悪意は静かに忍び寄る
ラフィナとメローナは、グレアム夫人の同情によりグレアム家の養子になることが決まった。
「預けた先が本当に信用できるのか確認するのは大変ですもの。養育費目当てに子供を預かるだけ預かって虐待している事件について聞くことはありますから。うちで生活させてあげるのが無難だと思います」
夫人はそう言って館の皆へあれこれ指示を出し、新しい家族を迎える準備を始めた。
最近は実の娘が武装ばかりで着飾らせてくれない、と拗ねていたので、これからはラフィナとメローナが夫人の趣味のひらひらしたドレスを着せられることになるだろう。
ラフィナとメローナの二人も、そんなグレアム夫人を良い人だと認識したらしく、喜んで頭を撫でられていた。
二人のことはグレアム家に任せれば問題なさそう。
それから、私たちが家から離れていた間の事情も確認する。
グレアム家の護衛である屈強な戦士二人は、私がドゥードゥとガーティを連れて出かけている間もしっかりと職務を果たしていて、捕縛し簀巻きにして騎士団へ突き出した不審者の数は二桁になっていた。
ドゥードゥがそれを知って頭を抱えていた。
「あのお二人さんがどうにかできる相手で済んで、ほっとしてますよ。どう考えても捕まった連中は、ガーティ狙いの刺客ですんで」
「それってかなり熟練の暗殺技能がある人ってこと?」
「ですねえ。旦那様はどこであの戦士さんらを見つけてきたんですかね……魔術耐性もないと連中には対抗できんのですが」
「あ、ドゥードゥが気にするのはそこなのね。護衛をしてくれるあの人たちも、兄様のことを噂で聞いて知っていたから仕事を受けてくれたらしいのだけど」
「はぁなるほど。ユークライド様は一体どこで暴れてそんな有名になってんですかね……」
「それについては私も知りたいわ……」
超人は超人を呼ぶという話だろうか。
そして、暗殺者たちも呼んでいないのにやってくる。
超人と呼ばれた人間を殺せるだけの存在がいるのだ。
彼らは全員返り討ちにされたけど、目標であるユークライド殺しは達成している。
……イライザが足手まといになっていたから。
ユークライドの行動に制限をかけなければ殺すことができないと、あらかじめ分かっていたのだろう。
イライザが狙われていたから、あの襲撃の理由はグレアム家の当主に脅しをかけて仕事を妨害するのが目的だと思っていたけど。
今は、ガーティの精神に揺さぶりをかけるのが目的でユークライド殺しを指示した人間がいると判明した。
なら、対策を変えないと行けない。
グレアム家にしつこく刺客が送られる理由が商売の妨害じゃなく、ガーティに揺さぶりをかけるのが狙いなら。
ガーティをしばらく別の場所で生活させたほうがいいのかも。
私の目的のことも含めて考え直す。
しばらく私は、ドゥードゥとガーティを連れてジャータカ王国に滞在することにした。
私以外のグレアム家の人間とは縁が薄れたから、不幸があってもガーティは悲しまない。そういう状況作りをしておきたい。
そうすればグレアム家への襲撃だけは減るだろう。
私はドゥードゥとガーティに、ジャータカ王国の人間へソリュ・ロロノミアの言葉を伝えたいのだと説明した。
「そのために、またしばらくあの国を巡ろうと思います。そしてそのままジャータカ王在位二十年の祝賀会に向かうわ」
その祝賀会の帰りに、ソーレント家の姉弟が妖魔に狙われた。
あの妖魔はこの前やっと退治したけど、小物はまだあちこちに出没するかもしれないから、念のために警戒しておきたい。
本来ならあの祝賀会に爵位の低い貴族は招かれないけど、私たちによる今までの妖魔退治の功績と寄付の甲斐あって、寺院の人たちがグレアム家にも招待状を送ってくれた。
あの祝賀会の招待権限が寺院の僧侶にもあったらしい。ナクシャ王子と出会ったあそこは、位の高い寺院だったようだ。
これで私は知り合いの公爵様をせっついて招待状をもらう必要がなくなった。きっとあの公爵様も私に押しかけられずに済んでほっとしているだろう。
四か月ほどジャータカ王国内で生活するにあたって、準備を済ませた私はグレアム夫妻へ挨拶する。
護衛付きとはいえ、成人でない娘があっちこっちうろつき回っていることを憂いている夫妻。
良識人に心労をかけているのは承知した上で、これからのことを説明した。
