仲人と姫の密約
シャニア姫の後を継いで、フェン様が説明を続ける。
「詳細が分からないまま、これから起きるであろう事件への対策を取らないといけない。シャニアの占いで危機の原因が絞れないということは、同時に複数の問題が起こりうる可能性があるんだろう。このところ、国内外のあちこちで不穏な話や小規模な事件が増えているのは、その前触れだと推測している」
十年前に街が一つ無くなり、学院から王城に連なる地域一帯が脅かされた事件。
それと同じ規模の事件が、これから起きる?
二人はアーノルド王子に対しては心配をしていないから、別の問題があるんだろう。
「また魔獣が大量に発生するというわけではないんですね?」
そう聞くと、フェン様は目を伏せて考え込むようにして答える。
「……そもそも、魔獣というものがどこからやってきているのか、はっきりしないんだ」
「そうなんですか?」
「荒野や草原などで自然繁殖している通常の動物が何らかの変化を起こして魔獣と化すのだと思われていたが、ここ数年の研究でそうではないと分かった。自然に存在する魔力を帯びた植物でも食べた影響だと思われていたが。そして、魔獣に共通するのは、繁殖能力がないということだ。狩りの本能だけを残して、何もない。暴れるだけの頭しかないんだ、あれらは」
……そんな。
魔獣は、自然発生しない?
「じゃあ、街を一つ壊滅させる数の魔獣は一体どこから……」
「十年前の調査でも、それは判明していない。騎士団が魔獣達の足跡を辿って洞穴にたどり着いた時、アーノルドが調査を面倒がって、その洞穴ごと山を一つ吹き飛ばしてしまったからな……あの洞穴内に何があったのかは、もはや分からない」
何という力技な解決法……。
でも、アーノルド王子がいなければ解決もしなかっただろうから、誰も王子を責められない。
シャニア姫が苦笑しながら言う。
「武力が必要な問題はアーノルドが解決してくれるかもしれません。そして、経済的な問題を解決する役割はロロノミア家のもの。ただし、それには協力者が必要です」
その言葉に、フェン様はくぐもった低い声で言う。
「端的に言って駒が足りない」
ちょっと機嫌が悪いようだ。仕事が増えて、乙女ゲームの世界よりサボる余裕がないのだろう。
「フェンとアーノルドはわたくしの予知を信用してくれていますから、危機に対するあらゆる可能性へ対抗策を講じているのですけど、わたくしの予知に懐疑的な者は手を貸してくれませんから」
「私は、何を手伝えば良いのでしょうか」
率直に質問してしまう。
まどろっこしいのは良くないから。
私の質問に、フェン様はこれからの予定を説明してくれた。
「まず、十年前の事件をもう一度調べ直す。そのために、アーノルドとイデオンだけでなく魔術師二人も、盾の街へ調査に向かわせる。その間に、君には学院に残る魔術師の手伝いをしてもらう」
「私はまだ魔術に関しては詳しくないのですが……」
足を引っ張ることになるのでは。
そう心配していると、シャニア姫が期待に満ちた眼差しでこちらを見て、優しく言う。
「紫の髪と目は、上級の魔術を扱える証しですから。これからのノイアさんの心次第ですわ」
やっぱり、期待され過ぎている気がする。
でも、私への信頼は伯爵様の行いの結果でもあるわけだし……。
「分かりました、私、頑張りますね」
始める前からうだうだ言ってもしょうがない。
調査期間に学院に残る魔術師が誰になるのかは分からないけど、あの三人なら、誰も無茶な要求をしたりはしないだろうから。
そんな話をしているうちに、日が沈んでしまった。
でも、この庭はアーチや歩道に埋め込まれた白い石がほんのりと発光していて、暗さで困ることも気が滅入ることもない。
庭の夜景を眺めている私に、シャニア姫が言う。
「今日はもう宿舎へ戻りましょう。今回はわたくしがノイアさんを送っていきますわ」
シャニア姫と一緒に、隠し通路を歩く。
