回想3/悪意と悪意のせめぎあい
「自分は人間らしい名前をもらってないから、名乗りたくない」
ツユースカがわたしの名前を聞きたいと言うから、そう答えた。
「俺と同じだな」
楽しくなさそうにシジルが言う。
こんなところに仲間がいた。
自分の名前の由来には触れられたくない同志が。
そのやり取りの意味を理解したツユースカが、わたしの名前を考えてくれるという。
やはり区別できないと不便だからだろうか。
でも、人間らしい名前って何だろう。この世界だと余計に謎だ。
それでも、ツユースカがどんな名前を考えてくれるのか、少し楽しみになる。
ある日、目が覚めたら枕元に ぐしゃぐしゃな手紙が置かれていた。
ツユースカがこんなことを?
一瞬そう疑ったけど、いつもならわたしが起きて手紙を読むのを確認するまで側にいてくれるシジルがいない。
手紙を広げると汚い殴り書きがある。
相変わらずこの世界の文字は読めないままだけど、筆圧と筆跡からツユースカの字でもシジルの字でもないのは分かる。
第三者がシジルに何かしたんだろうか。
……心当たりがあるのは。
ケリーを追い払うのに失敗した、かも。
ゲームのネタバレを思い出す。
ケリーはツユースカに執着し、閉じ込めて観察したいという歪んだ願望がある。
そのため、ツユースカを大事にする代わりに、モルスへの反逆を企てていた。
でも反逆は失敗し、モルスの誘導でケリーは主人公たちと戦う羽目になる。
その間にツユースカは生け贄になって死に、ケリーは絶望して自爆というオチだ。
ウザ。
ケリーは何をしてもウザい。
モルスが死んだ今のケリーは、シジルを邪魔者扱いしている。
シジルを探しに行こう。
わたしがツユースカの体を動かして人前に出るのは、シジルに止められていた。
わたしは口が悪いから、喋ればすぐにツユースカと別人だとバレる。
ツユースカが汚い言葉使いをするのをケリーに見られたら、ケリーはツユースカに失望して殺しにくるかも、と言われた。
最近はケリーとトレマイドを潰し合わせようとしたけど、トレマイドはケリーに負け、認識能力を破壊されて狂ってしまった。
しょうがないので、ケリー対策は別の方法を探しているところ。
黒い石を積まれてできた拠点の中をウロウロする。
普段はケリーがツユースカの寝泊まりする区画まで来ることはない。ケリーはまだツユースカに紳士的な対応ができているつもりだから。泣くほどキモがられているのを理解していない。
ケリーが来ない安全地帯を越えて、集会場みたいになっている区画を遠目にのぞく。
そこには、石塊を椅子がわりに一人で本を読む魔術師がいた。
他の連中と同じく、不気味な色のローブを頭からすっぽりかぶっている。
膝の上に長い青色の杖を置いているので、シジルから聞いた召喚師かもしれない。
ゲームでは見なかったキャラだ。
組織を潰そうとしたら台頭してきたイレギュラーな奴。
シジルはこいつが敵か味方か中立か、判断しかねていた。
損得で判断して動いているようだから、急に暴れたり襲ってきたりはしないだろう。
ツユースカの振りをして声をかけてみる。
「シジルがいないの。どこにいるか、知らない?」
その問いに、召喚師はゆっくりこちらを向いた。
低くて聞き取りにくい、かすれた声で言う。
「さーあ?」
久しぶりにイラッとした。もったいぶって言うのがそれか。
考えたら、こいつがこっちに情報を出す筋合いはないもんな。
集会場を離れようとすると、召喚師は背後から声をかけてきた。
「止めた方がいい、ツユースカに憑依した誰か」
思わず立ち止まり振り返る。
「……憑依?」
召喚師は手元の本を読みながら言う。
「すっとぼけんなよ。瞳に魂を見透かす魔法を転写されたのは、シジルだけじゃない」
「え……」
「シジルに転写する前に、いろんな奴が何度も同じ実験を受けた。だから、ツユースカに二人分の魂が入っているのを目視できる奴は多い」
「そうなんだ」
「ケリーの奴は見えないにしても。奴の信奉者が気付いて密告してしまえば、お前はツユースカから追い出される」
「その程度なら全然困らないな。どうせツユースカは無事で済む」
投げやりに言うと、相手は意外そうに聞く。
「企みがあって憑依したんじゃないのか?」
「そんな器用なことはできない」
憑依先が選べるなら、こんな世界は願い下げ。
それはさておき。
ふと思い出し、あの手紙を出した。
「これ、誰が何を書いたの?」
召喚師はゆっくり視線を移す。じっと眺めて言う。
「きったねえ字だな。読めるかよ」
怪文書か?
