幕間18/月のない夜
ヴェルヴェディノ視点
祭りの準備に没頭しているゲルダリアはとても楽しそうだった。
魔術で鋼玉を精製する作業が好きらしく、照明作りも張り切っていた。普段は精製のための素材が貴重で手に入りにくい。今回は学院から支給された物を存分に使ったようで、作り過ぎた分は僕が受け取った。
青く透き通る四角錐の魔術照明を部屋に置いて考える。
この学院に来てからゲルダリアが情緒不安定になることが増えたから、こうして一時的にでも明るい顔をしていられる機会があって良かった。
何について悩んでいるのか話してもらえない以上、悩みの原因をどう解決させられるかは不明なまま。僕が彼女の役に立てるかも謎ではあるけど、彼女は僕のことを拒否しなかった。なら、それでいい。無理矢理聞き出そうとして疎まれるよりは。
祭りの最中に菓子を配ると決めて、ゲルダリアは分かりやすく魔女の姿に興じていた。
得意げな顔をしているのが微笑ましい。
ゲルダリアは、心療医の人が店番をしていた時の方が生徒が集まっていたのを気にしていたけれど、原因は僕にあったかもしれない。店の隣に武装した人間が立っていたせいで、生徒から近寄りがたく思われた可能性が高い。折角の思い付きに悪いことをした。
でも、すぐに剣を扱える状態でいたかったのだ。
学院だけでなく、この国全域で守りが弱くなっている以上、生徒からの印象なんて気にしている場合じゃない。
テトラが作った素材の塊みたいな料理を食べた後、部屋へ帰ることにした。
ゲルダリアを一人にするのは不安だけど、僕の部屋に連れ込むわけにもいかない。
朝にグレアムさんから聞かされた話を思うと、外聞とか体裁を気にしている場合じゃないだろうか。魔術研究棟にいるなら安全ではある。言いくるめることも考えたけど、ゲルダリアが納得するのかどうか。
悩んでいる中、学舎の裏庭で妙な音を聞いた。
音の出所を探し屋上を見上げ、光がちらつくことに気付く。人と何かが跳ねているようだ。
身体強化の術を使い、建物の壁をつたって登る。
警戒しながら屋上に出ると、テトラが火球を飛ばしながら奥へと駆けていくのが見えた。
その原因を探す。
足場の無い空中に、黒いモヤのようなものが浮いてる。せわしなくいくつもの眼球が蠢くあれは、話に聞く妖魔だろう。
向こうはテトラが宙に浮けないのをいいことにからかっているようだ。
屋上に設置された魔術照明はことごとく壊されていて、それが妖魔の行動しやすい状況となっている。代わりにその影響で向こうも僕にはまだ気付いていない。
状況が分からない以上、目の前の妖魔だけでも手っ取り早く倒さなくては。
階下からの灯りだけが頼りな中、意識を集中し金属片を投げる。
飛距離を魔術で補い、弱点を確実に狙う。
妖魔の中央にある巨大な目に貫通させたところで、テトラが僕の姿に気付く。
何が起きたか分からず耳障りな悲鳴をあげる妖魔を追い込むように、テトラの火球が打ち込まれた。
真上へ逃げようとする妖魔に再度金属片を。確実に目を潰す。
痛覚があるかのように動きを止めた妖魔を捕捉し、火柱が上がる。
テトラが逃がすまいと全力で燃やしたことで、妖魔は塵のように崩れて消えていく。
「テトラ、無事?」
駆け寄ると、テトラは疲れたように答える。
「僕はね。他の人は分からない」
「何が起きてる?」
「色々と。先に屋上の照明と魔除けの道具を直さないと」
破壊されたランタンを直しながら、テトラは説明する。
「僕が部屋に戻ろうとしたら、南門の結界が壊されているのが見つかって、警備の魔術師が直している最中だった。結界は内側から壊されてて、外から何かが入った形跡があるから、全員で異常がないか見回ってるって聞かされた。そんなんじゃ部屋に戻れなくてさ。様子を見て回ったら屋上が暗くなってて。こっちも色々壊されてるし、妖魔出るし。ここに二体いたから、もしかしたら学院内にもまだ妖魔がいるかも」
なら、まだあちこちを確認しに行く必要がある。
早くランタンと魔除けを修復しなくては。
「学院周辺の安全確保はもう解決したんだ?」
「そのはずだよ。出入り口の警備強化と王族の安全確保が優先だから、警備の人員が散ってる。ソラリスは生徒の宿舎を見に行ったらしいし、あとは……何が必要だろ」
「学院の結界を壊した犯人を捕まえないといけない」
「そーいや、まだ誰も見つけてないのかな。屋上の道具を壊しにきてるの、ここに何があるか知ってる奴の仕業だよね。あの剣、ベキベキに折られてるし」
大鐘の前には、黒い剣が原形を残さず散らばっている。術発動に必要な魔石が砕かれているため、今から同じ術を広範囲に作用させるのは無理だ。
今回は鐘が無事なので、妖魔は一晩撹乱に使えればいいという判断だろうか。短時間で目的を達成する自信がある?
