番外 ◇ 幻影水晶
どうということのない日常。
「雨だよー!」
テトラは私とヴェルヴェディノを振り返ると機嫌よく叫び、講義室を飛び出した。
教授の話が終わるまでずっとソワソワしていたから、テトラはこれから行く場所のことしか頭になかったようだ。
私とヴェルヴェディノも、跳ねるテトラを追って目的の場所へ向かう。
あの施設は雨の日くらいしか構造を観察できないから、私とヴェルヴェディノも雨が降るたびに寄っていた。
木造の建物と石造りの建物、そして材質不明の建物。それらをつぎはぎ連結した通路を歩いて雨を避け、三人で目当ての建物についた。
中に入ると外の雨音が遮断され、別の水音が聞こえる。それと私たちの足音を混ぜるように階段を上り、三階の中央の設備を見る。
硬度の高い透明な貯水槽には、既に大量の雨水が流れて内部の水路を循環していた。
テトラは上階から濁った水の流れを追い、貯水槽の周りの螺旋通路を駆けていく。
中階層から青い解毒剤が投入されて、色のついた水は濾過設備を通る。
濾過により透明になった水は下層の設備を経由して、各棟へと配水されていく。
そこまで見届けると、テトラは階段を駆け上がって上階から水の流れを追うのを繰り返す。
楽しそうだ。
ここでテトラが駆け回っていても、誰も怒らない。
私たち程度の力ではこの設備を壊すのは無理だから、テトラが勢い余って貯水槽に激突しても放っておかれていた。
私とヴェルヴェディノは、テトラがひっくりかえるたびに駆け寄って起こしていたけど。
「中に入って、水と一緒に流れてみたいな」
貯水槽にべったりひっつくテトラに、ヴェルヴェディノが現実的なことを言う。
「水の中では息ができないから、危ないよ」
「そうなの? 水の中で息を吸うための魔術はないの?」
「今のところ聞いたことがないよ」
この国は海も川も少ないため、日常で水に入る機会はあまりなかった。
こうやって雨水を溜めて、お風呂に入る回数がやっと増えるくらい。
テトラは貯水槽の水の流れを目で追ったまま、諦めきれないように言う。
「でも、教授が言ってたよ。人間はみんな水の中から来たんだって。なら戻っても平気じゃないの?」
それは赤ちゃんがお母さんのおなかの中で羊水に守られている、という話だろうか。あるいは、太古の時代に生命は海で誕生したという話なのか。
この国にキャベツやコウノトリは存在しないっぽいから、子供へのごまかしもそんな言葉になるのかもしれない。
私は前世の親から『あんたは近所の川原で拾った子だよ』と言われたけど、同じ話を同じ学校に通う子たち皆が親に言われていたので、近所のあの川は子供が生まれる川だというジョークになっていた。
「水の中から出てきたときと今とじゃ、体のつくりが変わっているから無理なんじゃないの?」
私のその適当な言葉に、テトラは納得できないのか考え込んでいる。
ヴェルヴェディノがテトラに聞いた。
「教授が言ったの? 人間はみんな水の中から来たって」
「うん」
「それは、教授も?」
「そうだよ。教授も水の中から来たって言ってたよ」
「……へえ? 教授が? 普通の人と同じように?」
ヴェルヴェディノは教授の出生について気になっているようだ。
私としてもそこはとても気になる。普通の人と同じと言われても想像できない。
教授にも、両親にあたる人がいるんだろうか。
でもそんなことを直接聞いてしまうのは失礼すぎる。
貯水槽の構造を観察しながら、こぽこぽと水の流れる音を聞く。
この雨量なら、明日は畑に水やりしなくて平気かな。
雨のおかげでお風呂に入れる回数が増える、と考えていた私と、スープをいつもより多く飲めると喜んだテトラと。武器作りに使う水に困らなくて済む、と言ったヴェルヴェディノ。
私たちがそれぞれ違うことを考えていると、知らない人が建物に入ってきた。
灰色の礼服を着た男性だ。仕事中の貴族だろうか。秘めの庭にはテトラの両親のように魔術師以外も働いているけど、この施設の人ではない。
その男性は、貯水槽の前でくつろぐ私たちに声をかけてきた。
