幕間3/魔術師ディーによる学院生活
僕とゲルダリアは王立学院で魔術講師をすることが決まったけれど、あれはほぼ強制のようなもので、あんまりではないかと思う。
教授の口利きでテトラも一緒についてくることになったけど、僕ら三人が学院に行く必要は何なのだろう。
一人で行くよりはましとはいえ。
ミミクルさんのほうが僕らよりも知識が豊富ではないのか。
そう言ったら、ミミクルさんからは実に嫌そうな顔をされた。
「知識があっても、魔術初心者に分かりやすく語れるわけじゃないぞ。私はそんな気遣いなぞしてやらんからな」
秘めの庭の『歩く事典』は愛想がない。確かに講師役には向いていないか。
変わってもらうことは無理そうだ。
三人でまだしばらくは、秘めの庭にいて気ままに研究しながら暮らしていけると思っていたのに。
仕方なく、学院での生活に備えて準備をする。
僕は今までに作ってきた武器と、武器作りの道具を荷物にまとめた。
他に持っていきたいものは思いつかない。
魔術の研究なら学院でも続けさせてもらえるというから、素材に関してはあちらで配布されるだろう。
ゲルダリアは、ずっとジョンさんから渡された緑の杖を使い続けていて、今回もそれを持って行くようだった。
あのときよりも良い素材が揃っているから、新しく魔術杖を新調することを提案してみたけど、やんわりと断られた。
「これは気に入っているし、思い出深いものだから」
「……そう」
何だか、もやっとした。
今の僕なら、当時のジョンさんよりも優良な武器を造れるのに。
武器の優劣の問題ではないなら仕方がないか。
あの学院にいる間は、魔獣狩りに出る必要もないだろうし。
学院の結界管理もするよう言われているけど、王族直属の魔術師も逗留しているようだから、そこはあまり負担ではないだろう。
戦いに出る必要がなくなるなら、腕が鈍るかもしれない。
それだけが気がかりだ。
学院で魔術講師として生活して数日。
やはり、ここに一人で来ることになるよりは、三人一緒で助かった。
一人では手に負えないほどの作業量があったし、きっと心もささくれだったことだろう。
魔術の解説のための資料を片付けていると、ゲルダリアがお茶を入れてくれた。
貴族や王族の通う学校のため、ここでは雇われ講師も良い嗜好品が楽しめるし、良い食事も出る。
お礼を言って、カップに手を伸ばす。
慣れない匂いではあるけど、幾分気持ちが和らいだ。
秘めの庭でゲルダリアが調合していたハーブより、このお茶のほうが癖のある味だけど飲めなくはない。
「ヴェ、えっと、ディーのほうは、授業の具合はどう?」
そう問われて、少し考える。
僕の担当の生徒達は、魔術に対してあまり興味も理解も無いようだった。
ゲルダリアのように最初に一度、衝撃的な物でも見せたほうが良かったかもしれない。
でも、魔獣の頭蓋骨や牙は全て材料として消費した後だ。
「みんな、魔術の必要性を感じていないようだった。魔術師と接したことがないのかもしれない」
故郷にいても、秘めの庭にいても、魔術師に囲まれていた僕には分からない感覚だ。
魔術への興味がない人間に講釈を垂れるのは楽しくない。
ゲルダリアの担当の生徒達は、それなりに魔術に興味があるようだから、教え甲斐もあるようだけど。
僕らのやりとりを聞きながら黙ってパンをほおばっていたテトラは、食べ終わるとつまらなさそうに言う。
「学院って、思ったより何もないんだなー。人は大勢いるのに」
講師ではなく警備担当のテトラとしては、ここは安全すぎて仕事があまりないのだろう。
でも、そんなテトラにゲルダリアが言う。
「そうやって油断した頃に、面倒な奴が侵入してくるかもしれないんだから」
ゲルダリアは名簿と予定表を見比べながら、これからの授業計画を立てている。
「ゲルダは真面目だなー」
テトラの言葉に、ゲルダリアは疲れたように返す。
「生徒の成績が悪いせいで、秘めの庭への資金提供とかが止まっちゃったら困るでしょ」
ああ、そういう心配もあったっけ。
面倒だけど、僕も授業計画を立て直すことにした。
学院に来ることがなければ、国内行脚とか、ジャータカ王国への遺跡視察もありだったのに。
三人で、ゴードンさんから聞いた遺跡や街へ言ってみたいと話をしていたのだ。
ゲルダリアはジャータカ王国の南の国にある古代遺跡、空中回廊が見たいと言っていた。
テトラは、この国の南西の湿地帯に群生する植物に興味があるんだとか。
僕としては、今までに見たことのない場所に行けるなら何だって面白そうだと思う。
