回想1/地獄代わりの流刑地
元凶の話
今日も家で怒号が響く。
父親も母親も、飽きずに毎日ケンカを繰り返す。
うるさい。
耳障りで聞くに堪えない音。
日常であっても慣れないことはある。
これだけ騒いで家を散らかしておきながら、外に出た時は人畜無害な振りができるあいつらの神経が理解できない。
あいつらの外ヅラのよさに騙されてしまう奴にも吐き気がする。
毒親に育てられた自分は、大人なんて居ない世界を望むようになっていった。
ピーターパン症候群という奴らしい。
ここは自分にとって生きにくい世界だ。
親が外見だけ取り繕って勝手に生きてるクズだから、縁を切って逃げたかったのに。
自分の年齢ではそれが難しかった。
外ヅラだけはいいクズの言い分に、負ける。
ゲームや漫画、アニメなどで“理想の親”の像を得てしまうと、どうして自分はこういった尊敬できる人格者に出会えなかったのかと悲しくなった。
それでも自分はどうにか、実親と離れて暮らすことが決まる。
父親と母親の離婚騒動で親戚を巻き込んだ結果だ。
親戚がまともな人間だったおかげで、自分は連中から離れて暮らすことを選べた。
しばらくは嫌な思い出を忘れ、娯楽を楽しむ余裕も生まれる。
そして、自分の感情を揺さぶるような物語に触れた。
これからきっとこのキャラを仲間にして一緒に冒険するんだ、とワクワクしたのに。
何故かそのキャラはすぐに死んでしまった。
名前と立ち絵が用意されているキャラが、こんなにあっけなく退場するのか。
どうしてゲーム冒頭でこんな目に遭わされるんだろう。
やる気がなくなって、ゲームは貸してくれた親戚へすぐ返してしまった。
「どうして魔術師テトラは仲間にできないの?」
日を置いて冷静になってから、あのキャラの死亡を回避する手段があるかもしれないと考え直す。
イライラしながら、借り物のスマホでゲームのネタバレを探した。
けれど、残念ながらあのキャラの死亡は確定だった。
ゲーム自体の評価はまちまちだ。
冒頭に出てきた魔術師以外にも、死んでしまうキャラや、何故か仲間にできないキャラは多いらしい。そのくせに、勝手に主人公たちについて来て仲間ヅラするウザいキャラまでいるという。
何でそんな内容の物を商業レートで売ろうと思った?
フリーゲーム以下の酷いシナリオだ。
知れば知るほど、イライラはおさまらない。
聖人系のキャラを、非現実的でお花畑な思考だと罵倒する人はいる。
腹黒くない人間なんか存在しないと言って非難する人がいる。
都合のいい妄想の塊みたいで気持ち悪いと。
でも自分は、その聖人みたいな思考の“親”が欲しかった。
人として生きる上での手本。それが男女問わず酷い人間だったから、生活共同者や結婚になんか憧れなかった。恋がどうとか考える余裕はなかった。
生きるのは苦痛。
だから、物語の世界に逃避したあとも、自分が求めていたのは“安心して側に居られる人”だった。性別はどうでもよかった。
物語の中の“非現実的な思考”を非難したがる人。
自分から見て、そこに矛盾を抱える人も多い。
分け隔てなく全ての生物に優しくできる聖女なんか現実には居ない、と叫ぶ女性が、俺様キャラから唯一大事にされる立場を得る物語を好むことも。
性欲を完全に抹消したかのような思考と振る舞いを行う王子キャラなんか居ない、と叫ぶ男性が、何かと悪態をつきながらも面倒見がいい女性キャラに愛される話を好むことも。
矛盾して見える。
自分の父親は、典型的な俺様思考で家庭内暴力を振るう自己中な奴だった。
自分の母親は、文句ばっかり垂れ流して自力では何も改善しないわがままな奴だった。
俺様野郎が他人に優しくする現実が存在するのか?
他人に悪態をつかないと気が済まない人間が、他人の面倒を見る現実が存在するのか?