「やあ、魔術師見習いさんたち。君たちは、これの仕組みを理解できているのかい?」
「まったく!」
元気に即答するテトラ。この子は無警戒すぎる。
許可なく秘めの庭に入ることはできないから、この男の人は不審者でも他国のスパイでもないのだろうけど。
テトラをこちらに引いて、その人とはちょっと距離を取る。
「まだ詳しく教えてもらえないので、分かりません」
それだけ答える。
あからさまに警戒した私と黙ってしまったヴェルヴェディノに、男の人は慌てて説明を始めた。
「ああ、すまない、名乗り遅れたね。私はパーマーと言って、王族から水の確保に関する仕事を任されている者だ。秘めの庭にある濾過設備に近いものを、遠い町や村にも設置できないかと言われたのでね。視察に来たのだ」
「それは、お疲れ様です」
仕事で視察に来る人は基本的に複数人でやって来るものなのに。
人手が足りないのだろうか。
「しかし、この濾過装置の構造を理解できても、同じものを作るための手配ができない。必要な材料を扱う者がいなくてね……。この設備と同じ物が他の地域にも設置できれば、更に次の土地を開拓できるというのに」
それを聞いて、街づくりのシミュレーションゲームを思い出した。
この国はまだ、発展のための水が足りないようだ。
作物が育ちにくいのは、水が足りないのも原因かもしれない。
パーマーさんの話に、テトラが不思議そうに尋ねる。
「材料? 何を使うの?」
「この貯水槽は魔術で石英を育てて作るそうなんだが、その素が必要量を確保できないんだ」
ガラスじゃなかったのか。
「あれって魔術で育つんだ?」
「説明してくれた人によると、そのようだよ」
それを聞き、テトラはまた貯水槽を見上げた。
「ふうん。これ、誰が作ったんだろ?」
その素朴な疑問に、パーマーさんは肩を落とす。
「十年前に、とある魔術師が完成させたそうだよ。けれど、この設備を作った者は今はこの第二都市にはいないようで、今必死に行方を調査しているんだ。これを作ることのできる人間が他にいるのであれば、そちらに依頼をすることも考えているんだけどね。魔術で水晶を育てるのは、難しくて誰にでもできることではないらしい」
作れる人が行方不明、資材確保も困難。それでは作り方が分かっていても、どうにもならない。
……技術喪失の危機、という悲しい状態だったりするのかな。
パーマーさんは軽く息をつくと、無理のある笑顔をして言う。
「君たちの憩いの場に邪魔をして悪かったね。いずれ君たちが一人前になったとき、開拓の仕事に協力してくれることを期待しているよ。それでは、私はこれで。さようなら」
「さようならー!」
「さようなら」
パーマーさんは丁寧におじぎをして帰っていった。
忙しい中で、未来の人材に声をかけることも忘れないらしい。大変そうだ。
水が足りない地域が多い、というのは確かに心配事ではある。
なんやかんやと、私はそういったことに困らない場所で暮らせている。人生の出発地点が公爵家だったのは幸運だ。
秘めの庭は裏の山が鉱毒で汚染されているので、毒消しと水の濾過は最優先で行われている。
この国で一番暮らしにくい土地らしい。
でも、魔術師にはそんなことは関係なかったから、ここに研究施設を作ってしまった。研究資材の確保にちょうど良い場所であることを優先してしまったのだ。
ここでの研究が進んだことで、王都と秘めの庭をつなぐ中継地点に町がいくつか作られた。
元は物資輸送の休憩地である第二都市は、この施設の研究のおかげで王都に次いで発展した。
そのおかげで、私たちは数時間かけて街に行って買い物ができる。そうでなかったら、人の生活圏に行くには数日かかってしまう。
週末で講義が休みの今日は、テトラがお金の扱い方を覚えるために街まで行くことになった。ラーラさんに頼まれたので、私とヴェルヴェディノも朝から一緒だ。
出がけに、エルドル教授から、何かあれば声に出して呼ぶように言われた。
「君たちが一人前になるまでの間は、危険な目に合わないよう私が対処しますから。どこに居ようと駆けつけます」
