仲人計画は密やかに進行する
とんとんと順調に手続きと引っ越しが済んで、私は予定通り王立学院に通うことになった。
でも、私は恋愛相手を探すためにこの学院に来たわけではない。
この学院で勉強した知識を活かして仕事に就いて、家族の生活を楽にするのが目的だ。
それは乙女ゲームのほうのノイア・ミスティも同じはずなんだけど。
私が今生活するこの世界がゲームの中の世界と違うことを期待していたけど、入学前日に足を踏み入れた王立学院は、見た事のある構造と内装の建築物だった。
とても既視感のある光景。
ゲームを開始してすぐは散々道に迷ったけれど、学舎も宿舎もあのときと同じ配置だから、今の私が迷うことはなさそう。
つまりこれは、私の記憶混濁による勘違いではなく、本当にゲームの中の世界に来たみたい。
怖い。
色々考えて、私は髪を切る。
ショートヘアにしたことで、乙女ゲームの主人公とは全くの別人みたいになった。
できることなら髪の色も染めたかったけど、その手の染料はこの世界では流通していないみたい。
とにかく、これで厄介なイベントを避けつつ、幼馴染みたちの恋愛を応援するモブになります。
イベント回避のために、ゲームの世界で起こりうる内容を思い出す。
初日に王族御三家のロロノミア家のフェン様に出会う。
場所は校舎正面の出入り口前。
それを避けるため、一日の終わりに誰も居なくなった教室の窓を乗り越えて中庭に出た。
これで、最初のフラグは折れた! と思いながら中庭をつっきろうとして。
中庭によくある花壇の段差につまずいてこけた。
「ったい!」
思わず声を出す。そして、そろりそろりと起きあがろうとすると。
こちらを無感動に見下ろす長身の男子生徒がいた。
いや、生徒らしい制服は着ていない。
この国の騎士が着る銀と青が基調の装束。鎧こそ着けてはいないけれど、腰から細身の剣を二本吊している。
そして、金の髪に赤い瞳。
「……!」
アストロジア家の王子じゃないですかヤダー!
まさかこんなところで遭遇しようとは。
一番回避したかったフラグに飛び込んでいる。
どうしよう。
とりあえず、急いで礼をする。
「御見苦しい姿を晒して申し訳ありませんでした!」
それだけ叫んでダッシュでその場から逃げ出す。
どうあがいても不敬。
恋愛フラグが立つかどうかは分からないけど、不敬罪フラグは立った気がする。
確か、王子と遭遇するのはゲーム開始から三日目のイベントだったはずなのに、初日から遭遇してしまうなんて。
運が悪い。
次こそは、うまく避けないと。
二日目の、後輩君と廊下で衝突するイベントは回避した。
のに。
回避した先のテラスで、サボっていたロロノミアのフェン様とぶつかりかけ、抱えていた書類の山がすっとんだ。
何で! ここに! いるんですか!
危うく経済大臣の頭をポンコツにしてしまうところだった。
お詫びとして土下座をしたけど、ものっすごく嫌がられてしまった。
いやあの、あなたの頭脳が台無しになると、この国が終わってしまうのですけど。
もうこれ以上は、フラグを回避したい……と思っていたけど。
授業が終わり、校舎の裏で休もうと向かったところで、先ほど回避したはずの後輩君が、落ちてきた鳥の巣を受け止めようとして転んでいた。
……流石にこれを見過ごす気にはなれず。
つい声をかけて、怪我を治すことにした。
後輩君は、私の紫色の髪を見ても動じなかった。
良い人柄をしている。
確か、シスコン設定だったはず。
そう思い出して、軽く周囲に視線をやる。
でも、誰もいない。
一人なんだろうか。
放課後は、この後輩君は姉と一緒にいるものだと思っていた。
やっぱり妙なことが起きている。
本来のゲームと違うというのなら、私の魔術が金環蝕の術に変わっていることからしてそうだけど。
どこかに原因があるのだろうか。
今のところゲームとの差異で困るのは、私の髪と目の色くらいなので放っておいても大丈夫かな?
