幕間41/召喚師の奸計
鬱蒼と生い茂る木々の合間を、一人の男が歩いて行く。
木の根が這う不安定な地をよろめきながら踏み越える影は、荒れた言葉を吐き続けていた。
「畜生! 畜生! ミルディンの野郎! ツユースカをどこへやった?!」
詐欺師は、拠点が突如として爆発に見舞われたことで塔の上層から身を投げ出された。
女魔術師たちに作らせた護符を全て犠牲にし、一命はとりとめたものの。
その後の呪詛返しを防ぐ手立てはなく、詐欺師は数日ほど森の中で気絶しており、意識が戻る頃には執着対象である少女の行方を追えなくなっていた。
森に住み着く魔獣たちを手懐け、配下の妖精たちに警備させたのも虚しくこの結果。
一人錯乱し、煤と泥にまみれた身を整えることも忘れ、森の中を彷徨い続けている。
男は意識が戻ってまず少女を探した。
だが、塔は原型を留めてはおらず、警備に配した魔獣も塔の崩壊に巻き込まれ死んだ。
手下を動員しての捜索を行おうとしたが、女魔術師だけでなく悪戯妖精も愛人妖精も姿を見せない。
「くそ、何故誰も戻ってこない?! 使えない連中め!」
襲撃への備えが不足していたなどとは思い至らず、詐欺師は姿の見えない相手に当たり散らした。
男がやっと見つけたものは、森に妖精避けの薬剤が巻き散らかされた跡だった。
植物の魔物たちが、手桶を抱えて薬を撒いている。
既にこの土地はミルディンの配下が占拠した証だった。
ここではもう知能の低い妖精や小鬼を呼ぶことができない。
トレントやマンドレイクたちが我が物顔で跳ね回るのを見て、詐欺師は激昂した。
「燃やしてやる! 森など全て焼き払ってやる!」
その叫びに気付いた魔物たちは分散しつつ逃げる。
男は懐を探るが、火を扱うための道具を失っていることに気付いた。
熱量操作の魔術を扱う才能のない詐欺師に火は起こせない。
何一つ思い通りにならない現状に男は激昂し叫ぶ。
「ミルディンめ! 見つけ次第、女受けのいいその顔を叩き潰して、刻んで、蛆のたかる腐肉の山へ投げ込んでやる! シジルも一緒にな!」
「随分とみっともない姿じゃないか、ケリー」
急に第三者の声が掛けられた。
詐欺師は頭に冷水を浴びせられたかのように動きを止めた。ゆっくりと振り返り、相手の姿を確認する。
急に姿を現したのは、灰色のローブを纏い顔を隠し、青く長い杖を手にした存在。
この相手はローブこそ着替えているが、翡翠の鍵の一員だ。
自分から率先して物事を起こさない代わりに、成り上がり欲を抱えた人間全てに道具と知恵は与えていた。
ケリーは言葉が出ない。
(何故こいつが今ここに?)
普段は他者から都合よく使われる振りをして、己の開発した魔術の成果を観察するだけの静かな召喚師。
その不気味さから、ケリーはこの相手に極力近づかずにいた。
「……」
ケリーの沈黙に構わず相手は口を開く。
「どうした? ツユースカを探しているんじゃないのか?」
「……お前には、関係ないだろう」
警戒しながら答えるケリーに、相手は薄い笑みを口元に浮かべる。
「ツユースカの行き先であれば分かるぞ」
「……何だと?」
思わず食いついたケリーに、相手は意地悪く笑う。
「ユロス・エゼル国だ」
「本当か?」
「ああ。全てはあの国で決着する」
「……どうしてそう言い切れる?」
疑いを隠さず問うケリーに、相手は朗らかに答える。
「そう仕組まれているからだ。この大陸での茶番は、全て影苛の王のためにある」
「なんだって?」
翡翠の鍵なる組織の悲願を茶番呼ばわりしたことに、ケリーは呆然とした。
(集団狂気のあの計画を、茶番だと?)
目の前にいる存在が本音を隠すことをやめたという事実も、気味の悪さを加速させる。
動きを止めた詐欺師に、灰色のローブを纏う相手は尊大に言い放つ。
「お前がツユースカに会いたいのであれば、あの国へ連れて行ってやるよ」
執着した少女の行方に意識が移ったケリーは、相手への警戒を忘れて聞いた。
「あの国の魔術障壁を越える手段があるのか?」
召喚師は鷹揚にうなずき答える。
「それぐらい、いくらでも手段はある。出身を詐称しただけのお前とは違って」
こちらを見下す物言いだが、それに反発するだけの余裕は残っていないためケリーは相手の提案を受け入れた。
「なら、連れて行ってくれ」
そんな詐欺師に、相手は愉快そうに話す。
「ああ。行けばきっとお前も満足するだろう。トレマイドの奴に掛けた術はシジルの呪いとこちらの指示が重複して破綻したが、結果は変わらない。あの軍国を軸に物事が動くからには」
うちから湧き上がる不安に耐えかね、ケリーは尋ねる。
「……お前の目的は何だ、ヴォルグナ」
嘲る口調で答えは返される。
「目的? そんな大層なものはない」
「だったら、何故……」
「この世界の生き物は全て上位存在の玩具でしかない。その立場から逸脱できないくせに、悪あがきを繰り返す。俺はそれをずっと眺めているだけだ」
「眺める……? 何のために……?」
その疑問にも、相手は答えない。
「俺はお前の邪魔はしない。それでいいじゃないか、ケリー」
「……」
「ツユースカを追うのだろう? なら急ぐといい」
「そうだな……」
詐欺師にはもう、己の行動と思考を相手に誘導されていると気付くだけの力が残っていなかった。
* * * * * * *
灰色のローブを身に纏う存在が歩くたびに、森の獣や魔物たちは警戒するように距離を取る。
それを黙って見送った男は、先程与えられたガラスの瓶に意識を移す。
薄い茶色のガラス瓶には、どろりとした黒い液体が詰まっている。
あの灰色のローブの人物曰く、それは薬であり、人の心臓に寄生する薔薇を枯らす効果があるものらしい。
この薬で、植物の魔物を支配する魔術師から逃げることが可能になるとの説明だが。
(急に出てきたお前を信用するわけがないだろうによ)
話しかけられた時はいつものようにヘラヘラと対応してやり過ごした男も、相手が去った今は冷めた表情で瓶の中身を見つめた。
(確かに、心臓に絡みついてるらしい寄生薔薇は駆除できるんならしてえとこだが)
何故己にそれが必要だと知っているのか。
つまり相手はこちらをどこかでずっと観察していたということになるが。
(今更新手が急に出てきやがる理由は何だ?)
薬を渡しながら相手は言った。
『命と幸福を結びつけられなくなるのは、人の心を失うことに等しい。
だから、哀れなお前にこの薬をやろう』
(そう言った当人が、幸福を感じるようにも人の心があるようにも見えねえ)
この薬を受け取る己を、そこまで侮っているか。
あるいは。
(ミルディンを追い詰めたいのか)
木陰に座りこみ、男は腕を組んで考える。誰に与すれば生き残れるのかを。
森の静けさに飽きた男は呟く。
「さて。あの嬢ちゃんはいつまであの街にいるんだろうな」