敵地へ
天幕を破壊して見つけたモノを確認し、粛霜は目を見開く。
どうやら、守護獣たちの存在を今まで感知できていなかったらしい。
戦う邪魔をする私を殺すには、守護獣たちから先に殺す必要がある。
やっとそこに気付いた粛霜は、逡巡するように後退した。
誰もが粛霜の出方に合わせて動こうとしているのを察し、身を翻す。
途端にものすごい速さで跳躍し、去っていった。
全員で呆気に取られる。
夜襲を仕掛けておきながら、不利と判断したらすぐに退く都合のよさに腹が立つ。
こちらも無駄に労力を使いたくないから、ちょうどいいけれど。
ゲーム中でも、粛霜は死ぬきっかけになった戦闘以外で持久戦に挑まない。
なら、襲撃はもうないかもしれない。
緊張が解け、深く息を吸う。
「ゲルダリア!」
ヴェルがすごい形相で私に向かって駆けてくる。
「無事?!」
目の前で立ち止まって、ヴェルは私に怪我がないかを調べていく。
「私は大丈夫だから、落ち着いて」
一息入れて冷静に考えると。
天幕が斬られた瞬間に私の防御魔術が間に合ったのは、アエスから魔力が流れて発動補助があったおかげだ。
白鹿も攻撃反射のような魔術を使ったように見えた。
ヴェルが慌てているのは、今の私の魔術発動が遅いのを把握しているため。
「ヴェルのほうこそ、怪我はない?」
「君が全部弾いてくれたじゃないか」
私も負けじとヴェルの全身を観察していくけど、確かに異常はないようだ。触診は……やめておこうか。
「術が間に合って良かったわ」
もしかしたら、私の魔術は全て守護獣たちの助けがあったのかも。
私が目で粛霜の動きを追うのはきつかった。
アエスが私の頭の上に乗ってさえずり、ヴェルもやっと冷静さを取り戻す。
ヴェルがアエスを捕まえて撫で回すのを横目に見つつ、周囲を確認する。
夜中なのに妙に明るくて敵の姿が見えると思ったら、トレントたちがランタンをいくつもぶら下げて歩き回っていた。
岩ばかりの場所なのに、粛霜が来るまでどこに隠れていたのやら……。
テトラとシジルは、粛霜が探知に引っかからない距離まで逃げたのを理解して、ぶーたれている。
ミルディンは……追跡に向かったのか、姿が見えない。
「二人も怪我はない?」
私の確認に、シジルはむくれたままうなずいた。
テトラは怒りながら、腰の小物入れから携帯食料をとりだす。
「なんなのあれ!」
干し肉のやけ食いを始めたテトラに、シジルが言う。
「あれが森に出る通り魔だ。まさか追ってくるなんて」
「え、幻想生物って言ってたじゃん、あんなのただの浮浪者だよ」
「ただの浮浪者があんな動きしてたまるかよ」
「……そーだね……」
残念ながら、この世界の幻想生物は綺麗な存在ではない。
鬱ゲーでは天使だって異形種だ。
粛霜も無精髭を剃り落とせば二十代後半に見える外見らしいけど、現状はテトラの認識通りでしかない。
被害状況を確認すると、天幕用の布と支柱を斬られた程度。
これなら明日のトロッコ移動のときに直せば済む。
問題は、粛霜が私たちを追ってくるかどうかだ。
粛霜は戦える相手、厳密には人族の強者を探している。
人族以外はお呼びじゃないので、今回みたいに守護獣や異形が相手だとさっさと撤退してしまう。
守護獣連れの私がヴェルと一緒にいるから、もうやってこない可能性はある。
ゲームではしつこく追ってきて中ボス戦に飛び入り参加し、敵と主人公パーティの両方を混乱させた。
そして、主人公側の事情を知った粛霜は、異界の王の復活を止めないと強者との手合わせすらできないと理解し、無闇に勝負を挑むのを止めた。
最後は主人公達に情が移り、翡翠の鍵の仕込みで送られた暗殺者との連続戦闘で死ぬ。粛霜が命を掛けたことで、暗殺組織・黎明の有翼獅子は壊滅するのだ。
現段階では、あの暗殺組織もまだ残っている。
しばらくしてミルディンが戻ってきたけど、一言「撒かれました」とだけ告げて、すぐに天幕に引っ込んでしまった。植物の魔物達が代わりに見回りをしてくれるようなので、私達もさっさと眠ることにした。
それからは何もなく、静かに時間が流れていく。
朝になり、天幕の外からアエスのさえずりが聞こえて目が覚める。
天幕から出ると、アエスは桃色の巨大な結晶体の上にいた。
結晶から破邪の力を吸い込んでいるのか、アエスの黄色い羽毛はキラキラと輝いている。
歩いて近づき、結晶体を見上げる。自販機くらいの大きさだ。
ゲームプレイヤーの俯瞰視点と、こうやって世界の住人として現地にいるのでは、まるで印象が違う。
好奇心からうずうずして落ち着かない。
触れてみたいけど、墓標に馴れ馴れしく触るのはまずいだろうか。
迷っていると、私に気付いたアエスがこちらへぴょんと跳ねて羽ばたく。
伸ばした右手にふわっと留まったアエスは、左右に揺れながら無邪気に鳴いた。
「ピピッ! ピュイ!」
「おはよう、アエス」
この子の反応を見るに、今のうちは安全なのだろう。
背後には白鹿の気配。
また準備を済ませたら出発だ。
走るトロッコの上で保存食を食べる。
夜中の襲撃もあり、呑気に朝食を用意する気にはなれなかった。
陰気な岩山の麓を走る中、ミルディンとこれからについて再確認する。
今のところ状況は首都で確認した通りのようだ。
私たちが向かう北西の地域は、遺跡を利用した魔術組織の拠点と暗殺者集団の拠点が点在して、更にその先にゲームでいう隠しダンジョンがある山岳になっている。
これまで通過してきた道に人が利用した痕跡が残っていないため、組織の人間は転移魔法でジャータカ王国とこの大陸の拠点を行き来して物資補給を行なっているようだとか。
翡翠の鍵は首都内で不審がられているのと、妖精族も敵に回したことで異界の王を復活させる以外に状況を打破できないらしい。
どうにか追い詰めることができている?
