王宮に潜む魔
祝賀会の会場である王宮までは何事もなくたどり着けた。
静かすぎて不気味なくらい、順調だ。
ということは、祝賀会が終わってから注意しないといけない。
気が抜けて油断したところを襲撃される可能性が出てきた。
招待客を受け付けている王宮の入り口では、甲冑をまとった警備兵がずらりと並んでいた。
私たち三人は分かりやすい武器は寺院に置いてきている。何かあれば素手で対処しないといけないのが不安だけど、王宮の警備は厳重だから来客が護身の心配をする必要はなさそう。
流石にジャータカ王も、いくら隣国への侵略意識があっても、この祝賀会の客を危険にさらす真似はしないはず。
王としての見栄はまだ残っているだろうから。
そこまで判断力を無くしているとは思いたくない。
ドゥードゥとガーティも、今日は従者用の礼装で身を包んでいるので戦士には見えない。
「……窮屈すぎて不安ですね。この格好じゃとても戦えませんよ」
ドゥードゥは緊張したようにこぼす。今日は長い前髪を整えて視界が開けているから、落ち着かないのだろう。
「ここでは何かあれば王宮の人を呼べば済むだろうから、大丈夫よ」
「だといいんですが」
警戒は必要だろうけど。
招待客のために用意された広間へ向かう。
淡い色の花で飾られた王宮と、豪奢に着飾った人々の波。
百人いるのかいないのか。これでもまだ祝賀会の会場の一部らしいので、思っていたより規模が大きい。
これだけにぎやかな催しに招かれたのは初めてだ。
立食形式の催しで、あちこちのテーブルには豪勢な食事と彩りあざやかな果物が山盛りに積まれている。
食が豊かな良い国だというアピールに見えた。
香辛料の効いた赤いスープとパンが人気のようで、そのテーブルを囲むように歓談する人が多い。
見映えよく切り揃えられた果物を眺めていく。柑橘類とおぼしき物に、林檎や梨類。葡萄のような果物から桃のようなモノ。ベリー系の果物まである。
季節感がないあたり、ここがファンタジー世界だと実感した。
この国は温厚な地域だから、私の故郷の世界における冬の作物以外は常時収穫できるのだろう。
アストロジア王国にも冬らしい寒さは訪れないけど、作物は少ない。
周囲を警戒しながら料理を確認して、ドゥードゥが呟く。
「これは何の肉なんだろうな……」
こんがりと焼かれた大きな肉が、テーブルを占拠している。
この国で畜産は行われていないし猪とか鹿もいないから、南の国から輸入した牛だろうか。
アストロジア王国でこのサイズのお肉はだいたい狩りで獲った猪か鹿。あるいは食べても大丈夫な魔獣。猪の家畜化には至っていないため豚はいない。
貴族のみなさんは気にせずに口にしている。普段はこんな肉料理なんて食べない地域なのに。
王族だけ普段から肉を食べているんだろうか。それとも今日だけ豪勢にしたのか。
来賓を食事でもてなして国の繁栄をアピールするという目的なら、うまくいっているんだろう。
私たちは人の多さと熱気でなんだか疲れてしまったので、果物と飲料だけごちそうになることにした。
大半の人が食事を楽しんだ頃合いに、鐘や鈴の音が響く。
いよいよ王様の登場だ。
白地に金と赤の刺繍の入った煌びやかな衣装と、金の繊細な細工の王冠を身に付け、褐色の肌に金の瞳の壮年男性が赤い絨毯の上を歩いてゆく。
私は現王をよく思っていないので、来賓へ向けられた王の笑顔にも嫌悪を感じる。
でも招かれている身なので、一応作り笑顔で彼の演説を聴いた。
どうせアストロジア王国から来た貴族や王族も、ジャータカ王国に対しては良い感情がないだろう。ここにくるまでの道中で、妖魔や野盗に襲われる庶民について見聞きしているだろうから。
演説だけは、王らしく体裁のよい言葉選びだ。
これからも国の繁栄を願うだの、民の暮らしが豊かであり続けるように、だの。抽象的で当たり障りのない内容。
……でも、代替わりする気はなく、息子を自分の道具として育てている人間だ。挙げ句に治安の悪さで被害に遭う庶民を放っている。あの言葉は上辺だけ。
ナクシャ王子はどこにいるのだろう。
てっきり、現王の後ろからついてくると思っていたのに。
王の演説が締めに入り、聴衆は一斉に拍手する。
そのとき。
背後を誰かが通り抜け、風を感じた。
そして、後ろ頭で結っていたはずの私の髪が解ける。
髪が舞い、魔除けの青のレースが後ろへ流れていく。
慌てて振り返って、そこに異様なものを見た。
視線の先。テーブルの真下の影に、ぎょろりとしたいくつもの目玉が見えた。
……どうしてここに妖魔が?
