幕間16/消えた役割の意味
姉さんに僕の魔術暴発の件が知られてしまったのはとても悔しい。
そして、それを明かした人間が何者であるのか自分で記憶していないというのが、酷く不甲斐ない。
どうやらトラングラは黙っていてくれたようなのに。別の誰か経由でバレてしまうなんて。
心を強く保たないと惑わされる。それは理解していたつもりだったのに。
あれから、姉さんと日常的に会話をする機会は増えたけど、それでも少し壁を感じる。姉さんはまだ、自分の存在が家族に悪影響を与えると考えているらしい。何を根拠にそんなことを。
得体の知れない相手から僕を引き離してくれて、それでもまだ自分のことを信じられないなんて。
……ディーやトラングラのことは信用しているようなのが、余計に苛立ちを覚える。
放課後の魔術研究棟で先輩達と魔術訓練をするのは悪くない。
直接にディーやトラングラと顔を合わせなくて済むから。
ただ、何故先輩達があの場所に集うのかは謎だ。
隣国の王子までいるなんて。
姉さん達がロロノミア家から信頼されている故なのだろう。
それぞれ事情を抱えているであろう先輩達は、僕が魔術訓練に参加すると言ったら歓迎してくれた。前髪で目を隠している人だけ、何を考えているのか分からなかったけど。
社交の延長で興味のない相手と交流するよりは、余程心が休まる。
新月祭の準備が始まり、学院側からの指示で、姉さん達は工房に籠ってしまった。
またあの三人で。
僕に手伝えることはなさそうだったので、こちらも同級生達との準備をすることにした。
皆の出身階級はそれぞれ違うし趣向も違うため、催事にかける財も熱意も様々だ。隣国の文化を体感することを楽しむ生徒と、興味のないであろう生徒。舞踏会の方が良かったと声を大にして主張する生徒。
僕はそれらの話に曖昧な相槌を打つだけ。
この学院で実権を振るうロロノミアの次期当主に異議を唱えても無駄だろう。あの方にとって、今回の催しは何かの目的あってのこと。でなければ、学院の慣習になっている舞踏会を潰すわけがない。
その目的について考えるのは不安だった。
王族御三家の次代が揃っていて更に隣国の王子まで在学している中で、社交の機会を潰すと決めた理由には何があるのか。
闇夜明けぬうちは灯りを絶やさない行為。言ってしまえばそれだけのこと。
それだけの行為をこの学院で行う意味を考える。
皆との作業を切り上げ、図書館に向かった。情報が欲しい。
図書館で祭りの由来を調べる。
『ジャータカ王国で、妖魔から身を守るため一晩灯りを絶やさなかったことが始まり』
それを、この国で行う意味は?
嫌な予感がする。
不安を拭えない状態で宿舎に戻る。
空腹だから余計なことを考えるのだろう。そう思い食堂に向かったところで、ノイア先輩が人波に隠れるようにして移動しているのが見えた。
あの人はあの人で、時々何をやっているのやら。
食事を受け取り、彼女のところへ向かう。
「何かあったのですか?」
僕の呼びかけにビクリと震えたけど、すぐに振り返る。
「……それがですね」
食事をしながら話を聞く。本人はあまり他言したくないようで、しどろもどろだ。
まとめると、イライザ先輩の後を追い回す女子生徒がいたので心配になって様子を見ていた、とのこと。
「前も似たような話をしていましたね、先輩」
僕の言葉に、彼女は居心地が悪そうに目を逸らす。
「シャニア姫のことはもう解決したからいいのですけど……」
「先輩は他人のことばかり心配していませんか?」
本人だって髪と目の色で偏見を受けているのに。
その疑問に、先輩は表情を緩めて言う。
「私の方はもう面倒ごとには巻き込まれませんから。ゲルダ先生のおかげです」
「……姉さんの?」
「はい。誕生日にゲルダ先生から贈り物をもらったんです。それを身に付けたお陰で、怒りっぽい人や敵意を剥き出す人と遭遇することがなくなりました。そういった魔術もあるんですね」
嬉しそうに笑う先輩。
姉さんは彼女のことを気にかけている。その理由は、先輩の髪と目の色が変化したことに関係しているらしい。
それは姉さんが責任を感じることではないし、ノイア先輩も姉さんを責めるつもりはないようなのに。色々と背負い込み過ぎでは?
