破綻した再会計画と増した面倒ごと
王立学院に通う歳になるまでの間、私は自分で自由に扱える資産を得ようと商いや社交に繰り出した。
グレアム家の人達は、私が家を継ぐために必死なのだと勘違いし協力を惜しまなかったけど、ちょっと違う。
グレアム家に負担をかけないためにお金がいるのだ。
王宮で会った魔術師達へのお礼は魔術結社への寄付が一番だろうと判断したけど、そこにグレアム家のお金を使うのは筋違いだと思ったから。
情報と物の流れを追いながら、ナクシャ王子があの国でどうしているのかも知ろうとしたけど、彼は公の場に出してもらえないようだった。
ジャータカ国内の貴族達も、ナクシャ王子に権力が与えられていないと知っているのか話題にすら出さない。
アストロジア王国の王族たちは、十五歳を過ぎれば国内の貴族から挨拶周りを受ける年齢になるのに。
ナクシャ王子が何かの催しに姿を現したという話はまるでない。
徹底的すぎて、私にはどうしようもなかった。会う機会すら得られない。
それでも、学院に通えば会えるはず。そう思って我慢するしかなかった。
やがて私の支援する事業と扱う商品の流通もうまくいくようになり、ある程度のお金を得ることができた。
ジャータカ王国の農家からこっちの国の農家へ作物を育てるコツを教えてもらい、その対価としてジャータカ王国の農家へ魔除けを提供する、という仕事はどうにか成立したのだ。
資金を得られて最初に行ったのは、魔術結社への寄付。次に、グレアム家の皆へのお礼。
それから、ドゥードゥとガーティへの報酬の上乗せ。
「ありがたいっちゃありがたいんですがね。お嬢様から直接賃金を渡されるってのは妙な感覚です」
ドゥードゥにそんなことを言われた。
でも、今までお世話になったことを思うと感謝の言葉だけでは足りないのだ。
「兄貴は寂しいんですよ、お嬢様が大人になることが」
ガーティがそう言って笑い、ドゥードゥはそっぽを向いた。
この二人がまだグレアム家で働いてくれるのは、色んな意味で安心できる。
このまま、この国で安全に生活していてくれるといいのだけど。
ドゥードゥとガーティを連れてあちこちの貴族と交流したり取引を繰り返すうちに、時間はあっさり流れていく。
ゲームとは予定を変え、イライザが王立学院に通う時期を主人公であるノイアに合わせることにした。
それでも。
「……下準備が、足りない気がする」
思わず部屋で呟いて、ガーティが反応する。
「私が確認したところ、学院へ向かうための用意にぬかりはないようですよ」
「ありがとう、ガーティ」
ガーティがそう言ってくれるのなら、荷物の心配はないだろう。
ただ。
ゲームの登場人物を全員幸せにするには、何か下地が足りていない気がするのだ。
アーノルド王子が嫌がる話題はどうにかなった。社交の場で一言、不敬ですね、と笑顔で言えばみんな話題に出すのを避けたから。
ゲーム中の人物だけではなく、ソリュ・ロロノミアのことも気になっていた。
あの人は、まだ生きているのだろうか。可能ならあの人にも生き延びてほしいのだけど、私がそこに介入するだけの手段がない。下流貴族では限界があった。
不安を抱えて学院に向かうことになったけど、出かけるときにラフィナとメローナに励まされた。
「二人ともありがとう。私がいない間も、皆のことをよろしくね」
「任せてください、お姉様」
「安心してくださいな、お姉様」
グレアム夫人からフリルだらけの衣装を着せられた二人は、格好こそ可愛いお嬢様だけど、なかなか強かに育ってきた。二人は社交の場に出るために、必死で猫かぶりの訓練をしているところだ。
私は学院までガーティについてきてもらうことにしたため、その間はドゥードゥが二人の護衛役になった。
すました表情で取り繕う双子少女たちの後ろで、ドゥードゥは疲れたような顔をする。
「……ドゥードゥも、私やガーティがいない間、頑張ってね」
「分かってますよ、お嬢様……。このお嬢さんたちが隠れておてんばしないように、見張ってますとも……」
ドゥードゥはラフィナとメローナの陽気さに付き合わされるのが苦手なようだけど、ラフィナとメローナのほうはドゥードゥを気に入っていて本気で困らせるつもりはないようだから、放っておいても大丈夫だろう。多分。
あの二人は、良くも悪くも目立つお嬢様として完成しそうな大物感がある。そのうちどこかの男子を泣かせたりしないかだけが心配だ。
王立学院に入学した当日から、私はあちこちを確認してまわることにした。
