親友役は隣国の王子を誘拐したい
私がグレアム家の商売について詳しく知ろうとする度に、グレアム家当主は首を横に振って溜め息をついた。
彼は、私が情報を得ることで再度危険に晒されることを危惧していた。
でも、生き残るためにこそ情報は必要だ。
せっかく商家の娘という立場なのだから、そこでしか得られない話は握っておかなくては。
アストロジア王国では作物の育ちが悪い代わりに鉱物の採掘が盛んだ。
そのため、ジャータカ王国から食材を輸入する代わりに、アストロジア王国からは宝石を輸出している。
魔力の無い綺麗なだけの石には価値がないのだ、アストロジアの王族にとって。
アストロジアの王族が権力者として華美な装飾に用いるのは金と銀。宝石のような彩りが必要であれば、魔術を使って金属を加工する。結果、宝石よりも繊細な色に調節可能で、まとまりのある色調に統一できている。
ジャータカの貴族たちは、ありふれた食材と引き換えにアストロジア王国の財を奪っているつもりのようだけど、これはこちらの王族にも都合よくできた取り引き。
重要度や利用度の高い金属と魔石は、ジャータカ王国には流さないよう徹底している。武器を作らせないためだ。
どちらの国の方が賢いのか、どちらの国の方が生きやすいのか、という話は私にとってはどうでもいい。
どちらの国も、同時に滅びの可能性を抱えているのだから。
イシャエヴァ王国のどこかに、世界を征服したい人間がいる。その人間の目論見で、イシャエヴァの国もアストロジア王国も、ジャータカ王国も全部、衰退するように仕向けられているのだ。
アストロジアの王族も、イシャエヴァの国からやってくるモノの危険性は気にかけているようだけど、距離のある国のことなのでうまく内情を掴めていないようだ。
この国の諜報員の能力が、イシャエヴァの魔術師や暗殺者に負けているのだろうか。
噂なので信憑性はないけれど、アストロジアの王族は、イシャエヴァの王族とうまく接触できていないらしい。
……ユークライド・グレアムの仇打ちとしてジャータカに潜む暗殺組織を弱体化できたら、アストロジアからの諜報員がジャータカ王国を越えてイシャエヴァの地まで無事に通り抜けられるようにならないだろうか。
情報集めに、商家の仕事と貴族社会でのお付き合い。そして、双子の妖魔退治。
それをひたすらこなすうちに、私がイライザ・グレアムになってしまってから一年が過ぎた。
妖魔狩りも数をこなしているし、グレアム家の商売もうまく行っている。
調子がよくないのは、私に長剣を扱うだけの身長と筋力が足りないことぐらい。
カード投げは少しずつ上達して、蝋燭の炎を消すぐらいならできるようになった。ドゥードゥのように飛んでいる羽虫を退治するには、まだ特訓が必要だ。
ナクシャ王子に会えたのはあの一度きりだったけど、彼は無事に日々を過ごせているのだろうか。
ゲーム終盤に判明したナクシャ王子の過去話を思い出す。妙な場所に隔離されて無意味な時間を過ごさせられることがあるとか。王の周りにそれを止めてくれる人が居ないなんて。
真っ当な考えの家臣は、現王がおかしくなって以後に全員首にされたのかもしれない。
私がある日イライザと突然分離して、また元の世界での生活に戻る可能性も考えているけど、今のところその気配がない。
元の世界で私はどうなっているんだろう。
私は仮想世界に閉じ込められたままなのか、仮死状態で長い夢を見ているままなのか。
でも、イライザとして生活する中で、五感はちゃんと働いている。
私のいた時代ではまだ仮想空間での嗅覚と味覚の再現は研究段階だった。それを考えると、やはりここは仮想空間ではない。
私の魂だけこちらの世界に入り込んだんだろうか。あの空間で『殺された』私達は現実世界でどうなってしまったのか。謎だけが残る。
……友達が心配しているかもしれない。
最後にした約束がゾンビ退治のゲームで遊ぶことだったのは、やるせなさがある。
どうせなら、もっと情緒的で華のある約束をしておきたかった。
あれが私達らしいといえばらしいんだけど。あの子に心配をかけるかもしれないことだけはとても心苦しい。
