乙女ゲームの開始まであと一年
優秀な人間や貴族王族の集まる王立学院で、生徒と歳が変わらない私が講師として舐められないために。
最初の挨拶には気を使った。
「魔術というのは、属性が何であれ人の心に影響されるものです。呪いであると同時に祝いでもある。よって、軽々しく扱わないように。さもないと……」
言いながら、過去に私が爆発させた鍋を卓の上に出す。
「あなたたちの頭が、このように吹き飛びかねませんので。くれぐれも注意するように」
そうやって軽く脅すと、生徒達は底が吹き飛んだ鍋に注目し、それから私と目を合わせないように視線を逸らした。
そこから始まった授業の間、生徒達は真面目に私の話を聞いてくれたようだった。
「ちょっと脅しすぎたかな」
魔術講師に用意された研究室で昼ご飯を食べながら、私はヴェルヴェディノに聞いた。
テトラは学院の地図を作ると言って出て行ったので、今はヴェルヴェディノと部屋に二人。
用意された練金釜で作ったカブのスープを食べながら、彼はいつものように淡々と言う。
「いいんじゃないかな? ここに集まってるのは、はしゃぎすぎる年頃のお貴族様が多いんだし」
そんな会話をしていると、唐突に研究室の扉が開く。
そして、ずかずかと三人の男子生徒が入ってきた。あっけにとられる私とヴェルヴェディノに構わず、先頭を歩く生徒がふんぞり返って言う。
「おまえたちか、噂の魔術師は!」
よく見ると、彼らは乙女ゲームとしてのこの世界の攻略対象の三人だ。
制服ではなく騎士の正装をしている長身に金髪赤眼の少年は、この国の第二王子アーノルド・アストロジア。そして、その護衛の騎士イデオン・ミュング。
その二人の後から、一人だけ学院規定の制服を着た、フェン・ロロノミアがついてくる。
どうしてここに。
言葉が出ないでいる私に代わって、ヴェルヴェディノが問う。
「噂の、とは? あなた方は、この国の王族とその護衛のようですが。我々が何かしたのでしょうか」
王子は赤い瞳を輝かせながら言う。
「おまえたちは、己の功績について誇っていいんだぞ? 俺はそれを称えに来たのだから!」
「は、はあ……」
王子が直々に出向いてまで褒めてくれるようなこと、何かあっただろうか。
私には思いつかなかったし、それはヴェルヴェディノも同じようで、呆気に取られたままだ。
王子を制するようにして、フェンが横に立って説明を始める。
「君達の魔術研究のおかげで、この国で大規模な開墾と農場経営が可能になったのは、数年前に聞かされたと思う。その成果がようやく実ったんだ。おかげで、もうわが国は隣国から食料の輸入をしなくて済む。つまり、隣国に媚びる必要が無くなったんだ」
やっぱり、この国の庶民向けの食糧事情はそんなに良くなかったらしい。
王子が機嫌良く言う。
「わが国がこれだけ豊かになった以上、隣国に魔術知識を提供しなくて済む。
あのいけすかないナクシャを、この学院に迎える話を破棄することに成功した。それもこれも、お前達の功績による結果だ。
ゆえに、こうして俺が直接おまえたちを称えにきたのだ!」
ナクシャ・ジャータカ。隣国の王子にして、乙女ゲームの攻略対象。
だったのだけど。
どうやら、私達の研究が原因で彼はこの学院に通うことがないらしい。
この国が隣国に媚びずに済むのは良いことだけど、ヒロインであるノイアちゃんの恋愛対象を減らしてしまったようだ。
良かったんだろうか。
私は私と周りの人の不幸を回避したかっただけであって、ノイアちゃんの恋愛を邪魔するつもりはなかったのに。
ぼんやりそう考えている間に、王子は変わらず尊大な態度で私達 魔術師を称えると、来たときと同じく勢いよく部屋を出ていった。
王子を追って後の二人も帰って行くのを見送り、ヴェルヴェディノが口を開く。