素直に、物語の中ぐらいは現実に居ないキャラが欲しい、と言えばいいのに。
善人キャラや聖人キャラを罵倒するぐらいなら、創作物なんて見なければいいのに。
クソな現実だけ延々見てろ。
自分より不幸な人間を観察したいなら、戦史でも漁ればいい。
史実の方が物語より何百倍も気持ち悪くて吐きそうだ。
精神的に切羽詰まっていたから、SNSで構ってくれた相手に自分の考えをぶちまけた。
「ゲームの中でくらい、優しくしてくれる人と一緒に行動できればいいのに。
現実世界では、“普通の優しい人”にすら恵まれない人間もいるんだから。
少女漫画や乙女ゲームのマーケティングの『ただの良い人キャラは人気が低い。売れない』っていう結論がほんとウザい。こっちは現実で優しい人間に会えなかったから、架空の世界に優しい人を求めているのに。
屑キャラが容姿だけを理由に持て囃されるの、ホント嫌」
相手は自分の書き込みを最後まで読んでくれた。そして。
『テトラが仲間にできないのは酷いよね、私も悲しかった。
ゲームとかだと顔がいいからって理由で人気が出るキャラもいるけど、勝手に仲間ヅラしてついてきたあのキャラは、流石に私も無理』
そう同意してくれた。
それで少しは落ち着いた。
そのはずだった。
構ってくれる人を探してSNSに入り浸る。
そこには自分とは違う意見が転がっていて、それでも普通の精神状態なら無視できたのに。
別の人は言う。
『現実なら無理な人間性のキャラでも、架空の話だから愛せるかなって。
現実と二次元は別物だし』
自分は都合よくそんな考え方ができなかった。
現実で無理な性格の奴は、漫画キャラだろうがゲームキャラだろうが無理だ。
創作物と現実を切り離して思考する余裕は、日に日になくなっていく。
現実と二次元は別だと言い切れる環境にいられる人間が、羨ましかった。
……正確に言うなら、妬ましかったのだ。
たかが娯楽で心をグラつかせているのも馬鹿みたい。
そう割り切る余裕は、突然に無くなった。
自分は、あのクソな親のところに戻らないといけないらしい。
最低だ。
クソ人間から離れたら、自分も少しはマシな人間みたいに振る舞えると思ったのに。
一度は子供に都合よく一家離散したのに。
うちの父親と母親を相手にする馬鹿は居ないから、奴らがもう一度『家族ごっこ』をするためには、寄りを戻すしか手段がなかったらしい。
そう決まってから、自分はまたあいつらに呼び戻されることになった。子供が親元にいなくては家族ごっこにならないから。
両親にとって子供は世間体を保つための道具。
幸せ家族という演出をするための必須アイテム。
だから、逃げても逃げても、追い回される。
愛情なんてないくせに。
理解できていないくせに。
軽々しく愛とかいう単語を口にして、自己陶酔に浸りたがる。
一人でやってろ。こっちを巻き込むな。
どうしたらアイツらは、自分を手放してくれるのか。
殺すのは割に合わない。
憎すぎて、一回殺す程度じゃ気がおさまるとは思えないから。
殺しても満足できないなら、殺人の経歴を負うだけ自分が損だ。
逃げられないなら、いっそ。
殺される側に回ろう。
奴に殺人罪を負わせてしまおう。
クソ親が馬鹿みたいにはしゃいでいたVRの機材を、勝手に借りる。
自分の精神状態がまともだったなら、違う手段で親から逃げられたのかもしれない。
でも、考えるのにはもう疲れた。
この世の全てが気に入らない。
いっそみんな道連れにしたい。
SNSで自分に構ってくれた人たちも。
父親がまた昼間から酒を飲んで暴れている。
ここしばらく、自分の子供が勝手にパソコンを使ってやったことも気付いていない。
狭い家で隠れる場所もないから、リビングで荒れる奴の様子を、隣のダイニングから観察していた。
こっちの視線に気付き、奴は何見てんだとか言い始めた。
漫画の中のチンピラみたい。こんな人間って現実にいるんだな。本当に自分の親なのか。
今までは暴力を避けたくて、嵐が過ぎるのを待つみたいに耐えてたけど、もう止める。