難しいことばかり考え続けて疲れてしまった。
明日から、グレアム家はしばらくアストロジア王国内の商館に滞在して、貴族らしく優雅な祭典を行うのだとか。
夜会が主らしいから、私は子供らしく辞退させてもらうことにした。
睡眠時間はしっかり取らないと。
たくさん寝て早く身長を伸ばし、形見の剣を扱えるようになりたい。
ナクシャ王子に全く悪気が無かったにしても、私にはまだ剣が扱えないのだと見抜かれたことは悔しかったから。
何だったらもう、ナクシャ王子より身長が伸びて身体も強くなってしまえばいいのに。
そうしたら私がナクシャ王子を誘拐して、安全な場所でまともな家庭教師をつけて生活させるのに。
私はずっと双子の指南で体を鍛えているし、夜にもこっそり訓練を受けている。
部屋に吊したクッションを殴りつけながら、ガーティから拳の握り方が良くないだの踏み込みが甘いだのと助言をもらう日々。
力は足りないかもしれないけど、奇襲さえうまくいけば……。
今ならまだ私とナクシャ王子の身長差はそんなにないし。
……ああ、駄目だ、こんなことを考えていては、グレアム夫妻を泣かせてしまう。
イライザの淑やかさがあの二人の自慢だったというのに。
ただでさえ娘が過激なことを言うようになって悲しませているのだ。
でも。二人のもう一つの自慢であったユークライドは、そのぐらいに剛毅な人間だったから。
もし彼が生き延びていて今ここに居たなら、私のその願望に加担してくれたかもしれないし、手伝わないにせよ応援ぐらいはしてくれたのでは。
いやいや、本当にそんなことをしてしまえば国交に関わる問題になる。頭を冷やすために早く寝よう。
商館には、夜会に備えて大勢の人間が集まっていた。
どこでどんな人と遭遇するか分からないため、私も礼服としてのドレスを着せられた。けど、私はそれでも形見の剣を離すつもりが無かったため、あまり人に出会わないようにコソコソと人気のない裏庭へと移動した。どれだけ良い格好をしていても、武器を抱えたままでは印象が悪い。
そんな私から剣を取り上げることもなく、ガーティも一緒に来てくれる。
二人で木陰に座り込んで一息ついた。
「ドゥードゥのように、お父様について回ったほうが良かったかしら」
「こうした情報収集も必要ではありますよ」
「私はこういったことに慣れないから、ちょっと緊張するわ……」
盗み聞きは良くないことだけど。ここにいれば一階のテラスでの話も、二階のバルコニーからの声も聴き取れるはず。
二人でこっそり聞き耳を立ててしばらくそこで過ごす。
けど、まだ昼間なので和やかな話しか拾うことができなかった。
どこぞの屋敷で使用人に孫が生まれ祝儀を贈っただの、飼い犬のお見合い計画だの。
根回しのために慶事の話も必要ではあるけど。
最近は国境沿いの地域も平穏のようだ。
なら、またジャータカ王国に行って妖魔退治のほうに力を入れよう。
ソーレント家への妖魔襲撃に備えて、情報が必要だ。二年後のこととは言え、油断できない。
最近は我が家の頑張りで、ジャータカ王国の貴族とアストロジア王国の貴族間で交流が少し増えている。
ジャータカ王国の人間はこちらの国の鉱毒汚染に耐える術を持たないため、こちらの国に来るのは組織から使い捨てにされる暗殺者やイシャエヴァの国の魔術師ばかり。
アストロジア王国の民は鉱毒も植物性の毒も打ち消す魔術の中で生活しているから、毒だけは体内で無効化される。毒殺に関してだけ心配はいらない。
そんなわけで、最近はジャータカ王国の貴族が主催する晩餐会へ行くアストロジアの貴族が増えている。食文化はあちらの国の方が発達しているから、美食を楽しみたい人達が出かけていくようになった。
その流行に乗せられる形で、ゲーム中のイベント時期より早くソーレント家があの国に行く可能性ができてしまったのは誤算である。
話の盗み聞きを切り上げて、二人で屋内へと戻る。
人通りの多い通路を避けて上階へ向かおうとしたところで、声をかけられた。
「失礼します、イライザ・グレアム様」
振り返ると、イデオンが居た。
彼は騎士見習いとしての青い装束をまとい、腰から細身の剣を吊している。
