幕間4/タリス・ソーレントの回顧と現在
姉さんが家を出たその日から、僕にとっては暗黒のような日々が始まった。
そんな僕に、お父様は言う。
「ゲルダリアは、この家のことを忘れないと言ってくれた。恩を忘れる事はないと。この先あの子が辛い思いをするのであれば、この家でのことは支えになるだろう。特にタリス。お前と楽しく過ごしたことは」
そうだろうか。
姉さんなら、きっとどこでもたくましく生き抜いていくんじゃないだろうか。
僕のことを忘れてしまってもやっていけるくらいには、強いと思う。
そんな僕を毎日のように、公爵邸の皆ははげましてくれた。
だから、次第に僕は拗ねるのをやめた。
お父様は親戚や他の貴族に、姉さんが家を出て行ったのは本人の望む勉学をさせるため王族に預けたからだと説明した。
それは嘘ではない。
姉さんの行った魔術師の研究施設は、王族の管理下にあるから。
でも、親戚達はそれを信じようとしない。
ソーレント本家のゲルダリアが家を出て行ったのは、後継ぎである弟に愛想を尽かしたからだと噂した。
姉さんはそれを違うと否定してくれた。そして、強くなるように言われたのを思い出す。
そうだ。まずは、僕を笑う親戚を見返すことから。
ソーレント本家の後継ぎは、弱くてはいけない。
あの日、おもしろがって僕に犬をけしかけたあの親戚に、報復できるようにならなくては。
姉さんが頭を打ちつけたあの件の仕返しをしてやらなくてはいけない。
体を鍛えよう。魔獣を退治できるようになれずとも、せめて剣術での護身ぐらいは。
知恵もつけよう。悪事に手を出さない形で親戚を黙らせるために。
そう。報復と言っても、家名を汚すようなことはできないから、正攻法で。
可能なら魔術も使えるようになりたい。
毎日頑張った。ときどき部屋で一人泣いたりもした。
貴族や王族の社交の場に出たときは、心労で参りそうにもなった。
けど、どうにか胸をはって公爵家ソーレントの後継ぎは僕だと言えるようになった。
かつて散々僕を貶めるような発言を繰り返した親戚も、もう僕をおおっぴらには悪く言えない。
公爵家の後継ぎに求められることは可能な限り習得したのだ。
王立学院に向かうころには、泣くこともなくなった。
それでも、いつかまた姉さんと会いたい。
姉さんは、僕を覚えているだろうか。
情けない弟のことなど、忘れているかもしれない。
そう思うと少し淋しいけど、姉さんが今、幸せに過ごせているのであればそれでもいい。
きっと、僕が姉さんのことを引きずり過ぎなのだ。
学院に入学してすぐのこと。
一人で校内を把握するためにうろついていたら、庭から何かガサガサという音がした。
気になってのぞいてみたら、木の枝から鳥の巣が落ちそうになって、親鳥が慌てて羽ばたいている。
どうにもならずに落下したそれを、僕は受け止めようと駆け出した。
手を伸ばすと、巣は雛数羽を包んだまま僕の手に収まった。
そこで油断して、僕はつまずいてすっ転ぶ。
前のめりに地面に倒れ、うめいてしまった。顔を打ちつけることは避けられたけど、胴と腕は痛めてしまった。
僕は昔から、こういうそそっかしいところが直らない。
「大丈夫ですか?!」
誰かの慌てた声がこちらにやってきて、僕は顔を上げる。
鳥の巣と雛は無事。それを確認できたので、ゆっくりと巣を地面に降ろし、起き上がる。
先ほどの声の主は、よろよろと地面に座りこんだ僕へと駆け寄って来た。
「じっとしてください、今怪我を治しますので!」
そう言って、すりむいた僕の手に手をかざしてきたのは、紫の髪の女の子だった。
紫の髪?