だけど、色々とおかしい。
何故かナクシャ王子の姿も、主人公であるノイアの姿も見つからない。
タリスに妖魔憑きの兆候がないので安心した。でも、姉の姿はない。
あと、おかしいところと言えば。図書館にディーがいない。
王族組とイデオンの姿は確認できたのに。あとの面々はゲーム中とは違う状況にあるようだ。
生徒名簿にノイアの名前があったので、私がうまく見つけられずにいるだけなんだろう。けど、タリスの姉の名前はない。
そして。
噂で聞いた話によると、ナクシャ王子のほうは学院に来る予定を取り消されたらしい。
なんてこと……。
ナクシャ王子はあの国から離れないと、父親から何をさせられるか分からないのに。
やっぱり、あのとき無理矢理にでもこっちの国へ連れて来るべきだった。
落ち込みそうになったけど、ナクシャ王子に関する対策は一旦保留にした。
二日ほど情報を求めて駆け回る。
でも、ノイアを見つけられないまま。
どうしようか考えながら、大人しく授業を受ける。
魔術の先生は、ゲルダと名乗った。タリスの姉と似た名前だ。あの子よりも小柄だけど。
黒髪黒目に黒い衣装の、いかにもな魔女の姿。
……魔女の姿といえば。
崖から落ちたあの子。仮想空間でのできごとを不意に思い出した。けど、感傷に浸る余裕はない。今は私にできることを優先しないと。
そういえば、魔術講師はディーの役割だったはず。
どうしてこうもゲーム中と違いが出てしまっているんだろう。
後で魔術研究棟に行ってみようか。
昼休みに魔術研究棟に行くと、背が高く長い亜麻色の髪の女子生徒がゲルダ先生の手を引いてどこかへ向かうのとすれ違った。
どうやらタイミングが合わなかったらしい。
することもないので、そのまま魔術研究棟の中を見学していくことにした。
庭には特大サイズのウツボカズラみたいな食虫植物がいくつか植わっていて、魔境感がある。
それを通りすぎると畑があって、ハーブの区画とベリーが実っている区画。
その奥に更に菜園があるようだけどそれは放っておいて、研究室を覗く。
室内には魔術師が一人いて、すぐに私の訪問に気付いた。
ディーだ。
でも、ゲームの中の姿と雰囲気が違う。
「何か用かな?」
ディーがそう言って立ち上がる。
「……ゲルダ先生にお話があったのですけど、入れ違いになってしまって。せっかくですから、こちらの見学をと思いました」
「そう。さっきの子が昼になるとゲルダを連れて行くし、放課後には仕事があるから、何か個人的な話があるなら朝が良いかもね」
「ありがとうございます、そうしてみます」
お礼を述べて相手を見上げたところで、違和感の原因に気付いた。
ゲームのほうのディーはここまで身長が高くないし、少し骨ばっていて不健康に見えた。
でも、私と向かい合うディーは、骨格もしっかりして筋肉もついている。ドゥードゥやガーティのように、戦い慣れている人間の体型だ。
話が終わっても黙って立ち尽くす私に、ディーはいぶかしむように聞く。
「まだ何かあるのかな?」
「いえ。噂で聞いた、木の実を素手で潰して不良を黙らせた魔術師は、先生のことなのかと」
このディーなら、それぐらいやってのけそうだ。
最初にその噂を聞いたときは魔術師の性別までは分からなくて、まさかゲルダ先生が? と思ったけど。
私の言葉に、ディーが顔をしかめる。
「あれ、噂になってるんだ?」
「不真面目な生徒は、噂話以外にすることがありませんからね」
「なるほどね……」
どうやら事実らしかった。
私としてはディーが健康そうで何よりだ。ゲーム中では一人で炭みたいな食事を作って食べていたから。
こっちのディーはまともな物を摂っているのか、血色がいい。
「とにかく、次はゲルダ先生がいるときにお伺いしますね」
ディーに聞いてみたいことも色々あったけど、出直そう。
こちらから名乗り損なったし、向こうも名乗ってくれる気配がないし。
こういうところはゲームの中のディーそのままだ。興味のない相手には関わろうとしないし、最低限のことしか話そうとしないのだ。
魔術研究棟を出ようとして、また人とすれ違う。黒のローブに、くせのある焦げ茶色の髪の男の子。
彼は軽快に跳ねて宙返りしながら、畑のほうへ飛び込んで行った。
あんな、何を考えてるのか分からない男子中学生みたいな魔術師までいるのか。
何が起きて元のゲームとここまで差が出ているんだろう。
