海の街と脳筋僧侶
慣れない小屋での宿泊だったけれど、ガーティが環境を整えてくれたおかげでぐっすり眠ることができた。
目覚めも良好。
これからまた長く馬車に揺られるので、食事はパンとスープなどの軽いものだけ。
カレッツァさんが作ってくれた昼食のチキンサンドをガーティに預け、出発する。
今日の馬車移動ではガーティも車内に一緒だ。
車内から、先行する護衛馬車とラビィちゃんを眺める。今は何も問題ない。
「このまま問題なく街までつくかしら?」
私の懸念に、ガーティはうなずく。
「道中の露払いは上手くいっていますから、注意すべきは街についてからと思われます。まだあの街の全てを奪還したとは言い難いようなので」
「捕縛したのは魔術師ばかりで、暗殺者らしい存在は見つけていないのよね?」
「ええ。首都と北東の街の住人が東の街に送られたようですが、どうもその中に暗殺組織の人間も紛れているようですね。不穏な動きは見えども、現場を押さえるには至らないため、僧侶たちはまだ警戒を解いていません」
「そこに私やナクシャ王子が向かうのは早計だったかしら」
でも、シデリテスやソリュは止めなかった。
悪漢により街を追われた民を、王子が救出に行く。その演出を行うにはまだ危険が多い。
それぐらい乗り切らないと、アストロジア王国はこの国を支援することができないということだろうか。もう充分すぎるくらい支援しているのだから、後はジャータカ王族が自国民を救えと。
考える私に、ガーティが言う。
「今から暗殺組織があの街を乗っ取る旨みはありませんからね。為政者ごっこをする能力を持たない暗殺者にできるのは、隙を見て逃げ出すか、あるいは、開き直りくらいのものでしょう」
「開き直り……。そうね。北の大陸へ向かう手段が封鎖されているから、あの街から逃げても行く先は無いのよね。だから、最後にあの街で暴れる人間が出る可能性がある」
逆恨みして僧侶の全滅を狙う人間はいるかもしれない。
「僧侶たちもそれを警戒しているようです。捕縛済みの魔術師たちを海上に隔離しているようですが、それを救おうという動きはないようなので」
「魔術師たちを救う義理も仲間意識もないけど暗殺者から足を洗いもしないのは、いつか北の大陸に戻る隙を狙っているか、現地で暴れたいかってことよね」
気が抜けない。
望んで暗殺者になったわけじゃない人は、組織への忠誠はなくこのまま街人に溶け込んで足を洗おうとするかもしれない。その場合はこちらも厳しく追いはしないけれど…‥。
出発から2日目の夕方には目的の街に着いた。
ガーティは魔術による馬車の改良にうなっている。どうやら彼女としては私が街に入るのをあと1日遅らせたかったようだけど、アストロジア王国の魔術車両は優秀で、馬に負担をかけずに速度を出せる。
1日早く着いた分、街の方では予定の調査が済んでいない。安全地帯は少ないままだ。
とにかく、日暮れのうちに目立たないよう街に入った。
この国でよくある、白く丸い屋根付きの建造物が規則的に並んでいる。
その中で一際おおきく目立つのは、街の東の海岸沿いにある、赤煉瓦を積んだ四角い塔のような建築物だ。
この国で最大の寺院であり、裏に王族を祀る廟がある。西陽を受けてまぶしく光を反射し、街の入り口からでもよく見えた。
あの寺院の裏から浜に出ると、道が海上まで伸びているそうだ。海上に僧侶の鍛錬場が造られているらしい。
その話を聞いたゲルダリアは、RPGでたまにある修行場っぽい、なんて言った。
ナクシャ王子は過去にその海上の施設で瞑想訓練をしたそうだ。修行場あることは間違いないけれど、今その施設を利用する意味はないだろう。
物資の搬入業者の振りをして荷車ごと移動し、街の中央にある寺院へ入る。
そこで私とナクシャ王子を出迎えてくれたのは、カビーア様の部下の人たち。全員が修行僧らしい薄着の格好だ。この世界に冬はないとはいえ、今の時期だと涼しすぎないだろうか。
整然と並んでいるマッチョな僧侶たちに、体育会系な圧をうっすら感じる。
寺院の代表である老年の僧侶が進み出て、ナクシャ王子に挨拶した。
「よくぞ無事にここまで辿りつかれました、殿下。あらかじめアストロジア王国からの使者たちから連絡は届いておりましたが、申し訳ないことに、こちらの街での歓迎やもてなしの用意は間に合っておりません」