予想通り、当主も夫人もため息をついた。
けれど、あきらめたように言う。
「イライザ。私たちはお前に安全な場所で静かに暮らしていてほしいけれど。ユークライドの妹であるお前にそれは難しいのだろうね」
……ごめんなさい。中身が別人なんです。
本来のイライザにはちゃんと両親の望みを汲める優しさがあった。
でも今のイライザには、短気な私が入り込んでいるから。殴られたら倍返ししたいし、不幸になってほしくない人間が多いのだ。
夫人は私にゆっくりと言った。
「貴方は危険なところにばかり行くけれど、それは誰かのためになるのよね。貴方だけの願望が満たされるのではなく。そうであれば、止めることはできません。ラフィナとメローナのように、貴方がいないとどうなったか分からない子がいるもの。我が家とて財に限りはありますから、聖人のように見境なく人を救うことは叶わないけれど。貴方が自分の行いで苦しまない限りは、思うようになさいな」
「ありがとうございます、お母様」
グレアム家の当主を影というより露骨に表で支え続ける彼女の言葉。ちゃんと受け入れよう。
まだ十二歳のイライザと、十九歳の双子の狩人が三人で旅をするには知恵が足りないのだ。助言はもらえるだけもらっておく。
三人でまたジャータカ王国の寺院を点々と移動する。
ドゥードゥもガーティも、私が祝賀会より早い時期から家を離れた理由に見当がついているだろうけど、余計なことは言わずについて来てくれた。
寺院の人達に挨拶をして回りつつ、この国の近況についてそれとなく質問していく。
彼らは国王を悪くは言わない。寺院は優遇されているから。
町や村に行くと、食物だけはあるのに娯楽という概念がない地域が多い。庶民は食材の生産と開祖ジャータカの伝承を聞く以外にすることがないのだ。
そして、妖魔や野盗から自衛するための手段がない。金属は出回っていないから、木材や石を使った原始的な武器しか持てずにいる。
この国では誰も食べ物に困っていないけど、それだけでは始祖王アストロジアによる『善政』の判定は降りない。
始祖王による呪いを解くには、治安を良くして庶民にも教養と娯楽をたしなむ余裕を与える必要があるのだろう。
ジャータカの南にも別の国はあるけど、そちらは庶民の娯楽文化が発展しているらしい。
そういった情報も、ジャータカの庶民には流れていない。
……ナクシャ王子は、どこまで知っているんだろう。
この国の庶民が妖魔や野盗の被害に泣き寝入りしてる件や、貴族すら自衛しても暗殺被害に遭う件を把握できているんだろうか。
アストロジアの王族はみんな帝王学みたいな教養を詰め込まされているようだけど、ナクシャ王子は何をして生活しているのか。
寺院の人にナクシャ王子が現在どうしているのかも聞きたかったけど、流石に王族の動向を知ろうとしては警戒されるかもしれない。
時間をかけて信頼を得てから暗殺に及ぶ人間もいる。ガーティが暗殺組織で受けた教育はそういった手段だから。私が迂闊にナクシャ王子に会いたがると不審がられかねない。
色ボケ貴族が玉の輿を狙って王子に会いたがっている、というフリでもしようかと考えたけど。
流石にそれはグレアム家の評判に関わってしまうし……。
ユークライド・グレアムの妹がそんな頭の軽い人間に育つのは解釈違いです。
ダメ。
そんな意味で、私がイライザであるのは枷だった。
最初から頭の軽い成金の家に生まれたお嬢様だったら、ミーハーなふりしてナクシャ王子を探しに行ったのに。
でもその場合は双子には出会えなかったし、ソリュ・ロロノミアからの情報は得られなかった。
悩みながら、寺院の中を散策する。
そろそろ王宮の近隣の寺院まで移動しようか。
ここまでは平和な旅だった。
三人で馬車にのり、ジャータカ王国内で一番大きい寺院へと向かう。
「それとなく寺院の人達に話を聞いてみても、王族が普段どうしているのかは知らないのね」
「ジャータカは他の国と違って、情報規制が多いですからねえ。逆にそれがイシャエヴァからの連中に利用されちまっているというか」
「治安維持の組織ぐらいは作ってくれてもいいのに……」
アストロジア王国にはあちこちに騎士団の駐屯地があるので、問題が起きれば庶民でもそこに逃げ込める。
でも、ジャータカ王国ではそれができない。
