親友役は存在しないハッピーエンドを見つけたい
暗い部屋の中。
惨劇が起きている。
それ以外に分かることはない。
鉄錆の臭いが満ちてむせかえりそうだ。
これが現実のことなのか、仮想空間のことなのか、はたまた夢なのか。区別が付かない。
確認しようにも、体が動かないのだ。
私は目の前の倒れた人から目が離せずにいる。
彼は誰なのだろう。
私のことをイライザと呼んだ。
立ち尽くしていると、誰かが慌てて飛び込んできた。
「無事か? ユークライド! イライザ!」
そう叫んだ人を筆頭に、何人かの人間がこの部屋へとなだれこんできた。
状況が把握できないまま、彼らは私から離れた位置で倒れている人間の元へ向かう。
最初に部屋へと飛び込んできた小太りの中年男性は、私の向かい、倒れた男性の前で立ち止まると叫び声を上げた。
「ユークライド!」
慌てて膝をつき、引きつった顔で倒れている相手を揺さぶって、体を仰向けにし脈を測る。
「ああ、そんな……そんな……」
中年男性はそれだけ言って、私のように呆然としたまま床に手をついてしまう。
離れた位置から、誰かが言う。
「旦那様。襲撃者は全員事切れております。おそらく、ユークライド様による一撃かと……」
その報告に、中年男性はのろのろと顔を上げる。
「イライザ。お前は無事なのだな? イライザ」
おそらく私に向かってそう言っている。
でも、私には何のことだか分からない。
……イライザ。
誰だろうそれは。
聞いたことのある名前だ。
よくある名前、愛称でもある。
「返事をしておくれ、イライザ」
「旦那様、恐らくお嬢様は心神喪失状態であるかと……ユークライド様がこの状態では」
「そうか、そうだな……無事であっただけでも良かった。まずはこの場から、イライザを離れさせよう」
旦那様と呼ばれる人は整った身なりをしている。彼は上着を脱いで、亡くなっているのであろう相手にかけた。
「さあ、イライザ。この現実は辛く悲しいだろうが、兄が身を挺してお前をかばったのだから、その想いに応えなくては。ここから、生きて家へと帰ろう」
兄?
目の前で倒れた彼が。
ユークライドという名前の兄が、イライザという名前の妹を庇って死んだ。
その情報は。
私のものじゃない。
違う。
私はイライザじゃないのに。
どうして、ゲームの中の過去回想が、目の前で再生されているのか。
まだ私は仮想空間の中にいるの?
そうだ、ゴーグルをはずさないと。
あれさえ取ってしまえば……。
そう考えるけど、やっぱり私の体は動かない。
頭が痛む。
「……イライザ?」
心配そうな声。
それを振り払うために動こうとして。
再度、意識が途切れる。
暗い、
怖い、
その色は嫌、
紫の瞳と髪の色は怖い、
近づかないで、
兄様、
助けて、
誰か、
助けて、
兄様を、助けて!
……断片的な悲鳴が私の意識に混ざってくる。
私はそれを聞くことしかできず。
泣き声の主の願いは叶わない。
どうにもしてあげられなくて、ごめんね。
そう思いながら目を覚ます。
知らずに泣いていた。
ぼんやりとしながら、視界に映ったものを見る。
四角い天井。
ここは西洋風の屋敷の中のようだ。
ああそうだ、早くゴーグルを外して、仮想空間の中から出なくては。
視覚は当てにならない。
そう考えながら、自分の頭の周りを手でなぞる。
でも、何もない。
手はそのまま自分の頭と顔の骨格を撫でるだけ。
どういうこと?