「私のことは構わない。今はこの街の治安を安定させるのが優先だ。安全な寝床と食事の用意が必要なのは万人に言えること。私一人を優先しているようではお祖父様と会わす顔がない」
淡々と話すナクシャ王子の言葉を聞きながら、僧侶のお爺さんは相槌を打つ。
「情けないことに、我々はまだカビーア様の安全を確保したとは言い難いのです。そのため、王族の廟がある寺院の警備は厳重になっており、殿下をお連れできるのも数日かかるものと思います」
「わかった。私にもできることがあれば良いのだが」
「今日のところはひとまずお休みください。今寝床を用意させますので」
ナクシャ王子も、闇夜に紛れて調査を行うだけの能力はあるけれど。次期王にやらせる仕事ではない。
いや、次の王だからこそ、自分の目で街を知る必要があるのか。
でも、敵側にもナクシャ王子が諜報と暗殺の技能持ちだと知れ渡っている。敵がナクシャ王子を待ち構えている可能性を思えば、安全圏の確保が先だ。
奥の部屋に案内されながら悩む私に、ナクシャ王子がこっそりと言った。
「イライザ。貴方をふくめた皆に相談があるのだが、良いだろうか」
借りた部屋に、ソリュによる魔術結界を張る。
寺院の人たちに話が漏れないのを確認し、ナクシャ王子は私たちに言った。
「私も、街の警備に混ざって調査へ行きたいのだ。日が沈んだ今であれば、私の瞳の色も目立ちはしないから、素性がバレることもないだろう」
次の王になると覚悟した以上、ナクシャ王子も積極的に行動すると決めたようだ。
信用できる有能な部下ならサスキアがいるけど、彼女はまだゲルダリアのフォローをしているから。ナクシャ王子本人が自力で情報を得にいくしかない。
彼のその決断に、ソリュ・ロロノミアは明快に答える。
「魔術を使っての支援は私が行いましょう。殿下とイライザ嬢の安全確保とある程度の情報隠蔽は可能です」
好意的な回答に、私は思わず言った。
「本当に、ナクシャ王子が外に出てもいいのですか?」
ソリュは、いたずらを計画する子供のように笑う。
「ああ。時が来るまで待ちぼうけ、というのも気が引けるのだろう?」
要人警護の仕事をする人たちに迷惑がかかるのを気にしていたけど、警護の責任者がこう言うのであれば。私も、ナクシャ王子と一緒に街の調査をさせてもらおう。
安楽椅子探偵みたいな行為は、信用できる部下や同士が増えてからじゃないと行えないし。
この街では夜の警備は三人一組になり、警棒とランタンを携えて行動するそうだ。
その情報を寺院の僧侶から得てきたガーティは、護衛用の警棒を5本も預かってきた。
この寺院の僧侶たちも、まさかナクシャ王子がそれを持って街に出ることは想定していないだろう。
道具と格好を整え、私はナクシャ王子とイデオンの三人で寺院の裏からこっそり出た。
私たちの後から、ガーティにラヴィちゃん、そしてソリュが距離を空けてついてくる。
ソリュと共に護衛としてやってきた二人の魔術師に、私達が出かけている間のことをお願いした。ナクシャ王子がお忍びで街を出歩いていることは可能な限り隠すのだ。
無骨な警棒の扱いには慣れないけど、他にも道具を隠し持っているので、荒事にも対応できる。
冷たい風に乗って潮の匂いと波の音が届く。他に聞こえるのは私たちの足音ぐらい。
空の星を見て方角を確認し、まずは繁華街に向かう。
三人で緊張しながら歩くけれど、街の大通りは静かなものだ。さすがにまだ夜の営業をしようという商人はいないのか、繁華街の店は全て閉まっている。
あちこちの民家の窓からぼんやりと明かりが漏れているので、この時間はまだ人々が寝静まってはいないようだ。
たまに物音がするので振り返ってランタンをかざすけど、猫がネズミを狩っているところだったり、私たちが持つ灯りに反応したコウモリが飛んでいくだけだったりで危険はない。私は小動物に魔術的な仕込みがあっても気づけないけれど、イデオンとソリュが反応していないなら放っておいていいのだろう。
酔っ払いや不良の姿を見ることもなく、私たちは大通りを抜けた。
地図を思い出しながら、街の外壁に沿って移動する。
魚が主食の街なので、磯臭さと生臭さが混じる匂いが漂ってくる。
他の街であれば浮浪者がいるような区域だけど、この街では浮浪者を全て寺院送りにし、脳筋僧侶として人生の再出発をさせる厳しい制度が数百年も続いている。