善良な友人知人の不幸を払いたいという気持ちは理解できるけれど。
類は友を呼ぶ、ということだろうか。
他人を心配して自分を置き去りにする人同士で交流するなら、上手くことが運ぶのかもしれない。
話してもらえないだけで、ノイア先輩も姉さんのために何かをしている可能性はある。
「ところで、先輩が懸念を抱えている相手が誰か、聞いても良いですか?」
「え、あの、それは流石にですね……」
答えてもらえないか。
告げ口を疎む性格の人は、僕に何も話してくれない。力になりたい人や尊敬している人ほど。僕が信用されていないわけではないのに。
興味のない人間ばかりが、僕の地位に擦りよってくる。
先輩は慌てて言う。
「私が勝手に心配しているだけで、その人が良くないことを始めたわけではないので……」
「他人の後をつける行為は褒められたものではありませんが」
「そこを言われてしまうと、私も色々……お咎めを受けないといけませんね……」
「……先輩も、護符があるとはいえ気を付けてくださいね」
「はい……」
ああいうとき、強引に話を聞き出せばいいのかな。アストロジアの第二王子はそうするだろう。ロロノミアのあの方なら、話術による誘導で相手から情報を引き出すだろう。僕はどちらも不得手なまま。
うだうだと、悩む。
僕が今までに社交場で接してきた貴族の中で、頼れる人は大勢いた。それは皆 年上だから、今すぐ相談に乗ってもらうことはできない。歳の同じ貴族とは話が合わない。
学院の中では、大勢の人間に囲まれていても、一人で過ごしても、同じこと。
夜でも、魔術照明のお陰で談話室の中は明るい。今の気分には合わない強さの光に耐えられず、その場を離れる。
ぼんやりとした灯りが等間隔に並ぶ廊下に出て、溜め息をついた。
自室に戻ろうとしばらく歩いたところで、どこかから声をかけられる。
「変わらず陰気な顔をしているね」
何だ? 周囲を見回すけど誰もいない。
真上で気配が揺れた。
見上げようとしたところで、背後から勢いよく誰かが駆ける音。
目の前を黒尽くめの人物が駆け抜け、何かの砕ける鈍い音が響く。
呆気にとられる僕の目の前で、人の形をした灰色の何かが床に投げ出される。
炎が暴れるようにそれを覆う。
黒尽くめの魔術師は、トラングラだった。そこから逃げるように、灰色の何かは転がりながら消火して距離を取る。
「……一体何が」
「黙って!」
僕の言葉を遮って、トラングラが跳ねる。
けれど、灰色の塊は蹴りを回避した。どこかで聞いたような声で恨みがましく呟く。
「邪魔が入るとは……」
塊。そう呼ぶしかない。形こそ人のようではあれど。
この国で異形は生きられないんじゃなかったのか。
狼狽える僕を余所に、トラングラは炎と近接格闘で異形を打ち据える。
……この状況、僕にできることは何だ?
使い魔の作り方を教わったばかりなのを思い出す。
手持ちのピンを核にし、小鳥型の使い魔を飛ばした。他の警備員も呼ばなくては。
その間にも、何かが焦げる嫌な音と臭いが辺りに満ちる。
「贄の鳥。ようやく手中にと思ったところで……」
くぐもった低い声で、異形は僕に向かって腕を伸ばす。
贄? 何の話だ?
