幕間10/仲人は情報操作を諦めない
学院の鐘が壊されたあの日。
ゲルダ先生は私に生徒の宿舎の警戒をするよう頼んだけど、その後に学舎の屋上で不審者と一騒動あったと聞いてしまった。
私の能力では足手まといだから、別行動をさせられたみたいだ。
私はまだ、危険な人と遭遇したときの対処に向いた術が使えるわけじゃないから、仕方ないのだろう。
でも、ゲルダ先生一人で危ないことをしなくたっていいのに。
フェン様とシャニア姫から聞いた話も思い出す。
私の魔術はいずれ必要になるということだけど。それは攻撃的なもののことなのか、守るための術のことなのか。はっきりと分からない。
解明を期待した金環蝕の術についても、ほとんど分からないまま。
じれったい。今の段階で私にできることは少ない。
朝から魔術の訓練をしに行ってみようかな。先生達もいるだろうし。
そう思って、早めに準備を終えて魔術研究棟に向かったところで、知らない男子生徒が周辺をうろうろしているのに気づいた。
不審者?
でもあれは捕まったと聞いた。
距離を空け、隠れるようにして窺う。
そのままじっとしていると、背後から声をかけられた。
「ノイアさん、こんな所で何してるんだ……?」
「ヒッ」
驚いて振り返ると、ソラリスさんがいた。
「え、あの、知らない人が魔術研究棟の前にいたので……」
そう答えると、ソラリスさんは私の視線の先を見る。
「ああ、あいつ? たまにいるけど、無害な奴じゃないか? 魔術研究棟に興味があるだけだと思う」
「そうなんですか?」
「諜報の訓練を受けている人間なら、ノイアさんには見つからないか、逆に堂々としているかの、どっちかだ」
「そ、それもそうですけど……」
「そんなことよりも」
言いながら、ソラリスさんは折りたたまれた紙を差し出してきた。
「何でしょう?」
「最近になって、やっと思い出してきた。金環蝕の術に関する話だ。俺に分かる範囲でまとめておいた。参考になるかは分からないけど」
「あ、ありがとうございます」
「じゃあ俺は、フェン様に挨拶してくる」
そう言って、ソラリスさんは去って行く。
今日の朝は受け取ったそれを読むことにした。
近くにあるベンチに腰掛けて、分厚い紙を開いていく。
ソラリスさんは、不安定な字をしている。きれいに文字を書く手順を知っていても、思うように書けずにいるかのような歪みがある。書き物をするようになってから、まだ日が浅いのだろう。
『北の国では、金環蝕の術は攻撃性の高いものという認識』
『けれど、ノイアさんの性格から考えて、それは恐らく間違っている』
『術の使い手に攻撃性がなくとも発現するのであれば』
『結局、他の術と同じ』
『攻撃にも防御にも、転用可能なもののはず』
『今まで確認されてきた魔術の使い手が、暗殺者だっただけ』
『太陽の魔術は、火の術の上位』
『ようするに、熱と光』
『その逆で、金環蝕の術は相手を凍えさせる。光を奪う』
『ただ、術の使い手に攻撃の意思がないのであれば』
『その加減ができるかもしれない』
『相手を焼く熱を鎮め、目を潰す光を遮るだけで済む』
『不安に駆られる夜か、安心して眠れる夜か、という違いのようなもの』
『ノイアさんは、後者』
ソラリスさん……。
故郷の伯爵様からも、金環蝕の術が悪い物ではないと慰めてもらったけど。こうやって気遣ってもらえるのは、とても安心する。
あちこちに紙を削って書き直した後があるので、書き上げるのに時間がかかったのだろう。
後で何かお礼を用意したい。
金環食、皆既日食という現象は、仕組みを知らない時代の人には、怖いできごとに思えた。世界が徐々に闇に覆われて、人々は不安を抱えたのだ。
でも、私はその仕組みを知っている時代に生まれたから、それが一過性で問題のない現象だと知っている。
魔術属性においてもその考え方が通るのであれば、対策が見えるかもしれません。
これなら、前向きに頑張れそうです!
