幕間36/襲撃が天丼じみても敵が気にするわけもなく
数話ほどノイアちゃん側の話になります。
蝕の術による影響を懸念して早々と眠った次の日の朝、いつもよりも体が軽くなったようにスッキリと目が覚めた。
何気なく窓から外を見てその理由を察し、思わず声を出す。
「わぁ……」
空がほんのりとまばゆい。
王国全土に施された始祖王の加護が、強化されている。
ということは、国王陛下は代替わりされたのだ。
なのに、戴冠に関するお知らせやお祭りは一切なかった。
歴代五人目の導きの王を待つ国民は多いはずなのに。
裏で何が起きているのだろう。
庶民の私が国家機密を把握できないうちは、まだ安全だと思っていいのだろうか。
高貴なる人々の都合に合わせ、学院での生活は何事もなく通常通り進行していく。
私がまだ平穏な学生生活を送れるのは、色んな人たちの努力のおかげだ。
平日の放課後、アリーシャさんと一緒に、図書室で試験対策をすることになった。
途中で力尽きたのか、アリーシャさんは泣いているかのように声をしゃくり上げた。
「ああー、数学分からないよう……」
彼女を悩ませているのは、地球では歯車の形状を計算することにも使う式なので、混乱しても仕方がない。
アストロジア王国では、機械じみた機構を図形の魔術で代用している。
そのため、魔術を普及させたい王国は、複雑な計算式も学院での履修科目に入れていた。
「ノイアちゃんはこれどうやって覚えたの……」
「時々トラングラさんがトロッコを倍速で走らせたいと言って、山ほど計算してたんですよ。そのときに計算をお手伝いしました」
トラングラさんのあれは、ミニ四駆を改造したい小中学生と同じノリでしたね。
でも、計算が複雑なので、奇声を上げながらの作業に……。
衝撃吸収の魔術も計算しないと、乗っている人間が圧でぺしょっと潰れるとのことなので、私は主にそっちを手伝ったのでした。
「じゃあこれが、車輪に使う魔術駆動?」
「応用先はおそらくそうだと思います」
ただ、駆動という言葉はこの国では使われていない。ユロス・エゼルではそう呼ぶらしいと、魔術の本で読んだ気がする。
アリーシャさんに、その言葉を使うと出身地がバレてしまうと知らせた方がいいのでしょうか。どうやら本人は気付いていないようです。バジリオさんがアリーシャさんの発言を遮ることがあるのは、出身地がバレないよう配慮しているからのようですが……。
「そっか、ならバジリオもこれ得意そう。故郷で荷車の改造してたし」
この世界でも、車に類する物を改造する趣味の人は多いようです。
私が歯車の形状作成に必要な計算式を知っている本当の理由は、ノイアになる前の私のお爺ちゃんが技術者だったからだ。
家に図面を持ち帰っていたお爺ちゃんにこれは何かと聞いたら、歯車の設計図だと教えてもらった。略図だと歯はなく、同心円が描かれているだけにしか見えない。
……今思えば、あれは企業秘密を家に持ち込むアウト行為だったのでは……?