「ここのところ、王族の方々の為の通路を私まで利用させていただいてばかりで、ちょっと恐れ多いです」
私のその言葉に、シャニア姫はふんわりと微笑む。
「けれど、こういう通路を往くのは、童心に返ったような気分になりませんか?」
「それは、分かります。他の人が知らない道を通れるのはワクワクします」
アーノルド王子の後について行った時は色々な意味で怖かったけど。
それでも、隠し通路という存在には心が躍ってしまう。
シャニア姫は楽しそうに話す。
「わたくし、シルヴァスタの旧邸や本邸でも、隠し通路や非常用の抜け道を探すのが好きでしたわ。成長してからは、周りから子供っぽいと言われて、利用する機会も減ってしまったけれど」
なんだかとても親近感の湧く話だ。
「シャニア様は、昔からフェン様やアーノルド王子とご一緒なんですよね。皆さんで王城の中を探検されたことはあったのですか?」
私のその質問に、シャニア姫はうなずく。
「ええ。幼い頃は三人で周りの目を盗んで城内の探索を行うのが日課でしたわ。いつも上手く隠れていたつもりなのですけど、最後はアーシェンセルに捕まってしまって。わたくし達より、彼のほうが王城については詳しかったの」
思い出話の中のように、三人は今も仲良くやっていっている。
私の中のもう一人の私が騒ぎ出す。仲良し幼馴染みの三人組は良いものだ、と。
幼馴染みに幻想を抱いている私は、魔術師の三人にも似たものを感じ取っていた。
何だかうらやましい。
「一緒に育った人達と今も仲良くいられるというのは、憧れます。私は故郷に歳の近い人がいなかったので」
みんな極端に年上か年下ばかりだった。だから私は一人で静かに本を読むか、領地の大人達の手伝いをする以外なかった。
それに気付いたフォントルロイ卿がときどき私にもかまってくれたけど。
寂しさを埋めてくれたり、嬉しさや楽しさを共有できる相手がいるのはとても幸せなこと。
私の言葉にシャニア姫はしばらく瞬いて考え込む。そして、おずおずと言った。
「……わたくしでは、ノイアさんのお友達にはなれませんか?」
その申し出にビックリしてしまう。
気さくな王族であらねばと無理をしていないか心配になる。
「むしろ私がシャニア様と仲良くさせていただいても、良いんでしょうか」
この学院に来てからずっと、恐れ多いことばかり。
でも、遠慮しすぎてもシャニア姫の好意を台無しにしてしまうのかな。
シャニア姫はすねたように言う。
「皆さんそうおっしゃって遠慮されてしまうので、わたくしは少し寂しいですわ」
シャニア姫が仲良くしたい人達は王族に対して敬遠してしまって、興味のない無遠慮な人達が寄ってきてしまうという意味かもしれない。
シャニア姫が変な人に絡まれないように、私が一緒にいたほうがいいのかも。
「……では、シャニア様さえよろしければ、これからも私とお話してください。私、シャニア様のお話を聞いてみたいです」
そう言うと、シャニア姫は表情を明るくする。
「ありがとうございます。わたくしも、ノイアさんの故郷のお話を聞かせて欲しいですわ。フォントルロイ卿の名前が話題に挙がっているときのノイアさん、とても嬉しそうですから」
そ、そんなにも分かりやすく顔に出ていただろうか。
自分ではどんな顔をしているのか分からない。
言葉に詰まっている私を見て、シャニア姫は口元に手を当てて笑う。
「わたくし、王族の女性方とは折り合いのつかない方が多いんです。ノイアさんと穏やかな会話ができるのは、本当に貴重な経験ですわ」
そういえば、アーノルド王子がシルヴァスタ家には苛烈な人間が多いって言っていたっけ。
アーノルド王子に苛烈と言われてしまう王族女性ってどんな感じなんだろう。怖い人なんだろうか。
故郷にいたときに聞いた噂だと、第一王子の妃候補の皆さんは熾烈な争いを繰り広げているという話だった。