それは頼もしいけど、どうやって私たちの居場所を突きとめるんだろう。教授はそこについては説明してくれない。
私たち三人だけで秘めの庭から出るのは初めてなので、教授なりに心配してくれているのだろう。
疑問は置いて教授にお礼を言い、出かけることにした。
第二都市に行くのは私もこれが初めてだ。どんな街だろう。
テトラがことあるごとに獣道に入ろうとするので、ヴェルヴェディノと二人で慌てて止める。
初めての買い物ではしゃぐのは分かるけど、これじゃすぐに迷子になってしまう。
そんなことを繰り返したので、町にたどり着く頃にはお昼になっていた。
「……おなかすいたー……」
「テトラが寄り道しようとするからでしょ」
テトラもぐったりしているけど、私も疲れた。
「じゃあ、テトラが食べたいものを買いに行こう。今日来たのはテトラが買い物するためだし」
ヴェルヴェディノにうながされて、商店の並ぶ通りへ向かう。
テトラが寄ったのは、ドライフルーツのお店だった。
第二都市は貴族も寄る街だからなのか、砂糖を使って加工した果物も少しだけ扱っていた。
ベリーの砂糖漬け一包みは貴族向けの贈答品みたいでお高いけど、天日干しのプラムやアプリコットならテトラのお小遣いでも買えそう。
「……わかんない……おなかすいて計算できない……」
手持ちの八角形の小銭を見つめたままテトラがふらつくので、店の人が笑う。
「魔術師さんでも空腹には勝てないかい」
「そうだよー」
魔術師といえど人間だから、食事は必要だ。
そういえば、教授もご飯食べてるっけ。霞とか食べてそうなのに。
私がそんなことを考えている間に、テトラは買い物を済ませた。
お腹が膨れそうな量のプラムを一袋。もっといろんなものを少しずつ買えたはずだけど、テトラにそこまで考える余裕は残っていないようだ。
私もドライフルーツをいくつか買った。この世界のドライフルーツは初めて食べる。どんな味だろう。
街の広場にあるベンチに三人で座る。
テトラはプラムを食べるのに必死で静かだった。
「ヴェルは食べないの?」
一人だけ何も買わなかったので、別のお店でご飯かお惣菜を買うのかと思ったけど、それもしない。
「食欲ないからお昼はいいかな」
またそんなことを言う。
無理に物を食べさせても、食事が苦痛になるだけ。だからそれ以上は言わない。でも栄養が足りているのかどうか心配だ。
私も黙ってドライフルーツを食べる。甘さ控えめで食べやすい。杏飴の味を思い出して懐かしくなった。
気が済むまでプラムを消費して、テトラがあくびする。
そろそろ帰る頃合いだと思ったところで、広場に街の人が集まっていることに気付いた。
どうやら何かのショーが始まるらしい。人だかりの中央で緋色の派手なローブを着た男の人が礼をする。
「これより始まるは、水晶を使った幻影展覧! とくとご覧あれ!」
水晶を?
魔術を見世物にしている大道芸人だろうか。
興味が湧いたけど、テトラはこのまま放っておくと地面に転がって眠りそうだ。
人だかりに混ざりに行くのは諦めて、テトラのつむじをつつく。
いつもなら嫌がるのに、反応がない。これは本格的に寝落ちしてしまう。
「今のうちに帰るよテトラ」
ヴェルヴェディノの言葉に、テトラがむずかった。ベンチからテトラを引っ張ろうとするヴェルヴェディノと、ベンチにしがみつくテトラ。
そんな間に、広場のほうで光が弾けた。
思わずそちらに気を取られる。
重なりあう六角柱が一瞬のうちに広間に生えた。人の背丈並みのそれは、太陽光を反射してきらめきながら散っていく。
街の人たちはうっとりするように感嘆の声をもらす。
ずっと繰り返し眺めたくなる、綺麗な光景。
……そういえば、水晶を操る魔術は難しいって、このまえパーマーさんが言っていた。
これは幻影だと宣言されていたから、魔術じゃないのかな。すぐに消えてしまったし。
「帰ろう、ゲルダリア」
声をかけられ振り返る。疲れた顔をしたヴェルヴェディノが、眠るテトラを背負っていた。
「……大丈夫?」
ご飯食べてないのに。ヴェルヴェディノも体力が限界なんじゃ……。
