最推しキャラとの会談
ルジェロさんとのやり取りで、この人はゲームの中と変わらず誠実な人だと実感した。自国の利益のために引きはしないけれど、代わりに、こちらの話も丁寧に確認してくれる。
意見の押し付け合いではなく、話し合いで妥協点を探すことに長けている人だ。
あの鬱ゲーの中で、尊敬する主を失ったルジェロさんは、何故前もって主の異変に気づけなかったのかと悔いていた。でも、異変に気づけたところで、それを解決する手段がなくてはどうにもならなかっただろう。彼の使う医術は身体に作用する物だけのため、精神攻撃への対策は行えないから。
私は、最近この国で起きている事件について取り上げる。
王族を害そうとする者たちは、自分の意思ではなく他者から操られた結果の行動だと判明した。他人を利用するような悪辣な手段を野放しにしては、真に糾弾すべき対象が隠れてしまう。解決のためには、あらかじめ精神操作を防ぐ術を皆に施すしかない。
そう説明したところで、私は背後に控えるテトラを呼んだ。
テトラが連れてきた白猫は、学院に住み着いている子で、テトラ以外に懐こうとしない。餌で釣っても無視されてしまう。
その白猫が私に懐かないのをルジェロさんに確認してもらい、白猫に幻惑の術をかけた。人や生物を惑わす術を使うのは初めてだけど、うまく作用してしまったようで、白猫は私が頭や喉を撫でても嫌がらなくなってしまった。普段は絶対に触れさせてくれないのに、今のこの子はテトラが二人存在していると錯覚して、機嫌がいい。
そして、テトラが私の術を解除する。
我に返った白猫は、途端に私の手を払いのける。遠慮なく爪を出して。
……痛い。
声を上げずに済んだけど、手の甲をざっくりと引っかかれてしまった。
それはおいて、次の実験を始める。
テトラが猫に精神操作を防ぐ術を施した。
その後に私が幻惑の術や催眠の術を使っても、猫はもう騙されてはくれない。さっきの傷へ追い打ちをかけるように、猫パンチが繰り出される。シャーって鳴かれて悲しい。
「……こうして、前もって精神への作用を防ぐ手段があります。この魔術は今、我が国に広めようとしている段階です。他国でも周知が広まれば、操られる被害者は減らせるはずです。そちらの国の魔術研究を提供していただくための条件として、この術の情報を差し出します」
フェンは最初、他国にこの術を公開することを渋った。北の国をどこまで信用していいのか様子を見ているようだ。
でも、相手にも得になる魔術を提示しないと取り引きとして持ち込めない。
既に北の国で精神操作を防ぐ術が開発されていて、この取り引きが相手においしい物ではない可能性もある。私としてはあの国の王族が滅ぶような展開が阻止できるのであれば、それでも良かった。
ルジェロさんは、私の説明を聞き終わると真面目な顔で言った。
「まず先に、貴方の傷を治しましょう。手を出してください」
どうやら彼は、私が手の甲から血をにじませても説明を続けるのが気になっていたようだ。
言われた通り、猫の爪痕が残る左手を差し出した。
「触れることをお許しください」
ルジェロさんは両手で私の手を包むと、意識を集中させる。
周囲の氣を集め、仄かな青い光が舞いながら怪我を癒やしていく。
この人の扱う治癒術は、ゲームで遊んでいたときに何度も見た。それが自分に対して使われる日が来るとは思わなかったので、不思議な気分だ。
「これで、大丈夫でしょう」
傷が塞がり、痛みも痕も消える。それを確認し、ルジェロさんはそっと手を引いていった。
「ありがとうございます」
丁寧な治療だ。こうやってここで対面できたのが、ルジェロさんで良かった。
この人の医術を私が真似することはできるだろうか。私の使う術とは仕組みが違うようだけど。
ルジェロさんは、先ほどの真剣な顔つきとは打って変わった笑顔で言う。
「貴方が体を張って紹介してくれたその術、受け入れましょう。代わりに、こちらからも魔術に関する情報を提供します」
良かった。取り引き成立だ。
「……ありがとうございます!」
交換する魔術情報の細部を詰めるために確認を繰り返し、ようやく取り引きは終わった。
礼を欠かないよう気を遣いながら退室する。
後は、ルジェロさんが北の国の王族達を守ってくれることを願うばかり。
そう考えながら来賓館を出たところで、気力が切れた。
「……ふう」