でも、僕ら以外に魔術講師が見つかるまで、三人で旅に出るのはしばらく我慢しないといけない。
この学院も、創立時期が100年以上前だということを考えると、それなりに仕掛けがありそうだけど。
テトラが調べて回った範囲では、無難な魔術結界が張られていて、王族のための隠し通路があるという程度。
立ち入り禁止になっている区画については未調査だけど、おそらく僕らでは入る許可は下りない。
大人しく、任された仕事をこなす日常を送ることにしよう。
毎朝の剣の鍛錬は、この学院に来てからも欠かさず続ける。
朝靄の晴れない宿舎の庭で一人、剣と弓を使う。
それから、故郷にいたときに聞かされた『懇願』の呪文を声に出さずに暗唱する。
普段使う魔術は、魔術を使う人間の内側にある力を引き出して使うもの。
それとは違い、懇願の魔術は始祖王に力を借りて行う。だから、文字通りそのための文言があるし、使える者は限られている。
月蝕の魔術にもいくつか種類があるけど、これは最終手段のようなものだ。
世界の裏側に隠れたという伝承の始祖王。
その始祖王に対して懇願することでやっと使えるような術は、規模が未知数だ。
過去に使われた例がないらしい。
そんな大仰な魔術を使う機会なんて無いと思いたいけれど、これを忘れてしまっては、僕の代まで術を残してくれた人達に悪い。
シャニア姫から聞かされた未来予知を思い出す。
……もしかしたら、この魔術が必要になるのかもしれない。
そう思うと、憂鬱だ。
始祖王への懇願を許されているのは、月蝕の魔術の使い手と、アストロジアの子孫だけ。
この学院に来てから、アーノルド王子に会うことは可能な限り避けていた。
だけど、向こうからやってきて、顔を合わす羽目になった。
あの様子だと、おそらく向こうは僕のことなど覚えていないだろうけど。
鍛錬と暗唱を終えて魔術杖を選ぶと、そのまま授業へ向かうことにした。
朝食を抜いたことでゲルダリアからまた何か言われるかもしれないけど、今日は何だか妙な予感があって、普段通らない通路から学舎へと向かう。
そうすると、校舎の裏にあたる広場で、男子生徒が10人ほど輪になっていた。
どうやら僕の担当する生徒達が、一人を囲んでいるらしい。
これが噂に聞くいじめか何かだろうか。
囲まれているのは、顔と名前が分からない少年。制服は着ていないから、学院の雑用を任されている使用人かもしれない。
「……早朝からこんなところで、何の集いかな?」
つい声をかけてしまう。
真っ当なことをやっているようには見えない。
僕に気付いた生徒達は舌打ちする。
貴族子弟じゃないのかと疑うくらい、態度が悪い。
おそらく僕のことも侮っているのだろう。
「魔術講師には関係ないね。ほっとけよ」
そんなことを言われてあっさり去るわけがないだろうに。
生徒達は口々に言う。
「学院の見回りの仕事してるっつーから、どれだけの実力があるのか確認したら、大したことないんで」
「こいつが情けないから、俺達が鍛えてやってるんですよ」
「こんなのに守られるほど弱いと思われてるようじゃ、納得できるわけないでしょう」
「こうも頼りないんじゃ、この先ここでやっていけないだろ?」
意地悪く笑う生徒達に、溜め息しか出ない。
この現場を見つけたのが僕じゃなければ、穏便に済まないかもしれないのに。
ゲルダリアなら爆発させているし、テトラなら全員順番に殴ってから相手の言い分を聞くだろう。
というか、この調子だと、いつかこの生徒たちは間違ってテトラに喧嘩を売るんじゃないだろうか。
それはそれで面倒なことになりそうだ。今のうちに行動を改めさせないと。
僕としてもテトラに事件を起こさせるわけにはいかないので、ここで手を打っておこうか。
わざとらしく言う。
「へえ。君達は、自分の腕に自信があるんだね?」
その挑発に、生徒達はさも当然だと言うように反応した。
僕はそのまま魔術杖を付き出して宣言する。
「じゃあ、剣を持っておいでよ。ここでその実力を確認させてくれたら、今日の僕の授業は免除でいいから」
この学院の中で魔術を決闘に利用することは禁止されている。違反した場合、生徒は退学処分であり、それは講師も同じである。
それを互いに知った上での提案だ。
僕の発言を聞いた面々は、愉快そうに笑った。
どうせ僕のことは魔術以外何もできない人間だと思っているのだろう。
僕が分かりやすく魔術師である黒のローブを着て体格を隠しているのが原因だろうか。