私のしてきたことがバタフライ効果として影響するにしては、おかしい気がする。
……でも。
魔術師が三人いるなら。ゲームの中と違って、ディーは孤独に苛まされることがないのかもしれない。
それならそれでいい。
ディーは、ゲームの考察をするファンから、キラナヴェーダの初期構想で主人公の予定だったんじゃないかと推測されていた。
故郷壊滅のトラウマを持つため、精神が部分的に脆い。
廃人になるバッドエンドは止めて欲しかった。
攻略に上手くいった後は、魔術の属性深度が上がって髪と目の色が月蝕そのものになった迫力ある姿のスチルが回収できたけど、あれはアーノルド王子との一騎討ちイベントだったしな……。
あの展開はなくなって欲しい。
蝕の魔術は属性の深度が上がると術者の精神を蝕むという話で、主人公が関わらなかった場合のディーは、確実に助からない。
術者の感情の揺れに左右される蝕の術。その深度を抑えるためには術者の精神を安定させる必要がある。それには大事な人が側に居るのが一番良いのだとか。
今のディーに仲間がいるなら、私が面倒見の良い子を探して引き合わせるようなお節介はしなくていいだろう。
私やノイアが関わらなくても、ちゃんと生き残りそうだ。
学院で過ごして四日も経つというのに、ノイアを見つけられないままだった。
あの赤い髪と黄色い瞳は目立つから、見落とすはずがないのに。
初日に遭遇するはずの地点で出会えなかったときから、焦っていた。
あの子はどこにいるのだろう。
誰を好きになって、どの結末を迎えるのか。
それを見届けて、更にその先について考えないといけないのに。
RPG世界の黒幕がこの国を衰退させたいなら、対抗手段としてノイアの魔術は重要だろうから。
どうにかして助けを乞いたかった。
もうすぐ四日目が終わる。
慌てて学院の中を走りまわったけど、やっぱりいない。
こうもすれ違うものだろうか。
やけになったところで、誰かにぶつかってしまった。
二人して転んで、痛みにうめく。
謝るために慌てて起きあがろうとしたところで、途端に体が固まった。
紫の、髪と瞳。
それは私に恐怖を与えるものではない、はずなのに。
それを怖がっているのは、イライザだけのはず。なのに。
「ど、どうして……」
体がうまく動かない
過去の、暗い部屋の光景がフラッシュバックで蘇る。
血まみれの兄。
違う。
目の前にいるのは、人の良さそうな顔をした女の子だ。
それなのに。
ぶつかってしまって謝らないといけないのに。
意識が遠退いていく。
気付いたときには、医務室にいた。
髪のやたら綺麗な白衣の先生にお世話になった礼を言って、部屋を後にする。
完全に日が落ちる前に目覚めて良かった。戻るのが遅いと、宿舎で待っているガーティに心配させてしまう。
あんなことで気絶してしまうなんて。
私には自覚がないだけで、イライザとしてのこの体は、まだ恐怖を覚えているのだろう。
紫の色は怖い。
でも、それは悪意を持った相手の話。
明らかに無害な相手にまで恐怖を覚えるなんて、失礼にも程がある。
私の前方不注意で衝突したことも謝らないといけないし。
明日はあの子を探すことにした。
制服の色が白を基調にしていたから、同じ学年の子だろう。
直接向かいあうと、また身体が勝手に恐怖で動けなくなるかもしれないから、遠くから様子見してからにしよう。
……何のために私は鍛えたんだか。
いざというとき、ちゃんと逃げられるようにするためなのに。気絶していては意味がない。誰かの足手まといになることだけは避けたいのに。
私が妖魔退治をこなせたのは、ドゥードゥやガーティが側にいる安心感によることが大きいのだろう。
宿舎に帰って、ガーティに気絶してしまったことを話す。
「あの子に、謝らないといけないのに、また気絶してしまうかもしれないの。どうすればいいのか……」
落ち込む私に、ガーティは優しく言う。
「そういうときはですね、お嬢様。こちらをどうぞ」
「え?」
ガーティは、彼女の荷物から長い物を取り出した。
包みを解いて現れたのは、ユークライドの形見の剣。
私に内緒で持ってきてくれていたのか。
「学院内でこれを持ち歩くわけにはいきませんけど、せめて今だけでも。これに触れて、心を落ち着けてください」
「ありがとう、ガーティ」
彼女に一緒に来てもらって良かった。私一人ではきっと、途方に暮れるだけだった。
二日ほどあの子を探したけど、あの子も忙しいのかうまく捕まえられない。
どこに行っているのだろう。金環蝕の魔術使いも目立つはずなのに。