私が口外しない限り、お爺ちゃんが会社から訴えられたりせずに済む。
そもそも、もう言いふらしようがない。
どうして私がノイアになってしまったのか分からない以上、元に戻れはしないから。
戻る手段があったとして、今の両親を置き去りにして前の生活に移る気になれない。
仮にこの世界が複雑に作られた賽の河原だったとしても、私はここで暮らす。
積み上げた縁や思い出を鬼に崩されないために、抵抗しながら。
日が傾く頃には、アリーシャさんもどうにか今日のノルマはクリアしました。
「良かったー、終わったー! 説明ありがとう、ノイアちゃん」
天を仰ぎ喜ぶアリーシャさんに、ほっこりする。
「いえ、アリーシャさんが頑張ったおかげです」
「あたしでもどうにかできるんだねー。いつもより頭を使ったらお腹すいたよ」
「では、ちょっと早いですがご飯にしましょう」
二人で図書館から出ようとする途中、誰かの話し声が聞こえた。
囁くような男声と、かすれた悲鳴のような女声。
それを不審に感じたのは私だけでなくアリーシャさんも同じだったようで、二人で無言のまま声の主たちを探す。
壁側に向かって並ぶ本棚の間に、二人の人影があった。
お嬢様らしく制服に飾りを追加した女子生徒が、制服を着崩した不良のような男子生徒に追い詰められているように見える。
私より早く、アリーシャさんが叫ぶ。
「こらー! 泣かすなー!」
はっと気づいた頃には、アリーシャさんは男子生徒を引っぺがしてポイっと投げ飛ばしていた。
俊足……。
私は慌ててアリーシャさんの後を追う。
不良男子はアリーシャさんの行動と身長に気圧されたのか、舌打ちしながら私の横を走り抜けた。
それは一旦放っておき、女の子の様子を確認する。
「怪我などはありませんか?」
私の問いかけに、相手は震えながらうなずいた。
相手を怯えさせる壁ドンは許されません。
そんなことを考えつつ、声をかける。
「もしよければ、医務室や心療室まで一緒に行きます」
その言葉に、女子生徒は途切れ途切れに声を出す。
「いえ、たいしたことでは、ありません……」
でも、まだ足が震えている。
放っておけず、私とアリーシャさんはその子が落ち着くまで待った。
あの男子が戻ってくる気配はない。
女子生徒がもう大丈夫だと言うので、三人で食堂へ向かうことにした。
その途中で、木賊色の髪と瞳をした女の子は、少しずつ話を始める。
「先程は、助けていただきありがとうございました」
「気にしなくていいよー」
アリーシャさんは空腹なのか、声のトーンが弱くなっている。
「私の名はミルリーナと申します」
「あたしはアリーシャ」
「私はノイアです」
自己紹介を終え一息つき、ミルリーナさんは緊張した表情のまま言う。
「実は私、先程のあの方がどなたなのか、まるで存じ上げないのです」
「初対面ってこと? なのにあんなことしたなんて、最低だね」
ミルリーナさんはアリーシャさんのタメ口を気にすることなく続けた。
「どうやら、あちらは私のことを一方的に把握されていたようですが……」
ということは、ストーカーかもしれない。
「では、ミルリーナさんがしばらく一人で過ごすのは、危ないかもしれませんね」
私の言葉に、彼女は怯えるように身をすくませた。
アリーシャさんが気遣うように言う。
「アイツが誰か分からないんじゃ、学院に報告しても捕まえてもらえないかもしれないし、つきまといが無いって確定するまで気をつけてね。あたしでよければ、呼ばれたらいくよ」
「ありがとうございます」
「問題は、私とアリーシャさんが一緒に居られない間、ミルリーナさんの護身をどうするかですね」
そう言ってから、肝心なことを思い出す。
私、魔術道具をフェン様に持っていかれたままでした。
補助なしで魔術を使うのは心許ない……。
食堂でご飯を食べながら、ミルリーナさんに魔術研究棟の道具を借りることを提案する。
先生たちの作った道具を無闇に持ち出すのは気が引けるけど、ミルリーナさんは緊急事態なので、きっとゲルダ先生は許してくれる。
ご飯を食べ終え、三人で学舎へ戻る。