三日目。
王子と遭遇する教室でのイベントを避けるため、具合が悪いフリをして昼前に早退する。
学舎と宿舎をつなぐ通りにある噴水の前を通りかかったとき、持っていた資料が風に飛ばされ、慌てて追いかける。
やっと資料をつかんだ、と思ったら、噴水に飛び込むような状態で、当然ながら次の瞬間には盛大に着水し、ずぶ濡れになった。
「……うぅ。な、何でこんなことに……」
慌てて噴水から出ようとすると、目の前に女の子がいた。
彼女は私に近づいて声をかける。
「大丈夫ですか?」
心配そうな顔。銀の髪に銀の瞳の、華奢な少女。
制服ではなく、繊細な素材で編まれたのであろう白い装束。
これは、資料で読んだことがある。この国の占術師の格好だ。
「だ、大丈夫です。大変にお見苦しいところを……」
この台詞は学院に来てからこれで何度目だろう。
言ってから思い出す。
この国で占術師の格好をしているのは、シルヴァスタ家の人間だけ。
……。
三日連続で、やってしまった。
王族の前での、醜態晒し。
なんということでしょう。
青ざめているであろう私に構わず、お姫様は手を差し伸べてくれた。
うっかりその手を取って、噴水から降りる。
「体を冷やさないようにしなくては」
シャニア姫はそう言いながら、ハンカチのようなもので、私の顔を拭ってくれた。
「そんな、お気持ちだけで充分ですから」
本当に、恐れ多い。
他の王族二人の反応が冷たい感じだったのは理解できる。本来なら、私は王族に縁などないであろう庶民。
それなのに、このお姫様は、噴水に落ちたおっちょこちょいな私にも気配りを忘れない。
「私、初対面だというのに、シャニア様にこんなことをさせてしまうなんて。どれだけお詫びと感謝を捧げても足りません」
正直にそう告げると、シャニア様は目を丸くする。
「そんな、大げさですわ。わたくしはただ、同じ学院の生徒同士として、貴方に接しているだけですもの」
おお。なんて器の大きい……。
私の心が少年だったら惚れているに違いない。
同じ学院の生徒と言っても、王族だけは制服着用の義務から除外されるほどには例外の存在なのに。
決めました。
私はシャニア様のファンになります。
そして、全力でシャニア様のバックアップを行うのです!
元よりそのつもりだったけど。幼馴染みに幸せになってもらいたい者としては。
嬉しくなって、私は心からの感謝を述べた。
「ありがとうございます、シャニア様。私、こうしてお話しできて、とても光栄です」
あの乙女ゲームの内容を思い出す。
アーノルド王子のルートで立ち塞がる女の子が、幼馴染みであり婚約者のシャニア様。
でも、それはブラフというか、プレイヤーに対する罠だ。
シャニア様に能力値で勝とうとして行動すると、アーノルド王子の攻略はできない。
アーノルド王子は対外的には民のための王族として振る舞っている。
けど、実のところは人間に興味が無いし、王国の存続にも興味がないのだ。
彼は、始祖王と同一視されることに嫌気がさして、この王国を滅ぼそうとする。
だから、あの王子を攻略する上での一番の難関は、シャニア様じゃなく、王子の無関心。
王子の側にいる人間は、始祖返りの能力だけを見ているんじゃない。そう理解させることが重要。
ゲーム中のシャニア様は、何故かそれに失敗する。
私としては、シャニア様がアーノルド王子に『私は貴方自身のことを愛しております』と伝えるのに失敗する理由が謎だ。
幼馴染みですよ?
ずっと一緒に育ってるんですよ? よき理解者のはずじゃないですか。
もしかして、誰かが妨害している?
私かな? 私の存在のせいかな?
いやでも、『主人公ノイア』が王子以外のルートに入ったときでも、シャニア様はアーノルド王子の心を溶かすことができていない気がする。
あのゲームは、主人公役が幸せになったとしても、終了したあとの時間軸で何が起きているのかはわからない。
一度アーノルド王子のルートを把握してしまうと、攻略ルート次第では、この国が滅んでいるんじゃないかと心配してしまう。
色々な意味で、シャニア様にはアーノルド王子の心を離さないでいてほしい。
そして、私は二人を祝福できるような未来を見たい。
シャニア姫がアーノルド王子を攻略するのを応援する上で、重要なことがあった。
アーノルド王子が始祖王とのつながりを嫌っているのを、煽る輩がいる。
隣国の王子、ナクシャ・ジャータカ。
あのキャラが、まだ王子としての体裁を保つつもりでいたアーノルド様を、したり顔で煽るのだ。
「始祖王と重ねて見られるのが嫌なのであれば、王位継承権を捨てればいいさ」
あの煽りは、ナクシャ王子がアストロジア王国を自分の土地にしたいと思っての発言。
アーノルド王子がこの国を見捨てれば、他国はこの国を武力侵攻するのが簡単になるから。
でも、アーノルド王子も馬鹿ではない。
この王国を始祖王の代わりとして導くのも癪だけど、隣国の配下に組みこませて好きにさせるのも許せない。
そういう思考から、アストロジア王国は危うく更地になりそうになる。
あんまりな話だ。
せめて消し飛ばすならナクシャ王子一人だけにしておいてほしい。
それはそれで外交問題になってしまうけど……。
とにかく、トリックスターだのトラブルメイカーだのの言葉では足りない。
ナクシャ王子は、この国の人間からすれば、破滅を呼び込む災厄みたいなもの。
乙女ゲームでナクシャ王子を攻略するために必要な要素を思い出す。
アーノルド王子を煽ってアストロジアの国難を招くより、ノイアという少女をジャータカ王国に連れ帰って執政に関らせたほうが自分の得になると思わせる。
それが、ナクシャ王子攻略につながるだけでなく、アストロジア王国も滅亡を回避する手段。
これも難易度が高いらしい。
私はアーノルド王子のルートで気力が折れたので、詳細は分からないままだ。
私としてはナクシャ王子にも興味は無いし、できるならこの国にいて可能な限りシャニア様の応援をしたい。
ナクシャ王子に出会うのは学院に来てから五日目だったはず。
ナクシャ王子がノイア・ミスティに興味を持たずとも、他に興味を引く人間がいれば問題ないわけで。
ナクシャ王子のルートでの妨害役の女の子は誰だっけ。存在したはず。その子に頑張ってもらいますか。
何だか、人身御供に差し出すような気分になってしまうけど。
四日目の今、学院の中を探して回る。
そこで、おかしなことに気付いた。
ナクシャ王子に懸想している役の女の子は見つかった。でも。
ナクシャ王子本人が、いない。
……どういうこと?
