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幕間38/学院からの旅立ち

 誰かの叫び声が聞こえる。


「あの子がどこにもいない!」


 どうやら探し人がいるらしい。


「私の作った物語が変質して、主人公が消えてしまった!」


 ……主人公が不在?

 それはどのお話のことだろう。



 嘆きの声が遠ざかっていくのを待って、私は自分が何者かを思い出す。

 窓からの日差しに気付き、目を開ける。


 さきほどまでのことは、意識からすぐに抜け落ちていった。


 今日もまた一日が始まる。

 済ませないといけないことが山積みだ。




 バジリオさんが捕まった日から2日経った。

 アリーシャさんはまだ落ち込んでいるけど、あの国へ帰る準備は進めているという。

 バジリオさんも解放され、国家間で一悶着おきる心配はなくなったようだ。

 本来なら、諜報員はこの世界でも処刑や永久投獄をまぬがれない。

 それゆえに、異界の王の脅威を未然に防いだという理由で放免になったのが、どれだけ特例であるのかがよく分かる。

 あのときバジリオさんが通信していた相手は魔術機構の管理者で、あれからすぐにユロス・エゼル側で影苛の王の封印を見直しているとのことだけど……。

 不安が拭えないままだ。

 あの軍国の技術は相当なものなのに、封印が緩んだのを今まで悟られずにいた辺り、異形の方が上手だろうから。


 私は授業を受けることを諦めて、魔術研究棟で今までの研究や道具をまとめていた。一部の道具はソラリスさんとタリスさんには預けておく予定だ。

 ゲルダ先生から頼まれた研究はほんの少ししか進んでいないけど、全くの無意味でもない。応用手段はこれから他の人でも研究できる。

 お昼が近くなったころ、ソラリスさんがやってくる。

「ここにいたんだ、ノイアさん」

「学院を出る前に、研究したことを整理しようと思ったんです」

「そっか。一応、いつかは先生達に報告しないといけないのもあるか」

「ソラリスさんはもう具合はよいのですか? 蝕の術の影響などは……」

「大丈夫。普通の怪我とかと同じく治癒術で治った。精神のほうも、多分いつもどおり」

 淡々とした口調でそう話すソラリスさんは、確かにいつもどおりだった。

「よかったです、安心しました」

 私の言葉に、ソラリスさんはためらうように言った。

「どっちかといえば、俺よりノイアさんのほうが大変なことだらけなのに」

「そうでしょうか。苦労は同じぐらいしているかもしれません」

 即座にそう返してしまった。

 ソラリスさんが自分の身を使って魔術実験したいと言った原因も、私には教えてもらえないまま。苦労や悩みは隠されている。

「そうかな?」

「そうです。誰が飛び抜けて大変とかではなくて、全員が酷い目に遭わされていると思います」

 だから、あの異形のやることは許しておけない。

 封印の管理をしているのはユロス・エゼルの国なので、そこに私が口を挟める立場でないにしても。

 考え込むソラリスさんに言う。 

「私としては、今の状況はまだマシな方なんです。アリーシャさんやバジリオさんと学院(ここ)で唐突にお別れするより、事情を知った上で一緒にあの国へ行くほうが、心配は減るんです」

「そっか。ノイアさんはあの子と仲良かったな」

「はい。知り合えて良かったと思います」

 今回の事件さえなければ、バジリオさんとも呑気な会話のできる日があったのかも。

「俺はバジリオに警戒されてたから直接話したことはないけど、今思えば、あいつは俺の動きが暗殺者と同じだって気付いたのかもしれない」

 (じゃ)の道は(へび)、ということでしょうか。

「バジリオさんの行動はときどき違和感がありましたし、あれが仕事だったのかもしれませんね」

「妙だとは思ったけど、悪いことをしている風でもなかったから放っておいたんだ。それどころか、バジリオは学院に入り込んだ不審者を何度も追い出していたらしい」

 なんと。

 それでは余計に、彼を罰することはできない。

「……今までにこの学院で、一体どれだけの不法侵入が起きていたのでしょう」

 警備に大勢の人達が関わっているのに。

 バジリオさんが居なくなったら、学院は危ないのでは?

 心配事は減ってくれない。

「ソラリスさん」

「何?」

「もしまた事件が起きても、無茶はしないでくださいね。危険な状況ではフェン様やシャニア様を優先しなくてはいけませんが、それでも。ソラリスさんも一緒に生き残ってください」

