空の旅と食物連鎖
空から首都を見下ろすのは、ゲーム上の俯瞰地図のようで懐かしさがあった。
船はやがて首都を離れ、更に高度を上げる。
天気よく日差しが降り注いでいても、さすがに冷えてきたので船内へ戻った。
船内に入ってすぐの談話室で、シジルとツユースカが黒柴さんにおやつを出してもらってくつろいでいる。
「オレも!」
「おやつ!」
リィコとストリンが席に駆け寄るので、黒柴さんはニコニコと返事をする。
「いっぱいあるから安心してねー。果実入りの炭酸水もあるよぅ」
私たちもご馳走になることにした。
「見せ物になる仕事は終わったか?」
そんな皮肉をぶつけてくるシジル。
「そうね。あとはアストロジア王国まで空の旅になるわ」
これから最大速度で移動するので、日が落ちた頃には目的地に着くはず。
船の操縦が安定したのか、副操縦士でもある整備士さんが肩にお手伝い妖精を乗せて操縦室から出てくる。
「船を追跡するような不審なモノは見当たらないが、念のために潜伏魔法で地上から見つからないように移動する」
そう説明してくれる、ドーベルマンっぽい犬妖精。
最初に船が王城裏から出発して広場に姿を現したのは、イベントを盛り上げるだけでなく、翡翠の鍵の残党の反応を探るためでもあった。
もし敵が首都のどこかにいて私たちを追跡してくるなら、町や村を巻き込んだ戦闘になる可能性がある。それを避けるため、船は人族の集落上では姿を消しておくのだ。
フィルさんが捕まえたのが粛霜だけなら、あの広場にはいなかったかもしれない。
操縦士さんを除く乗員で、これからの予定を確認する。
「このまま何事もなくアストロジア王国まで行けると思う?」
私の質問に、シジルはやる気なく答える。
「そうならミルディンが召喚術の対策しろって言うわけねえよ」
「ヴォルグナはそこまで信用できない人なのね?」
「そもそもアイツ、何であの組織にいたのかわかんねえんだよな」
その言葉を聞き、ツユースカがうなずく。
「ミルディンが言うには、ヴォルグナは組織の実験体として生まれたのか、それともそう見せかけているだけの古参なのかがはっきりしないらしいの」
シジルは焼き菓子を頬張る。
「ヴォルグナがあの浮浪者に声をかけているなら、ケリーのことも丸め込んでてもおかしくないんだよな。アイツも他人に暗示をかけて何かやらせてたから」
ケリーはツユースカを探して何をしでかすか分からない。
ヴォルグナは目的すら分からない。
先に進む私たちと、残るミルディンたちの、両方に危険がある。
シジルがお菓子に夢中で黙ってしまった代わりに、整備士さんが羊皮紙の地図をテーブル上に広げる。
「昼に一度、船を休ませるためにこの地域にある妖精族の集落近くに着地する。そのとき操縦士から改めて説明があるだろうが。首都以外の地域は治安が悪いから、アンタらの敵とか関係なく戦いになる可能性がある。甲板に出る前にはくれぐれも注意してくれ」
「分かりました」
妖精同士でも骨肉の争いが発生することは多いから、油断できない。
警戒しつつも、空の旅は順調に進む。
暇になったシジルは、リィコとストリンに釣られて外の景色が見える窓辺にいた。
ツユースカはキッチンで黒柴さんから焼き菓子の作り方を教わっている。
私は今のうちに、ヴェルに気になっていたことを確認した。
「フィルさんのこと、アストロジア王国側に報告する?」
ヴェルはいつもと変わらず落ち着いて答える。
「兄さんはそれでいいって言ってくれた。僕らが報告するのはロロノミア家の偉い人だけだから、王族以外には情報が流されないだろうし。僕たちの故郷が潰れた原因が翡翠の鍵による手引きであっても、首謀者はとっくに始末済みらしいから」
「始末済み?」
ヴェルは感情を抑えようとしたのか、炭酸水を一口飲む。
「僕らの故郷の仇と、ミルディンの故郷を潰した仇が同じだったらしいんだ。それで、兄さんは復讐しようと計画を立てたけど、ミルディンに先を越された」
薄々そんな予感はしていた。
大罪人が相手では、被害者たちによる復讐権の争奪戦が発生する……。
「ミルディンは兄さんより容赦がなかったから、相手の骨すら残さなかった。それで兄さんは我に返ったらしい。あれはみんなの代わりに代表で敵討ちを実行したようなものだって言うんだ」
無言で話を聞く私とテトラに、ヴェルは表情を緩めてみせる。
「兄さんはそのことも含めて、アストロジア王国への報告はしてほしいってさ。3カ国を巻き込んで事件を起こした組織は、内部崩壊を起こした。今は国家をあげて残党の行方を追う段階にきてる」
カーネリア様の力を奪ったのが誰で、どう利用したのかは特定できなかった。