一体誰が、寝ているツユースカの枕元にこんなものを。
召喚師は会話に飽きたのか、もう手元の本に意識が移っている。
自分も召喚師はほっといて先へ進む。
もしケリーがシジルの目論見に気付いてしまったなら、シジルへの報復でツユースカに紳士な対応(のつもりの何か)を止めるかもしれない。
この怪文書は、その宣言の可能性があった。
シジルがいないとツユースカが危なくなる。
ツユースカは護身の魔術を調べている途中だし、自分は魔術なんて扱えない。
今のうちに、シジルとの取り決めに従ってツユースカを逃すことにした。
この拠点には、ケリーの陣営が妖精を犠牲にして作った転移魔法装置がいくつかある。
シジルの相談相手、ミルディンがいる国へ転移する装置のある部屋へ向かう。
非常時はここから逃げろとシジルに言われている。
ずっと警戒しながら走り、目的の部屋についた後も周囲に誰もいないか確認した。
それから部屋の中央にある転移用の黒い円盤に乗ってみたけど、何も起きない。
数秒待っても駄目。
……もうケリーに先手を打たれた後のようだ。
仕方ない、一旦ツユースカの部屋へ戻ろう。
もしかしたらシジルが戻ってきているかもしれない。
思考を切り替え円盤から降りると、部屋の入り口に金髪で垂れ目に割れアゴの男、ケリーがいた。
斜めにもたれかかってこちらを見ていて、ギョッとする。
音を立てずにこちらを観察していたらしい。
そういうとこが気持ち悪いんだよ!
だいたい何なんだその気取った立ち方は。余計にイラつく。
ここにいる魔術師のほとんどは組織ロゴの入ったローブを着ているけど、ケリーだけは貴族が社交に行くような格好をしている。
勘違い詐欺師の相手なんかやってられない。
けど、奴の横を通り抜けて部屋に戻れるだろうか。捕まりそうだ。
じっと向こうの出方を待っていると、ケリーの背後から甲高い声が聞こえた。
「言った通りだよケリー。今起きているのはツユースカじゃない」
羽虫みたいなのがケリーの頭の横を飛んでいる。
あのピクシーは同族を売る、妖精間の裏切り者だ。
ケリーはピクシーのやかましいチクりを聞きながらこちらを睨む。
「お前か、ツユースカに余計な入れ知恵をした奴は」
「余計じゃない。生きるのに必要なことだよ」
思わず反論する。
ケリーには何を言っても無駄だろうけど、言い返さないと気が済まなかった。
ツユースカとシジルに教えたことなんて、ほとんど栄養の話ぐらいだ。
ケリーは、ツユースカの前では絶対にしないであろう怒りの形相。
「お前のせいでツユースカが生き物を食べて、汚れていく」
「は?」
鳥と魚を食べることの何が駄目なんだ。
こいつもスピリチュアルな話をするのか。
一方的な価値観の押し付けが原因でツユースカに嫌がられるのに。
「ツユースカを生け贄にしたくないならちょうどいいじゃないか」
「そういう問題じゃない!」
おまえの都合なんか知るかよ。
「気持ち悪いよ、ケリー」
正直に言った。
ツユースカが怯えて何も言えないなら、わたしが代わりに言ってやる。
「勝手にツユースカを動かしてそんなことを言うな!」
流石にこの詐欺師も、懸想相手(の姿)から罵倒されるのは堪えるのか。
「この意見はツユースカだって同じだよ。ツユースカへの情報を制限して、自分の理想の人形に仕立てようだなんて、不愉快だ」
その指摘に、ケリーは息を飲む。
まさか気付かれていないつもりだったのか。
「俺はモルスとは違い、そんなことは企んでいない!」
必死に反論するけど、黙ってやらない。
「ツユースカは、ケリーに騙されるほど馬鹿な子じゃないんだよ」
ゲームのネタバレに書かれていた、ケリーの経歴を思い出す。
結婚詐欺をずっと繰り返してきたケリーは、女なんてちょろいと思っている。
その油断から翡翠の鍵の傘下組織に制裁を食らったのに、まだ懲りていない。
一介の詐欺師から魔術組織の幹部に成り上がれるだなんて思っている。