どうしてここにイデオンが来ているのだろう。彼の家は王族の護衛という役割があるのに。
「……私に、何か」
そう返事をしたところで、彼にはユークライドの葬儀に参列してもらったお礼がまだだと思い出す。
「そういえば、貴方には兄の葬儀でちゃんとお礼が言えませんでした」
私の言葉に、彼の表情は少し翳る。
「ユークライド様のことは、今でもとても残念に思います。そのことも含めて、イライザ様にお話がある方がお待ちなのです。今、よろしいでしょうか?」
なるほど、彼はその人の護衛としてここに来ているのか。
……ということは。
緊張しながら、私はガーティに長剣を預ける。そして、イデオンの後に続いた。
イデオンの案内で、待ち人の居る応接室へと向かう。
そこには案の定、王族が居た。部屋の奥の椅子に腰掛け、背後に護衛の騎士が二人控えている。
上下ひとつなぎの白と金が基調になったローブは、魔術師としての役割の王族だ。
年齢はユークライドと同じ20歳ぐらい。顔立ちはゲーム内で見たフェン・ロロノミアに近い印象だ。でも、線が細い。ローブで体格がごまかされて、男性なのか女性なのか判断がつかない。
「お待たせ致しました、イライザ・グレアムと申します」
言いながら礼をする。
すると、相手は気怠げに声を上げた。
「かしこまらなくてもいいとも。こちらは王族と言えど要らないモノとして扱われているのだから」
……と、言われても。その自虐にはどう反応していいんだか。
ひとまずイデオンの誘導で、私はその王族様の向かいの席に座る。
「私はソリュ・ロロノミア。シルヴァスタの占いにより君を待っていた」
「私を、ですか? 我が家の当主である父ではなく」
「そう。ユークライド・グレアムの妹である君を」
シルヴァスタの占い?
この国の先行きを知るためにしか行われないはずの占いで?
困惑する私をよそに、ソリュは話を続ける。
「個人的にユークライドと縁があった件も踏まえて、君に話したいことがあるだけ。そう気構えずに、私の話を聞いていってほしい。こちらが一方的に語るだけになってしまうけれど」
「……わかりました」
王族相手だもの、興味がもてない自分語りをやられたって拒否できない。
目の前の相手は、そういうことをしそうにない分別ある人に見えるけど。
「まず、四年前に街が一つ潰された話から」
それはおそらく、ディー・シェルメントの故郷が壊滅した事件のことだろう。
「魔獣の群れが盾の街を突破し、王立学院が窮地に見舞われたとき。状況を押さえ込んだのはとある貴族だったが。混乱した学院の者たちを落ち着かせたのはユークライドだった。
彼のおかげで、誰も自棄を起こすことなく各自の役割を果たすことができた。
本来その誘導を行うべきは、アーシェンセルや私だったのだろうけど、うまく指揮を執れなかった。
我々王族が対処しきれずにいるのを見かね、一人は魔獣の群れを足止めすべく出陣し、一人は学院内の者を落ち着かせるために駆け回った。私もアーシェンセルも、あのときのことを悔いている。彼らは当時の話をするたびに笑顔で気にするなと言う。
そのありように、私は届きそうもない。そしてそのままはユークライドは死んだ。そこに実感が湧かないまま、私は置き去りにされている。
後悔を残したまま終わりを迎える前にせめて、私は伝えられるだけのことを君に残したい」
「……」
口を挟めないどころか、相づちを打っていいのかも分からない。
私の顔を見て、相手は表情を緩ませる。
「私個人の感傷はこれぐらいにして、君に必要な話をしよう。始祖王の伝承における、ジャータカの国にまつわる話。君がそれを役立ててくれることに期待して」
始祖王アストロジアにまつわる話。それは量が多いので、庶民は有名どころしか知らないし、貴族も全ては把握できていない。
噂では、一部の逸話は王族にしか伝えられないとも。
その話を、私が聞いておかないといけない理由は何だろう。
私の疑問に答えるように、ソリュは再度話し始める。
「我々王族以上にあの国と真摯に関わり合おうとする君に、あの国が始祖王から受けた呪いの話を知ってもらうべきだとシルヴァスタ家から説明を受けているのさ」
呪い?
