまだ無理なの」
「私が平気なら、教授になら会いに行けますよね」
「……それは……そうね、また、素顔で会いに行きたいわ。教授は初めて会ったときからずっと変わらないもの」
はにかみながらそう話す彼女の表情はとても可愛い。
なるほど、これが恋する乙女というものか。
そんなことを思う間にも、ヘレナさんは話を続ける。
「私と同じ悩みを持つ人は世間には大勢いた。だから、美容液を町に持って行ったら想像したよりも売れたの」
「そうなんですね」
「私の研究を他人に役立てるなんて、最初は興味なかったの。でも、気づいたことがあって」
「はい」
「私の作った物の売り上げを秘めの庭に寄付することで、エルドル教授の研究資金が増えるの」
「なるほど」
遠回りではあるけど、ヘレナさんの作った物を売ることが、教授のためになる。
そんなことを思った私に、ヘレナさんはテンションを上げて続けた。
「私の作った美容液や香水が貴族に人気になったことで、教授の本が出るの」
「はい?」
いきなり話が飛躍した。
「教授の研究が進んで、秘めの庭に資金が増えれば、教授の研究が本になって出るの!」
……何だか様子が……。
「つまり、私の頑張りが巡り巡って教授の研究結果として世の中に出る! 教授の研究が本として出版されれば、私の手元にも残る! 教授の研究が私にも読める! そう気づいて、とてもやる気になったわ」
「……なるほど?」
経済循環を体感してしまったヘレナさんは、妙なところへ着地したみたいだ。
とはいえ、本人なりに恋した相手に一途というか、尽くしていることになるのだろう。
教授と恋人になることを目指すよりも、教授の研究を世に出すことのほうが、ヘレナさんには重要みたいだ。
「ゲルダちゃんも薬の研究をしているのよね」
「怪我を治す薬と、栄養剤です」
「私の研究記録も役に立つかもしれないから、今度まとめてきて渡すことにするわ」
「いいんですか? ありがとうございます!」
肌に効く薬なら、怪我にも役立つかもしれない。どんな素材を使うんだろう。
「今日も髪のお手入れの薬を持ってきたから、ゲルダちゃんにも試してあげる」
ヘレナさんがそう言って、瓶に入れた薬と櫛を持ってくる。
甘い香りの薬を櫛に取り、ヘレナさんは私の髪を丁寧に梳いていく。
「ゲルダちゃんに話すだけ話してすっきりしたわ。いつか、ゲルダちゃんにも何かあれば、私に話を聞かせてほしいの」
何か、とは?
よく分からなかったけど、ヘレナさんはそのまま手入れに集中してしまった。
手入れが終わりつやつやになった私の髪に満足して、ヘレナさんは眠る用意を始めた。
「じゃあ、明日は帰ったらすぐに教授に報告に行ってくるわ。おやすみなさい、ゲルダちゃん」
「はい。おやすみなさい」
寝て起きたら、何故か私の髪は切る前と同じ長さにまで伸びていた。
「……どうして?」
さらつやの髪を見て呆然とする私に、ヘレナさんが嬉しそうに笑う。
「うふふふふふ……良かった、あの薬、ゲルダちゃんの体質にも合うみたいね」
「え……まさか昨日の薬……」
「だって、本当にもったいなかったんだもの」
それだけ言うと、ヘレナさんは荷物を片付け始める。
まさかこんなことになるなんて。髪の手入れをさぼれなくなってしまった。
諦めて、私も帰る準備をする。
荷物をまとめて宿を出ると、既にヴェルヴェディノとテトラは村の入り口で村長さんと一緒に待っていた。
「お待たせ、二人とも」
ヘレナさんがそう言って声を掛けるけど、テトラがずびずび泣いている。
「何かあったの?」
私の問いかけに、こちらを向いたヴェルヴェディノがぎょっとした。
「ゲルダリアこそどうしたの……」
「髪のこと? それならヘレナさんが……」
「ああ……」
何かを察したらしく、それ以上は聞かれなかった。話題を変えるようにして言う。
「僕らが連れて来た猫、この村で預かってもらうことにしたんだ」
ヴェルヴェディノの言葉に、村長さんがうなずく。
「ちょうどネズミが増えて困っていました。猫がいてくれると助かります」
なるほど、それで別れを惜しんでテトラが泣いているのか。
また鼻水と涙を流しながら、テトラが村長さんに言う
「大事に、してあげてください、情がうつらないように、名前つけてこなかったけど、名前、ちゃんとつけてあげてください」
その言葉に、ヴェルヴェディノがギクリと震えてテトラから目を逸らした。どうやら勝手に名付けていたみたいだ。
村の人や子猫達と別れて、私達は秘めの庭に帰る。
「また今度、猫へ会いにあの村まで行ってみる?」
トロッコの中でそう聞くと、テトラは寂しげに言う。
「……どうせ、その頃には僕のこと忘れてるよ。猫はごはんくれる人が大事だから。元々ご飯あげてたのはゲルダリアとヴェルだったし」
拾ったのも狩りを教えたのもテトラだったのに。
私とテトラがそんな会話をしている間に、ヘレナさんがヴェルヴェディノに何かを渡していた。
「……要りません」
「そんなこと言わずに、ほら、ディノ君」
「要りません」
何をしているんだろう。まさか、またあの髪が伸びる薬だろうか。
「むう。つまらないんだから、君達」
「おもしろがらなくていいです」
口を挟むと面倒なことになりそうなので、放っておくことにした。
ヘレナさんはそんな私達を見て何かを呟いたけど、風の音で聞こえなかった。
「貴方達がいつまでそんな関係性のままでいるのか興味があるけど、私はそのうち王都に行くから、変化する日を見届けられなくて残念だわ」