私の場合は道中で野盗が出たら双子がどうにかしてくれたけど、護衛を雇えない庶民では長距離の旅ができないのだ。
考え込んでいる私に、ドゥードゥがふと思い出したように言う。
「そーだ、お嬢様。これを身につけておいてください」
そう言って、レース織りの様な細長い藍の布を差し出してきた。
受け取ってよく見ると、細かい幾何学模様が編まれている。
「これはどういうものなの?」
「イシャエヴァ伝承の魔除けを、アストロジアの魔術で強化改良したモンですね。旦那様に頼んで機織りできる魔術師を探して編んでもらいました。お嬢様だけでなく、奥様やラフィナとメローナの分もあります」
「ありがとう。でも私はともかく、アストロジア王国は始祖王の加護があるから、魔除けはなくても大丈夫でしょう?」
「それが、依頼のときにあのお嬢さんたちが側にいまして。お嬢様とお揃いのものが欲しいと言うんで、旦那様が奮発なさいました」
「そうだったのね」
そのレースをどこに付けるか悩んで、背負っていた形見の剣の柄に結わえることにした。
ラフィナとメローナは私のことをお姉様と呼んで慕ってくれている。
三人でしばらく旅に出ると伝えたら悲しがっていたのを思い出す。
私たちがでかけるときに二人が大人しく見送ってくれたのは、お揃いのレースを与えられて満足したからだったのだろう。
「でも、どうして今になって急に魔除けを?」
「それが……」
ドゥードゥは口ごもり、ややあって言う。
「……この前、お嬢様と話していて思い出したんですよ。イシャエヴァの魔術師どもは、ロクでもない研究をしているって噂が絶えなかった。あんなモノは噂好きな連中が好き勝手に言っているだけかと思ってましたが。今思うと、あれは本当にありえるのかもしれない。人と異形を合成するっつう、酷い話があったんです」
「人と、合成?」
マッドサイエンティストみたいな魔術師がいるのか。
「魔術について詳しくない庶民が面白がる噂の中の一つです。魔術師は魔獣を産みだして、人間も実験に使っている。醜聞として珍しい話じゃない。童話の中の悪役らしい役回りだ。けど、今になってあれは事実なんじゃないかと思えてきたんです」
……前にドゥードゥと話したことといえば……。
妖魔は愉快犯と行動が通じている、というあの話だろうか。
ガーティを狙う相手は人と妖魔の合成だと、ドゥードゥは考えたのか。
「それならガーティの分は……」
「あ、それなんですがね、」
「私が断ったんですよ、お嬢様」
「それで出がけに軽く喧嘩になりまして。お嬢様にお渡しするのをすっかり忘れてたんです」
疲れたように言うドゥードゥと、そっぽを向くガーティ。
「私が魔除けを身につけてしまったら、囮にならないでしょう? 私はアイツを殴りたいの」
「だからそれがヤツの思うツボだって言ってんだ……」
二人は最近ずっとこんな調子だ。
どっちの言い分もわかるだけに、私は何も言えない。
双子が互いに黙ってしまったまま、目的の寺院についた。
ここで例の祝賀会に向かうための準備をさせてもらうつもりだ。
荷物を持って寺院の敷地を踏んだところで、何だか寒気を感じた。
風は吹いていない。日が照る中だ。慌てて周囲を見回すも、何も異常はない。
ドゥードゥとガーティを振り返るけど、二人は何も感じなかったようだ。
直前にあんな話をしていたから、警戒しすぎているんだろうか。
……流石にガーティを狙う変質者も、ジャータカ王の祝賀会で騒ぎは起こせないだろうから、この寺院にいる間だけ乗り切れば無事に終わるはず。
当日に朝イチで王宮に駆け込んでしまえば、後はナクシャ王子を探して会うだけでいい。
それまで、何も起きないことを願っておこう。
形見の剣は祝賀会には持って行けないから、ガーティに預ければいいかな。あの魔除けのレースは髪飾りにしよう。
でも、ガーティも華奢だからあの剣で戦うには向かないし……。
そんなことを考えている間に、気付けばガーティと二人で寝入っていた。
私もガーティも、神経を張り詰め過ぎていたのかもしれない。
それだけガーティが精神疲労しているということ。
けど、祝賀会当日の朝の私は準備で忙しかったので、そのことをすぐに忘れてしまった。
ナクシャ王子のことだけ考えている場合ではなかったのに。