ジャータカ王国に魔術師は生まれないという話であれば聞いたことがある。
ジャータカ王の子孫が暴君になったことを嘆いた始祖王は、あの国から魔術を剥奪した。
そこまで思い出したところで、ソリュ・ロロノミアは笑顔で言った。
「実は、あの伝承には続きがあるんだ。この国の王族にしか伝えられていないけれど。あの呪いは解くことが可能でね。ジャータカ王が善政を続けさえすれば、晴れてあの国に魔術は戻る」
その説明に息を飲んだのは、私だけではない。
護衛の騎士達も、私の背後で立つガーティも。
「我らが始祖王アストロジアは、無慈悲ではない。ジャータカで王位を継いだ者が行い改めさえすれば、呪いは解けるようになっている。けれど現状、あの国は呪いが解けず、魔術の恩恵を受けられない土地のまま。この国の歴代の王達は、いつになったらあの国の呪いが解けるのかと見守ってきたが。どうも助言無しであの国に解呪は期待できないのだと、ここにきて諦めた。
そんなわけで、私が君にそれを伝えに来ることになった。シルヴァスタの命で」
何故、王族同士の交流時にその情報を出さないのか。
王族同士はそんなにも仲が悪いのか……。
「……それはつまり、私がその情報をあの国の人間に伝えてしまってもかまわない、ということですか?」
私の問いに、ソリュは苦笑する。
「君がどういった縁を繋いでいるのか私には分からないけれど、おそらく我々王族があの国にそれを伝えるよりも、君のほうが良い結果を出すという判断なのだろう。いやあ、シルヴァスタの占いは漠然としていてつかみどころがないので困るね」
王族にも、あの国との交流を諦めずに粘って欲しいところだけど……。
「本来は伏せられている伝承を公開してくださって、ありがとうございます」
とりあえずお礼を言う。
私があの国と交流したほうが上手くいくかもしれないというなら。試すだけは試そう。
「礼はいいよ。君は単に、後の無い王族の暇つぶしにつきあわされただけと思えばいいんだ」
「後のない……?」
何だか嫌な予感がして、聞き返してしまった。
ソリュは静かな笑みで、軽く言った。
「私の王族としての役割は、あとは生命の譲渡ぐらいのものだから。暇なんだ」
「生命の、譲渡?」
何だそれは。
「第一王子は体が弱いから、私の命で補うのさ」
それは。
そんなことは。
笑顔で言っていいことじゃない。
「そんな……そもそも命の分配なんて可能なんですか?」
「王族に伝わる秘術がある」
「あなたはそれに納得しているのですか?」
つい問い詰めるように聞いてしまった。
私なんかが口出ししていいことではないのは分かるけど。
王族を生かすために別の王族を犠牲にするなんて。
「私はこれで過去に問題を起こしていて、善人とは言いがたいからね。罪滅ぼしとしての役割なんだよ。そうでなくてもロロノミア家は、数代前の当主のやらかしで分家が増えてしまって、私の家は要らない王族と認識されている。これでいいのさ。私が君に始祖王の伝承を教えることも、私の命で第一王子が導きの王へと至ることも、未来に繋がることだから」
「……導きの王?」
「五十年に一度、この国は導きの王を戴冠させる。それは始祖王の加護を維持するために必要なこと」
この国の王族には抱えていることが多いらしい。民が望む以上に、王族は王族に厳しい。
それとは逆の在り方の、ジャータカ王国。
何だか悲しい。極端すぎるのだ、どっちも。
黙ってしまった私にかまわず、ソリュは立ち上がる。
「それでは私はお暇させてもらうよ。王城に閉じ込められる前にユークライド・グレアムの妹に会えて良かった。君の先行きに幸多かれ、と願わせてもらうよ」
「……あ、ありがとうございます……」
慌てて立ち上がって言うけど、ソリュはそのまま振り返らずに去って行った。
その後に続くイデオンだけが、こちらに向かって礼をする。
ソリュとその護衛が全員去った後も、私とガーティはしばらくその場から動けずにいた。
部屋に戻ったあと、ガーティと話し合う。
ソリュからもらった情報をどう活かせばいいか、二人で考えていた。
これからジャータカ王国の祭事に向かう予定をいくつか立てる。
どうにかして、ナクシャ王子と再会する機会をつくらないと。




