海を越える手段
考えついたことに軽く混乱して、ついヴェルにしがみついてしまった。
ヴェルは私が落ち着くまで様子を見ていたようで、顔を上げて目が合ったところで、再度質問される。
「何かあった?」
「シャニア姫の占い」
「え?」
「アーノルド王子がヴェルに迷惑をかけるっていう話。ヴェルは最初から意味が分かっていたの?」
私は月蝕の術が存在する理由をずっと知らなかった。本人が詳しく説明しようとしなかったから。ヴェルから借りた本を読んで、やっと理解した。
あるとき、友であるジャータカ王の子孫が民を迫害する悪しき王と成り果てた。それを嘆いたアストロジアは、その地より魔術を奪う。
彼は己の子孫が友の子孫と同じ徹を踏まぬよう、月の力に弱みを作る。
月蝕の力を与えられた街の民は、アストロジアを崇拝し、これに逆らうことはないと誓った。
その伝承も、一般には知らされていないもの。
エルドル教授がアストロジア家の人間の行動を止められないというなら、何かあれば、ヴェルが対処しないといけなくなる。
私の問いに、ヴェルは答えるのをためらったように見えた。
「魔術属性に関連した件以外で、僕がアストロジア家に関わることはないだろうから。何か起きるんだろうなとは予想してる」
「それで、この学院に来てすぐにアーノルド王子と会って、様子がおかしかったの?」
「……そうだね。僕は向こうと遭遇しないようにしているけど、難しいみたいだ」
ヴェルはアストロジア家との因縁を、余り人に話したくないらしい。
アーノルド王子が自国に害をもたらす可能性については、ナクシャ王子の現状をみると、完全に否定できなくなってしまった。
シャニア姫が護符作りに参加しにきたのも気にかかる。
この国の王族は、既に危うい立ち位置にいるのかもしれない。
でも、まだ間に合うはず。
念のため、アーノルド王子とヴェルが戦わないといけなくなった場合の対策も考えた方がよさそうだ。
ある日テトラが言った。
「教授って、空の色に似てるなって思ったけど、うちの母さんは海の色じゃないかって言うんだ。海の色って、どんなの?」
この国は西の一部にしか海岸線がない。あとは山に囲まれているか、隣国との境界だ。
「海には行ったことがないし、本に載っているとおりのことしか分からないな」
ヴェルのその言葉に、テトラもうなずく。
「行ってみたいなって思ったけど、母さんが、海は荒れることがあって危ないから行くなって言うんだ」
秘めの庭の南西がその海岸沿いの地域だから、ラーラさんはその地域から来たのかもしれない。
私は海産物を食べてみたいのもあって、機会があればその地域にも行きたかった。機会は今までに一度も訪れなかったけど。
そんなやりとりをしたのを思い出したのは、国の先行きを決めた王族が、私たちに報告へとやってきたから。
放課後。
ノイアちゃんとソラリスが魔術研究を始めたのをよそに、フェンは私たちへ一方的に話を始める。
「この国で長らく封鎖されていた海峡を通り、北の国との出入りに利用すると決めた。そのためには、始祖王による海峡封じの術を解く必要がある。封じの術を解く魔術道具の製作に協力してもらえないだろうか」
有無を言わせないような口調だ。
この国の魔術師であれば始祖王の伝承には興味があるから、その依頼を断ることはしない。私個人としても情報は欲しい。
でも、王族に仕える魔術師も多いだろうに、何故私たちに話を持ってきてたのか。
疑問に思ったところで、フェンは説明を続けた。
「シャニアによる判断だ。これから魔術的な要素が絡むことには、君たちを関わらせるのがいいと。理由は俺には分からないままだが」
あのお姫様は、私たちに期待を寄せてくれているようだ。
フェンが置いていった資料をつまみ上げ、テトラが言う。
「あの海から他の国に行けなかったの、海が荒れやすいからじゃなかったんだね」
「魔術封鎖があったのは初めて知ったよ」
ヴェルはそれだけ言うと、真剣な表情で資料を読む。
魔術による海峡封鎖。そんな大がかりなことをして、この国と北の大陸の直接的な交流を規制したのは何故だろう。
……と真面目に考え込んだけど。
そういえば始祖王は、駆け落ちしてる人だった。
北の大陸で妖精姫と恋に落ち、妖精王に許しをもらおうとしたけど、怒りを買ってしまった。そのため、ジャータカの開祖を巻き込んで妖精姫を連れて逃げ、海を封じて追っ手を防いでしまったのだという。
勘弁してほしい。
それが原因で、子孫はあの国と交流が難しくなり、必要があるときはジャータカ王国を経由しないと北の大陸にいけなくなってしまった。
……こうして考えると、始祖王アストロジアはいろいろと抜けたところのある、もとい、人間じみた王様だったようだ。
海が封鎖された理由まで把握して、私たちは資料を放り出した。
テトラが私たちの意見を代弁して言う。
「今の時代まで残すことないじゃん!」
王族が始祖王の伝承を部分的にしか公開しない理由がよく分かった。
まだ謎が多い伝承についても、そんな感じのやらかし系かもしれない。
それはともかく。
重要なのは、どういった系統の魔術で海を封じたかということであって、始祖王の事情はもういいのだ。今の時代にそこを責めても意味が無い。