屋上の道具を直し、テトラと二人で魔術研究棟へ向かう。こうなっては、ゲルダリアとも一緒に行動した方がいい。
だけど、魔術研究棟には鍵がかかって静まり返っていた。
「お茶を淹れた形跡があるから、誰か来たみたいだ」
「こんな時間に来たなら普通 追い返すんじゃ? どこ行ったんだろ……」
使い魔を走らせて、居所を探す。
入れ違いになるなんて。
こんなことなら、僕が魔術研究棟に留まれば良かったか。あの妖魔ならテトラでもどうにか出来た。
「ゲルダリアなら、大抵のことは平気だろうけど……」
「集団が相手でなければね」
あるいは、アーノルド王子のような規格外の能力持ちでなければ、対処できる。
それでも、あの子を異形の前に晒すようなことはしたくない。理屈が通じない存在と関わらせるのは嫌だ。
もし妖魔に追われた人がここに逃げ込んだなら、お茶を出したりしている場合じゃない。事件が起きているのを知らずにここから出ていったんだろう。
ゲルダリアが妖魔に遭遇する前に、見つけないと。
テトラと二人でゲルダリアを探して移動する。使い魔のほうには反応がない。
遠目から見て屋内の灯りが消えているのに気付く。あれは生徒の宿舎だ。
慌てて向かうと、ランタンに火を入れている男子生徒がいた。小柄で暗い濃緑色の髪をしている。確か、ゲルダリアに会いに来る女の子と一緒にいる生徒だ。
その男子生徒は僕らに気付いて軽く会釈した。そして、ぼやくように言う。
「不良達がわざとランタンの火を消していくんです。祭りの意味も調べずに」
「火を入れ直してくれてありがとう。でも消灯時間だから、君が出歩く必要はないよ」
「これぐらいはしますよ。警備の人達が来られないようなので」
学院で異常が起きていると、生徒側でも気付いているのか。
「宿舎では異常は起きていないかい?」
「俺が見た範囲では何も。さっきゲルダ先生に会って宿舎を出ないように言われたんで、外で何かあったらしいのは分かったんですが」
「ゲルダに? 他に何か聞いたりは?」
「いえ。簡潔過ぎて」
「ゲルダがどこに行ったのかは分かる?」
「警備の人達の宿舎の方に走っていきましたけど」
「ありがとう」
急いでそちらへ向かう。
あの男子生徒が勝手に宿舎内をうろついているのは気になるけど、外へ出るつもりはないようならそれでいい。警備員が来られないなら、自警役は必要だ。
一部の生徒にはゲルダリアが魔除けを渡していたし、ソラリスもいるからある程度は平気なはず。
警備員の宿舎へ向かうと、屋内の灯りがほぼ消えている。
宿直の人が居ないようだ。外へ誘い出されたのだろうか。
「僕が戻ってきたときはここまでじゃなかったのに……こっちが狙いだったのかな」
隣国の王子がこの棟で保護されていたのは数日前まで。今は別の場所に移動していることを襲撃者は知らないのか、それとも目当ては王族じゃないのか。
学院の出入り口にも異常はないから、侵入者はまだ屋内をさまよっているのだろう。
二人でゲルダリアを探して屋内に入る。
壊された照明を直しつつ、妖魔避けの術を入り口と各部屋の前に施していく。
ゲルダリアもここに来ているのであれば、壊れた照明を放ってはおかないはず。違う棟にいるのだろうか。
階段の踊り場にも妖魔避けの術を施して、妖魔の行動範囲を狭めて行く。
二階三階と上がっていくけど、人の気配はない。この棟で生活している人の無事も分からないまま。
屋上へ出たところで、風が勢いよく吹き抜けていく。
今日は風の無い日だ。これは魔術によるもの。
流れてきた先を見ると、隣の別棟の上にゲルダリアが居るのが見えた。