はっとする。確か、金環蝕の魔術使いだ。
その魔術は、太陽に属する魔術を封殺するから、良くないモノに違いないと言われて嫌われていた。
けど、その子は僕の怪我をきれいに治してくれた。
こんなことができるなら、金環蝕の魔術を疎む必要なんてないだろうに。誰があんなことを言い出したんだ。
ぼんやりそんなことを考えたあとで、慌ててお礼を言う。
「ありがとうございます、わざわざこんなことで回復の術を使わせてしまうなんて。後でちゃんとお礼をさせてください」
僕のその言葉に、紫の髪の少女は明るく言う。
「そんな、お気になさらずに」
金環蝕の魔術使いは、昔からあまり良い印象を持たれないものだから、今までに散々酷い扱いを受けた可能性がある。
でも、彼女はそんな経験を感じさせないような物言いと雰囲気だった。
きっと、この人も強い人なんだろう。
いわれのない言いがかりや暴言に負けないための苦労を、外に出さない。
こういう人が、今の姉さんの側に居てくれたらいいのにな。姉さんは今頃、どこでどうしているだろう。
そう思いながら、僕は一応名乗っておく。
「僕の名前は、タリス・ソーレント。助けてくれたあなたの名前を、お聞きしてもよろしいですか?」
その問いかけに、彼女はちょっと躊躇ったようだけど答えてくれた。
「私は、ノイア・ミスティと言います」
あれ以後、ときどき学院内でも、放課後の食堂でも、ノイア先輩と出くわすようになった。
僕が風の魔術に失敗して自分の手荷物をぶちまけたときとか、剣術訓練の後に気が抜けて転んだときとか、とにかく間が悪い。
人に見られたくないようなやらかしの場に、彼女が居合わせる。
今日は夕飯時に食堂で鉢合わせたので一緒に食事をしたけど、何もやらかさずに済んでほっとした。
「どうかしましたか? タリスさん」
「後輩の僕に敬称なんて、なくていいですよ。僕はいつも貴方に醜態を晒すので、自己嫌悪するんですよね」
そう答えると、彼女はきょとんとする。
「そんな、醜態というほどのことじゃありませんよ」
そして、バツが悪そうに言う。
「私なんて、この学院に来た初日に、庭で転んだところをアーノルド王子に見られてしまいましたし、二日目にはロロノミア家の方に書類をぶちまけそうになりました。挙げ句に三日目にはシルヴァスタのお姫様の前で噴水に落ちたんですよね……」
「……そ、それはなんというか……運が無かったですね……」
まさかの、王族御三家の前で醜態披露の完全制覇……この人はそそっかしいのを通り越して大物なのでは……。
同情よりは親近感がわいたので、それからノイア先輩と色々と話しこんだ。
ノイア先輩と会う機会があるたびに、僕の姉の話をしたり、先輩の家族の話を聞いた。
姉さんが諸事情で家を出てしまって今はどうしているか分からない、という話を、彼女はちゃんと聞いてくれた。
他の皆はあまり興味を持ってくれなかったけれど。
会えない人がいる寂しさというものが、彼女にもあるらしい。
食堂で会って故郷の話になったとき、彼女は故郷の伯爵様に会いたい、と漏らした。
「どんな方ですか?」
話の流れとして質問する。僕が社交の場で会ったことのある人だろうか。
そんなことを考えていると、彼女はその貴族の名前を挙げた。
「ニーグレス伯エルロ家の、フォントルロイ卿です」
「……フォントルロイ、卿?」
……ノイア先輩は、そんな有名な貴族の推薦でここに来たのか。
貴族の間で、たまに噂に上がる人だ。
王立学院に通いながらにして、武勲を挙げたとかなんとか。
10年も前の話だから、正確な内容は僕のところまで届いたことはないけれど。
「凄い方の知り合いなんですね、先輩……」
僕がそう言うと、彼女は不思議そうな顔をした。
「私の暮らす地域の領主様ですから。領民は皆、あの方と顔を合わせていますよ」
「はあ……」
領地の人達には、彼の功績が伝わっていないのだろうか……。
あの領主にしてこの領民あり、という話かもしれない。
個人的な話をする機会が増えて、あるときノイア先輩は言う。
「あの、タリスさんは、この学院での魔術の授業は受けていないのですか?」