「ツユースカが俺を嫌うわけがないだろう!」
「その自信はどこから来るんだ……」
そういや翡翠の鍵にもケリーに籠絡された女は大勢いたっけ。それがケリーの派閥の構成員だった。
駄目な成功体験から離れられないんだな。
ケリーは顔の良さしか取り柄がない詐欺師だから、なびかない人間への対処に慣れていないようだ。
でも、顔がいい人間なんて、ゲーム世界じゃ珍しくない。
醜さの表現は創作世界じゃ手間になる。
だからモブだって左右対称の整った顔の3Dモデルをしているんだ。
ツクリモノのこの世界では、顔の良さだけではステータスとして足りない。
白い目を向けるわたしに耐えかねたのか、ケリーは震えながら目を逸らした。
「今までだって俺はツユースカには優しくしてきたじゃないか」
「それ自分で言うの? 恩着せがましいな」
普段の詐欺師としての弁舌はどうしたんだ。
まあ、あれをやられても嫌だけど。
歯の浮くような口説き文句には殺意しか湧かない。
わたしとケリーのやり取りに飽きたのか、外道ピクシーが口をはさむ。
「ねえケリー、コイツの魂をツユースカから引きずりだせば、それで済むじゃん。何でぐだぐだしてんのさ」
その提案はこっちとしてもさっさと欲しかった。
どうせケリーはツユースカを傷つけることができない。
シジルと合流できそうにない今、ツユースカの安全確保はケリーにかかっている。
他の人間はツユースカを生け贄に使ってしまうから。
そう考えると、ケリーは煽らない方が良かったか?
そうだ、確認しないといけないことがある。
「この怪文書を置いていったのは誰?」
ぐしゃぐしゃの手紙を出すと、ケリーが顔を青くする。
「それは……異界の王の……」
その言葉を遮り、ピクシーが言う。
「ケリー、そんなことよりコイツ殺そ。ツユースカから出せば、後は魔法で魂を砕くだけだよ」
ケリーはぎこちなく妖精を振り返る。
「お前か? カイ。お前は俺を裏切ってツユースカを生け贄にするつもりなのか?」
ケリーの言葉を無視して、ピクシーがこっちに飛んできた。
仲間割れ? それとも、ゲーム中と違い、ケリーとカイの立場が逆転している?
利用する側とされる側が。
考えるうちに、外道ピクシーのカイは目の前に迫ってくる。
ピクシーは瞳孔が開いたままわたしを凝視した。
「オマエのせいで計画が狂ったの、許さない。二度と生まれ変われないように魂を破壊するぞ」
殺意に満ちた宣言だけど、見た目がピクシーなせいで迫力がない。
スラングを覚えて調子に乗る子供みたいだ。
「バーカ。二度と人間として生まれたくない自分には、そんなの脅しにならないね。願ったり叶ったりだよ」
やったじゃん。
クソな世界に留まらなくていいなんて、最高じゃないか。
わたしの反応が気に入らなかったのか、ピクシーは舌打ちする。
視界が揺れて、体の感覚がスッと無くなる。
どうやら本当にツユースカと分離させられたらしい。
視点が宙に浮いている。
魂だけの状態なのに、高笑いが止まらない。
こちらを憎々しげに睨みつける妖精は、わたしの魂を鷲掴みにする。
「何笑ってんだコイツ」
生まれ変わるのが幸福だって誰が決めた?
『人生にウンザリしたから、もう次は要らないよ』
わたしは現実で人を殺してしまったのに、願望が叶うような都合のいい夢を視られるなんて思わなかった。
いい子ちゃんの味方気取りのまま消えられるのは悪くない。
妖精がわたしの嘲笑に気を取られている隙に、ケリーが意識のないツユースカを抱きあげて去っていくのが見えた。
ツユースカの安全確保をケリーに任せるのは癪だけど、シジルが戻ってくるのが間に合わない以上は他に手がない。
ピクシーはまだわたしを睨んでいる。
挑発に乗りやすい短絡な奴で良かった。
一つ残念なのは、ツユースカから名前をもらい損なったこと。
でも、これが因果応報という奴なら仕方ない。
やがて光を感じ取れなくなり、音も消えた。