説明を聞きながら着いた場所は廃園だった。
昔は人と妖精との社交場だったらしい植物園は、ミルディンの配下である植物の魔物が生息している。
しばらく休憩がてらそこで過ごすことになった。
魔物たちが手入れしているのか、園内は整備が行き届いている。
果樹園の区画では魔物たちが収穫作業中だ。
ひょうたんみたいな形の青い実をカゴヘ集めたトレントは、広場に向かう。そこには大釜がいくつも並び、ジャム作りが行われていた。
薔薇園の隅でも、花弁や葉を集めてハーブを作っている魔物たちの姿がある。
……ミルディンはどこもかしこも食品加工工場にしてしまっている。
翡翠の鍵には魔物を支配したがる人間が多いけど、戦闘の手駒にしがちだ。ミルディンのように労働力にした方が、お金が稼げるだろうに。
許可をもらい、今日のお昼ご飯はこの果樹園の未知の果物になった。
薄皮の下も青い色なのに、桃と巨峰が混ざったような甘い味で、脳が混乱する。
ほかのみんなは気にせず食べているし、アエスも喜んで果物をついばんでいる。まだ私は地球の常識に囚われたまま、この世界の住人として馴染めていないのか……。
こんな状況でなければ、この果物の成分も研究したいところ。
安全に補給できる場所はここで最後らしいから、念のために食べ物の入った袋を白鹿の首にもかけてあげた。
この子はジャータカ王宮では食べ物を欲しがらなかったけど、最近はよく欲しがる。
ミルディンいわく、魔物の多い場所では大気中の魔力が奪い合いになるせいだとか。
となると、隠しボスのいる場所も魔力が枯れている可能性がある。
……私が魔術を使う手段が無くなるのでは?
敵側も同じ条件であっても、有利でありたい。
今のうちに追加で魔石を錬成することにした。荷物が増えてしまうけど、どうせ戦闘になればすぐに消費するし。
トロッコでの移動は、植物園で最後になった。
ここから先は歩きであちこちの遺跡を移動する。
組織内の覇権争いが激化している今は、誰かと出会えば容赦なく戦闘になるだろうとも説明された。
異界の王と戦う前に消耗したくはないけど、ツユースカを閉じ込めているケリーとは確実に魔術戦になる。
ケリーがゲーム通り顔の良さしか取り柄のない人間なら、ミルディンがここまで出し抜かれていないはず。あいつに関しても何か変化が起きているから油断できない。
あれから粛霜が追ってくることはなかったから、そこだけは心配いらないか。
巨大な黒曜石を積み上げて作られた遺跡を前にし、全員の歩みが止まる。
……私の認識はまだ甘かった。
黒い石塊が、白い光と赤黒い色を反射している。
遺跡に近づくほど強くなる、鉄錆のにおい。
ここを拠点にしていた翡翠の鍵の構成員は、全員バラバラになって死んでいる。
死体にはどれも、鋭利な刃物で斬ったように平らな断面があった。
……粛霜は、私たちを無視して先にここへ辿り着いてしまったのだ。
そして、遭遇した人間全員に刃を振るった。
魔術結界のようなものも一切ないので、おそらく遺跡の下層にいる人間も全滅だろう。
呆然とする私とヴェルの手前で、テトラが膝をついて吐く。
ヴェルは慌ててかがむとテトラの背中をさする。
シジルも何が起きたのか分かっていないようで、周囲を見回しはじめた。
そんな中で、殿をつとめるミルディンが一人、短く鼻で息をついた。
思わず振り返る。
ローブと仮面で顔を隠して、彼の表情は見えない。
……まさかこれは。
ミルディンの誘導、なんだろうか?
昨晩に粛霜を追ったミルディンが、追いつけなかったとは限らない。魔物で粛霜を囲んで捕まえ、処断するか手駒として生かすかを決めた可能性はあった。
そう気づいたけれど、私はミルディンを問い詰めることができない。
ミルディンには翡翠の鍵に復讐する理由がある。
一方、この惨劇に私が物申す理由がない。
私にはミルディンの復讐を止める権利がないし、複数の国家を潰そうと暗躍した集団の死を悼むほどできた人間でもない。
ただこの光景に慣れたくないだけ。
見たくないものを目の当たりにして不快になっただけ。
汚れ仕事を引き受ける覚悟がないまま、ここまで来てしまった。
私は王宮で、リフィーディング症候群を知らない相手に固形物を食べる選択を与えた。
サスキアが悪人に容赦がないのを知った上で、魔獣殺しのお酒を預けてしまったこともある。
だから今更。
狼狽えている場合ではない。
深呼吸して、ミルディンに声をかける。
「助ける予定のツユースカや妖精を探しに、奥まで入りますか?」
ミルディンは私たちの様子に構わず、冷静に答える。
「いえ。彼女たちは違う遺跡にいます。わざわざ地下に入る必要はありませんので通り抜けましょう」
……確証を持ってそう言えてしまうなら、やはりこの人の仕込みなのか。