誰も私たちのあとをつけてきていないのを確認し、魔術研究棟へ。
準備室にある道具保管庫から、魔力誘導の道具をいくつか出した。
「この中で、ミルリーナさんと相性のいい道具があれば、借りてしまいましょう」
「はい」
私もどれかを借りていこう。
この前の襲撃と、その前段階の夢を思い出した。次もセルヴィスさんに助けてもらえるとは限らない。
音叉と金属製の指揮棒を手に取り、軽く打ち合わせて鳴らす。甲高くリーンと鳴る音は、長く響く。
この音なら、あの不協和音に対抗できるかもしれない。
ミルリーナさんも道具を選んだようで、ガラス製の透明な猫の置物を手にしている。
そして、その猫を見つめ、彼女は何かを呟いた。
「トラングラ様……」
「あ、鈍器もあったよー」
アリーシャさんが別の戸棚から長い杖を出してきた。
いかにも魔法使い用ですと言わんばかりのワラビじみた渦巻きがある、木製の茶色い杖。ワラビ部分の内側に魔力誘導の紋が刻まれている。
「それは流石に、私には扱えません……」
ミルリーナさんの言葉に、アリーシャさんは笑顔で返す。
「そっか、じゃあこれ、あたしが借りていくね」
アリーシャさん向きの道具ではないから、おそらくバジリオさんに預けるのだろう。
アリーシャさんと二人でミルリーナさんを宿舎の部屋まで送る。
それから学院の警備の人に、ミルリーナさんに起きたことを報告しにいった。
けれど、貴族のお嬢様を追い回す不良男子は多いらしく、特定が難しいと言われてしまった。
宿舎に帰る道すがら、アリーシャさんが杖を振りつつむくれて言う。
「治安悪ーい。何でああいうのを入学させちゃったんだろ。庶民がみんなあれと同じだと思われたらヤダ」
「入学時は真面目なフリをしていたのかもしれません」
そんな会話をしながら、二人で日の落ちた通りを歩く。
灯りはあちこちにあるので明るいけど、門限が近いからか他の生徒の姿はない。
私たちも早く部屋へ戻らなくては。
と、思ったところで。
宿舎の入り口前に、ぼんやりと人影が見える。
それに気付いたアリーシャさんが杖を構えて言う。
「早速来たね!」
その言葉で、あの人影がミルリーナさんのストーカー(仮)だと気付く。
逆光で相手の表情は見えないけど、制服の着崩し方と髪型からして同一人物だろう。
アリーシャさんは最初から、不良が私たちの方に報復しにくる可能性を考えて杖を……。
あまりにも場慣れしていませんか?
思わずアリーシャさんを見ると、彼女は怯むことなく不良を睨んでいた。
やはりこういったことに慣れているようだ。
それはともかく。
不良の様子がおかしい。
力でアリーシャさんに勝てないのは出会い頭に理解できただろうから、報復に来るなら道具でも持ち出してきそうなのに、手ぶらだ。
ベタな逆恨みのセリフもない。
疑問に思ううちに、相手は私に向かって飛びかかってきた。
とっさに後ろへ下がり、防壁の魔術を使う。
術によって不良が跳ね返る隙を逃さず、アリーシャさんが足に杖を引っ掛けて転ばせる。
けれど、相手は宙に浮いた状態から身体をひねり、腕で地面を叩くように跳ね起きた。
まるで痛覚が無いかのような無茶な動き。
そして、起き上がると再度こちらに向かってタックルをかける。
動きが単純なので、これも私の魔術で再度 弾き返せる。
魔術で身体強化しているなら多少の痛みも無視できるだろうけど、それにしてはむこうの速度は遅いし威力もない。
そのちぐはぐさに、アリーシャさんも妙だと気付いたようだ。
私を後ろに下がらせ、彼女が前に出る。
「殴ったらまずいやつかな……」
言いながら、彼女は土の魔術で相手の突進を防ぐ。
私は慌てて炎を打ち上げ頭上を照らす。
そして、相手の表情がはっきりと見えた。
視点の定まらない虚ろな目に、軽く開いたままの口。
立ち方もどこか不安定で、人の骨格を無視した挙動だ。
アリーシャさんが驚いて叫ぶ
「気絶してんじゃん!」
不良は、意志がないまま何かに操られているように見える。
この前の襲撃を思い出す。
あれは魔術を扱える人間だったけど、魔力のない人では同じことができない。
だからずっと単純攻撃で私を狙う?