私がテトラをおぶって行こうかと思ったけど、ヴェルは首を横に振る。
「いっそゲルダリアだけ先に帰って他の人を呼んできてよ。そのほうが早いから」
筋肉は、大事。
むしろ魔術師にこそ筋肉は必要。魔術師だって重い杖や本を扱うんだから。魔力が切れたら結局は物理に頼るのだ。
帰りの道中で倒れたヴェルヴェディノを見て、そんなことを思う。
回復の術は怪我を治すだけで、疲労には効かなかった。
どうしよう。私一人で二人を引きずって帰るのは難しい。
一時的にでいいから、私がムキムキになる手段は……、無い……。
身体強化の魔術は、私達の年齢ではまだ体に悪いから駄目だと言われて教えてもらえなかった。
ヴェルヴェディノには先に帰って誰かを呼んでくるよう言われたけど、この二人を道端に置き去りにするのも不安だ。
教授、呼んでしまおうか。本当に来てくれるのかな。
というか、こんなことで来てもらって大丈夫かな。忙しいよね、あの人。
教授以外の人にも連絡する手段がほしい。
「どうしたんだい、君達」
途方に暮れていると、不意に声をかけられた。
振り返ると、さっき街で幻影ショーをしていたあの人がいた。
「えっと……」
正直に答えるかどうか迷っていると、緋色のローブの人は、道端に転がった二人を見て心配そうな顔をする。
「君達、秘めの庭の魔術師だろう? どうしてこんなところで倒れているんだい?」
「……それが、帰る途中で力尽きてしまったので……」
信用できる人なのかどうか分からなかったけど、頼れる人がいないのでそう答える。
「ああ。そういうことであれば。こちらからあちらへ連絡をつけようか」
「できるんですか?!」
通信手段があるなら私達も知りたかった。
「使い魔を飛ばせば良いさ。君達にはまだ扱えない術かもしれないが」
確かにそれはまだ教わっていない。
「すみません、お願いします!」
「かまわないよ。こちらも秘めの庭には用があるからね、そのついでさ」
おかげで、秘めの庭からテトラの両親が迎えに来た。
ラーラさんがテトラを背負い、ボギーさんがヴェルヴェディノを背負う。
「やっぱりまだテトラが街に行くのは早かったかしら。ゲルダリアとヴェルヴェディノには悪いことしたわね」
苦笑しながらラーラさんに言われてしまう。
街まで行ってみたくて無理をしたのは私も同じだ。次はもっと鍛えてから出かけないといけない。
私達と一緒に、緋色のローブの人も秘めの庭に向かう。
彼はカジオさんと言って、秘めの庭の裏山に資材を集めに来たのだとか。
「依頼を受けて、水晶やその元を集めることになったのさ。材料を集めるにはあの山が一番いいんだが、教授から立ち入り許可をもらわないといけなくてね」
水晶……。さっきのショーみたいなものは、魔術だったのか。
「さっき街で見かけた魔術、材料が必要なんですね」
「幻影と謳いはしても、実際は素が無くては水晶を育てられないからね」
カジオさんのその説明に、ふと思い出した。
「水晶を育てる魔術ということは、もしかして、貯水槽を作るお仕事ですか?」
「おや、どうして急にそんなことを?」
「この前、秘めの庭にパーマーさんという人が来て、その話をしていたので」
「ああ、そういうことか」
なにやら納得した様子で、カジオさんは話してくれた。
「なら、君に明かしても問題ないかな。国境沿いの町でさっきの魔術を披露していたら、彼に声を掛けられてね。私はあの濾過装置については詳しくないが、手伝えることがあるならやらねばと思ったんだ。私の故郷も、あの装置のおかげで水に困らずに生活できていたから」
「カジオさんに助けてもらったお礼をしたいんですけど、私達にも手伝えることはありませんか?」
その質問に、カジオさんは考え込む。
「いや、君達に材料集めを手伝ってもらうわけには……。そうだね、私が秘めの庭に資材を集めにきたことは、あの施設の住人以外には話さないようにしてもらえばそれでいい」
「言いふらしては駄目なことなんですね」
「ああ。秘めの庭の裏に資源があることは、一般には隠されているんだ」
……すぐそばにある街の発展理由を考えると、そこはすぐにばれる気がするんだけど。
