いわゆる「面倒な話」と伯爵の過去
ソラリスさんのあの衝撃的な話を聞いてから二日後。
私は放課後の魔術研究棟で、魔術師の三人と一緒に、フェン様の話を聞かされていた。
フェン様は、ソラリスさんのあの話が本当かどうかの裏取りを部下か誰かに行わせ、その結果が先ほど届いたのだと説明する。
魔術を使った伝令を利用しているとはいえ、仕事早すぎませんかね。
王族のために働くというのはとても大変そうだ。
「調査を行わせた結果、商人上がりのガルガロ男爵は実在の人物で、彼は孤児院を運営していた。そして、近年はジャータカとの国境沿いで商人の姿が消える事件も少なからず起きている。ソラリスの話は本当だろう」
そう言って、フェン様は優雅にお茶を飲む。
私が聞いてもいい話なのかな、と悩む内容ばっかり、フェン様は持ってくる。
魔術師の三人は学院の警備を任されているから、暗殺者が国内を跋扈しているという情報は必要だろうけど。
私はお茶を飲みながら、ゲルダ先生の様子を窺う。
二日前、魔術の研究をすることが決まったソラリスさんを連れてフェン様はここに来た。
そして、魔術師のみんなにもソラリスさんの過去を話して、ソラリスさんにも何かあれば魔術研究棟に避難するよう伝えていた。
あのときのゲルダ先生が妙に静かだったのが気になったのだ。
フェン様の話を聞いて、みんなそれぞれ神妙な顔をして黙っている。
ゲルダ先生は表情が引きつっているように見える。
ディーさんは、眉をひそめてお茶の入ったカップをにらんでいる。
トラングラさんは、
「ねえ」
急に立ち上がって、ゲルダ先生とディーさんに向けて言った。
「二人とも、負い目でも感じているの?」
その言葉に、ディーさんが顔を上げる。
「……トラングラ」
かまわずトラングラさんは続けた。
「普通に考えたら、ソラリスって生徒の話は、喜ぶところでしょ。良いことでしょ。暗殺者はいなくなって、僕らに情報が入ってきてる。なのに、二人とも沈んだ顔してるのはさ。あの魔術書を作ったのが原因で、ノイアさんに迷惑かけたかもしれないことだけ、気にしてるんでしょ?」
魔術書を、作った?
もしかして、私の読んだあの本は、今ここにいる三人が著者ということ?
ゲルダ先生が、私に向かって口を開く。
「……そう。トラングラの言うとおり。私たちはよかれと思って魔術書を作った。悪用される可能性も心配していた。でも、悪用されたわけでもないのにあの魔術書のせいで困る人が出るとは予測していなかったから」
ゲルダ先生の言葉を継いで、トラングラさんが言う。
「そんなわけだからさ。もしノイアさんが魔術属性の変化で見た目が変わって苦労してきたのなら、それは僕らに原因がある。でも、その後始末というか、状況改善も、僕らに可能なら行いたい。ノイアさんがこのまま僕らとまだ魔術の研究を続けてくれるなら、だけど」
この場には誰も悪い人はいない。
私は石を投げられるような酷い目に遭ったけど、あれは伯爵様の注意を無視して勝手に偏見を抱えた人が行ったこと。
私の髪と目の色が変わってしまったことにも納得できてはいないけど、私は回復の魔術が使えるようになったことは嬉しかったのだ。
だから正直に話す。
「確かに私のこの髪と目の色を警戒する人はいて、困ったことはありました。でも、私があの魔術書を読んで使える魔術が増えたことは嬉しかったんです。おかげで家族や伯爵様のお役に立てることも増えたので、あの魔術書を作った人に対しての不満はないんです。これまでどおり、私は私の扱える魔術について知りたいから、ここで研究を続けたいです」
文句があるのは、私に石を投げた人に対してだけ。
ゲルダ先生達は気にしないで欲しいのだけど。
ディーさんもゲルダ先生も、気まずい表情のままだ。
フェン様がその場の空気を読んだのか、ふと思い出したかのように言う。
「そうだ、シャニアからノイアを連れてくるよう言われていたんだ。今日は報告のみで済ませて、これからシャニアに会いに行ってもいいだろうか」
誰も異論はなく。
私は、フェン様に続いて研究室を出る。
魔術研究棟を離れて隠し通路まで入ったところで、フェン様が言う。
「あの魔術師たちは、責任感が強すぎるというか、魔術師にしては人間味が強いな。王族直属の魔術師達はアーノルドに対しても面の皮の厚い態度で接する連中ばかりだから、調子が狂う」
「は、はあ……」
それはそれでどうなのだろう。
いくら王族直属の魔術師とはいえ、魔力量とかはアーノルド王子のほうが上なのでは……。
「だからだろうな、シャニアがあの魔術師達を気に入っているのは」
「そうなんですか?」
「ああ。シャニアはあの三人から贈られた剣を、俺たちに喜んで見せてくれた。そして、三人でこれを代わる代わる利用しようと提案した」
フェン様はいつぞやかの銀の短剣を取り出して、私にも見せてくれた。
柄から鞘まで全てが銀の剣。きっと鞘から抜いた刀身も銀なのだろう。
「これには解呪の術式が刻まれていてな。王族に対して要らぬ呪いが向けられるのが常な中で、この剣は重宝している。これを三人で交代して扱うことにして以後、従者が狂うことも減ったのか、アーノルドの精神も安定している。王やその直系を狙う者たちは、まず従者へ呪いをかけることが多いからな。生半可な術ではアーノルドに通用しないから尚更に。この剣によって解呪が楽になって以後、アーノルドは従者を手にかけることがなくなった」
……この人はまたそういう、恐ろしいことをさらっと言う!
