幕間7/石の塔の内にて
私が父から命じられここに入り、どのくらいの日が過ぎたのだろう。
ここは、石を積んで造られた塔の上層。
私の背では届かない高い位置にある、天窓のように空いた隙間から陽がさしている。
幾度目かの朝。
この部屋唯一の出入り口である鉄の扉は、まだ開く気配がない。
籠もれども。瞑想すれども。
己が身で魔術は扱えそうもなく。
ただ時が流れていくのみ。
ここで過ごすことはまるで無意味だ。
隣国から来た魔術師達は語る。
この国の開祖であるジャータカ王は、魔術王アストロジアの良き友であった。
だが、ジャータカ王の子孫は残念ながら暴君となってしまう。
人の因果を越えた力を持つ魔術王は長い寿命を持つ。
彼は友人の死後も隣国を見守っていたが、ある日、我慢の限界を迎えた。
魔術王アストロジアは、民への暴虐を尽くすジャータカの子孫から魔術を剥奪する呪いをかけた。
以後、この国では魔術師は生まれない。
王族は、開祖の能力を奪われたまま今に至る。
だが、その逸話や伝承は、この国には残っていない。
誰もそれを認めようとしないからだ。
この国の民が魔術を発現させられないのは、修行が足りぬ故。
そう考え、隣国に伝わる伝承はこの国には残されていない。
私も隣国の魔術師から語られるまで、その伝承を知らずにいた。
いつか、この国の民も魔術を扱えるようになるものだと信じてやまぬ。
父も、開祖の力はいつか己の内に蘇るものと信じている。
開祖の廟を守る僧侶達も。各地に残る開祖の伝承を守る寺院の僧侶たちも。隣国の始祖による呪いにまつわる伝承を引き継がなかった。
いずれ隣国の王族の鼻を明かしてやるような魔術を使うのだ、と父は公言している。
周りがそれをどう思おうとも。
この国へ派遣された魔術師達が、それを哀れんだような目で見ていようとも。
開祖からの庇護を失ったこの国で魑魅魍魎が跋扈しようとも、都合よく知らぬふりをしている。
魔物を調伏可能な僧は既におらず、民が宵闇に呑まれ消えようともまるで責を感じていない。
全てを北からの魔術師によるものと決め付けている。
確かにあの者達も、この国の民を拐かしているのだろう。それも父はそ知らぬふりをしているが。
怪異により民が消える実情からも目を背けていた。
わが国のその様を、西からの魔術師たちは痛ましいと感じているようだ。
隣国の王族たちは、魔術を使い民を導くのだと公言して憚らぬ。
それができず苦悩するこちらの国などおかまいなしに。
民へ日々の糧を与えられずにいた国が、魔術で民を導くなどとよくも言えたものだ。
そう侮っていた。下に見ていた。
だが。
「これより我が国はジャータカからの施しは受けぬ。よって、こちらも魔術師をジャータカから帰還させる」
あの国の現王はそう宣言した。
そこから一年ほど、アストロジア王国との交渉と譲歩を繰り返したが、腹立たしいことにそれは失敗に終わった。
父は魔術師達がこちらの国での待遇に満足して故国への興味など失っていると何故か思い込んでいたようだが、当然ながらそんなことはなく。
彼らはこの国を見限るようにして帰っていった。
あの国の魔術師達は魔術王アストロジアを崇拝している。
王族に敬意を払わぬような魔術師ですら、魔術王だけは絶対の存在として認識している。
故に、その魔術王を激怒させた隣国の王の子孫には、欠片も興味がないのだ。
結果、今の私はこうして時間を浪費するだけで得るもののない日々を送っている。
あの国の魔術師たちに代わり魔術を修めるよう、父が命じた。
だが、私には魔術というものが分からぬまま。
いつか魔術を扱える日が来ると夢想している父は、私をここに籠もらせる意味があると本気で信じているようだ。
虚しさだけが募っていく。
妬ましいとも言う。
あの国が発展することを許したのは失策だ。失敗である。
別の国より訪れた魔術師たちは言う。
「だから言ったのです。あの国の弱体化は、あのときのように我々に任せるようにと」
彼らもまたこの国を下に見ている。
それが受け入れられず、父は彼らに気を許さず活動も禁じていた。
だが、近頃の父は、考えを改め出した。
北からやってきた魔術師たちは言う。
魔力がない者でも魔術を使う手段はある。
民には苦難を強いることになるが、やりようはあると。
にわかには信じがたい手段だった。
北の国では、そんなことがまかり通っているというのか。
その手段を用いては、魔術王を怒らせた先祖と何も変わらないのではないか。
私のその意見に、誰も耳を貸さない。
彼らは魔術王の呪いなど信じていないからだ。
この国には一度も暴君など生まれてはおらず、隣国の王からの呪いなど存在しない。
そう言いきり、父とその側仕え達はイシャエヴァからの魔術師と暗殺者達を受け入れてしまった。
私がこうして塔にこもっている間にも、父はよからぬ入れ知恵をされているのではないか。
アストロジアの王族にも良い感情などまるでないが。それはイシャエヴァの者達においても同じだ。
そもそもイシャエヴァの国から交渉ごとに送られてくるのは魔術師のみ。
我が国が交渉しているのは、本当にあの国の王族なのだろうか?