杖を振り回し、魔術で何かを撃ち落とそうとしている。
案の定、ゲルダリアが向かい合っているのは妖魔だった。
こちら側の建物に魔術による破壊跡があるので、戦いながら移動したらしい。
身体強化の術を使い、あちら側へと跳んだ。
剣を抜き、体当たりするように妖魔を切り付ける。
濁った音に似た鳴き声と、ゲルダリアが息を飲む音。
それに構わず、異形の目を潰して屋上から蹴り落とした。
落ちて行く妖魔はテトラが追う。魔術による足場作成で斜めに駆け、火球を撃ち込む。
火と落下による衝撃で、妖魔は形を失くしていく。
これで一段落。
いや、まだ学院内全域が安全とは限らないけれど。
横から飛び込むように現れた僕達に、ゲルダリアが戸惑っている。
「怪我はない? 大丈夫?」
剣を握ったまま声をかけると、ゲルダリアはゆっくりとうなずいた。そして、ぽつりと呟く。
「……本物」
「え?」
何の話かと思っていると、ゲルダリアは駆け寄って僕の胴に飛びついた。
「……良かった、本物で」
予想しなかった行動に、反応が遅れた。
ここまでゲルダリアがなりふりかまわない状態なのは初めてだ。
「ゲルダリア?」
泣いてはいないけど、言葉も出ないまま。
そんな彼女を、左腕で抱きしめ返す。
さっきの様子からして、ゲルダリアを不安がらせる要因は妖魔ではない。何があったんだろう。
一人にする度に彼女は塞ぎ込む。ずっと側にいるための口実が欲しい。
ゲルダリアが落ち着くまで、テトラに一人であちこちの様子を調べさせてしまった。本人は気にしていない素振りだけど、疲労は隠せていない。
夜明けまで学院中を三人で見回るのも難しい。一度魔術研究棟へと戻ることにした。
僕達の拠点となっているこの棟に異常はない。侵入を試みた形跡もないから、侵入者から重要視されていないか、ここに辿り着く前に捕縛されているかのどっちかだろう。
いつものゲルダリアなら生徒達を放ってはおかないのに、今は僕達の提案を拒まなかった。
入り口に探知の術を施し、庭に追加の魔術照明を並べる。
このまま三人で工房に籠もり、交代で夜明けまで仮眠を取りながら過ごすことに決めた。
学院の重要拠点の警備が突破されたなら大々的に警報が鳴る。そうでない今は、まだここに居ても許されるはずだ。
ゲルダリアとテトラがそれぞれ魔術道具を抱えて椅子の上で眠っている。その様子を眺めながら、警戒用に使い魔を走らせる。
あれだけ駆け回ったのに、妖魔以外に侵入した存在を見かけなかった。
王立学院という閉鎖空間ですら、僕達三人では対処しきれない。
それなのに、国の未来を変えるなんて大それた話がありえるのだろうか。
分かっているのは、僕がこの二人と離れては何もできないということ。生きることが苦痛になる。
月蝕の術を使う人間を政争の道具として考える貴族が存在する以上、僕がゲルダリアに関わるのは彼女のためにならないんじゃないかと悩んだことがある。
面倒ごとには巻き込みたくなかった。
けれど、それでは僕自身が耐えられない。ゲルダリアと離れるなんて。
この学院に来て、秘めの庭では関わることがないであろう性格の人間と多く会った。目立つ容姿の貴族や王族に気を取られ、噂に夢中になる生徒達。その会話が耳に入る度、ゲルダリアがそんな性格ではないことに安堵していた。
僕と夫婦だと誤解されているのは都合がいい。ゲルダリアにとって困ることであったとしても。
考え込み、寝ずの番を交代し忘れたと気付いたのは夜明けだった。
空が明らむ頃に、鐘の音が響く。規則的に五回。
大抵の妖魔はこれで退治できる。
二人が音に反応し目を覚ます。
厄介事は解決しているだろうか。