慌てて起き上がり、頭を振る。
ゴーグルを装着している感覚はまるで無い。
なのに、見えている景色は洋風の、格式高い部屋の中。
窓の外では木の枝が揺れていた。
「お嬢様、目を覚まされたのですね!」
誰かの慌てる声に、そちらを向く。
明らかに侍女と思しき衣装の若い女性が居た。
私はそれを無視して、今まで眠っていたらしいベッドの上から降りる。
侍女が何か言っているのを無視して窓まで歩く。やはりここは屋敷の上階のようだった。
……頭が鈍く痛む。
けど、それを気にしている場合じゃない。
仮想空間のリセットのやり方が分からない。でも、窓から落ちて残機リセットすれば、初期画面に戻るんじゃないだろうか。
そんなことを思いついて窓を開ける。
この体は小柄過ぎて、窓の位置が高い。
床を蹴るようにして窓枠に飛び乗ろうとする。そして、
「しっかりしてください、お嬢様!」
「お気を確かに!」
複数人がかりで止められてしまった。
泣いているかのような声で叫ぶ侍女達。
私は貴方たちが仕える相手じゃないんだから、心配しなくてもいいのに。
……痛い。頭が。
打ち付けられたように痛い。
真っ黒な空間にいる。
違う。
また気付かないうちに私は意識をなくしていたらしい。
声だけの情報が流れてくる。
ユークライド・グレアムは、商館で襲われた妹と父を守るため勇敢に戦い死んだ。
それは私も知っている話だった。
散々繰り返し遊んだあのゲームの中で。
『……助けて』
何度目かの、女の子の声。
でも、私は貴方に何もしてあげられない。
私はゲームで遊んでいただけ。
ゲーム内のキャラ全員が幸福になるルートが欲しいと思っていたけど、悲しいことにそれは用意されていないの。
私がどうにかしようにも、もう貴方の兄は殺されてしまった。
今からでは救えない。
『それでもいい。これ以上、不幸が起きないのであれば』
私に貴方の望みが叶えられるだろうか。
『わからない。でも、貴方は私より情報を持っているのでしょう?』
……そうなのかな。そうかもしれない。
『だったら、私と変わって。イライザ・グレアムはもう自分の役割が嫌になってしまったから』
どうして。
貴方は主人公を支える大事な役目なのに。
私のその疑問に、返事はない。
暗かった空間が白く染まっていく。
眩しい、と思ったところで目が覚めた。
「……お嬢様。落ち着かれましたか?」
不安そうな声が再度投げかけられる。
高い天井と広い部屋の中。私はベッドの上で上体を起こす。
先ほどの、私とあの子のやりとりが夢だったかのよう。
いや、夢なんだろう。
私がイライザ・グレアムになってしまった状況を受け入れたくなかっただけ。
どうあがいてもこの状況から抜け出せないなら、諦めるしかない。
意識がはっきりしてきて、理解する。
イライザ・グレアムの情報は私に引き継がれてしまっている。
なら、この状況が変わる事態が発生するまでは、うまく乗り切っていくしかない。
侍女に向かって答える。
「先ほどはごめんなさい。自分が何をやっているのか、分からなくなってしまって」
「そんな、気になさらないでください」
私の言葉に安心したのか、二人いた侍女のうち一人が部屋を出て誰かを呼びに行った。
「……あの、兄様は……」
おそるおそる問う。
葬儀はもう終わってしまったのだろうか。
せっかく命をかけて守ってもらったのだから、最後のお別れぐらいはしておきたい。
私の問いかけに、侍女が涙ぐむ。
「ユークライド様は残念ながら助かりませんでした。葬送の儀は明日の予定となっております」
「分かったわ……」
どうやらお別れはまだ間に合うらしい。
「……兄様の剣は、どちらに?」
「ユークライド様の剣は、まだ亡骸の側に安置されているそうです」
「あの剣を、形見として私が受け取ることはできないかしら?」
「お嬢様が、ですか?」
ゲーム中の過去回想で、イライザは兄が自分の剣について大事そうに語るのを聞いていた。
イライザに変わって私がユークライドの想いを継ぐことになるなら、あの剣も残してあげたかった。
「兄様はあの剣をとても大事にしていたから。どうにか残しておきたいの」
「では、旦那様にお伝えしておきますね」
「ありがとう」
油断すると、イライザの記憶と私の記憶が混ざりそうになる。
それに耐えながら侍女と会話し、ゆっくりと横になる。
ユークライド・グレアムの葬儀は明日。