今日で全部終わり。
投げやりな気分になって言う。
「しょっちゅう殺す殺すって言うくせに、全然実行しないから、代わりにやってやった。お前の行く仮想空間で人を殺したから、もうアカBAN食らってんじゃないかな」
奴が行くVR空間では、殺人行為が規約違反になっていた。
ゲームの向こうの人間が本当に死んだかどうかは、こっちじゃ把握できないけど。
反応が途絶えたから、よくて気絶、悪くて死んでる、かもしれない。
人間がそんな簡単に死ぬのか? なんて疑問もあったけど。
今の自分には、仮想空間で人が死のうが死ぬまいが、全部どうでもいい。
目論見通り、奴はブチ切れて何か叫んでる。
物が飛んでくるけど、酔っ払いのやることなので家具が壊されるだけ。
近所の人もまた馬鹿が暴れてるって思うだろう。
警察を呼ぶと馬鹿から逆恨み報復される可能性があるから、みんな無視してる。
「相手に何かあったら、警察はお前がやったと思うよ、お前のアカ使ったから」
念を入れて煽ってやったら、出しておいた包丁を握りこちらにくる。
「いっつも口だけで殺せないくせに」
日頃から他人に暴言を吐く奴ほど、煽り耐性がない。
激昂して赤い顔で喚いて、奴は包丁を振り回す。
そうだ、殺せ。
これでお前はもう社会的に生きられない。
家族ごっこなんて二度とできなくさせてやる。
できれば死ぬまでムショに入ってほしい。
痛いことはできれば避けたかったけど、これで最後だから我慢した。
意識が黒く塗りつぶされた後。
しばらくして何かの音を聞いた。
肌で熱のようなものを感じる。
……もしかして、失敗したのか。
殺されたかったのに。
せっかく死ねたと思ったのに。
痛みが消えている。
あれだけ滅多刺しにされたのに。
人を殺す夢と殺される夢を視ただけで、何もなかったんだろうか。
幻覚をみるほど、自分が狂ってしまっただけだった?
今までに聞いたことのない音。
また自分の親が妙な物に手を出して、騒音を立てているのか。
諦めて目を開けると、自分の足元には巨大な空洞があって、濁った緑色の光があふれている。
その光に触れた足元から、冷たいものがねっとりまとわりつく感触。
ゾッとする。気持ち悪い。
背後で人の気配が揺れた。
もしかして、自分はこの空洞に突き落とされる?
そう気付き、とっさに背後の人間を突き飛ばした。
頭から変な色の布を被った人間が、悲鳴をあげる。
「何故だ、ツユースカ……」
数メートル先に、突き飛ばした相手と似たような格好をした集団がいる。
何だここ。
さっき突き飛ばした奴が、またこっちに向かってきた。
避けて蹴飛ばすと、相手はあっさり空洞の中へと落ちていく。
背後の集団が騒ぎ出す。
訳の分からない人間の相手なんてしていられない。
騒ぐ集団の背後に、縛られている子供が見えた。
誘拐だろうか。
自分の親に身代金は払えないから、臓器目当てで売られたのかも。
このまま放っておくと酷いことになるのは理解できた。
自分を捕まえようとする人間を避け、縛られている子供を抱えて全力で逃げた。
逃げながら、矛盾していると思った。
殺されるために人を殺した自分が、何をしているのか。
でも、今は諦念より恐怖が勝る。
身体が勝手に逃げようとしていた。
必死に呼吸し、足の感覚が麻痺するほど走る。
しばらくして、気味の悪い色の建物から出て、森のような場所に着いた。
疲れてその場に座り込む。
ゼイゼイと息をついていると、誰かの声が聞こえた。
「あんた、誰だ?」
「は?」
振り返ると、縛られたままの子供がこちらを見ていた。
走り疲れて言葉を出せずにいる自分に、子供は再度問いかける。
「ツユースカに憑依した、お前は何?」
……憑依?
自分のこと?
ツユースカって誰だっけ。
その名前は聞き覚えがあった。
ああ、そうだ。
あのゲームで生け贄にされたキャラの名前が、ツユースカ。
今自分に問いかけてくる子の名前は、シジルだったはず。
どうやら自分は、夢を視ているらしい。