私に話していいことではないと思うのですが!
「あ、あの、それは私が聞いてしまってもいいのでしょうか……」
その問いに、フェン様はあっさりと答える。
「ああ。これからもっと、面倒な話を君に教えなくてはいけない。覚悟してもらわなくては」
「これよりも、重い話があるんですか……」
「まずはシャニアに会ってからだ」
この人には、不安が募るようなことばかり言われている気がする。
でも、今の説明でやっと分かったことがある。
乙女ゲームの中のアーノルド王子とは違い、私が会ったアーノルド王子は暴君度が減ってシャニア様のことを大事に考えた日々を送っている。
私でない私が遊んだあの乙女ゲームの世界とは、何かが少しずつズレていっている。
そのおかげで、アーノルド王子は王国の滅亡など考えていないかもしれない。
……そうなると、シャニア姫が私に対して協力して欲しいと思うような案件は何なのだろう。
アーノルド王子がこの王国を見捨てるのに近い不幸な事件でも起きるのだろうか。
暗く狭い通路を、フェン様に続いて歩く。
螺旋状の階段を上って外に出ると、西日が白い庭に差して赤く染まる光景があった。
まぶしくて、目を細める。
ここはきっと王族のための隠された庭園なのだろう。
歩いてきた距離と学舎の並びからして、この学院を俯瞰しない限りはここを発見することができない。
俯瞰図なら、あの乙女ゲームの中で散々見た。
謎の空間が点在していたけど、あれは王族の人達が隠れて使う庭だったらしい。
庭園の中心に、花弁が丸く八枚ある花を模したデザインの白いテーブルがあり、シャニア姫はそこで静かに本を読んでいた。
フェン様がそんな姫に声を掛ける
「シャニア。言っていたとおり、ノイア・ミスティを連れてきた」
その言葉に、シャニア姫は顔を上げこちらを向いた。
そして、本を閉じテーブルにそっと載せると、よく通る聴き心地の良い声で言った。
「ありがとうございます、フェン。そして、ようこそお越し下さいました、ミスティさん」
細々とした所作の全てが美しく見える。さすがお姫様。
理想のお姫様を体現するような生き方はさぞ大変だろうに。シャニア姫はいつでも振る舞い方が綺麗だ。
なんて感心している場合ではない。
慌ててシャニア姫に礼をする。
「お招きにあずかり、光栄です」
「そう堅苦しくならず、どうか席についてくださいな」
そう言われ、少し緊張がほどける。
フェン様がシャニア姫の向かいの席に座り、私は一つだけ空いている席に座る。
座ってから気付いた。
もしかして、ここはアーノルド王子の席なのでは……。
でも他に椅子がない。
アーノルド王子は今日はここには来ないのかな。
そんなことを気にしていると、シャニア姫はふんわりと笑って言った。
「ノイアさんがわたくしの漠然とした未来予知の話に耳を貸してくださって、安心しました」
そういえば、前にフェン様がシルヴァスタの占い精度を信用しない人がいるとか言っていたっけ。
でも、この国はシルヴァスタ家の占いで存続出来ているのは有名なはずだけど。
少なくともうちの領では伯爵様がそう説明していて、疑う人はそういない。
「私の故郷では、シルヴァスタ家の方々の占いは尊重してしかるべきものですから」
私の言葉に、シャニア姫は嬉しそうにうなずいた。
「ああ、やはり、流石フォントルロイ卿の領地の方ですわ」
私が褒められることではないと思うけど、伯爵様が褒められているのは私としても嬉しいことだ。
こちらも頬が緩んでしまう。
「わたくしの占いでは、まだはっきりとした未来は見えないのですけど、これから先、この学院で起きる事象はこの国の存在を揺るがしかねない事態に発展します。そのときに、あなたが自分の魔術を恐れることなく扱うことができれば、それはこの学院の皆の救いになるのです」