思わずため息をつく。
「大丈夫? ゲルダリア」
ヴェルが隣に立って、私の目線に合わせてかがむ。
今の私は疲れて見えるらしい。
「……どうにか、平気」
強がってしまったけど、慣れないことをした反動で、疲労感が襲ってくる。
テトラが考えこむようにして私に聞く。
「最後にあの人、ゲルダリアに何か言ってたけど、あれ何だったの?」
「北の大陸の古語かな? 妖精による統治時代の。僕らには聞き取れなかったけど」
二人が気にしているそれは、キラナヴェーダの中で使われている架空言語。妖精の言葉とされている。ルジェロさんは王族から妖精との取り引きも任されているから、無意識にその言葉を呟くことがある。
あのゲームのファンは架空言語の解読を趣味でやってきたから、私にはルジェロさんの言葉を聞き取れたし、意味も分かった。
あれは私に向けた言葉とは限らない。
「気にしなくても良いと思うわ。取り引き自体はどちらの国にも損がないように運んでもらえたんだし」
私の言葉に、何故か二人は納得しないような表情だ。
意味が分からないと落ち着かないのだろう。
好ましい、という意味の単語を機嫌良く言っていたので、取り引きが順調に終わって満足したんじゃないだろうか。
待たせている馬車のところまで向かおうとして、階段で立ち止まる。
「……しまった、下り……」
「どうしたの?」
「……足が限界」
このまま階段を下りると、盛大に転びそうだ。
もう靴を脱いでしまおうか。人通りもなさそうだし。
そう考えたところで、急に体が浮いた。
「え?」
「もっと早く言ってくれればいいのに」
ヴェルは私を抱き上げて階段を降りだした。
「……ありがとう」
これがお姫様抱っこというものか。
……怖い。想像したより、体が宙に浮く感覚は馴染みそうにない。この世界の魔術師は箒に乗って空を飛んだりしないし。
でも、ヴェルが私を落とすことはないだろうから、怖がらなくてもいいか……。
浮遊感に耐えながら、ぼんやりする。
私が無理を言い、二人にも負担をかけてしまった。
取り引きが成功したから、それに見合う情報は得られただろうけど。
気が緩んで、何だか眠くなってきた。
馬車まで運んでもらった後も、意識がふわふわしたままだ。
テトラは白猫をあやしながら、ヴェルと会話する。
「北の大陸に猫の王様がいるって話、本当かな」
「ああ、だからテトラは北の大陸に行きたいんだ?」
「……それだけじゃないけどさ」
そういえば、テトラは子供の頃に猫会議を探して迷子になりかけたことがあった。
キラナヴェーダの世界はケット・シーの伝承を採用しているから、猫達の国が存在する。人に辿りつけないようになっているそこには、他の猫よりも一回り大きい猫の王様が居た。
黒い毛並みに、白いお腹と前脚の、まるっとした妖精猫。愛嬌があるけど、人間には厳しい。
仲間として一緒に旅に出られなかったのが残念だった。
テトラが、主人公君と出会うあの港町で死ぬことさえなければ。いつかは、ケット・シーに会えるかもしれない。
ゲームで見た光景を思い出すうちに、いつの間にか私は眠ってしまった。
意識が浮上したところで、馬車の揺れとは何か違うと気づいて目を開けた。
またヴェルに抱えられていたようで、顔が近くにあってびっくりした。
どうやら宿の中を歩いているところみたいだ。
「……ああ、目が覚めた? 馬車を降りるときに声をかけても反応がなかったから、勝手に連れてきたけど」
「それはいいの。迷惑をかけてばかりでごめんなさい」
いろいろ強行し過ぎたと反省する私に、ヴェルはいつもの穏やかな調子で言う。
「これぐらい、気にしなくていいよ」
「でも、二人には私の都合に応えてもらってばかりだから」
「僕としては、今回君が頼った相手が僕達で良かった」
「……え?」
「君が貴族として振る舞うのであれば、弟に協力してもらうこともできたはず。彼ならうまく手配するだろうに、君はそうしなかった。今までと同じように、僕とテトラを協力者として選んだ。安心したよ」
ヴェルがそんなことを考えていたなんて。
私としては、今回のことは家族に対する裏切りみたいな意識でいたし、それは二人に対しても感じていた。都合よく自分の立場を利用する半端者として。
幽かな声で、ヴェルが言う。
「君がどうあろうと、僕達を切り離さずにいてくれるなら、それで充分なんだ」