おかげでその日は一日、機嫌良く授業を受けることができた。
ソラリスさんからまとめてもらった話、フェン様や先生達にも報告した方がいいだろう。
そう思いながら魔術研究棟に向かったところで、朝に見かけた男子生徒の姿があった。今度は、友人みたいな人が一緒だ。
「おまえさあ、本当に考え直した方がいいって」
「そんな言い方することないだろ……」
一体何を話しているんだろう。
また距離を取って、様子見する。魔術研究棟に入ろうとする一人を、もう一人が止めているようだ。
「あの魔術師に告白なんて、やめとけよ」
「何でだよ、いいじゃないか、ゲルダ先生……」
「目を覚ませ、おまえが調合素材にされるぞ」
……。
ふむ。
そういうアレでしたか。
それで普段からこの辺りをうろついていたんですね。
駄目です、それは。
それは、怖いです。
あの人が。
ディーさんが。
前に一度、昼休みにゲルダ先生に会いに行ったことがある。
でも、ゲルダ先生は他の生徒に呼ばれて、昼休みは魔術研究棟にいないことが多いらしい。
私にそう説明してくれたのは、トラングラさんだった。
そのときのディーさんは、部屋の端に座って本を読んでいたけど、ページをめくる手も、本の上の視線も、まるで動いていなかった。
そこに気づいた私に、トラングラさんがこっそり言う。
「あれね、ゲルダがいなくて拗ねてるんだ」
そう聞かされた後に魔術研究棟を出て、ゲルダ先生が女の子と話をしているのを見かけた。女の子が相手だったから、ディーさんはゲルダ先生をうまく引き止められなかったのかもしれない。ゲルダ先生が男子生徒と二人きりになっているのは見たことがないから。
トラングラさんは、別の日にも聞かせてくれたことがある。
魔術師の施設では、三人でずっと一緒に過ごしていた。だから、あまり別行動をしたことがないと。
要するに、あの三人も幼馴染みということ。
つまり。
ゲルダ先生に告白しようとしている男子生徒は、私の外の人にとって、アウト判定である。
どうにかして追い払いたいと思ってしまった。
もう一人の、調合素材にされるって発言もあんまりだと思ったけど……。
あの男子生徒はきっと、ディーさんがいない間にあわよくば、と思ったのだろう。
そうは、問屋が、卸しません。
私は幼馴染みという関係性を尊ぶけど、ただ馴れ合うだけの人達を見たいわけではない。
リスク回避のために興味のない相手とつるむだけの間柄には興味がない。
成り行き上 何故か縁が切れなかっただけの腐れ縁という関係性は、私の管轄外。
子供時代を一緒に過ごしても、成長後に性格の不一致で雲散霧消するような関係性を幼馴染みとは認定していない。
幼いうちから互いに信頼関係を築き上げ、その絆を維持し合いつつ育ってきた間柄。そういったことに、憧れを抱いている。
信頼関係が結ばれてから、それを大事にして過ごしてきた人達。そこへの割り込みは、無粋だ。
健全な人間関係を破壊するのは、私にとって許しがたいこと。
……それは、幼馴染み以外に対しても思うことではある。
強固な信頼関係を、急に現れた第三者が崩してしまうなんて。あんまりだ。
ゲルダ先生があの男子生徒になびくとは思わない。それでも。
貴族がらみのゴタゴタは面倒くさい。出身を考えるとゲルダ先生なら大抵の相手は跳ね除けられるのかもしれないけど、今のゲルダ先生は魔術師だから。何も知らない生徒からは、下に見られているようだ。特に、成り上がり系貴族の出身者。
魔術師に対する理解不足で、先生たちも好き勝手に言われている。
私がどう対策するか思案していると、また背後からソラリスさんの声がする。
「ノイアさん、まだあいつを警戒してるのか」
呆れた口調のそれに構わず、私は振り返ってソラリスさんに言う。
「ソラリスさん! 私に、足音を立てずに歩く方法と、気配を消す方法を教えてください!」
「……いいけど……?」
どうしてそんな技術を望むのかは、問われなかった。
魔術研究の前にそのコツを教わって、私はこれからのことを考える。
あの男子生徒が誰なのか、調べることから始めないと。
今日は、あの男子二人は魔術研究棟に入らずに戻っていった。
それを確認し、宿舎の談話室に向かう。シャニア様を嫌う女子生徒達についても調査した。
三人の女子生徒は、今も変わらずシャニア様を悪く言っているけど、要は、自分が玉の輿に乗られさえすればいいみたい。
数日かけて情報を拾って、男子生徒が侯爵の位の家の人だと把握した。そして、シャニア様を悪く言っている三人の主格は、子爵出身。
これなら、あの女の子達の相手がアーノルド王子である必要はないのでは? 充分な玉の輿として成立するのでは?
ということで、仲人としてやってやりましょう。
運命を! プロデュース!