とっさにカードを取り出そうとしたけど、体が動かない。
誰も異形の姿に気付かないようで、先ほどと変わらず賑やかなまま。
冷や汗をかく私に、妖魔からの思念が飛ばされる。
『ごちそうだ。ヒトがごちそうを食べる様は 我々にも ごちそうだ』
気味の悪い好奇心が遠慮なくこちらに向けられていた。
王宮に妖魔なんていないと考えていたのは甘かったようだ。
ガーティとドゥードゥが私の異常に気付かないはずがないのに、何が起きているのか。
……まさか。
私が妖魔を目撃して捕縛されそうになるより先に、ガーティが連れ去られているかもしれない。
妖魔は私が身動きできないよう術をかけて、じっとりと観察してくるだけ。
きっと、私のほうが足止めされてしまったのだ。
『ああ、おいしそうだ おいしそうだ つよい感情は おいしそうだ』
……うるさい。
体が動きさえすれば、すぐにそのあたりのものをひっつかんで殴ってやるのに。
息がうまくできない。
どうにかして動こうと私が焦っていると、何かが飛んだ。
『痛い! 痛い! どうして!』
妖魔が苦痛にのたうち回るのと同時に、私の金縛りが解ける。
倒れそうになって、背後から誰かに抱きすくめられた。
「イライザ。無事だろうか」
どこかで聞いたような声。
驚いて相手を振り返ると、ナクシャ王子がいた。
「……え?」
私よりも背が伸びて、声も前より低くなっていた。
彼は、祝いの席にふさわしくない鈍色の服を着ている。
ナクシャ王子は、私に異常がないことを確認すると、再度ナイフのようなものを妖魔へと投げ放つ。
妖魔が悲鳴を上げて消えるのを確認し、彼に言う。
「助けてくださり、ありがとうございます。私のことを覚えていてくださったのですね」
「この国では自ら武器を携える貴族はいないから、貴方のことは印象に残っていた」
その言葉を聞いてから、はっとする。
周囲を見回しても、ガーティとドゥードゥの姿がない。
魔除けのレースも、どこかに飛んでいってしまったのか見当たらない。
「それは大変に光栄なのですが、あの、私の従者のことをご存知ないでしょうか! 連れ去られてしまったかもしれないのです」
ナクシャ王子と再会できたことも覚えていてもらえたことも僥倖ではあるけど、双子のことが心配だ。
あと、もう妖魔は退治できたのだから離してほしい。顔が近いと落ち着かない。
周りはナクシャ王子がいることに気づかないのか、誰も私たちに視線を向けない。
意識を逸らす類いの魔術でも使っているのだろうか。でも、ジャータカ王国の人に魔術は使えないはず……。
「私がここに来たときには、貴方は一人だった」
「……そんな」
王の演説に気を取られて、あの二人に何があったか気づけなかったなんて。
「あの、私はナクシャ王子にお伝えしたいことがあったのですけど、従者のことが心配なので、先に探しにいかなくてはなりません」
何でまだがっちり抱きしめられているのか。
私の言葉に、彼は数度瞬いて何かを考える素振りを見せた。
「こうしていたほうが安全だけど、貴方は従者が大事なのだね」
「当たり前です!」
「……ふむ……では、仕方ない。おそらく夕刻まで来客を王宮から出すことはしないから、貴方の従者もどこかにいるのだろう」
「……はい?」
祝賀会の間、来客は時間を問わず出入り自由だったはずだけど。どういうことだろう。
「巻き込まれてしまった貴方には話してしまおうか」
ナクシャ王子はそう言って私から離れ、歩き出す。私はその後に続く。
「父は北からの魔術師にそそのかされ、王宮の中で妖魔を育てていたらしい。アストロジアからの魔術師がそれに感づいたことで、今ここでは魔術師同士の争いが水面下で起きている」
まさか王宮であれを飼っていたなんて……。
妖魔は穢れた土地に生まれ、明るい感情を好むという。それを育てられるようなここは、まともなところではない。
「そんな中で暮らしていて、王子は無事だったのですか」
「最近は私の身の回りの都合はアストロジアの魔術師の担当だったから、問題なかった。ただ、魔術師同士で出し抜きあいが始まって以後、父は私の担当を変える気になったようだ。
何故だか父は、北の国の魔術師たちを気に入っている。様子が妙だ」
この国に、アストロジア王国からの魔術師が来ていて助かった。
でも、王族同士の交流が下手すぎて肝心なところで関わり合いが薄いせいで、イシャエヴァからの魔術師や暗殺者が好き勝手にしすぎている。
ナクシャ王子の思考がまだ常識的で良かった。
二人で歩く間にも、大勢の人の間を通り過ぎているけど、誰も私たちに気付く様子がない。
周囲を見回す私に、ナクシャ王子が小声で言う。
「私の衣装に隠密の術式が組んであるので、直接相手に触れない限りは認識されない」
それで私にあんなにべったり抱きついたのか……軽く触れるだけでも良かったのでは。
というか隠密って……やはり、ナクシャ王子はスパイのような技能を教育されているんだろうか。
ゲームのプレイヤーから散々怖い怖いと言われたのは、ナクシャ王子が主人公の背後に立っているかのような描写が多かったから。
他人との距離の取り方が下手だから、ナクシャ王子は無遠慮に相手へ近づくのだと思っていた。
でも実はそうではなく、ナクシャ王子がイシャエヴァ王国の暗殺者たちに教育されていた時期があったのかもしれない。
それで相手の背後をとるくせだけがついて、真っ当な対人礼儀を知らずにいるのでは……?