「聞くな! 連れて行かれる!」
トラングラが僕に怒鳴る。
それでも意味を考えてしまう。
その合間に、使い魔が警備員の溜まり場についた。目の前の光景から意識を切り離し、使い魔経由で事情を説明する。
これで、しばらくすれば助けが来る。
周囲を見回すけど、他の生徒はこちらに来ない。あの異形が人避けでもしているのか。
異形がトラングラに怒りの言葉を吐く。
「邪魔をするな!」
それを無視し、彼は無言で異形を焼こうとする。
「ここに入り込んでいるのは南からの諜報員も同じだろうに! 何故そちらを追わない⁉︎」
「それはそれ、これはこれ!」
とんでもない情報を出されたけど、トラングラの言う通りだ。
優先順位は目の前の敵を倒すこと。
……火は効きが悪いようだ。
トラングラのおかげで、異形は僕から引き離された位置にいる。それでも、このままでは退治できそうにない。どうすれば。
今の僕は剣を持っていない。
風の術はトラングラを巻き込んでしまう。
いや、ずっと姉さんや先輩の協力で訓練してきたのだ。
苦手と言っている場合か。
集中しないと。
この国の魔術は、使い手の精神集中次第。
「……ずっと面倒みてきたのに」
異形の言葉。
聞き覚えがある。
そうだ。一時期あいつと話をしていた。
夏の間、あいつが魔術暴発を抑えてくれたのだ。
それでも。その恩があっても。
こっちを贄だの餌だのと思っていたなら感謝なんてしない。
恩着せがましいことを言われたって加減するものか。
トラングラが爆発じみた炎で異形を吹き飛ばす。
その隙を逃さず魔術を使う。
一直線に風が走り、空間を裂いた。
異形が二つに分断され、追い討ちの炎が上がる。
そこで他の警備員たちが駆け付けてくれたけど、あいつはもう動かない。
警備担当の魔術師と騎士に連れられて奥の棟へ向かう。
異形の死骸は彼らが回収してくれた。
一時的とはいえ人として僕の側にいた相手だから、略式の葬送ぐらいはしてやろうかと思ったけど、止められた。
トラングラが怒りを隠さず言う。
「命を狙ってきた相手にそこまでする必要ないよ」
「……僕の自己満足のために」
「はあ? 意味が分からない」
僕とトラングラの考えは噛み合わない。
うちの領地では、行き倒れた身元不明の不審な人間であっても弔って共同墓地に葬る。生前がどうあれ、せめて最期だけは人として扱う。僕はその意識の延長でいたけれど、そう説明してもトラングラは納得しないのだろう。
状況説明と事後処理が終わって解放されたあと、トラングラに言う。
「今回の件、姉さんには、」
「僕は言わないけど、流石に無理じゃない? どっかから話が流れるだけだよ」
「……そうでしょうね」
「黙っててもバレるぐらいなら隠す意味ないよ」
「分かっています。でも、姉さんに心配かけたくはありません……」
僕の態度が鬱陶しいのか、トラングラは鼻息荒く息を吐く。
「お互い様みたいなもんなのに。ゲルダリアだって、変なのに狙われたことあるんだしさ」
初耳だ。姉さんからは聞いたことがない。
「いつのことです?」
「休暇で海に行ったとき。北の海から流れてきた怪物が、ゲルダリアのことも狙ってた。皆で退治したけど」
「……その件については聞かせてもらえませんでした」
「あーうん、そうじゃないかと思った」
呆れたように脱力するトラングラ。
落ち込みを隠せない僕に言う。
「それはともかく、異形に話しかけられても返事したら駄目だから。そんなの、子供のうちから聞かされるだろ」
「そうですね……」
あれらの話は、子供を脅して躾けるための作り話だと思っていた。
それ以上の会話が億劫になったのか、トラングラは話を切り上げ戻っていく。
助けてもらったお礼を、言い損なってしまった。
ぼんやりしながら宿舎に帰る途中、小柄な男子生徒が中庭からこちらを見ていた。
何だろうと思ったところで、長身の女子生徒が騒々しく現れ、二人で去っていく。
あの二人は、昼休みに姉さんと会話しているっけ。姉さんはこの学院の講師として、生徒とも上手くやっている。
本来なら姉さんも生徒としてここに通っただろうに。
姉さんは僕のために、と距離を置いて魔術師になった。結果、僕は寂しい想いをしたけど、それが先輩や他の生徒達のためになっている。
複雑だ。
ディーについては知ったことではないけど、僕の我が儘で姉さんを家に返せば、あの生徒達は怒るかもしれないし、先輩達には見損なわれるかもしれない。それは僕にとっても嫌なことだ。
もう特定の誰か一人に執着して生きることはできない。
自室でくつろいで、ふと思い出す。
お父様が我が家の家紋と鳥の縁について話してくれたこと。
遠い昔、鳥と我が家の関係には意味があったけれど、それは不幸なことだった。
けれど、その良くない役割は始祖王が消してくれたのだという。
始祖王以前の時代の記録は残されていないため、消された役割というのが何かは謎のまま。
今回のことと、姉さんが事件に巻き込まれた話を聞いて、想像がついた。
始祖王の加護が及ぶ土地でもこんな目に遭うのであれば、我が家の人間が他国の土地に行くのは危機かもしれない。
詳しく調べてみなくては。
でも、過去の記録はどこにあるのだろう。