そのため、この街に貧民窟はない。
狭い裏通りものぞいて回ったけれど、鳥の鳴き声や虫の羽音が聞こえる程度。テロ団体から逃げ出した魔術師や暗殺者がその辺で燻っていたり行き倒れていることもなかった。
街は至って平和だ。
暗殺者も夜間労働をしないホワイト運用だろうか。
ナクシャ王子が民の生活について詳しく知るには、昼間に行動する方がいいのだろう。
寺院の一室を借りて夜を明かす。
外から持ち込んだ食材でガーティが朝食を用意してくれる間に、みんなで集まり、前日の情報をまとめる。
夜の見回りで異常が無さすぎた。今思えば不自然なほど。
ソリュが私たちに内緒で何かしていないかと確認してしまったけれど、ソリュの方も何も無さすぎて拍子抜けしたのだという。
みんなであれこれ予想したところで、ガーティが朝食を配膳する。
王宮にいた頃にみんなと保存食の研究をして開発した携帯食糧で、お湯で戻せるポタージュと、日持ちのいいパンだ。
野菜を長期保存する研究への協力を呼びかけて真っ先にやってきたのが、あの男子中学生みたいな魔術師だった。テンション高く「甘い芋類を優先して保存食にしたいです!」と提案され、私は押され気味にうなずいた。
トラングラ君の熱意は凄まじく、気づけば根菜ばかりが保存食になっていく。
私としては葉物や動物性タンパク質も欲しいし、今は海辺の街に来たので海産物も対象にしたい。
やりたいことは山積みだ。
お茶を飲み、ソリュがぼやいた。
「本当に、街には暗殺者たちが潜んでいるのかい? 私の魔術探知から逃げ切れるような大物が、まだこの国に残っているとは思えないのだけど」
昨日の平和っぷりを思うと、暗殺者たちも既に全員が海上寺院に収監され矯正実施中なのでは……。
「不審者がいないならそれはそれで問題ありません。ただ、そうなると僧侶たちがまだ警戒を強め続ける理由が謎なんです」
私の疑問に、ナクシャ王子は少ししょげたように言う。
「もし問題が全て解決しているのであれば、私をお爺様と合わせないための口実ではないだろうか。私は信用されていないのかもしれない。ともかく、今日は明るい時間に街の調査へ向かいたい」
寺院の僧侶たちが私たちに協力してくれたのは、寝床になる部屋の提供だけ。
朝になってもナクシャ王子への食事の用意どころか、挨拶もない。
食材は数日分持ち込んでいるのでともかく、街の調査案内も期待できそうになかった。
僧侶たちはナクシャ王子を試しているのだろうか。
もしそうなら、ご期待にお応えしよう。
ナクシャ王子だってその気になれば仕事ができる人なのだから。
次の王として期待されていないなら、信用してもらえるように行動するしかない。
一応、ナクシャ王子から寺院の代表の人に挨拶へ向かったけれど、寺院に残る僧侶の人数が少ない。
大半の僧侶は街の警備巡回に出かけたそうだ。
私たちは挨拶を終え、昨日と似た段取りで外に向かった。
ナクシャ王子はあちこちを観察しつつ言う。
「これは、お爺様のための警備に人を回しているかもしれない」
「そちらが集中的に狙われている可能性がありますね」
今日は爽やかな晴れの日で、日差しが暖かい。
街はそれなりに人の行き来がある。
商店もちらほら営業を開始したようだ。
ソリュによる魔術でナクシャ王子の外見に意識が向かないようになっているので、聞き込みをすることにした。
ナクシャ王子は、物資輸送業の新人という体でお店の主人に声をかけ、最近の需要と人気の商品について質問した。
お店の人たちは質問に快く答えてくれた上に、世間話にも乗ってくれる。
最近やっと物流が元に戻り、街も安定しつつあると言う。
商店の稼ぎのいくらかは寺院への寄付として納めるけれど、寄付に行った寺院はまだ慌ただしくて、街の人たちは不安に感じたそうだ。
ナクシャ王子はまた少し表情を暗くする。お爺様であるカビーア様が心配なのだろう。
ナクシャ王子が情報代として魚の天日干しと香辛料を買うと、店の主人は思い出したように言った。
「そういえば、変な集団に街を占拠されたゴタゴタでうっかり忘れていたけど、そろそろ海から魔物が上がってくる時期だねえ。僧侶たちは、その退治の用意も忙しいんじゃないかな」
「……なんと。魔物が、出る? この街に?」
ナクシャ王子だけでなく、私も驚いた。
そんな話は初耳だ。というか、危険なことをうっかり忘れないで欲しい。