あれは無責任な醜聞を流して楽しむ人達による根も葉もない噂だと思っていたけど、もしかしたら事実なのかもしれない。
シャニア姫と過去のことを少しずつ話してお別れした後、宿舎の食堂でソラリスさんと遭遇した。
ご飯を受け取るための列に並んでいると、向こうから声をかけてくれた。
「どうも、ノイアさん」
「ソラリスさん。今日は魔術の研究を一緒に行えなくてごめんなさい」
いや、その断りを勝手に入れていたのはフェン様なのだけど。
魔術研究を行うと説明した端からいきなり都合を付けられなかったので、悪いことをしてしまった。
「ロロノミア様の都合だと聞いたし、謝らなくていいよ」
そんなやりとりをしたところで、ソラリスさんはあまり目立たないようにしていたのを思い出す。
私の髪の色は目立つから、魔術研究棟以外ではあまり一緒にいないほうがいいのかな。
そう考えていると、ソラリスさんは食堂全体をゆっくり見回して、それからため息をつく。
「……やっぱり、俺はこういうのに慣れないな……」
「こういうの、とは……?」
うっかり質問してしまった。ソラリスさんはぼそりと呟く。
「食材が、良すぎる。あと、ここにいる人らは、自分がものを食べられないなんてまるで想像していない。食べる物が与えられて当然という認識でいる」
居心地が悪そうだった。
でも、ソラリスさんも食事を受け取って私と並んで席につく。
「……俺の養父が、国全体が豊かになることはいいことだと言っていたから、俺はここにいる皆を妬まずにいられる。でも、養父に出会っていなかったら、恨み言しか吐けない人間になっていたかもしれない……」
空気が重いです……。
こういうときどう話を切り出せばいいんだろう。
周りに人がいるから、ソラリスさんの過去の詳細については口に出せないし。
とにかく、無難な話を……。
「昔は私の故郷でも豆とかかぶぐらいしか食べられなかったけど、色んな人のおかげで農業が発展したから、良い食材が入手しやすくなったんですよね。故郷でもたまに小麦を買うことができるようになりました」
その代わりに、学院に来る途中で見かけたあの街は廃墟のまま。
あの街の生き残りの人達は、どうしているんだろう。
ソラリスさんは黙って白身魚のスープを匙ですくう。
私も食べ終わるまで何も話さないことにした。
今日もこの学院の食事はとてもおいしい。
私も故郷では家族の食事の用意をしていたけど、この学院に来てからは作っていない。
同じ食材で私もこの食堂の料理が作れるだろうか。
私には高級な香辛料の扱いは分からないから、同じ味は出せないかもしれない。
なんてことを考えて食べ終えると、ソラリスさんが呟く。
「……この国では、食べる物が庶民にも行き届いている。なのに、俺はずっとこの国の王族や貴族は民のために仕事をしていると知らずにいた。恨みごとの塊になった人間は、誰かに都合良く利用されるだけなんだろうな……」
暗殺者の組織にいたときのことを思い出していたようだった。
ソラリスさんは食器を片付けると、私に謝る。
「陰気な話をして悪かったよ。どうやら、ここにいる人間にとっては、食事は楽しいモノらしいから」
「いえ……」
食事が楽しいかどうかは、味覚の都合とかもあるし一概には言えないのだけど。
ソラリスさんが言うとおり、この学院の大半の人達にとっては楽しいモノなのは確かだ。
「そうだ、ソラリスさん。魔術研究棟に寄ると、ゲルダ先生がお菓子を用意してくれることがあるんです。ソラリスさんも、これから研究前に一緒にお茶とお菓子で一服しましょう」
私の言葉に、ソラリスさんは動きを止める。相変わらず髪で目が隠れていて表情は分からない。
けど、口元がふっと緩んだ。
「……俺がそういうものを楽しんでも許されるんならね」
「あの場にいる人は、誰も咎めませんよ」
元暗殺者といっても、ソラリスさんが人を殺したことはなかったのだし。
「そっか、じゃあ、そのときはよろしく」
「はい!」