そう言われたら、黙っておくしかない。
でも、水晶を作る魔術には興味がある。いつか教えてもらえないだろうか。
次の日。
ヴェルヴェディノは物凄く落ち込んでいた。
「昨日は本当に、ごめん……」
畑で豆の様子を見ていた私に、ふかぶかと礼をして謝ってくる。
「謝らなくてもいいのに。私ももっと鍛えるから」
「そういう問題じゃないよ……」
私達がそんな会話していると、テトラが畑の隅にある家から飛び出してくる。元気をあり余らせた男児特有の奇声を上げて。
「待ちなさいテトラ!」
ラーラさんが叫ぶけど、テトラは走って逃げていってしまった。
溜め息をついたラーラさんは、私達に気付いて声をかける。
「あんたたち、ごめんなさいね。昨日のことであの子にちゃんと謝るように言ったんだけど、聞かなくて」
「そんな、気にしてないですよ」
「うちの弟や妹もあんなでしたし」
私達の言葉に、ラーラさんは呆れたように言う。
「……あんたたち、もうちょっとうちの子に怒ってもいいのよ?」
甘やかすなという意味かもしれない。でもそれは私とヴェルヴェディノには無理だ。
テトラはタリスよりも手のかかる子だけど、どこか憎めない。私もときどきお説教じみたことは言ってしまうけど、愛想を尽かすほどではない。
ヴェルヴェディノも家族のことを思い出すのか、あまりきついことは言わないから、結局テトラに振り回されている。
お昼になってもテトラが戻ってこなかったら、探しに行こう。
今日も魔術の講義はないから、ヴェルヴェディノと書庫に向かう。
書庫で何の本を読むか考えながら、ヴェルヴェディノに話す。
「昨日の帰りに、あの幻影展覧の人に助けてもらったの」
「教授を呼んだんじゃなかったんだね」
「そうなの、教授を呼ぶかどうか迷ってたら、あの人が通りがかって。あの人が使い魔の術を使って秘めの庭に連絡してくれたから助かったの。私達、まだ使い魔の術は教えてもらっていないけど、どんな術なのかと思って。あの人は鳥の姿の使い魔を飛ばしていたけど」
「使い魔の術は、魔力の消費量が多いから、僕らだと無理なんじゃなかったっけ」
「あ、それでまだ教えてもらえないの……」
身体強化の術もまだ駄目、使い魔の術も駄目では、大人の付き添い無しでは遠出できない。
これは今までどおり段階を踏んで一人前を目指すしかないのか。私達のレベルは今どのくらいなんだろう。
本を物色していると、本棚と本棚の並ぶ通路の間から、赤いふわふわした頭が出たり隠れたりしていることに気付く。
テトラが私達の様子をうかがっていた。
きっと昨日のことで気まずいのだろう。
「テトラ」
私が呼びかけると、びくりと反応して隠れてしまった。そっとしておいたほうが良かったかな。
そのままじっと待つと、テトラはゆっくりと陰から姿を出した。
「……昨日はごめんなさい……」
その謝罪に、ヴェルヴェディノが苦笑する。
「僕もゲルダリアも怒ってないから、大丈夫だよ」
「ほんとに?」
「本当に」
その言葉に、本棚から離れてテトラがやってくる。
「あのね、母さんがね、今日はみんなうちで晩ご飯食べようって。食堂のご飯よりいいもの用意するからって」
「いいの?」
「うん」
「じゃあごちそうになりに行くわ。ヴェルは?」
「僕も行くよ」
今日はご飯を食べる気分みたいだ。良かった。
「どんな料理?」
「鳥の料理だって。お客さんに鳥肉もらったって言ってた」
お客さんというとカジオさんだろうか。そういえばあの人、旅の荷物を沢山抱えていたっけ。
書庫で借りた本を庭で読もうと三人で向かったところで、教授に会った。
「おや君達。ちょうど良いところに」
どうしたんだろう。
「これから珍しい術を見る機会があるのですが、裏山へ向かいませんか」
もしかして、カジオさんの魔術だろうか。
「行きます!」
即答した私に、ヴェルヴェディノとテトラは不思議そうな顔をした。
「そういえばゲルダリアは彼に会っていましたね。これから、採取した材料の質を確かめるために水晶の練成を行うそうです」
教授の説明に、二人も興味を持ったようだ。