授業があるので、資料の全てに目を通すことはできなかった。
次の日も、用意を済ませて各教室へ向かう。
護符作りの延長なので、授業自体に問題は起きなかった。
いつもと違うのは、イライザさんが授業に出ていなかったことだけ。今日もナクシャ王子の側についてるのだろう。
私が様子を見に行っても大丈夫だろうか。
あの王子は一般の生徒の目に付かないように、警備員の宿舎に隔離されている。
該当の部屋の前には、当然ながら騎士と魔術師が護衛として四人配備されていた。
ナクシャ王子を保護しないと、ジャータカ王国が終わってしまいかねないから、警備を任されている人たちの緊張の色は濃い。
私が部屋をのぞく許可は下りるだろうか。そう考えていると、ちょうど部屋からイライザさんとジェリカさんが出てきた。
ジェリカさんがこちらに気づき、おっとりと礼をする。
「あら、ゲルダ先生」
「こんにちは、お二人とも」
お辞儀と挨拶を返したところでイライザさんを見ると、表情は暗い。そして、私に向かって謝罪する。
「授業に出られなくて申し訳ありません、ゲルダ先生」
「それは構わないのですけど、イライザさんの体調は大丈夫ですか?」
ナクシャ王子の容態を安定させるときも、私たちが去って聞き取りが続いた後も、彼女は側にいたようだから。睡眠時間が取れているだろうか。
「それは、どうにか。ただ、今日はもうお休みを頂こうと思います。そのあとも、私はしばらくあの人の側にいる必要がありますから、数日は授業を受けられないと思います」
「分かりました。今日はゆっくり休んでくださいね」
話すうちに、ガーティさんがイライザさんを迎えに来た。
二人が去ってから、ジェリカさんに聞く。
「ジェリカさんは、イライザさんとお知り合いなんですね」
「ええ。私、彼女とナクシャ王子に助けていただいたんです」
……それは一体、どういった話なんだろう。
暖かい笑顔で、彼女は言う。
「悪役の見本じみた存在がいて、私はそれに囚われていました。けれど、イライザさんたちがそこから助け出してくれたのです。あれから、私はいろんなことに希望が持てるようになりました。そして、今度は私が助ける側に回ろうと決めたのです」
それで心療医になったらしい。
彼女をさらったのは、悪そのものだと思うのだけど。
「ジェリカさんにとって、それはもう解決した話なのですね?」
「はい」
そうでなければ、こうも落ち着いてはいられないだろう。
彼女をさらい、珊瑚の姫という役割を負わせた敵はもういない。
つまりそれは、あのゲームの中で女性を誘拐していた変態が成敗されたか退治されたということになる。
あの事件が解決しているなら、ガーティさんが兄を殺す展開も起きない。
何が作用した結果かは分からないけど、未来は少し良くなっている。
そういえば。
フェンは、ナクシャ王子に施された精神操作は解除するよう指示したけど。
トレマイドについては放置したままでは……。
まだ何か、隠していることがあるのだろうか。
……あの執政者を問い詰めても、答えてもらえるかどうかは怪しい。敵を騙すにはまず国民から、と、しれっと言いそうだ。
そう考えると、今は始祖王による海上封鎖をどうにかするのが先か。
北の国への行き来が楽になるなら、私が直接あの国へ行けるようになるかもしれないし。
あの黒幕を殴ってラスボスが暴走しないようにだけすれば、大半の問題は消えるだろう。
空き時間に魔術研究棟で資料を読む。だけど、始祖王がどんな手段で海を封じたのかまでは分からない。
三人揃っている間に話し合う。
「航海不能になるくらい海を荒れさせるなら、天候操作のための魔術があるのかも」
「実際に現地に行って海上を見ないと、何が起きてるか分からなくない?」
テトラはそう言って椅子の上で伸びた。考えるのに飽きてしまったようだ。
お茶を飲みながら考えていたヴェルが口を開く。
「特定の海域に魔術障壁が張られているのかもしれない。テトラの言うように現地に行って確認した方が早いけどね……。推測を立てて道具は用意するだけしておこうよ」
始祖王の残した魔術なら、アーノルド王子であれば突破できるかもしれない。けど、フェンはアーノルド王子を現地に行かせたくないようだ。
「あいつを行かせては、また地形が変わりかねないから駄目だ」
とのこと。
そうならそうで、航海しなくて済んで良いのでは。なんて考えてしまった。
フェンとしては、あの海域の資源も回収可能にしておきたいのだろう。
話し合いで出た案は三つ。
音による魔術で、海を荒れさせる術の構成を崩す。
嵐の発生源を見つけて、魔術式を破壊する道具を矢のように打ち込む。
嵐に耐える船を造って強行突破。
話をまとめている間、テトラは部屋に迷いこんだ猫と遊びながら言う。
「海の中って、潜っていけないのかな」
潜水艦を魔術的に作る手段か……それはそれで難易度が高い。この国の魔術師が総出になりそう。空を飛ぶ道具を作るのと、どっちが早いだろう。
「今はまず案だけでも提出してみるわ」
小道具だけなら今からでも試作できるし、作った道具が海で役に立たなくても、他の場所で使えるかもしれない。
三人で作業するなら、道具の量産調合も慣れたもの。そう思えば、不安はなかった。