 甘い考えかもしれないけど、極限まで自暴自棄にはならないでほしい。

「そうだな。俺も、家には帰りたい」

「あと、私がまた学院に戻ってこられたら、一緒に魔術研究を続けてほしいです」

「ああ。乗りかかった船というヤツだしな」

 これ以上、魔術研究の仲間が減っては寂しいですから。

 ……そう言おうとしたけど、その言葉は適切ではない気がした。

 珍しく、自分で自分の感情をうまく言語化できない。

 私は単純に、この人とももっと話がしたいのだろう。どうして興味が湧くのかは分からないけれど。



 昼休みも魔術研究棟で準備室の整頓をしていると、タリスさんがやってきた。

「お久しぶりです、タリスさん」

 ソラリスさんはさっきご飯を済ませて眠いのか、タリスさんには会釈するだけだ。

「ええ。先輩たちはお元気でしたか?」

 忙しいのか、いつもより声に力がない気がした。

「はい。あ、そうだ、 ゲルダ先生が配合したハーブがまだ残っているので、せっかくだしお茶を用意しますね」

「いえ、お気遣いなく。それにしても、昼からここを開けているなんて珍しいですね」

 タリスさんは収納棚や壁に吊るされた道具を順に眺めていく。

「色々お借りして散らかしてしまったので、片付けをしておきたいんです」

 曖昧に濁してしまった私に、タリスさんは苦笑する。

「実は、先程ロロノミア様から呼び出され、お話を聞いたのです。ノイア先輩がユロス・エゼルへ向かうことが決まった件と、その原因について」

「……全部ご存知でしたか」

「はい。あの二人がユロス・エゼルからやってきたということも知らされました」

 一拍置いて、タリスさんは迷うように言う。

「今思えば、姉さんは、分かっていてあの二人と仲良くしていたのかもしれません」

「……アリーシャさんは、会話の端々で自分の出身地をばらしていましたからね……」

 きっと、ゲルダ先生にも意識せず話をしてしまっている。

 それでもアストロジア王国の民は、ユロス・エゼルからの諜報員を黙認する。あの二人に悪意はないし、大国と事を荒立てるほど無謀ではない。

「あの二人のことは姉さんも心配するでしょうから、先輩が側にいてくれるのはちょうどいい配剤なのだと思います」

「ゲルダ先生が帰ってきたときに、この件を報告するのは気が重いですね……」


 しんみりして私とタリスさんが黙ったところで、ソラリスさんが口を開く。

「それはそれとして、ここに来たなら、何か道具が要るんじゃないのか」

 そう問われたタリスさんは、言葉を詰まらせる。

「いえ、僕はただ寄ってみただけなので……」

 その返事に、ソラリスさんは不思議そうだ。

 理由なく寄りたい場所というものが、ソラリスさんにはまだないのだろう。


 道具といえば。

「タリスさんに楽器をお返ししなくてはいけませんね。今ちょうど、アリーシャさんとバジリオさんの分も預かっているんです」

 あのガラスの円盤は、鍵付きの収納棚にしまったところだ。

 取り出そうとしたところでタリスさんが言う。

「いえ、それはそのまま先輩たちがお使いください。ずっと音を利用した魔術の研究をされていましたし。あの国へ持ち込めるのかは不明ですが、道中まで魔術道具はあった方がいいでしょう。まだこの国も安全とは言いがたいので」

「分かりました、ではありがたくお借りしておきます」

「はい。その楽器がどこまで魔術に応用可能なのか、報告をお待ちしております」

 なるほど、商品モニターは継続ということですね。

 タリスさんには商品開発の責任者としての都合もあるのでしょうが。

 この道具はゲルダ先生が好きそうですから。




 あれこれ準備をし、ついに学院を出る日になった。

 私とアリーシャさん、バジリオさんが早朝の校門前に行くと、うちの伯爵様からの使いの人二人はもう馬車で到着されていた。

 一人はお屋敷の執事 兼 馭者のモンテさん。

 彼は早速私たちの荷物を馬車まで運んでくれた。

 もう一人も私のよく知る女性で、名前はトワネットさん。

 彼女は昔は恋多き人で、しょっちゅう恋文を書いては燃やしたりしていたけど、結婚詐欺師に騙されて以後、恋への憧れを捨てて仕事一筋になったお姉さんである。

 その真面目な仕事ぶりから、伯爵様のお屋敷では文官として働いていた。

 飾り気はないけれど清潔で隙のない正装。そんなトワネットさんには安心する。

 この人はユロス・エゼルに関して苦い思い出があるけど、一緒に来てもらってもいいのだろうか。あの国の軍人を自称する詐欺師に騙されたんですよね……。

 いわゆるロマンス詐欺で、あの詐欺師はユロス・エゼルの軍人ではないし、この国の人でもなかったようだけど。

 頭の片隅で当時のことを思い出しつつ挨拶をする。

 トワネットさんにアリーシャさんとバジリオさんを紹介していると、アーノルド王子が一人でやってくる。

 まさかこの人が見送りに来てくれるとは思わなかったので、全員で固まった。

 慌てて礼をする私たちに、アーノルド王子は溜め息をつく。

「そう緊張するな。ただ渡す物があるだけだ」

 言葉と共に、細身の長剣を私へ差し出す。

「あの伯爵に渡しておけ。この剣は、祖の教えに従い造られた破魔の剣だ。影苛の王なる悪意への対抗手段としてな。軍国でも奴の力を削ぐ手段は研究しているのだろうが。万が一への備えは多い方がいい」

 おお。

 凄い道具を出してもらっている。

 両手で受け取り、頭を下げた。

「承りました。こちらは伯爵様に必ず届けます」

「それと、これはフェンの奴からだ。蝕の術の解析結果が出ている」

 紐で閉じた書類の束も渡された。

「あ、ありがとうございます」

 慌ててお礼を言うと、王子は私を見ないように目を逸らして言う。

「シャニアが心配するから、無事に戻ってこい」

「はい!」

 それだけ言って、アーノルド王子は去っていく。

 思わず、彼が見えなくなるまで頭を下げ続けた。


 強い力の持ち主ゆえに周りから恐れられ、素直な優しさを発揮する余裕をなくしてしまった悲しい王子。

 本来の乙女ゲームの主人公は、そんな王子にも怯えることなく振る舞って、心を癒す役割をこなしていく。

 私はその役をシャニア姫から奪いたくなかったから、彼には失礼な対応ばかりになってしまった。

 それでも、彼が民のための王族であり続けるなら、私は忠実な民としてあの人たちに応えよう。

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