学園モノにありがちかもしれない、夕刻に噴水前で運命の相手と出会う、という噂を用意してみた。そうすると、それは数日で簡単に広まってしまった。
案の定、この学院にいる人たちは噂話が好きらしい。
これなら、このままあの男子生徒と女子生徒を、偶然を装って噴水前で引き合わせれば解決です。
……三人組のあとの二人の女子達には、自力でお相手を見つけてもらうとして。
噂と手紙を使っての誘導をし、あの二人は日が沈んでいく最中の噴水前で遭遇を果たしてくれた。
互いに頬を赤く染め見つめ合う二人を確認し、私はその場を後にする。
夕陽って便利ですね。古来より恋にもホラー的情緒にも影響してきただけあって、感情をかき乱す釣り橋効果は抜群だ。
あの二人がゲルダ先生やアーノルド王子へ向けた感情は、好奇心であって本気の恋ではなかったのもあるんだろう。
運命とか奇跡という言葉を軽率に利用するのは詐欺師の手法みたいで気が咎めたけど、好奇心や自己都合で私の周りの人間関係を破壊されたくはなかった。
……乙女ゲームの中の私は、惚れっぽい子で周りが見えていなかったようだけど。
今の私は、故郷の伯爵様が大事。縁が繋がって、私に協力してくれる人達のことも大切に思っている。幼馴染みに対して過剰な保護意識を抱えていなくても、そこは変わらない。
対人関係を破壊する人間は敵。
そこまで考え、正義のヒーローが言葉巧みに騙されて闇落ちする理由が分かった気がした。
アーノルド王子が母国を滅ぼそうとしたのも、そのルートではアーノルド王子が周りの人との関係性を破壊されていて、誰も側にいられなかったのかも。
みんな、アーノルド王子に破壊行為なんてさせたくないはず。彼が悪事に手を染めてしまいそうになれば、絶対に止める。シャニア姫もフェン様も、イデオンさんだってきっとそう。
大事な相手を悪人にしないための優しさと強さを備えた人が、揃っている。
それなのに、ヒロインしか彼の心を救済できないなんて、前提がおかしいのだ。
大事な人の危機は、正気を失う。そこまで大げさでなくとも、仲の良い人と引き離されては悲しい。その感情につけこまれたと考えるのが自然だ。
ゲームの中とは違い、アーノルド王子は孤独感を抱えていなさそうだから、心配いらないだろう。みんな彼を大事に想っていて、本人もそれを分かっている。
ゲームの中では、その相互理解が壊れていた。一体、何が起きていたのか。
乙女ゲーム、王立アストロジア学院。軽く遊んだ程度では、シナリオ上の謎が多い。
ゲルダ先生じゃないタリスさんのお姉さんも、今考えると目つきがおかしかった。何か裏があったのかも。
情報を揃えて矛盾を突く推理ゲームのように、考察をしておけばよかった。そう遊んでおけば、怖く思えたナクシャ王子の行動にも理由が見えたかもしれない……。
その後悔はさておき。
後は追い打ちというか、仕上げをすれば完了だ。
この学院の人たちは噂話が好きだけど、情報伝達に雑なところがあるのは、妖魔の話で理解できたので。
残る作戦は……。
「ゲルダ先生とディー先生、まるで夫婦のように仲がいいですよね」
私は人が多い時間の食堂で、食事の配布を待つソラリスさんとそんな雑談をした。
「……その比喩はよく分からないけど。仲はいいんだろうな、あの二人」
ソラリスさんの反応はこう。
でも、私に必要なのはソラリスさんの感想ではない。申し訳ないけど。私たちの後ろで食事の受け取りを待っている女の子達が、今の会話を聞き取っているのを確認する。
こんな会話を、食堂で一日に数回繰り返した。
そして。
想像したよりも早いうちに、伝言ゲームの失敗例みたいな噂が完成した。
『どうやらあの魔術師二人は夫婦らしい』
そんな噂が出回った。
……情報伝達の下手な皆さんの日常が、多少心配ではありますが。
これならきっと、しばらくはシャニア様への邪魔も、ディーさんへの邪魔も入らないはず。
金環蝕の魔術を扱うヒントは、ソラリスさんからもらえた。それを活かすように試していけば、どうにかなるだろう。
のんきにそう考えながら、放課後の学舎の庭を歩いていた。
アーノルド王子やディーさんたちは、昨日帰ってきたらしい。
ゲルダ先生はどうしているだろう。
魔術研究棟に向かう途中、ベンチで誰かが頭を抱えて苦しそうな座り方をしているのが目に入った。
具合でも悪いのだろうか?
「あの、大丈夫ですか?」
声をかけると、相手はゆっくりと腕を解いて頭を上げた。
あ、この緑の髪の色は……。
やっぱり、タリスさんだ。
「ノイア先輩……」
「どうしたんですか? どこか痛むんですか?」
私の問いかけに、タリスさんは首を横に振る。
そして、くぐもった声で言う。
「僕の体調に、異常はありません」
「でも、苦しそうにしていませんでした?」
タリスさんは、いつになく血の気の引いた顔で言う。
「……それが。信じがたい噂を耳にしてしまったので、動揺していました」
これは……。
どうしよう。
タリスさん、シスコンが治っているようでいて、治っていない?
ゲームの主人公であるノイアちゃんが、ゲームの外の世界にある知識を得た結果の暴走で、本人は簡単に恋に落ちなくなっていますが。
隠しキャラであったソラリス(ラスター・メイガス)の存在は把握していないのと、ラスターであったときよりも対人能力が改善されたソラリスには悪い印象を抱えていないため、そこだけフラグは継続中です。
ゲルダ視点でもノイアちゃんはラスターのルートに入っているという認識。
一方、乙女ゲームの内容を全把握していたイライザさんは、まさかラスターが既に救済されているとは知らないので、これからラスターがやってくると思い込んで警戒中でした。
しかし、やって来たのは乙女ゲームのキャラではなかったというオチに。
次はそんな肩透かしを食らったイライザさんの話になります。