あの国は、魔術師集団が何を行っているか把握できているのだろうか?
私のその疑問にも、父は取り合わぬ。
もとより私の言葉に耳を貸さぬお方ではあれど。
このところは余計に独善的だ。
祖父がまだ王宮におられれば、違ったのやもしれぬ。
けれど父は、あのお方に開祖の廟の管理を命じ、執政に関わらせようとしない。
祖父は父とは違い、現実が見えていた。
言葉にこそしなかったが、この国に魔術師は生まれないという事実を受け入れていたはず。
祖父が王宮から遠ざけられるのを止められなかった私が非力なのだが。
……気づけばうたた寝をしていた。
日が傾き出したようで、塔の内に赤い陽が差しこんでいる。
体が少し冷える。
そろそろ、王宮の従者たちが私の食事を運んでくる頃合いだろう。
そう考えたところで、この塔を昇る足跡が複数あることに気付く。
この足音は、父とその従者達。そして、知らない者達。
やがて鉄の扉が開き、狭いこの部屋に父と従者たちがぞろぞろと踏み込む。
しばらく見ぬ間に、父の顔には皺が増え、髪の色も灰色に変じている。
これだけの期間に、こうも老いるものだろうか。
父の様相に目をみはる私にかまわず、彼は口を開く。
「我が息子よ、ここでの修行も、そろそろ終わりにしてやろう」
相も変わらず一方的な通告。
父の背後から、黒い衣装の二人組が、何か大きな塊をこの部屋へと運び入れる。
暗い中で目を凝らしてよく見ると、それは氷付けになった人間達であった。
……ああ、ついに父は北の魔術師たちの話を受け入れてしまったのか。
「王よ。この哀れな民は、一体どうされたのです?」
「案ずるな、息子よ。この者達は、この国の民ではない」
「……」
黙りこんだ私に、父はかまうことなく続けた。
「これは十年前、イシャエヴァの協力で破壊した隣国の街の民だ。魔術師達が回収していた」
どこの民であるかは問題ではない。
犠牲になった民に更なる不条理を課すというのは、王族の矜持に反するものではないのか。
いくら隣国の王族共を厭えども、民にまでその感情をぶつけるつもりはないというのに。
だが、そう述べたところで、既に父には届かないのだろう。
氷付けの死体を前に、父に問う。
「王よ、私に何をさせようというのです」
しわがれた声で、父はおぞましいことを告げる。
「これより、月蝕の民の力を、我が息子へと引き継がせる儀式を執り行う」
魔術を使えない者でも魔術を使えるようにするための処置。
イシャエヴァの魔術師達から聞かされたあの惨い術を、これから私に行えと言うのか。
それほどまでに、父は我ら王族が魔術を使えぬ身であることを許せずにいるのか。
私が王宮から離れている間に、正常な判断ができなくなってしまっている。
……父が魔術を使えず憂いたことが、こうも深刻な事態を引き起こそうとは。
けれども、この国の者は等しく王に逆らえない。
私も例外ではなかった。
脳裏に一人の少女の姿がよぎる。
すまない、イライザ。
私は貴方の期待に応えられそうにない。
貴方の言う善き王は、この国にはいないのだ。
次からは時間軸が過去に戻り、イライザさんによる進行がしばらく続きます。