他の誰にも聞き取れないような、小さな呟き。前を歩くテトラにも聞こえなかったかもしれない。
返す言葉に悩んだところで、借りている部屋の前についた。
ヴェルはそこで私を静かに降ろすと、自力で立てるか確認する。
「部屋に入るまで補助しなくても平気そう?」
「……うん、ありがとう」
他に言葉が出てこない。
「じゃあ、後は帰る準備ができたときに迎えにくるよ」
それだけ告げ、ヴェルも自分の部屋へと去っていく。
ああ、そうだ。日常に戻るための後始末をしなくては。
自力でうまく立てないような靴は脱いで、華やかな世界や貴人の集う場所へ赴くための衣装も仕舞い込む。
髪と瞳の色を黒くして、黒い装束を身につける。それで魔術師ゲルダの出来上がり。
学院に帰った後、フェンからねぎらいの言葉をもらった。
「交渉として上々の結果を出したと聞いた。君には感謝している」
私が仕事を妨害したときとは違い、よくできた社交用の笑顔だった。
「……ありがとうございます」
面倒ごとを押しつけておいて、部下を褒めることのできる上司みたいに振る舞われても。
とはいえ、フェンがいくつか妥協してくれたおかげで、私の目的も果たせたのだ。こちらも一応は感謝しておこう。
……もし交渉に失敗していたら、一体何を言われたのやら。
またいつも通りの日々が来た。
放課後は、ノイアちゃんとソラリスが庭で魔術訓練をして、室内ではナクシャ王子がイライザさんの付き添いで勉強する。
ナクシャ王子は、イライザさんのことしか頭にないようだ。でも、イライザさんが言うには、雛鳥が初めて見た相手を親だと思いこむのと似た状態なのだとか。
「彼は信用できる人に恵まれなかったから、縋る対象が私になってしまったみたいです」
イライザさんにとって、ナクシャ王子から向けられる感情を恋とは解釈できないらしい。
一方、ノイアちゃんはナクシャ王子のことが怖いみたいで、近づこうとしない。ナクシャ王子が侵入者であることを、ソラリスから聞いたのかもしれない。
最近はイデオンが一人で魔術研究棟に来るようになったけど、彼の目的はイライザさんとナクシャ王子の方だった。事務連絡のためで、ノイアちゃんに個人的な用はない模様。
ゲーム中とは違う妙な人間関係になってしまっている。
元々あの乙女ゲームに逆ハーレムルートは存在していないから、ノイアちゃんが攻略対象全員と仲良くする必要もない。本人は変わらず故郷の伯爵様の話とシャニア姫の話が多く、学院を出た後のことを考えている。
そんな日常は穏やかで、平和だ。
しばらくこうやって静かに過ごせたらいいのに。
この国の王族がジャータカ王国の状況を改善すべく動いたとき、人手が足りないという理由で私たちも巻き込まれる可能性がある。
アストロジア王国とイシャエヴァ王国の交流が再開された代わりに、ジャータカ王国の現状は危うい。
ナクシャ王子は、始祖王の呪いを解く王としてあの国に帰ることができるだろうか。
しばらくして、ルジェロさんから私宛てに手紙が届いた。
仕事としてでなく、個人的な交流がしたいという内容だ。
貴族間の人脈作りなら、私よりも社交慣れしている人間と関わり合った方がルジェロさんのためになる。
というわけで、タリスを紹介することに決めた。
タリスも、未来の公爵として他国の貴族と縁ができるのはありじゃないだろうか。
そう考え、放課後にタリスを校門前に呼び出して話をした。
タリスは、ルジェロさんからの手紙を読んで溜め息をつく。
貴族としての役割をタリスに押しつけてしまうのは、やはり迷惑だろうか。
「私は魔術のこと以外は何も分からないから、相手の時間を無駄にしないためにもこの方がいいと思うの」
弁明をするけど、タリスは呆れ顔のまま。
「……相手が求めていることは姉さんの想像とは違うと思いますけど、まあいいでしょう。僕としても国外に縁をつなぐ機会があるなら、逃す手はありませんし」
「良かった、ありがとうタリス」
「礼には及びませんよ。姉さんが損をしているだけですから」
そう言われても、私は貴族として真っ当に振る舞う自信がない。
ルジェロさんに求めるのも、北の国の安定に貢献してもらうことだけ。
あのゲームのファンとしてルジェロさんを応援したいけど、私がゲルダリアとして直接仲良くなりたいわけではないし、一緒に旅したいわけでもない。
……私が冒険に出るのであれば。
同行者は決まっている。