それまでまた休ませてもらうことにした。
喪服である黒い衣装を着た人々がグレアム家の庭に集まる。
この世界のこの国の葬儀は土葬らしかった。
ユークライド・グレアムが納められた棺が、数人の男性に担がれるのを静かに眺める。
葬送のための列は、この家から出て墓地へ向かう。
私は形見である長剣を両腕に抱えこんで、棺の後に続く。
父と母はずっと泣いたまま。グレアム家の使用人達からもすすり泣く声が聞こえる。
それだけ彼は周りから慕われていた。
そんなユークライド・グレアムが守った妹には、何故だか私が入り込んでしまっている。
そのことだけは謝りたい。
私がいつかイライザと分離してしまう日が来るのかどうかは分からないけど。
それまでは、私が貴方の妹を無事に生かしていきます。
墓地へ埋葬されるユークライドを見届けて、ようやく参列者に気付く。
騎士団の人達も来てくれていたらしい。
見覚えのある姿があった。
今の私、イライザと同じぐらいの年頃の少年がいる。
あの銀髪碧眼の子は、おそらくイデオン・ミュングだ。
彼も参列していたのか。
ゲーム中では、イライザは学院に来て初めてイデオンと知り合った設定だった気がしたけど。
もしかしたらゲームのほうのイライザは、寝込んでいて兄の葬儀に出られなかったのかもしれない。
イライザの兄は妹を完璧に守り通して死んだ。
けど、事情を詳しく知らない人間は好き勝手に噂する。
一家で暗殺者に狙われ生き残ったけれど、あの娘は不幸にもキズモノにされてしまったらしい。
そんな下卑た話をしたがった。
他人の不幸をお前の娯楽の汚い話にするなと言いたい。
でも、外野には真実はどうでもいいらしい。
私からするとそれはイライザの兄への侮辱に当たるので可能なら訂正したいのだけど。
噂というのは躍起になって消そうとしても上手くいかないようだ。
なら、別の噂で上書きしてしまおう。
私は私なりにユークライド・グレアムの名誉とこの家を守っていきたい。
ゲーム内でイライザが主人公のノイアを支援するだけに徹していたのは、きっと兄が理想の存在だったから。
五人の暗殺者を一人で返り討ちにするような人間が身近にいては、そりゃ他の男には興味が持てないだろう。
イライザがノイアに嫉妬したりしないはずだ。
むしろ、情けない男に絡まれることに同情していた可能性すらある。
私がイライザと意識同調した今の年齢は9歳。
既にディーの故郷の街は壊滅した後だし、イライザの兄も殺されてしまった後だけど、まだ間に合うことはある。
今なら、ソーレント一家がジャータカ王国で妖魔に襲われる事件だけは解決できるかもしれない。
あれをどうにかできれば、タリスの姉はブラコンにならないし、タリスもシスコンにはならないかもしれない。
そして、ジャータカ王国に行けるなら、ナクシャ王子の問題もちょっとは改善できるかもしれない。
ずっと考えていた、ゲームの登場人物を全員幸せにする方法。
それを実行に移すことに決めた。
計画を練り直し、ユークライドの喪が明けるのを待つ。
そして、形見の長剣を背負ったままイライザの父親に言う。
「お父様、お話があります!」
まずはジャータカに行こう。
隣国から国賓扱いしてもらうには爵位が高くなければ無理である。うちの男爵の位ではそれが望めない。
そうなると、他の貴族に頼るしかない。
近隣にちょうど、跡継ぎがロクデナシだったために危うく爵位剥奪されそうになった公爵がいたから、そこを経済的に支援する。そして、支援する見返りに、公爵の権限で行ける催しに私を出してもらうのだ。ジャータカ王国で行われる祭事だけでもいいから。
公然とジャータカ王国へ行けるようになったら、次は護衛を雇う。
私やうちの男爵家の人間に無理なことは、外部の人間に依頼すれば良いのだ。
怪異も暗殺者も退治できるような、凄腕の護衛を探し出してしまおう。
元々グレアム家が暗殺者に狙われることになったのは、ジャータカの貴族と取り引きする商人を支援していたのが原因だ。
だけど、引いてなんてやらない。
ユークライド・グレアムは、大事な妹が渦中に飛び込むのは望まないかもしれないけれど。
こっちだって、彼の仇討ちはしたいのだ。
泣き寝入りなんてしてやらない。
護衛を雇って、ジャータカ王国の人間と縁を作って、妖魔退治。
やれることは可能な限り、やってやる。
全員生存の王国存続ルート、見つけてやるんだから。