「……何か、凄かったね」
「そうね、圧倒されちゃった。でも、わざわざこんなところまでやって来て褒めてくれるなら、良い人なんでしょうね」
「民を称えてくれるのは良いことだけど、王子のあれは、単に嫌いな隣国の王子がここに来なくなって喜んでるだけじゃないかな……」
「確かにそこが一番大事みたいな感じだったけど……」
あの王子が隣国の王子と仲が良くないのは知らなかった。
前世の友人が語るには、あの王子は万能超人だったから、好き嫌いで人を分類せずに外交面もそつなくこなしているのだと思っていた。
でも、顔をあわせたくない人間がいる上に、それを下々の民に公言してしまう程度には正直らしい。
あの王子にそんなことを言わせるなんて、ナクシャ王子はどんな曲者だったのかが気になったけど、今となってはどうしようもない。
私としては、ノイアちゃんが一番幸せになるルートがナクシャ王子以外にあることを祈るのみだ。
そこまで考えて、ふとヴェルヴェディノを見る。
魔術講師としての仕事が忙しくて忘れかけていたけど、ヴェルヴェディノもノイアちゃんの攻略ルートのうちの一人だった。
ヴェルヴェディノが女の子と仲良くなることは、秘めの庭での生活を思うと想像しにくい。
私とは魔術の研究の話ばかりしているし、それは他の魔術師相手でも同じだった。
ノイアちゃんと会ったとき、ヴェルヴェディノはどう反応するんだろう。
ヴェルヴェディノは鍋からスープのおかわりをよそい、食事に戻ろうとする。そこで私の視線に気付き、
「うん? 君もまだ食べる?」
のんびりとそんな質問をしてきた。
「いえ、いいわ。私は王子達がやってきてびっくりして、食欲がなくなってしまって」
そう答えると、ヴェルヴェディノは納得したように頷いた。
「そういえば。アーノルド王子は始祖王の子孫の中でも魔力が強くて、始祖返りと呼ばれているんだ。普段は魔力の体外放出を抑えているけど、それでもその魔力の強さに影響される人はいるらしい」
「……そんなに凄いの」
そんな設定は初耳だ。
それなのに、あの王子の護衛と親族の二人は何食わぬ顔で一緒にいた。全員大物ということだ。
前世の友人からは、メチャつよ、激エモ、としか聞いていない。王子の凄さで語彙が消し飛んだということだけは理解できたけど。
始祖帰りなんていう中二病心をくすぐる設定があるなら、ちゃんと言っておいて欲しかった。
もっと世界設定について解説してくれていたなら、私もあのゲームで遊んだのに。
友人はさっきの三人と、あとは暗殺者のキャラ性についてばっかり話したから。
それ以外だと、全キャラ攻略のためにタリスのルートに進んだらゲソちゃんが邪魔だということだけ。
……ディーのルートは、どんな内容だったんだろう。
そんなことを考えていると、ヴェルヴェディノはスープをすくう匙を降ろす。そして、視点が定まらない目で呟く。
「……規格外の存在には人間らしさなんてないんじゃないかと思っていたけど。実際に会ってみると、そうでもないようだね」
「え?」
聞き取れずに問い返すけど、ヴェルヴェディノはすぐに笑顔に戻る。
「いや、どんな超人に見えても、王子も人間なんだなってことだよ」
その言葉に、ヴェルヴェディノの感情の揺らぎのようなものを感じたけど、私がそこに触れて良いのか分からない。
そういえば、シャニア姫の予知で、王子に関係した話があったっけ……。
そこでちょうどテトラが戻ってくる。
「やっぱり、この学院は王族の生活圏だけあって、魔術的な抜け道が沢山あるな!」
楽しそうだ。気持ちはとても分かるけど。
「なるほど、それは後で僕も調べにいかないと」
ヴェルヴェディノは何事もなかったかのようにテトラと話を始める。
私はそれ以上何も聞けなかった。