「私の魔術が、ですか?」
魔術師として訓練してはいないのに。
最近、やっと安定して火の術以外も扱えるようになったけど、難しいことはできない。
シャニア姫は私の能力をまるで疑っていないようで、笑顔のまま続ける。
「過去に起きた不幸は今となっては覆せません。けれど、これから起きることは回避できます。あなたと、ソラリスという生徒と、そしてあの魔術師三人がこちらに味方している限り。わたくし達は、二度目を阻止することが可能です」
「……二度目、ですか?」
私のその疑問に、今まで静かにしていたフェン様が口を開く。
「過去の事件については、俺から説明しようか」
ここに来る直前に言っていた、面倒な話になる模様。
「十年前、どこからか発生した大量の魔獣が、王都の盾になっている街へ侵攻するという事件が起きた。
防衛都市のため、街の者達は有事に備えた訓練を日頃から行っていたが、それでも侵攻を抑えきれず突破されてしまうことになった。魔術による伝令で王城まで知らせが届いたときには、あの街は一部を残しほぼ壊滅状態。生き残った魔獣たちは、王城を目指すようにして突撃してきたのだという。まるで何かに統率でもされているかのように。
さてここで質問だ、ノイア・ミスティ。
盾の街の復興が完了していない現在、王都を守護するための防衛線はどこになると思う?」
急に質問されて、考え込む。
先代の伯爵様が過去に、魔獣のせいで潰れた街があると言っていた。
馬車に乗って学院に来る途中で、廃墟になっている区画を通り過ぎたけど、あそこが盾の街だったのだろうか。
学院まで来るときに見た地図を思い出す。
敵が王城を目指したとき、王城を守護するために陣を敷くのに適した場所は……。
陣を敷くのに適しているというより。
壁になる場所。
考えて、ぞっとする。
「この、学院、ですか……?」
言いながら、まさかと思った。
でも、フェン様は顔色変えずにうなずいた。
「そうだ」
そんな。
ここには騎士として訓練されていない人が大勢いるのに。
フェン様は話を続ける。
「十年前は、この学院からフォントルロイ卿が出陣した。
彼は連れてきていた愛馬に乗り、王族にも引けを取らない高位の魔術を使って、魔獣の群を学院に近づけることなく草原地帯で足止めした。おかげで騎士団の出動が間に合い、学院は窮地を逃れた。
アーノルドは学院を越え南下し、盾の街に残る魔獣を殲滅。街の住人達を救った。
第一王子のアーシェンセルも当時この学院に居たが、身体が弱く学院防護の魔術で限界だったからな。
フォントルロイ卿がいなければ、騎士団が間に合わずにこの学院も潰れており、第一王子アーシェンセルどころか、学院全員の命も危うかっただろう」
……そんな大事件があったなんて。
先代の伯爵様も、フォントルロイ卿も、そこまで詳しくは語ってくれなかった。
王族の人達が伯爵様を讃えているのは、当時のことが伝わっているからなのか。
伯爵様は凄い人だと常々思っていたけど、故郷ではその話は聞いたことがない。
手柄を吹聴するのが好きではないお方だからだろうけど。
十年前に、学院の長期休暇で領地に帰ってきた伯爵様にお会いしたことがあったけど、伯爵様は学院であったことは話してくれなかった。
いつもどおり静かに微笑んで、王族の皆さんは良い方々だよ、とだけ聞かせてくれた。
「事件解決後、現王は悩んでいた。その街を復興させ再度王都の盾を築くのか、それとも、この国の開拓計画を進めて民を不自由なく食わせていくのか。最終的に、現王は街の復興よりも民のための開拓を選んだ。王都の防衛は、アーノルドがいる限り問題ないからだ。
だが、今になって……」
フェン様はそこでシャニア姫に視線を移す。
「わたくしの占いで、十年前と同じ規模の事件が起きるという予測がでました」