みんなで教授の後について裏山に行くと、カジオさんがいた。トロッコに木箱が乗っていて、その中身に触れている。
水晶の素は白い粉末だった。
「この素材で、目的のものは作れそうですか?」
教授の問いかけに、カジオさんは笑顔でうなずいた。
「ええ。これでしたら、おそらくは。早速試してみましょう」
粉を軽くつまんで、カジオさんは昨日の幻影のような水晶を一瞬だけ作り上げる。
「見世物としての魔術であれば、これは充分過ぎるくらいの質です。そして、」
カジオさんは手のひらに粉末をたっぷり乗せて、意識を集中した。
粉が舞い、きしむ音を立てて透明な六角柱が出現した。今度は、消えることがない。
「簡易なものであれば、このように」
小鳥ぐらいの大きさのそれを手のひらに乗せ、カジオさんは見せてくれた。
「すごい……」
三人でそれを見つめていると、カジオさんは作りたての水晶をテトラに渡す。
「はい。これは、これからこの魔術を覚えるかもしれない君達に渡しておこう」
「わぁ……」
「ありがとうございます」
私達がそれについて触れたり眺め回している間に、カジオさんは教授に向かって言った。
「これで確認は済みました。後は、依頼人のいる村にこの材料ごと向かうだけです、ありがとうございます、教授」
「いえ、こちらこそ。この仕事を引き受けてくれて感謝しております、カジオ。私では、水晶を望む形へ変えることはできませんから」
その言葉に、ヴェルヴェディノが顔を上げる。
「教授にも、できないことってあるんですか?」
「ありますよ。私にも向いた術と向かない術があります」
そんなことを言う教授に、カジオさんが笑って言う。
「教授の場合は、向かないというより、水晶に好かれすぎているのが原因でしょう」
「水晶に、好かれる?」
どんな状態だろう。
「魔術相性の都合で、結晶が想定以上に成長してしまうのですな、教授は」
「……何やら好意的な解釈をしてくれていますが。意思に反する結果を出すのでは意味がありませんよ」
珍しく教授が渋い顔をしている。
「えー。ちょっとやってみてよ、教授」
テトラがそんなことを言う。
「やめておきます」
「そんなー」
テトラのもの言いは教授に失礼ではあるけど、私としても教授がカジオさんと同じ事をしたらどんな結果になるのか興味がある。
私とヴェルヴェディノも教授をじっと見つめる。
カジオさんが言う。
「教授、こうも期待されているなら、見せてみちゃあどうでしょう。水晶解体の後始末は私が行いますので」
「……後悔しても知りませんよ、カジオ」
教授は水晶の素である粉には触れない。
魔力に対して風が流れるように集まったかと思うと、爆発するかのように光があふれた。
思わず目を閉じて、結晶のきしむ音を聞く。
それが収まった後に恐る恐るまぶたを開くと、辺り一面が結晶で覆われている。
その中でも、教授の目の前には背の高い六角柱がいくつも重なりあうようにして伸びていた。
「わあ……」
感嘆の声を上げる私達とは違い、足元にまで水晶が侵食した教授は首を横に振った。
「やはり、思うようにはいきませんね……」
「いやいや、教授、これはもう芸術品ですよ。残してみてはどうでしょう?」
「他の実験や生き物たちの邪魔になります」
にべもない。
カジオさんがトロッコに乗って去っていくのを見送った後、テトラが教授に言った。
「母さんがね、今日の夕飯は特別だから、うちにみんな呼んでいいって。教授も」
「おや、私もですか」
「うん。うち狭いけどね」
「せっかくのお誘いですから、ご相伴に与かりましょう」
テトラと教授のやり取りに、私はヴェルヴェディノに笑う。
「今日のお夕飯はにぎやかになりそうで、楽しみね」
「そうだね。食事はにぎやかなほうがいいから」
ヴェルヴェディノからそんな言葉を聞くとは思わなくて、少し驚いた。
もしかしたら、今まで食事を嫌がることがあったのは、一人の食事が辛かったんだろうか。
話を聞いていると、大家族だったようだし。
これからも、こうやってみんなで一緒に食事をする機会を増やせるといいな。