何があったのだろう。
いや、これは良いことなんだろうけど。
ナクシャ王子がここに来ないのであれば、アーノルド様に対して無礼なことを言う機会もない。
この国がアーノルド様の月降りの魔術で更地にされるフラグは消えた、と思っても良いんだろうか。
あのゲームと違う展開が、既に何件も重なっている。
無事に済むのだろうか。
ひとまず、私は私にできることをしよう。
そう思いながら、校庭に出る。
たしか、四日目の今日は騎士のイデオンさんと噴水前で出会うんだった。
それを回避してここに来た。
……ここ数日の失敗を思い出す。
フラグ回避を狙うと、別のキャラと遭遇してしまう。まさか今回も誰かと鉢合わせるのでは。
慎重になりながら、周囲を見渡す。
すると、想像していない光景があった。
黒いローブを着た三人組が、庭の向こうのベンチに並んで座っている。
どうやら、この学院に派遣された魔術師みたい。
でも、三人もいただろうか。
あのゲーム中では一人しか見かけなかっただけかもしれない。
青い髪の人は知っている。攻略対象のディーさんだ。
私は途中であのゲームを返してしまったから、ディーさんがどんな感じのキャラだったかはほとんど分からないけど。
あとの二人は、誰だろう。
考えていると、後ろから誰かに追突された。
「ひぇっ?!」
「きゃあっ!」
私が奇声を上げるのと、知らない女の子の悲鳴が響くのは同時だった。
二人してその場に転がって、しばらくうめく。
そして、相手の顔を見て驚いた。
この子は、ゲーム内で『親友役』として協力してくれるであろう女の子。
黒いポニーテールが印象的な、淑女の鑑。
名前はイライザさん。
面倒見が良く、ほんわかした男爵令嬢だった。
そのイライザさんの様子がおかしい。
「ど、どうして……」
相手は、私の目と髪の色を見てわなわなと震えている。
「あ……」
やっぱり、この紫色に怯えているのか。
私が声をかけるより先に、親友役のはずのその子は気絶してしまった。
この子は金環蝕の魔術使いに兄を殺されているから、紫の色が苦手なんだった。
「しまったなあ……」
出会わないように避けていたのは、イライザさんもだったのに。
こんなところで遭遇してしまうとは。
トラウマを想起させたくなかったのに。
出会ってしまったものは仕方がない。
私はイライザさんをお姫様だっこすると、医務室へ向かうことにした。
医務室には、白衣の先生が居た。
扉を蹴るようにして呼び出した私に驚いたようだけど、気絶しているイライザさんに気付いて優しく対応してくれた。
イライザさんを寝台の上に寝かせると、先生はつやのある長い鉛色の髪を揺らしながら診察してくれた。
ライム色の光が舞う。イライザさんを回復させるために魔術を使ったようだった。
それから先生は振り返って、私を安心させるかのような微笑みで言う。
「心因性のものと睡眠不足が原因みたいだから、ここでしばらく休ませて様子を見ましょう」
「ありがとうございます……」
イライザさんのことはこれで安心だろうか。
それにしても。
考え込む私に、先生は笑顔のまま話しかけてくる。
「貴方は力持ちですね。まさか女の子が女の子を運んでくるなんて、ちょっと驚きました」
「それに関しては、ここに来る前に読んだ魔術の本のおかげで……」
そんなことよりも、私には気になることがある。
目の前のこの綺麗な先生の、性別はなんだろう。
白衣のせいで、骨格を見ても男性なのか女性なのかが分からないし、声はどちらとでも取れる音域だった。
喉元は隠れている。
分かるのは、顔立ちが整っていて、若いということだけ。
でもそんな質問はできなかったので、イライザさんのことだけお願いして、私は退散することにした。
性別が不明でも、ちゃんと信用できる人だと思えたので。
さて、明日からはどうしよう。
五日目のナクシャ王子との遭遇イベントは無しだろうから、放課後まで適当に出歩いても大丈夫かな?
一日が終わったら、ちゃんと宿舎に戻って真面目に勉強すれば、面倒ごとに遭いはしないだろうし。