キュリルミアちゃんが言うには、カーネリア様は拐われて救出されるまで意識がなく、何があったのかは覚えていないそうだ。
ミルディンはジャータカ王国にあった異界の王を支援する拠点を破壊していたけど、あれが完全だった保証はない。
ジャータカ王国にいる翡翠の鍵の残党から何か情報が出ているといいのだけど。イライザさんたちは無事でいるだろうか。
お昼になり、船は森の中の開けた場所に着陸する。
そして隠蔽の魔法を解いた。
ここはこの大陸にいくつかある妖精猫の集落のうちの一つらしい。
船の甲板に出る前に、操縦士さんが周囲の安全を確認する。
近くまで妖精猫たちが近づいてきている以外は何もなさそうなので、まずリィコが先に船から降りた。
「はじめまして! 同胞!」
無邪気に挨拶して手を振るリィコに、船の周囲でじっと様子を見ていた妖精猫たちがゆっくり距離を詰めてきた。
「何だおまえ?」
「どこから来たんだ?」
「事前連絡なし訪問なんてサイテー」
森に掛けられた人族避けの結界を上から越えてきたのもあって、集落の妖精猫たちは当然ながら警戒している。アポなし訪問については、本当にすみません。
リィコはめげずに愛想を振り撒く。
「これはディナ・シー族のカーネリア様からお借りしたスゴイ船だ! オレたちは旅をすることになったのだけど、安全な場所が同胞の作った集落しかないから、寄らせてもらった!」
「ふうん?」
「確かに犬っこや花頭の集落なんて住めたモノじゃないけど」
「カーネリア様? 本物? 俺ディナ・シー詐欺に騙されてない?」
知っていたけど、やはり妖精の界隈も治安がよろしくないようだ。
痺れを切らしたのか、狼みたいな操縦士さんはストリンを抱きかかえて外に出た。
「急にやってきて申し訳ないが、外界の状況は逼迫しているんだ。首都からお土産を持ってきたから、それで少しの停泊ぐらいは許してくれないだろうか」
ストリンも笑顔で言う。
「首都のお魚もオイシイよ」
お魚と聞いて、妖精猫たちはピクンと耳を立てて反応した。
「……そこまで言うなら」
「犬っこのくせに気が利くじゃん」
「お魚に罪はないな、食べてやってもいいぞ」
態度を軟化した妖精猫たちは、リィコとストリン、それに操縦士さんとお土産だけ集落に迎えてくれた。
人間が妖精族の集落を歩き回るのは危ないので、私たちは船の中で待機。
ゲームではクリア後に妖精猫の王様の郷へ入れてもらえたけど、あれは主人公君が伝説の剣の所持者だからであって、他国人の私たちは妖精視点で不審な人間でしかない。
お昼ご飯のミートパイを食べながら、整備士さんと話をする。
「船の動力になるモノをここで補給するのですか?」
「補給より、船の機関部を冷やすのが目的だな。動かし続けると熱暴走を起こす」
4時間ほどで熱暴走の可能性が出てくるのか。
ならしょうがない。
そう思った私とは違い、テトラが言う。
「じゃあ、機関部を冷やし続けたら、もっと長時間飛べるの?」
「その魔術機構を積むと、魔力消費が酷くて長距離が飛べなくなるんだ」
「乗員が冷やしても駄目? アストロジア王国の魔術師は自分の体内の魔力を使うから、他と魔力の奪い合いにはならないよ」
「フーム……」
テトラだけでなく、ヴェルも整備士さんにアストロジア王国式の魔術について説明を始めた。
ご飯を食べ終え、ヴェルとテトラが紙にいくつもの図形魔術を書き起こす。
排熱のための魔術と光を魔力変換する魔術を整備士さんが吟味していると、操縦士さんたちが帰ってきた。
ストリンが嬉しそうに言う。
「この地方の川魚もらった!」
物々交換はRPGでの旅の基本だ。
操縦士さんは抱えている木箱を私たちに見せる。
「人間もいると言ったら、鳥肉も分けてもらえた。やはりケット・シーの集落を選んでよかった。クー・シーやコボルトだと捌いていないイノシシを丸々寄越してくるからな」
この世界のネコチャンはツンデレにして慈悲深い。ディナ・シー族のお気に入りなのも納得だ。操縦士さんや整備士さんにはイノシシ肉の方がよかったかもしれないけど。
リィコは銀色に輝く首飾りを身につけ、くるくる踊っている。
「みんなに異界の王を退治したって話したら、ごほうびをもらった!」
この子に交渉を丸投げしてしまったけど、仲良く交流してきたようでよかった。
船が離陸する時間になり外を見ると、来たとき以上に妖精猫たちがわらわらと集まって、空飛ぶ船を観察していた。
リィコとストリンが手を振ると、彼らは手を振り返してくれる。人間が一緒なのに、サービス精神が旺盛だ。
人族である私たちが、ここまで数多くの妖精猫を目撃できる機会は稀なこと。テトラとツユースカは興奮しすぎて無言のまま窓に張り付き、集落が見えなくなるまで動かなかった。