私は放課後の中庭で一人うなだれていた。
人が寄りそうなところはだいたい見て回っているけど、どこにも姿がないなんて。
ベンチに腰掛けてぼんやりしていると、タリスが剣を手にして訓練棟へ向かって歩いていくのが目に入る。今日も一人で行動しているらしい。
姉弟でべったりひっついて過ごす必要がなくなったので、自然なことだろう。
私としては、タリスに対して根に持っていることがある。
ゲームクリア後に解放されたおまけページで判明したキャラ相関。それを読んで私はタリスに対してあきれてしまった。
タリスは何故か、イデオンやディーに対して苦手意識があるらしい。
そのため、姉が妖魔にさらわれる件を主人公にしか打ち明けなかった。戦闘要員に助けを請うことができず、自力で問題を解決しようとし、主人公と姉を危険に晒した。
個人的なしがらみに囚われている場合じゃなかっただろうに。
ノイアの魔術的な能力が高くなかったら、どうなっていたことか。
イデオンは王族付きの騎士だから、私的な依頼をしがたいのは分かる。
でも、ディーや学院の講師たちは学院の警備や生徒の安全確保も仕事のうちなのだから、誰かに助力を願えば良かったのに。
今のタリスにそのことで文句を言っても仕方がないのだけど。
それにしても。
姉のほうはどこに行ったのか。もしかしたら、学院に通う前にどこかの貴族と婚約してそちらの家で生活することになったのか、あるいは爵位持ちの貴族として独り立ちしてしまったのか。
どちらにせよ、タリスがのんきにこの学院に通っているなら、心配は要らないのだろう。
ため息をついて立ち上がる。このままでは何もできない。放課後に全力で宿舎に戻って、そこで時間の限界まで相手を待ち構えることにした。
そうして次の日に、やっと捕まえることができた。
「あの! 数日前のことでお話があります!」
考え込んでいる相手を無理矢理呼びとめて、礼をする。
「こちらの不注意で転倒させてしまったのに、ろくに謝罪もできないままでごめんなさい!」
私の行動に相手は面食らったようだけど、すぐに笑顔を見せてくれた。
「そんな、気にしないでください。私は大丈夫でしたから」
……この笑顔は。どこかで見た。
一体どこで。
「いえ。気絶した挙げくに医務室まで運んでもらって、このまま済ませてしまうわけにはいきませんから。私の名は、イライザ・グレアム。貴方の名前を伺ってもよろしいですか?」
その問いかけに、相手は見慣れた明快さで答える。
「私はノイア・ミスティと言います」
え?
ノイアって、あの? 主人公の?
どうして?
魔術属性が変わってしまっているなんて。
「……良い、名前ですね」
「ありがとうございます!」
私達のこのやり取りは、ゲーム中でも行われたもの。
そして、ノイアの明るい笑顔もそのままだ。あの子の本質は変わっていない。
「おわびとして、これからノイアさんがこの学院で困ったことがあれば私が協力しますから、遠慮なく言ってくださいね」
「イライザさん……。ありがとうございます」
私にとって懐かしい会話をしながら、二人で宿舎の談話室へ向かう。
会話のたびに、この子はゲームの中の主人公そのままだと実感する。
けど、どうしてノイアが金環蝕の属性を発現させてしまっているのか。
……そうだ、属性の深度進行はどうなっているんだろう。
ディーの蝕の深度は、側にいる魔術師達がどうにかするにしても。
主人公であるノイアの深度進行は、一体誰が抑えるの。
この世界のノイアは、誰のことが好きなんだろう。
ああ、本当に、どうすれば。
ナクシャ王子のことも考え直さないといけないし、ノイアのことも放っておくわけにいかない。
計画を練り直さなくては。
次からまたゲルダリア視点の話に戻ります。
今回の話の補足として。
乙女ゲームの中のゲルダリアとは違い、魔術師を目指したゲルダリアは栄養状態が若干悪く、背と胸があまり成長しませんでした。
逆に、ヴェルヴェディノのほうは、ゲームの世界とは違い栄養状態がマシになって育ったので、身長が五センチほど伸びて筋力と骨格もしっかりした状態で成長。
テトラは、ジャータカ王国で育ったキラナヴェーダ世界の『魔術師テトラ』より栄養が足りていないので、成人前後の背丈はキラナヴェーダの世界のほうが高いです。魔術師としての能力は、秘めの庭でまともな魔術教育を受けた『魔術師トラングラ』のほうが優秀という差が出ています。