王子たち三人という、乙女ゲー世界での攻略対象に会って思い出した。
前世の友人は、暗殺者のラスター・メイガスというキャラのことも推していた。
そのときに聞いた、ラスター・メイガスが起こす暗殺イベントについて思い出す。
ラスターは、アーノルド王子が学院から離れた時期を狙って行動に移す。
月の魔術の使いであるアーノルド王子には、太陽の力を蝕むだけの金環蝕の魔術は通用しないからだ。
学院の結界を破壊してまわって、学院を混乱させてからフェン・ロロノミアの暗殺に向かうらしい。
ロロノミア家の人間は現当主もフェン本人も、現王に代わってこの国の経済を統べているような状態だから、暗殺されては国が傾きかねない。
ラスターの金環蝕の魔術は、フェンの護衛をしていたイデオンの太陽の魔術に打ち勝ってしまう。
そこに居合わせたノイアちゃんが、火の魔術使いから覚醒して、上位である太陽の魔術を使えるようになり、二人がかりでラスターの魔術を封殺するという流れらしい。
この暗殺イベントは、ラスター以外の6人の攻略後に発生するそうだ。
この世界のノイアちゃんにとって、今は何周目なんだろうか。誰の攻略ルートへ向かうんだろう。
暗殺イベントが起きるルートでノイアちゃんがアーノルド王子を追いかけるような子だった場合、フェンの暗殺が成立しかねない。
イデオンだけでなく、タリスとディーも学院には残っているだろうから、フェンの暗殺は未遂に終わるかもしれない。
でも、学院はしばらく機能しなくなる。
それは面倒くさい。
ノイアちゃんが誰のルートに向かうのかは分からないけど、ラスターによる暗殺計画はやめてもらわないと。
学院の結界の管理は私達にも任されているのだから、仕事を増やされては困る。
今のうちに、あの暗殺者の居所をつきとめたい。学院の結界も強化しないと。
金環蝕の魔術使いは、紫の髪の色なので目立ちやすい。友人が散々ゲーム機片手に見せてくれたから、背格好も把握している。
目だけは普段、髪に隠れていてよく分からないけど、主人公が攻略フラグを全回収したら、顔を見せてくれるのだとか。
目元に魔術を補強するための術式の刺青が入っているので、見間違えることはない。
でも今のところ、あの髪の色の生徒は見たことがない。
ゲーム内では、ノイアちゃんと同じ学年だったんだけど。
学院の事務所で、現在学院に通う生徒の名簿を見せてもらっていいか確認したら、あっさり許可が下りた。
この学院はまだ個人情報の公開制限がユルユルな場所で助かった。
名簿をすみからすみまでじっくりと確認する。
だけど、ラスター・メイガスという名前は見つからない。
もしかしたら、主人公のノイアちゃんと同じく途中からの編入なんだろうか。
名簿を事務へ返却し、それから学院内の魔術結界に異常がないか確認していく。
どこにも問題がない。
ならこれは、ノイアちゃんやタリスが入学してくる時期まで、心配しなくていいのかもしれない。
王族貴族に対する暗殺者なんて、あのゲームの攻略対象以外にも普通に存在しているだろうから、油断はできないけど。
ラスターがまだこの学院にいなくても、アーノルド王子の予定とフェンの予定をこまめに確認したほうが良さそうだ。
事件に巻き込まれるのは面倒だから。
名簿にはシャニア姫の名前も載っていた。
なら、あとで三人で、いつかのお礼を改めて述べに行こう。何か良い手土産を調合しなくては。
元の乙女ゲームの世界と違うのは、私が魔術師になったこと。
テトラ改めトラングラという魔術師が増えていること。
そして、ナクシャ王子はこの学院に通うことがなくなったこと。
それらの要素が、これからどこまで影響するのだろう。
次はまたヴェルヴェディノ視点で1話を挟んで、それから次に、乙女ゲームの主人公、ノイアちゃんの出番になります。