このまま何事もなくこの大陸を越えられるかもしれない。そう思わせた夕方に、異変は起きた。
整備士さんが操縦室から飛び出してきて、談話室の私たちに言う。
「大変だ、進行方向から鳥よりもデカい飛行反応がある!」
「魔物ですか?」
「何かは分からん。飛行可能な魔物であっても、海の上じゃ海魔に撃ち落とされて食われるだけだから、普通は海には近づかないんだ。一応、退治する用意をしてくれないか。これから移動速度を落とす」
ここはやっと陸を越えた辺りで、船の後方には人の居住区がある。イシャエヴァ王国最南の港町で、テトラが主人公君と出会う場所。
退治をしくじれば、町が危ない。
船の進行が止まる。
みんなで魔術道具を手にして、リィコから順に甲板に出た。
船内に残る犬妖精のみんなは船を護る魔法にブーストをかけ、船体がきらめく。
この世界でも太陽は西に沈む。今の私たちからして右手方向。
その傾いていく夕日を浴びながら飛んでくるのは、巨大なコウモリたちだった。人より大きいそれは、口に大きな牙を備えている。
「ピィ!」
アエスが甲高く鳴くので、あれは退治すべき生物のようだ。
コウモリの姿を見てリィコが言う。
「あいつはうちの大陸の魔物じゃない」
それにしては、どこか既視感がある。
「とにかく、全部海へ撃ち落とすよ。真下なら漁船も通ってないから」
ヴェルのその宣言で、事前の作戦通り行動開始。
様子見としてアタッカーはヴェルとシジルに任せ、私達は支援魔術を使う。
矢と水の刃で十匹ほど撃ち落としたところで、次にくるコウモリ集団との距離が空く。
二度目の飛来をしのいだところで、テトラが皆の考えを代弁するように言う。
「キリがないよ。ここに止まってても解決しない」
「そーだな。どうせその辺に召喚術が仕掛けてあるから潰しにいくか」
シジルの言葉に、ツユースカがげんなりと言う。
「それって、空中に召喚の魔術式を固定できるってこと?」
「アストロジア王国からはるばる飛んで来てるとも思えないし、そうなんだろ」
シジルの言葉を聞きながら、ストリンに操縦士さんへの伝言をお願いする。
「船を前進させてもらうように伝えて」
「わかったー」
召喚魔術を破壊する手段を早速試すことになった。
船が慎重に前進した先に、空に浮かぶ黒い召喚陣が現れる。
この空飛ぶ船を包めそうなほどの大きさだ。
日没前だからどうにか視認できるけど、完全に夜になっていたら見つけ損なったかも知れない。
再度空中で船を停止させ、隠蔽魔法を解いてもらう。
わざと目立つよう、魔術で光源になる火球を打ち上げる。
港町から私たちのことが見えてしまう可能性があるけど、気にしてはいられない。
巨大コウモリは私たち人間や妖精猫を餌と認識したのか、船の周囲に羽音を立てて集まりだした。町の存在には気付いていないのでほっとする。
さすがにギリギリまで近づかれると、鳴き声がうるさい。
コウモリが牙をガチガチと噛み鳴らす音にいらだったのか、シジルが舌打ちする。
シジルとテトラの魔術でコウモリを撃ち落としてから、ヴェルが召喚陣に術式破壊の矢を撃ち込む。
警戒してのそれは、あっさりと召喚陣の構成を崩す。
黒い幾何学模様は空中での展開を維持できなくなり、砂のように崩れた。
「は? ショボ」
そうつぶやいたシジルもみんなも拍子抜けし、思わず他の罠がないか周囲を見回す。
ストリンが船の遥か下の海上を指して言う。
「ある! もう一つ魔法陣がある!」
コウモリは足止め用か。
「船を移動させてください!」
思わず叫んだけど、船は器用にスッと後退した。空中でもなめらかなバック移動が可能らしい。
今まで撃ち落としたコウモリに釣られ、巨大な怪魚が海面に顔を出す。
ばっくりと大口を開け存分にコウモリを食べた怪魚は、そのまま動きが止まる。海中に戻ることができず、魔法陣が放つ鈍く赤い輝きに吸収されていく。
どうやらコウモリは大物釣りの餌だったらしい。
贄を得た魔法陣は、燃えあがるかのように脈打つ。
ヴェルが術式破壊の矢を打つけど間に合わなかった。
魔法陣から、赤黒い塊が飛び出す。
それは私たちの乗る船より高く飛翔し、節のある翼を広げた。
全身が赤い鉱石で造られたかのようなプテラノドンが姿を見せる。
その大きさを観察し、ヴェルが言う。
「この召喚が本命かな?」
リィコとストリンが答える。
「まわりにはもう何もない」
「多分これで終わり」
プテラノドン(仮)はこちらに圧をかけるような声をあげるも、ツユースカの防御魔術で阻まれた。
テトラが火球を飛ばして相手の細部を確認する。
「光の反射具合が鉄鉱石とかっぽい。素材じゃん?」
楽しげな声色。
素材なら、狩らねば。