「僕の学年も一応授業は受けてますけど、先輩の学年とは内容が違いますね」
その返事に、先輩は考え込む。
「……ということは、もしかして、魔術の先生も違います? 私、女の人が教えてくれるんですけど。私達と歳がそう変わらないぐらいの人が」
「僕の学年は、男の魔術師が教えてくれますね。ディーという名の」
そう答えると、彼女は珍しく真剣に考え込んでいる。
「先輩? どうかしたんですか?」
何かあったのだろうか。今度はその先生の前で先輩は何かドジをやらかしてしまったのか。
そんな失礼なことを考えてしまった僕に、彼女は真面目な顔で言う。
「あの、もしかしたら、タリスさんのお姉さん、ここに居るかもしれないです」
ノイア先輩の案内で、魔術師たちの生活圏になっている研究棟へやってきた。
そして。
二人で遠目から観察する。
ディーが出入りする部屋の奥に、その人は居た。
髪と目が黒くなってしまっているけど、見間違いようがない。
あれは、僕の姉さんのゲルダリアだ。
本当に魔術師になっている。
ああ、無事だったんだ。
家の皆を不幸にしてしまうと悲しんで、家を出て行ってしまった姉さん。
見る限り、現状はうまくやっているようだ。
姉さんの側に居るのが、あのディー・シェルメントであることを除けば、何も問題ない。
「タリスさん、大丈夫ですか?」
無意識に息を止めていたようで、ノイア先輩から心配されてしまった。
慌てて深呼吸を繰り返すけど、落ち着かない。
「……ありがとうございます、先輩」
元気そうであれば、それでいい。
姉さんが危惧した、『悪い人』になっていないのなら。
先輩の話では、魔術の研究に熱心で豪胆な人ということだから、きっと僕の心配は要らない。
だから、これでいい。
僕は泣きそうになるのをこらえながら言う。
「姉さんが無事なようで安心しました。ありがとうノイア先輩」
「……タリスさん、ゲルダ先生には会わなくていいんですか?」
「それは……」
会って話ができるなら、姉さんと話したい事は沢山ある。
でも。
「まだ心の準備ができていないので……今の僕は、一人前とは言いがたいですし」
そう答えて、無理矢理笑ってみせる。
あのディー・シェルメントには、個人的に苦手意識がある。
けど、それを先輩に言う気にはなれず、無理矢理ごまかす。
先輩は心配そうな顔をしたままだったけど、僕の言葉にうなずいた。
「分かりました。じゃあ、私はこれ以上のおせっかいは無しにしますね」
数日後。
「撤回します、ノイア先輩」
僕は思わず愚痴っていた。
「ど、どうしたんですかタリスさん」
「姉さんは、悪い魔女です」
「え? え? ど、どこがですか?」
天然系の先輩は、僕の言わんとすることが分からずうろたえる。
たまりかねて、僕は荒っぽく吐き出した。
「男が! 何で! 姉さんと一緒にいるんですか! 二人も! 二人も!? どういうことなんですかあれ!」
あのディーだけでなく、もう一人。
焦げ茶の髪の、自由奔放で行動予測のつかない輩。僕よりも歳下であろう魔術師。
あんなのまで姉さんの側にいるなんて、聞いてない。
「見損ないましたよ、姉さん!」
憤慨する僕に、ノイア先輩があわあわしながら言う。
「いや、それは多分誤解ですよ、タリスさん。だって、ゲルダ先生、そういう思考構造してないと思いますよ」
そういうのって、どういうのですか。
むくれて黙った僕に、先輩は何故か姉さんの擁護をする。
「ゲルダ先生は、魔術の研究のことばかりを考える人でしたから。ディーさんも、トラングラさんも、仕事の話と魔術の話ばっかりで。浮いた話をしているのを聞いたことがないんです」
……それはそれで、どうなのだろう。
男が二人、側にいて。
魔術にしか興味がないというのは。
どちらにせよ、僕にとっては頭が痛い。
いや、姉さんも、粗忽者な僕に心配などされたくないかもしれないけど。
このままでは、本格的に姉さんに声をかける機会を無くしてしまいそう。
どうしようか。
このまま、僕は他人のふりを続けられるだろうか。