ああ、これは、不良が逆恨みで私とアリーシャさんを狙ったのではなく……。
前の襲撃が未遂に終わった原因の、私への報復。
「……影苛の王」
私のつぶやきに、不良とアリーシャさんの両方が反応する。
気付かれたなら隠す意味はないと判断したのか、不良が吠えるように叫び、空間が歪むように揺れた。
あの夢の中と同じく、音による魔術だ。
慌てて音叉と金属棒を取り出して打ち鳴らし、対抗する。
その隙にアリーシャさんが土壁を生やして不良を囲う。
それでも相手は止まらない。
不気味な叫び声と共に土壁が吹き飛ぶ。
「嘘でしょ!」
アリーシャさんが焦ったように声を上げる。
これ以上は止める手段がない。
あとは蝕の術で周囲を凍らせてしまうぐらい。
でも、影苛の王の狙いはそれだろうか?
私が蝕の術で自滅するか、あるいは、あの不良の命を奪ってしまって社会的に制裁を受けるか。
ためらう隙につけ込むように、相手が突進してくる。
そうだ、衝撃吸収の魔術。
計算式はまだ覚えている。
魔力で円陣を描ききるのはギリギリだった。
相手が私に触れる直前で動きを止める。
アリーシャさんが腰に吊した本をばらまきながら止め帯を出し、相手を拘束にかかる。
けれど、不良を起点に風が巻き起こって、彼女は吹き飛ばされた。
「アリーシャさん!」
『風狼疾駆』
背後から誰かの声が聞こえる。
あっけにとられるうちに、風の流れが変わっていく。
地面に叩き付けられる直前でアリーシャさんの体が浮き、彼女は無事に地に足をつけて立つ。
「バジリオ……」
彼女の視線からして、どうやらバジリオさんが私の後方にいるらしい。
私を無視してバジリオさんは言う。
「アリーシャ。あれを使えばどうにかなるけど、もう隠せないぞ」
「いいよ、そんな場合じゃない! 止めて!」
そのやり取りの後に。
背後で魔力の渦が発生した。
『伝承碑文接続:深層情報引用:魔力装填:捕縛術式形成・特級』
無感動に言葉が羅列されていく。
そして、私の目の前に光の檻が発生。
不良を閉じ込め、檻は激しく光を放つ。
まぶしさと相手の悲鳴に顔を背けてしまう。
魔力と風の流れが収まり、私は膝をつく。
目の前で不良が倒れている。
ぼんやり座り込む私に、アリーシャさんが駆け寄った。
「ノイアちゃん、大丈夫?」
「はい……アリーシャさんも、無事ですか」
「このぐらい平気!」
どうやらバジリオさんのおかげで助かったらしい。
「今の魔術は、一体?」
私のその質問に、アリーシャさんは戸惑ったように口をつぐむ。
バジリオさんは私達に構わず、苛立ったように空へ叫ぶ。
「ラコント! 遺跡の封印はどうなってんだ!」
……らこんと?
それは、どこかで聞いたことがあるような?
まるで電子音のような高い音が響き、知らない誰かの声が届く。
『――監視はずっと継続している。異常は起きていないよ』
ノイズ混じりの音声で、相手の年齢も性別も分からない。
「だったら、何でこんなことになる?!」
『情報偽装かもね。奴なら監視機構を壊して乗っ取るぐらいはやるかもしれない』
「出し抜かれてんじゃねーよ」
『それはそれとして、バジリオ』
「は?」
『せいぜい無事に帰ってこられるよう奮闘するがいいよ――』
通信のようなものは無理矢理に打ち切られたらしい。
呆然とするバジリオさんが振り返った先に、アーノルド王子が立っている。
「ユロス・エゼルからの諜報員というのは、お前のことだな」
威圧するような言葉と態度に、バジリオさんは動けない。
もしかして、影苛の王は私を狙ったのではなく、こうすることが目的だった……?