線が細いように見えて、侮られやすくなるのかもしれない。
にしたって。
僕に言われた通り素直に剣を持ってきた生徒達は、最初に囲んでいた少年の姿がないことに気付いていないようだ。もう忘れているのかもしれない。
完全に僕に剣術を見せつけるつもりでいる。
でも、この程度なら杖の外側を使う程度で充分だ。
正面から一人目と向かい合うと、杖を掴んだ右手首を軽くひねる。
相手は先手を取ろうと剣を打ち込んできた。
それを軽くいなし、杖を旋回させ剣をからめ取る。
剣はあっけなく地面へ落ちた。
一瞬のことに呆然とする相手に、追い討ちをかけるように言う。
「さて、どうするのかな。得物をなくした上で、君はまだ僕と戦うことができるのかい?」
その煽りにカッとなったのは剣を取り上げられた生徒ではなく、見学していた生徒だった。
背後から奇襲する形で飛び込んできた。
だけど、それも音と気配を消さないので動きが分かりやすい。
とはいえ、流石にこれは許容できないか。
背後からの突進も杖の一振りで弾き、相手の剣を真上へと飛ばした。そして。
杖の持ち手をねじり、内に仕込んだ剣をあらわにする。
そのまま落ちてくる剣に、仕込み剣を振るう。
甲高い金属音が響き、真っ二つになった剣が相手の足元に突き刺さる。
ひっと息を飲む声。
奇襲をかけてきた相手を冷ややかに見据えて言う。
「君達は、自分が安全な場所で暮らしていることを自覚すべきだ。こんなことでは、実戦に出ればすぐに死んでしまう」
生徒たちは腰が抜けたのか、何も言えずにいた。
返事のない面々に構わず続ける。
「喧嘩を売る相手の力量が分からないようでは、無駄死にするだけ。何の役にも立たないどころか家名に泥を塗ると、理解してほしいな」
それでも生徒達は黙りこみ、その場から動けずにいる。
剣を杖の内部へ収めると、彼らを放ってその場から離れることにした。
決闘場になった裏庭から屋内に戻ったところで、腕組みをして笑うアーノルド王子と、穏やかな表情のイデオンの二人に鉢合わせた。
王子が傲岸不遜な態度で言う。
「おもしろい武器を使うじゃないか、魔術師」
どうやら一連のできごとを観察していたらしい王子と騎士に、肩を竦めるしかない。
この二人は相手の力量を見抜くだけの能力がある。
それでいて、あの生徒たちが僕からどう扱われるのかを確認していたようだった。
悪趣味だ、と思いつつも、この二人は偶然通りがかっただけの可能性もあるのでそこには触れずにおく。
代わりに、
「王子や騎士殿がお望みとあらば、同じ武器を調合して納めますとも。材料さえ工面できれば、ですが」
それだけ提案する。
「ほう? いいのか?」
アーノルド王子は好奇心を隠そうともしない。
やはり武を修める役割の王族なだけあって、戦闘に使う道具には興味があるんだろう。
「この国の魔術師は、王家の発展に寄与するためにいるのでしょう? 僕はそこに異論はありません。王子や王族の皆様には感謝する日々を送っておりますので」
イデオンが王子を諌めるように言う。
「王子、見返り無き要求は止めるよう常々言われているでしょう」
「もちろん俺が一方的に得することにはならん。俺とて魔術の発展に尽くす者達への返礼は考えているとも」
その言葉に安堵する。
始祖返りの王子は物分かりの悪い人間ではない。
一方的な傲慢さを抱えている人間でもない。
ちゃんと、民のための王族でいる。強大な力を抱えていても、人の道から外れずに生きている。
僕がときおり王子に対して不安を抱えるのは、考えすぎなのだろう。
勝手に、シャニア姫の予知を悪い方向に考えすぎているだけ。
王子は機嫌よくこれからの予定を述べる。
「それでは、フェンのほうから武器調合にまつわる話を通そう。あいつのほうが必要な物の手配も上手くやるからな」
「分かりました。では、そのように」
そう答えて、話が終わって去っていくと思われた王子に礼をする。
だけど、王子は最後に一言だけ告げた。
「……月蝕の一族を救った甲斐は、あったようだな」
思わず顔を上げる。
既に王子はこちらに背を向けて去っていく。
覚えていたのか、僕を。
髪と目の色が違うだけじゃなく、ここでは月蝕の力は抑えているのに。
アーノルド王子には隠せないのか。
僕が王族に対して反抗の意思がないと理解してもらえたのなら、問題はないだろうけど。
それでも、少し居心地の悪い思いをしながら過ごすことになりそうだ。
次からしばらく数話はノイアちゃんによる進行になります。