ゲーム中の彼は、諜報目的であの学院に送られていて、アストロジア王国の衰退さえ叶えばあとはどうでも良いようだった。
どこまでも親に都合よく育てられているみたいで、悲しくなる。
「この衣装を私に寄越したのは北からの魔術師だったが、それが今こうして都合良く利用できている。このまま、北の者たちが父と何をしているのかを確認させてもらう。が、まず先に、アストロジアからの魔術師と合流しよう。貴方の従者が消えた件も、彼に相談したほうがうまくいくかもしれない」
「夕方まで王宮から来客を帰さない理由は何なのですか?」
「この王宮の影のいたるところに、妖魔が隠れている。その餌として、生命力を来客から少しずつ奪うらしい」
「酷い……」
ここにはこの国の貴族もいるし、アストロジアからの王族も来ているはずなのに。
アストロジアの王族が連れてくるであろう護衛が、妖魔に気付かないわけないと思うのだけど。
「どうやら魔術師達が妖魔に入れ知恵したらしく、護衛のいないものを見分けて狙うのだとか」
「だから私は狙われたのですね……」
ナクシャ王子は混み合う人の合間を縫って歩く速度を上げる。
やがて人気のない通路を越え、階段を上り、祝賀会のにぎわいが聞こえない一角までたどり着いた。
廊下の突き当たりにある部屋の木製の戸を、二回と三回に分けてノックして言う。
「ズィーグオ。私だ。探していた人を見つけて戻ってきた」
……探していた人?
私のことだろうか。
扉は音を立てずに、ゆっくりとこちらに向かって開く。
黒いローブをまとったおじいさんが戸口に居る。
「おや、それは良かった。こちらのほうも丁度、訳ありの青年を保護したところでして。
勝手に部屋へかくまわせてもらっております」
ナクシャ王子は私の手を引いて部屋へと入り、おじいさんが音無く扉を閉めた。
窓は木の板でふさがれていて、部屋にはランプが灯されていた。
そして、奥の赤い絨毯の上に、誰かが寝かされている。
……苦しそうな顔をしたその人は。
「ドゥードゥ! どうして? 何があったの?」
思わず駆け寄って、具合を確認する。
額に手を当てる。熱があるわけではない。脈は……。
と、確認しようとしたところで、おじいさんが言う。
「おや、お知り合いでしたか。彼は私が巡回中に妖魔と交戦しておりまして。退治はできたものの幻惑の術が解けなかったので、今ここで解呪中なのです」
「それは、無事に解ける呪いなの?」
「それが、どうも並大抵の術ではないのと、彼が退治した妖魔ではないモノからの術のようです。術をかけた大本を退治しないと回復しないかと」
「そんな……」
「その者は、貴方の従者だったのか」
「そうです。あと一人、彼の妹がこの王宮のどこかにいるはずなのですが……」
ガーティは無事だろうか。
もしかして。
ガーティを狙っていた相手は、現在ジャータカ王に取り入ってここを拠点にしている暗殺者だったりするんだろうか。
ナクシャ王子とおじいさんは顔を見合わせる。
「夕刻までに、彼女の従者を見つけ出したいのだが」
「そうですね。王宮が閉ざされてしまえば、探し出したとしても帰らせるのが難しくなります。日没以後は、イシャエヴァの魔術師どもが王宮の結界を強化して、誰も外に出ることができなくなるでしょうから」
それから、三人で作戦会議を開始した。
ジャータカ王国は、想像していた以上に酷いことになっている。
どうにかしてガーティを探し出さないと。




